父と母と
朝日と共にタケヒコは動き出す。託された呪を、ジョウコウより託された言葉を、シンムに届けるために。
朝を迎えた街並みにタケヒコが入ると、地に両足を手で抱えて座して、表情を重くしているカグヤが目に入る。
カグヤ「タケヒコ……」
暗い表情のカグヤが顔を上げて、タケヒコを見上げながら呟いた。
タケヒコ「カグヤ様、おはようございます。今日は早くからお目覚めですね」
頭を下げてタケヒコは挨拶した。簡単に頷いて挨拶をカグヤは返すと、自らのすねを強く抱きしめて、弱弱しい声を絞り出すように口を開く。
カグヤ「スクネは? スクネはやっぱりどこか行ったの?」
タケヒコ「突然、どうなされたのですか?」
不意をつかれて、タケヒコは顔に出そうになったが、スクネとの約束を守るために無理やり押し込める。
カグヤ「スクネ、起きたら、わたしに気付かれないように外へ出て行ったから」
タケヒコ「気付いていらしたのですか?」
カグヤ「うん。スクネどこ行ったの? やっぱり、わたしが何かしたんだ……」
心の中でスクネに謝りながら、タケヒコは先程の事をカグヤに伝える。
タケヒコ「心配なされないでください。少しだけ、出かけただけですので、すぐに戻って来ると思います」
カグヤ「そっか……邪馬台国に帰ったんじゃないよね?」
更に弱弱しげに、怖さを含む声色でカグヤは言った。だから、あえてそれを否定するために、タケヒコは声を強くする。自らにも言い聞かせるためにも。
タケヒコ「ちがいます。スクネは、すこし用事が出来たらしいので出掛けただけです。理由は、わたしがきちんと聞いておきました」
カグヤ「それならいい、信じるよ」
それだけ言うとカグヤは立ち上がって背を向ける。そのまま立ち去るかと思った。しかし、一歩踏み出しそうになった足を止めると、小声で背中越しに問いかけて来た。
カグヤ「タケヒコは今から弟のところへ行くの?」
タケヒコ「そのつもりです。塞ぎ込んでおられる様子なので……カグヤ様も共に参られますか?」
カグヤ「やめておくよ。今は疲れてるし……けど」
そこでカグヤの言葉が止まる。
タケヒコ「けど、どうかなさいましたか?」
カグヤ「ごめん、やっぱりいいよ。わたし部屋に戻って寝るね」
今までの弱弱しい声とは違って、明るい声が帰って来た。明かに無理をしている声が。それと分かりつつも、タケヒコは何も聞かずに笑顔で応えた。
タケヒコ「わかりました。元気をお出しくださいませ。お休みなさいませ」
カグヤ「うん、おやすみ」
一度振り向き、カグヤは無理やり作った笑顔で答える。それを見て、タケヒコは少しだけ安堵する。少なくとも、他に対するやさしさはまだ残っている。それを知り得ただけで、今は十分だった。
部屋に籠ったシンムは、早朝でありながら日課の訓練には行かない。だからといって、かつてのように眠りこけてもいない。何をするでもなく、シンムは暗い部屋の隅で壁に寄りかかり、呆然と上を向いていた。表情が弱弱しく、顔色も死人の様にすぐれない。実際、シンムの心は死にかけていた。すべてがシンムにはどうでも良くなり、出来れば逃げ出したいという気持ちが強くなっていた。
だから、来客に気付くと、会うのがわずらわしそうに声を出した。
シンム「タケヒコだろ……そこにいるのか?」
タケヒコ「シンム様、お話があります」
シンム「なにも聞きたくねぇ、出てってくれ」
自分の声が妙に耳に、脳裏に響く。自分の声すらも、今のシンムにはうるさく感じられた。
タケヒコ「今日は是が日にも聞いてもらいます。シンム様ご自身のためにも」
来客が言うことを聞かず、出て行かない。仕方なく、シンムは来客を受け入れた。ただし、上を向き、呆然としたままの状態で。
横からタケヒコが何かを言っている。耳には入って来たが、頭が動かない。だから、何を言われても気にもならなかった。
タケヒコ「ジョウコウ様が亡くなられました」
父と名乗った男の顔が浮かんで、すぐに消えた。
タケヒコ「ジョウコウ様が生前のおりに、お言葉を承っております。お聞きください」
少し前まで師として尊敬していた自分を思い出し、シンムはすぐに忘れる。
タケヒコ「これは祭りの時にお話しました、言葉を封じる呪です。使い方は他の呪と同じく、念じられれば……」
祭りの日を思い出す。あの日、楽しかった事さえ恨めしかった。
タケヒコ「呪はここに置いておきます」
何かを、おそらく呪を置いてタケヒコは出て行った。
一人になると、シンムには否が応にも、昨今に起った事実が頭を駆け巡った。実の父親が、尊敬して止まなかったコジロウでなかった事実。不覚にも心を許しかけたイヨが、自分を人質にして逃げ出した事実。そして、何よりも姉であるカグヤが、父と名乗ったジョウコウを手にかけた事実。
それらが頭にちらついて、決して離れなかった。
シンム「なにがなんだかさっぱりわかんねぇ。姉貴、なんでジョウコウさんを……ジョウコウさんもなんで、姉貴を殺そうとしてたんだ」
一日中シンムは外に出なかった。動く気にもなれなかった。このまま何もしないでいたかった。出来れば殺して欲しいとさえ思った。
一日塞ぎ込むだけ塞ぎ込むと、いつの間にかシンムは眠りについた。眠りながら夢を見る。それは、正確には夢ではなかった。それは、呪からの言霊を自らの夢に置き換えただけ。事実はそれでも、シンムは夢と言う形でそれを見た。だから、本来、緑色をしていたはずの呪が紫色の輝きを放ち、同じ色の光が遥か上空で輝いていた事になど、気付くはずもなかった。
夢はシンムにとって、記憶し得るはずの無い時の光景を映し出した。
夢の中には四人の人物がいた。
四人の右端に立っていた人物が、真っさきに口を開いた。やさしい垂れ目が特徴的だった。その人物は、シンムが夢にまで見たイブキコジロウだった。
困った顔をコジロウはしていた。
コジロウ「ほら、二人とも何か言わないと、いつまでもにらめっこはないでしょう」
隣に立っている人物にコジロウが言った。
その人物にシンムは見覚えがあった。その人物は若き日のジョウコウだった。
ジョウコウ「うむ」
ぶっきら棒に腕を組み、若いジョウコウが何かを真剣に考えている。
左端に立っていた女性が口を開いた。その女性は姉であるカグヤをおしとやかにした感じだった。その女性はカグヤの母、サクヤだった。
サクヤ「姉さんもせっかくなんだから、生まれてくる赤ちゃんに、今の気持ちを伝言にして残しとくんでしょ」
優しそうに笑いながら、サクヤがもう一人の女性をせかす。
若きジョウコウと同様、その女性は腕を組んでいた。その女性は、サクヤに顔が似ていたが、短髪で、精悍な身体つきをしていた。その女性はサクヤの姉、キサラギだった。
キサラギ「……そうだな」
急かされたキサラギも必死の表情で何か考えている。
コジロウ「わざわざジョウコウと義姉さんの子供のために、この呪を準備くれたんだろう」
考え込む中央の二人に、説教するようにコジロウは言った。
サクヤ「そうですよ。ジョウコウさん! 姉さん!」
強い口調でサクヤも言っているが、生来のやさしい顔が強さを拒んでいる。
キサラギ「ええと……そうだな」
大量の汗を掻きながら、キサラギが必死に言葉を探している。
明らかに困惑して言葉を捜している二人に、サクヤは半分怒った様子で、残り半分はあきれた様子で助けを出した。
サクヤ「まったく……とりあえず挨拶からしたらどうです?」
キサラギ「そうだな……はじめまして母のトヨウキサラギと言う。名ぐらいは覚えて貰えるとうれしい」
本気で自分の子にキサラギはそう言っていた。照れたように顔を真っ赤にしながら。
サクヤ「覚えるに決まってるでしょう……まったく」
呆れかえるサクヤに、顔を真っ赤にしたキサラギが目を向ける。
キサラギ「そ、そうか……それはありがたいな」
その言葉を聞いたコジロウが疲れた様にため息を吐く。
コジロウ「ありがたいって……ジョウコウも、とりあえず挨拶ぐらい」
ジョウコウ「アシハラシジョウコウだ」
コジロウ「それだけ? 他人行儀すぎだ」
呆れたようにコジロウは言った。顔をジョウコウが渋め、黙り込んでしまう。
手を二回叩き、注目をサクヤが集める。
サクヤ「はいはい。この二人だと、これ以上求めても先に進まないから……とりあえず挨拶はそれぐらいで、次は子供に伝えたい事。これが一番大事!」
ジョウコウ「うむ、何を伝えればいい、コジロウ?」
提案に頷くと、ジョウコウはコジロウに顔を向けた。
コジロウ「子供にはどう育って欲しいとかいろいろあるだろう?」
再び腕を組み考え始めるジョウコウの横で、キサラギは自信満々に述べた。信じられない言葉を。
キサラギ「とりあえず産まれて、生きて、そして死んでくれればいい」
サクヤ「姉さん、それはいくらなんでも……死んでくれればいいって」
キサラギ「そうか? 生まれれば、いずれ死ぬ。その日まで精一杯生きてくれたならおれは満足だ」
サクヤ「姉さんらしいけど、先に精一杯生きてからって言わないと」
キサラギ「そ、そうか……」
妹であるサクヤの言葉に首を垂れてしゅんとなるキサラギ。それを見たコジロウが再びため息を吐いてから尋ねる。あいかわらず難しい顔しているジョウコウに。
コジロウ「ジョウコウは思いついた?」
ジョウコウ「どうせなら、我の様な男にならずに、コジロウの様な男になれ。その方が幸せにはなれる」
その言葉を聞いたキサラギが嬉しそうにジョウコウの腕を組み、弾んだ声で語りかけた。
キサラギ「それいい、ジョウコウ。コジロウの様な男になって、おれやジョウコウと違って、みんなに好かれて幸せになれ! 良いな、絶対だ!」
お腹をさすりながら、キサラギは声を弾ませている。
コジロウ「僕みたいにって……なぜに?」
サクヤ「コジロウさんみたいに? 姉さんとジョウコウさんの子がなるの?」
困惑するコジロウとサクヤを余所に、キサラギは興奮気味に声を張り上げる。心底嬉しそうに声を弾ませながら。
キサラギ「そうだ。おれ達の子は、コジロウみたいに優しく育てる、絶対だ」
その後もこんな感じで続いた。考え込むジョウコウ。照れくさそうにするキサラギ。そんな二人を必死にさせるため、声を掛けるサクヤとコジロウ。心底楽しそうな、心底嬉しそうな思いが、そこには溢れていた。
コジロウ「……あと少ししか言霊封じれない」
突然、コジロウが声を張り上げた。
サクヤ「姉さん達、他にはないの?」
急にサクヤに振られたキサラギが慌てる。
キサラギ「ええと、他には……とにかく愛してるぞ」
最後にキサラギはそう言った。顔を真っ赤にしながら、心底嬉しそうに、キサラギはそう言った。
サクヤ「姉さん」
にっこりとしながらサクヤが隣のキサラギに目を向ける。
コジロウ「これ何年後かに聞い……」
何か言いかけたコジロウの言葉は、最後まで聞きとる事は出来なかった。
呪の輝きが消える。呪から発せられた言霊も同時に終わりを告げた。終わって欲しくないというシンムの思いは届かずに。
それでも夢は終わらない。夢はこの時から時間を進める。
返り血で若いジョウコウは血まみれだった。その右手には、真っ赤に染まった大きな剣を、都牟刈之太刀を握っていた。大木に寄りかかった女性がいた。その女性を見つけるとジョウコウは剣を収め、両手の血を自らの服で拭う。そして、背中に背負っていた赤子を大事そうに両手に抱えなおす。その女性は、両手に抱きかかえられた赤子を見ると、嬉しそうに笑みを浮かべながら話し出した。
キサラギ「よかった、生きていた」
その女性はキサラギだった。胸からは赤い血が溢れていた。
ジョウコウ「どうする最期にもう一度抱くか?」
赤子を渡そうとするジョウコウに、キサラギは首を振って返す。
キサラギ「止めておく。今抱くと、死ぬのが怖くなる。それよりもジョウコウ、おれからの最期の命令を聞け」
ジョウコウ「キサラギ、まだ我に命令するか」
キサラギ「当然だ、ジョウコウ。おまえは、おれの言う事を何でも聞く約束だっただろう? だから、おれからの最後の命令だ、この子はサクヤ達に預けろ」
笑顔でキサラギは命じた。嬉しそうで、それでいて、悲しそうな笑顔を赤子に向けながら。
ジョウコウ「この国に居れば、我の正妻に命を狙われようが……確かにコジロウなれば。名は?」
キサラギ「シンム」
その名を聞いてジョウコウは即答した。
ジョウコウ「よかろう」
キサラギ「その都牟刈之太刀は……もし、シンムが望む時が来たなら……その時に渡してくれ」
ジョウコウ「剣ぐらい持たせても、コジロウは何も言うまい」
キサラギ「本人が望んだ時だけでいい」
ジョウコウ「よかろう、他には?」
首を振る。そして、キサラギはジョウコウの頭を撫でながら言った。赤子に向けるのとは違う笑顔を見せながら。
キサラギ「もう何もない。おまえは最後まで約束を守ってくれた。おれの我がままを最後まで聞いてくれた。だから、妖鬼共が来る前に早く行け、ジョウコウ。シンムを頼んだぜ」
最後に唇を二人は重ねると、キサラギはジョウコウを手で押し退ける。
ジョウコウ「さらばだ」
赤子を再び背負いジョウコウは離れていく。それをキサラギは笑顔で見送る。その笑顔は、これから死に行く者の顔とは思えないほど綺麗だった。
夢は終わりを告げた。
目を覚ましたシンムの右耳に涙が当たり、目尻から耳に掛けて濡れていた。濡れた涙の跡がひんやりとして輝いている。
夢は鮮明に覚えていた。
シンム「あれがジョウコウさんと……おふくろ?」
天井を見上げたままそう呟くと、シンムは一度目を閉じる。涙を止める為に。
目を閉じたまま部屋にいるであろうと思われる男の名を呼んだ。
シンム「タケヒコ、居んだろ?」
何も返事は無い。目を開けて見回すが、やはり誰もいない。不思議に思いながらも、仕方なく起きて外に出た。
外には思った通り、タケヒコが立っていた。
タケヒコ「シンム様」
シンム「やっぱいたのか、タケヒコ」
タケヒコ「勝手なことを、申し訳ありませんでした」
頭を下げて謝るタケヒコ。その姿を見ると、シンムは申し訳なくなって来る。自分ためにやってくれながら、自分のために謝ってくれるタケヒコを見て。でも、それを照れくさくて口に出せないから。
シンム「ジョウコウさん……最期になんか言ってたか?」
表情を隠してシンムはそう言った。他に言葉が出なかったために。そして何よりも、心底気になっていたために。
タケヒコ「ジョウコウ様の最期」
頭を起こしたタケヒコが目を閉じて、一心に記憶を探る様に語り出した。
脇腹から体を貫かれたジョウコウは、全身を血だらけにして、シンムのすぐ近くで倒れていた。
タケヒコ「ジョウコウ様!」
慌てて駆け寄るタケヒコを、ジョウコウが言葉で制止する。
ジョウコウ「近寄らずに、しばし待て」
そして、力を振り絞り、ジョウコウは立ち上がった。
タケヒコ「無理をなさらないでください。カグヤ様がもし、神の力を行使できるなら、必ずや治せます。ですからそれまで……」
慌てて寝かせようとするタケヒコを、ジョウコウが一喝する。
ジョウコウ「くだらぬことを言うな! 我の身体ぐらい我がよくわかる。最早、カグヤでもどうにもならぬ。我は倒れて死なぬ、我は倒れたままで死ねぬ」
聞き取るのが精いっぱいぐらいな大きさの声。それでも、威厳も、力強さも、普段よりも増している声でジョウコウは言った。
ジョウコウ「我の遺体、どうすべきか分かっているな」
タケヒコ「……この世から消滅させよと申されました」
言い終わるとタケヒコは唇を噛みしめ、血が流れる。
ジョウコウ「分かっておるならよい。タケヒコ、ヤマタノオロチを出せ。我の最後の仕事だ」
立っているのも辛いはずなのに、立ち上がった事さえ奇跡に近いはずなのに、ジョウコウは姿勢を正す。
タケヒコ「でしたら……せめて、シンム様を起こしましょう」
気を失って倒れているシンムに、タケヒコが目を向ける。同様にジョウコウも目を向けた。
ジョウコウ「必要ない。今の内に、身体だけでも休ませておけ」
タケヒコ「しかし、シンム様も……最早、今しか」
ジョウコウ「気にする必要ない。我の事でもし後悔するなら、すればよい。悩みがあれを強くする。この一年でよくわかった。あれは母に似た」
タケヒコ「ですが……一度ぐらいは父と」
ジョウコウ「それも、今更いらぬ。あれと一年もの間、師と弟子の関係になれた。それで我は十分だ」
手をジョウコウが差し出す。広げた手の平の上にヤマタノオロチを置いてくれと。
タケヒコ「なにか……なにかシンム様に伝言はありますか?」
広げられた手の平の上に、タケヒコがヤマタノオロチを乗せる。
ジョウコウ「カグヤを間違っても恨むなと」
タケヒコ「ジョウコウ様」
ジョウコウ「それだけ伝えよ……さらばだ」
手の平の上に置かれたヤマタノオロチを、ジョウコウが握りしめる。呪が、ヤマタノオロチが、輝きを放つ。最後の命のきらめきを連想させるように。そして、輝きが消える。それはジョウコウの死を示した。だが、ジョウコウは倒れない。否、死した今、ジョウコウは決して倒れない。
立ち尽くすジョウコウの握り締めていた呪をタケヒコは受け取ると、一礼する。そして、懐から火炎呪を取り出す。その火炎呪によって作り出された炎は天高く燃え上がり、日輪でさえもくらむほどに明々とその場を照らし出した。
その光景を、狗奴国の大王アシハラシジョウコウの最期を、タケヒコは思い出し得る限りつぶさに語った。
しかし、ヤマタノオロチのことだけは、シンムには話さなかった。
タケヒコ「ジョウコウ様は……シンム様を決して棄てたわけではありません」
シンム「最初から、そんなこと思ってもねぇ」
タケヒコ「シンム様」
シンム「親父であることより、ジョウコウさんであることを望んだんだろ? ならそれでいいじゃねぇか」
タケヒコ「シンム様がそれでよろしいのでしたら」
シンム「今はな。あとで……いくらでも、その時が来たら、死に目に会えなかったことを、後悔でもなんでもするさ」
神妙な面持ちでタケヒコが黙り込むと、シンムは咄嗟に呟いてしまった。出来れば、口に出すのを避けようと思っていた言葉を。
シンム「……姉貴はいったい」
タケヒコ「カグヤ様の事を、お知りになりたいですか?」
目線を下にしてタケヒコは言った。声は何処が恐れを含み、さえない表情で。それだけでシンムにも理解出来る。姉が、タケヒコでさえも言い淀む、何かであることを。
だから、大事な事だけをシンムは聞いた。
シンム「タケヒコ、姉貴は敵じゃあねぇよな?」
タケヒコ「当たり前です、シンム様」
快活な返答。それだけでシンムは十分だった。
シンム「ならいい。これ以上は何も聞かねぇ。とりあえず、おれは寝る」
タケヒコ「わかりました。余計な事をしたことは、お許しください。お休みなさいませ」
シンム「おれ、父さんや、親父のように強くなって見せるぜ……必ずな」
何も答えをシンムは何も望んでいなかった。それを分かってくれたのか、タケヒコは何も答えない。
部屋に戻ってシンムは天井を見上げる。いろいろな思いがシンムを襲う。悲しみが、辛さが、いっきに襲いかかって、あふれる涙を堪える事が出来なくなった。
シンム「なんで……なんで父さんも、親父も。いったい、何がどうなってやがんだ。くそぉぉぉぉぉぉ」
訳が分からず、何も出来ず、気付いた時には大事な者を失っている。その苦しみに耐えきれなくなって、我慢出来なくなって、シンムは叫び続けた。
外に一人残ったタケヒコは、その声を聞かれる範囲内に誰も居ないか辺りを見回して確認する。確認を終えると、シンムの泣き叫ぶ声が止むまで、誰一人家に近づかせないために、その場に立ち続けた。