表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
倭国神代記  作者: がばい
3章
30/53

別離

 力尽きて眠りについてから数時間経った。起き上がると、貫かれた腹に痛みがない。不思議に思い、スクネは腹をさする。傷が完全に塞がっている。疲労もない。わずか数時間で、致命傷になってもおかしくないほどの傷と疲労が完治している。すぐ横では、疲れたようにカグヤがぐっすりと眠っている。

 現在の状況が、癒えた傷が、カグヤがそれだけの力を使い始めたという事実を、雄弁に語っていた。

 眠るカグヤを見るスクネの胸が痛む。理解不能の痛み。その痛みを無理やり押し留める。そして、スクネは意を胸に秘め、カグヤが目を覚まさない様に注意しながら、立ち上がった。状況を少しでも好転させるため、いま出来得る事をすぐにでも実行へ移すために。

 外はすでに暗くなっていたが、人々が慌ただしく動き回り、街の復旧作業を続けていた。それは、あまり興味をそそるものではなかったが、スクネはそれらを漠然と眺めながら歩く。戦いの爪痕は至る所に残されていた。

町並みを出ると、後ろから声を掛けられた。その男はどうやら、自分を待っていたようだった。

 タケヒコ「どこへ向かう気ですか?」

 待っていたのはタケヒコだった。声を掛けて来ると同時に、タケヒコはわずかな殺気を放ち、あからさまな牽制を仕掛けて来た。

 タケヒコ「やはり彼女の下へ会いに行く気ですね? あなたは何の為に行く気です?」

 言葉にも、表情にもとげがある。それを隠そうともせずにタケヒコは言った。

 背後をスクネは振り返らすに答える。

 スクネ「鏡を奪われた」

 タケヒコ「確かに鏡が見つかりませんでしたが……やはり、あなたが持っているわけではないのですね」

 スクネ「気を失っている間にやられたのだろう。おれの失態だ」

 タケヒコ「気を失っていたのでしたら……なぜ奪われたとわかるのです? 何か心当たりでも?」

 スクネ「起きたら記憶があった」

 はっきりと記憶がある。まったく自覚が無いにもかかわらず、何者かの手によって、真布津鏡(まふつかがみ)を奪われた記憶が。

 タケヒコ「突然、記憶が生まれた? おもしろいことを言いますね。夢でも見たのですか? まるで神の器みたいに? そのような戯言を本当にわたしが信じるとでも?」

 当然の反応をタケヒコが示す。それでも他に言い様がなかった。

 スクネ「だが、事実だ」

 疑いの色を濃くしながら、タケヒコが話題を変える。

 タケヒコ「今日、わたしがヒミコに仕掛けようとしたときに、彼女の命令を聞いて邪魔をしましたね」

 スクネ「それで」

 タケヒコ「あなたが、最初からわたし達の仲間でない可能性もあります。元々、敵でしたから」

 スクネ「だとしたら、どうする」

 当然の質問。自分がタケヒコの立場なら同じ質問をするだろう。そして、自分がタケヒコなら次の行動も当然。

 タケヒコ「あなたを殺します。これ以上やっかいな敵を増やすわけにはまいりません」

 言葉が言い終わるよりもよりも早く、タケヒコが天之羽張(あまのはばしり)を抜き去る。言葉を終えたときには、スクネの首筋を切り払っていた。その一連の動作を予想しながら、スクネは身動き一つ取らない。斬られる覚悟はあった。だが結局、首は落ちなかった。

 スクネ「首を取るなら、もう少し踏み込め」

 背後のタケヒコに向かってスクネは言った。

 タケヒコ「あなたが避ければ、本気で切り落とすつもりでしたが……動きませんでした。非常に残念です」

 スクネ「茶番はいい。時間の無駄だ。用件を言え」

 背後のタケヒコが殺気を止める。声には依然と、疑いの色を見せてはいたが。

 タケヒコ「先に聞いておきます。あなたはスクネですか、スクナですか?」

 思い出したくもない名をスクネは聞いた。それでも答えた。

 スクネ「……スクネだ。あの男は、スクナと呼ばれた男は、千年前に死んだ」

 タケヒコ「死にましたか……確かにそうかもしれませんね」

 千年前の出来事は正直、あまり記憶になかった。仮に思い出そうとしても、心がそれを拒絶するから。心が「二度と思い出すな」と締め付けるから。そして、「スクナは死んだ」と叫ぶから。そう思わないと自らの心が壊れそうだったから。

 タケヒコ「仮に、あなたをこのまま行かせて、戻って来ていただける証拠でもありますか?」

 スクネ「これを渡しておく」

 天之壽矛(あまのじゅぼこ)をスクネはその場に突き刺した。神宝(かむたから)は世界の法則に干渉する事の出来る武具。四魂(しこん)以外の者が手にしようとしても、触れる事すら叶わない。だが同じ四魂(しこん)ならば違う。その気になれば、奪う事すら出来る。同じ四魂(しこん)ならば、他者のであろうと所有が許される。

 だからこそ、スクネはそれをタケヒコに渡した。他に自らを信じて貰う手段などなかったから。

 タケヒコ「あなたはあまり道具を大事になされないので、これも証拠としては不十分なのですが……わかりました。あなたを信じましょう。大事に預かっておきます」

 振り返り、無言でスクネはタケヒコの眼を見た。眼は物語っていた。信じたのでなく、信じたいのだろうと。それでスクネには十分だった。

 タケヒコ「但し、先程のことはあなたが帰られたら、きちんと追求いたします」

 スクネ「了解した」

 それも当然だろうとは思う。どちらにせよ、自分で理解出来ていないのだから、答えようはなかったが。

 タケヒコ「くれぐれも、ヒミコには気をつけてください。間違いなく、わたし達でもわからない何かを隠していますから」

 地面に突き刺していた天之壽矛(あまのじゅぼこ)を、タケヒコが引き抜く。その動作を視界に納めながら、なぜかは自分でも分からない願いをスクネは口にする。

 スクネ「おれの行き先を、あいつには話すな」

 タケヒコ「それはわかっています。もっとも、カグヤ様に隠し事は出来ませんでしょうが」

 スクネ「後になって気付かれたとしてもだ。面倒だ」

 なぜかタケヒコは微笑んだ。それが何となくスクネの癇に障り、目を逸らす。

 表情を真剣なもの戻したタケヒコが最大の懸念を口にする。

 タケヒコ「わかりました。カグヤ様の件で聞いておきたいのですが。あなたはカグヤ様が神代(かむよ)のことを、どこまで知っておられるか御存知ですか?」

 スクネ「わからない。少なくとも、おれ達が四魂(しこん)だと認識はしていた。そして、神の力も行使している。だが、カグヤとしての記憶はしっかりしている」

 貫かれたはずの胸にスクネは手を当てる。傷跡一つ残っていない。同様の場所に、タケヒコも目線を向けていた。

 タケヒコ「それは妙ですね。あれの力にあがなえていらっしゃるのでしょうか?」

 スクネ「それもヒミコが知っているはず。ついでに、問いただして来るつもりだ」

 そう言ったスクネの言葉に頷くと、タケヒコは懐に手を入れて、何かを取り出した。

タケヒコ「彼女が話してくださるとよいのですが、あまり考えても仕方ありませんね。邪馬一国まではこの飛行呪を使ってください、私が準備した物です」

 スクネ「使わせてもらう」

 差し出された飛行呪をスクネは受け取る。

 タケヒコ「最後にもう一つだけ、お願いしときます。あれは、おそらく邪馬一国にあるでしょうから、出来れば一緒に回収して来て下さい」

スクネ「何のことを言っている?」

タケヒコ「あなたに、カグヤ様が眠りになられていた間にお願いしていた一件です。時間が無かったとはいえ、伊都国に置き残して来てしまったあれが、邪馬一国にあったなら取り返して来て貰いたいのです」

スクネ「話に聞いた二枚目の鏡の事か?」

 伊都国が落ちてすぐにスクネは、タケヒコに頼まれてそれを取りに行った。もっとも、聞いた場所に行っても、すでに何もなかったが。

 真剣な表情のタケヒコが言葉を続ける。

タケヒコ「ええ、あれは神宝(かむたから)も兼ねる真布津鏡(まふつかがみ)と違って、戦闘では何の力もありませんが……厄介な事に、神器にはなり得るのです」

スクネ「それで降臨の儀を行えるとでも」

タケヒコ「あのままの、何も捧げていない状態では不可能です。ただし、神宝(かむたから)を鏡に捧げさえすれば、本物の神器と同等になります。もしもの時のためにも、あなたも覚えておいてください」

 スクネ「了解した」

 話が終わると、スクネは飛行呪を首に掛けて、空へと飛び出した。邪馬一国にいるはずのヒミコの下を目指して。


 空を飛行しながらスクネは前日の事を思い出していた。まだ、あれから一日しか過ぎていないはずなのにずいぶんと昔のことのように感じながら。

 河川に着くと、共に釣り糸を垂らした。今回はカグヤにしっかりと釣りの仕方を教えた。

 数時間後、教えた甲斐あってか、カグヤは上達していた。それでも、いまだ一匹も釣れていなかったが。少なくとも岩などに針を引っ掛けて根かかりを起こし、大地を釣ったなどと言っていた頃とは、雲泥の差があった。

 カグヤ「今度こそ釣れるかな? 釣れるなら大きなのがいいかな」

 餌を付け終わったカグヤが河川に釣り糸を垂らす。

 スクネ「大きいかどうかは釣れたらわかる」

 カグヤ「どうせなら釣れるって断言してくれないかな」

 スクネ「釣れるかどうかはおまえ次第だ」

 カグヤ「いいよ、もう」

 そう言って揺らめく糸にカグヤは目をやった。同じ様にスクネも目をやる。時がゆっくりと流れて行く。その中で手にわずかに感じる竿の重みがスクネは好きだった。

 何度かカグヤが釣れそうになった魚を逃した後、遂にその時が来た。竿がしなり、糸を引いている。一瞬の時宜を見計らってカグヤが教えた通り竿を強く引く。

 カグヤ「釣れた! 釣れたよ。やった、すごい、スクネ、見て見て」

 釣り上げるとカグヤは小さな魚を両手に優しく乗せた。そして、嬉しそうな表情を浮かべる。それを見てスクネは思わず笑った。

 カグヤ「あっ、笑ったな。ひどいよ。初めて釣れたんだぞ」

 スクネ「本当によかったな」

 カグヤ「ぜったい、思ってないでしょ。まったくきみは」

 スクネ「その魚はどうする。食べるか」

 カグヤ「子供だと思うし、逃がしてあげるよ。でも、少し待ってて。一応傷だけでも治して上げとくから。針の痕、とっても痛そうだし」

 スクネ「何をする気だ」

 釣った小さな魚の口元に刺さった針をカグヤは抜いた。針を抜いた部分から僅かに血が流れている。両手でカグヤが魚を覆うと紫色の光が輝き始めた。輝きと共に傷口が消えていく。輝きが終わるとカグヤは魚を川に帰した。川に帰った魚は勢いよく泳ぎだす。その魚に向かってカグヤは手を振った。

 カグヤ「もう捕まったらだめだよ。もし捕まるんだったら、大きくなってから、わたしに釣られるんだよ」

 スクネ「カグヤ、おまえ……」

 目の前で起こった奇跡を見てスクネは言葉に詰まった。

 カグヤ「だって、せっかく助けたんだよ。どうせなら捕まらないでいて欲しいけど」

 スクネ「その話じゃない。今、何をやった」

 カグヤ「何って……針の傷を直して上げただけだよ。そうした方が元気に泳げるだろうし」

 スクネ「巫女でもそんな力はないはずだが」

 カグヤ「そうだっけ? そう言われればそうだよね。あんま気にしなかったよ。なんか出来ただけだし」

 傷口を一瞬で癒す力をカグヤが手に入れているという事実。それを考えるとスクネの心が痛む。絶望、恐慌、あれが作り出す悪夢以上に、なぜか深い悲しみが心を痛めつけた。

 声「お願いだから・・・殺して」

 頭に声が響いた。何処かで聞いた気がする声、言葉。それが誰だったか、それが何時だったか思い出せない。思い出したくない。

 カグヤ「なんで、泣いてるの?」

 耳に聞こえたカグヤの声で現実にスクネは引き戻された。そう、今は不可解な幻聴を気にしている時ではなかった。

 スクネ「帰るか」

 カグヤ「うん。今日は満足したし」

 釣り道具を手に帰路に着いた。その途上

 スクネ「先程、夢を見たがその内容は忘れたと言ったな」

 カグヤ「本当は少しだけ覚えてるよ。とっても嫌な夢だったよ」

 しばらく無言で歩いた。風の冷たさが肌を焦がす気がしながら。

 沈黙を破って、その話題をスクネは自ら切り出した。絶対に話さなければならないが、出来得るなら話したくない話を。

 スクネ「カグヤ、おまえが記憶している知識は全て神と呼ばれている者の知識。おまえがさっき使った癒しの力も同等」

 カグヤ「神の知識と力? なんでわたしに?」

 問いに答える代りにスクネは話を続ける。

 スクネ「世界には神の力が存在する。五百之御統之珠いおつのみすまるのたま真布津鏡(まふつかがみ)、そして、もう一つ……神の器として生まれた者。それぞれ強大な力と引き換えに代償が必要になる。」

 カグヤ「神の器、わたしの事?」

 スクネ「そうだ。そして、代償が記憶」

 それきり必死にカグヤは何かを考えている様子だった。再び、沈黙が二人を包み込む。

 カグヤ「わたしの記憶? 何か忘れたかな?」

 沈黙の間、考え続けたカグヤの答えがそれだった。そして、その答えはありえない事。だから、スクネの答えは一つしかなかった。

 スクネ「神の力の行使を始めたのなら、間違いなく記憶を失っているはずだ。失ったという事実すらわからないままに」

 カグヤ「ちょっと待ってて、何か忘れたかな? きみと初めて会った時の事もはっきり覚えているし」

 異な事を言われて立ち止まったスクネの前を、両腕を組んだカグヤが考えごとをしながら通り過ぎていく。

 スクネ「初めて会った時……いつの事を言っている」

 カグヤ「伊都国できみがシンムを殺しに来た時だよ」

 きょとんとしながらカグヤも立ち止まって振り向いた。

 スクネ「記憶が間違っている」

 カグヤ「ぜったい、間違ってないよ。きみに会うの、あの頃怖かったし。あれ? でもなんであんなにきみのこと怖かったんだろ? まぁ、いいや」

 スクネ「確かに、そんな事も会ったが……その前の記憶は何処に行った」

 カグヤ「その前って……じゃあ、きみの記憶で、初めてわたしを知った時の事どうなってるの?」

 スクネ「カグヤを初めて知った時の事……森の泉で」

 カグヤ「森の泉って何それ! きみの方こそ記憶が変だよ?」

 怒り出すカグヤ。同時に危機感がスクネを支配する。

 スクネ「おれの記憶に違いはない。間違っているとすればおまえだろう」

 カグヤ「なんでわたしがきみとの思い出を作り変えるんだよ」

 スクネ「記憶の欠落を偽るために」

 カグヤ「意味がわかんないよ。ぜったい、きみの方が変だよ!」

 そう言って、カグヤは走って行った。その行方を見守りながらスクネはなぜか一歩も動けない。心を、得もいわれぬ恐怖と、深い悲しみが包み込んでいたために。


 思えば変な話だった。その時に気づいていればと後悔しつつも、スクネは邪馬一国へと急いだ。



 空高く舞い上がり、スクネが星空に消えていく。その姿を呆然と目で追いながら、現在の状況に、タケヒコは思いを巡らせる。状況は悪化の一途を辿っていた。それでも、まだあれは降臨していない。だから、状況は悪いが、最悪ではないと、タケヒコは自分に言い聞かせる。

 邪馬一国を目指して消えたスクネが視認出来なくなっても、タケヒコは星空を眺め続けた。何も出来なかった自分を責めながら。

 しばらく眺めてからタケヒコは下を向き、懐から二つの呪を取り出す。それは、邪馬台国の女王ヒミコの作ったヤマタノオロチと呼ばれる呪。それと、狗奴国の大王ジョウコウから頼まれていた呪。その二つの呪を手に握り締め、自らを責め続け、固く決意する。強く握り締めた手からは、赤い雫が流れていた。

 タケヒコ「伊都国崩壊後、すぐにわたしが真布津鏡(まふつかがみ)とともに邪馬一国へ向かい、タマモとヒミコを暗殺するべきでした。わたしがそうしていれば、このような事には……ですが、まだひとつだけ出来る事が」

 再びスクネの消えた星空を見上げる。そして、タケヒコは咆哮した。その思いを、その決意を。最後の希望を信じながら。

 タケヒコ「スクネ、あなたは必ず帰って来てください。わたしも決心しました。わたしがこの刻から消えましょう、ヒミコ、タマモと共に。それで、神代(かむよ)が終わるはずです。この世界は決して終わらせません!」

 結局タケヒコはその場に一晩中、立ち尽くした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ