人で無き者1
その日も朝からシンムはイヨ達の所にいた。それが、それだけが日課となっていた。
この間の祭りの日の話になって、タケヒコの料理の話に及ぶと、シンムは姉であるカグヤの料理の話にも飛んだ。
シンム「姉貴、料理すげぇ上手なんだけどさ、面倒臭がって全然作らないんだぜ」
イヨ「カグヤさんはそんなに料理がお上手なのですか?」
目を丸くして驚くイヨ。この場にカグヤがいたなら、怒って実際に料理を作って見せたかも知れないと思いつつ、シンムは会話を続けた。
シンム「ああ、タケヒコが作った美味い方ほどじゃないけどな」
イスズ「むむむむむ。ドドドドドーンな人のごはんは、難しいからイスズちゃんもう欲しくないですぅ」
不味い方を思い出したのか、イスズが舌を出しながら苦い顔をする。
シンム「タケヒコは料理好きだからよく作ってたけどさ。あいつ、自分に味覚がない事にまったく気付いてねぇし」
イヨ「あの美味しくない方は、もうさすがに……」
やはりイヨも苦い顔をしながら言った。
シンム「タケヒコの不味い方は冗談じゃねぇ。確か、前にその話したら「味はついてます」とか言ってたな。だいたい姉貴が料理覚えたのも、タケヒコの料理から逃げるためだったっけ」
話をしていていると、舌にタケヒコの料理の味を思い出して、シンムも苦い顔をした。確かに、美味しい方は最高だった。それなのに、それを一瞬で忘れさせてしまうほどの味を思い出して。
イヨ「逃げ出したい気持ちはよくわかります」
頷きながらイヨは言った。
シンム「料理を覚えてから一時、姉貴が作ってくれてたっけ。まぁ、結局めったに作らなくなったけどさ」
姉の料理をシンムは思い出す。確かに上手だった。当初、タケヒコに教わっていた時は不安にもなったが。
イヨ「カグヤさんが作られなくなってから、料理はフツヌシさんに戻られたのですか?」
心底心配そうな顔をイヨがしている。
イスズ「イスズちゃんはドドドドドーンな人が毎日ごはん作って来たら、消し炭にしますぅ」
本当に火を出しそうな手振りでイスズが言った。
シンム「いや、ちょうど、タケヒコもいろいろと忙しくなってさ。結局は、別の奴が来て作るようになったんだ」
懐かしさを覚えながらシンムは言った。
イヨ「忙しく? 何かあったのですか?」
シンム「妖鬼が定期的に現れて国を襲うようになったからさ。それもナガスネとか言う奴が伊都国に来やがって、終わったけどさ」
きょとんとするイヨの質問に答えながら、ふと、苦々しさがシンムの脳裏に蘇える。あの頃の、己の未熟さと共に。
イヨ「ナガスネさんが、妖鬼を? 何時頃の事でしょうか?」
シンム「一年位前だぜ」
初めて聞いた話しだといわんばかりに、イヨが首を捻っている。それで、隣のイスズに目を向けると予想だにしない答えが帰って来た。
イスズ「イスズちゃんはそんな人聞いたことありません」
机を両手で叩くと、イスズが自信満々に胸を張る。
シンム「知らねぇ? じゃあ、鬼は五人いたって聞いたぜ? 他には誰がいたってんだ?」
イスズ「まずイスズちゃん、それとミケヌさんに、タマモさん……あれ?」
親指から順に、指を一本づつ折って数えながら、イスズは名前を挙げていった。そして、中指を折った所で首をかしげた。
シンム「三人? 二人もたりねぇだろ」
思わず突っ込みを入れたシンムの言葉に、首をかしげて、うなり声を上げながら必死に考えているイスズに、イヨが助け船を出す。
イヨ「ナガスネさんと、もう一人はスクネさんです」
シンム「スクネ、そういやそうだったっけ」
無表情で、自分を殺しに来た日をシンムは思い出す。今考えたら「生きているのが奇跡だな」と。
イヨ「ついこの間は塩土の翁という名前に変えてましたけど」
誰とイヨが言ったのか、シンムにはよく聞こえなかった。頭を抱えていたせいだろうか。それで、今度は二人の会話に耳を澄ました。
イスズ「名前を変えてた? イヨちゃん誰ですぅ?」
イヨ「誰って……ミケヌさんといっしょに会ってたよ、邪馬一国で。確か二年近く前だったと思うけど」
イスズ「ミケヌさんといっしょに? 誰とですぅ?」
イヨ「塩土の翁さんと」
やっぱりよく聞こえない。仕方がないのでシンムは聞き返した。
シンム「さっき、スクネが名前変えてたとか言ってたけどさ、何て名前だ?」
イヨ「だから塩土の翁さんです」
妙な名前を付けたなと、シンムは内心で思いながら、いつも片膝立てて座っているスクネの顔を思い出す。すると、思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、言葉を口にした。
シンム「だからとか言う変な名前、よくスクネの奴付けたな。あいつ、何考えてんだ?」
馬鹿だろうと思い、今度スクネに会った時に、からかってやろうとシンムは決めた。そんなシンムを余所に、イヨが珍しく顔を真っ赤にして声を張り上げる。
イヨ「二人とも何を言っているのですか! スクネさんの名前は、「だから」でなくて、「塩土の翁」です!」
何を言っているのか「スクネさんの名前は「だから」でなくて」以降が、シンムにはよく聞こえない。同じ様に聞こえなかったのか、イスズがイヨの肩を軽く叩いて尋ねる。
イスズ「イスズちゃん、イヨちゃんの言っている事が分かりません。イスズちゃんでもわかるように言ってほしいですぅ」
シンム「おれもわかんねぇ。何言ってんだ?」
同意して、シンムも質問を繰り返した。二人の目線が、何を言っているのかわからないイヨに集中する。
イヨ「何で、わからないのですか……」
目を点にして、イヨが独り言を言い始めた。話しかけてみても、まったく反応がない。仕方がないので、シンムはイスズと二人で別の会話を始めた。そして、しばらくして。
イヨ「ちょっと、待ってください。やっぱり変です」
いきなり大声をイヨが出した。
イスズ「イヨちゃんどうしたんですぅ。そんな大きな声出さなくても、イスズちゃん聞こえますぅ」
うるさそうに両耳を指で押さえながら、イスズが隣に座るイヨに言った。いつもなら、イヨが一回詫びの言葉を入れそうだが、それもなく、自分の言葉をつづり始める。
イヨ「鬼になった人が、倭国大乱の時に一人亡くなったと聞きました」
突然の大声にすこし驚いたシンムの質問に、イヨが何かを訴える様に、何かを思い出す様に、丁寧に一言一言を口にする。
シンム「一人死んだって……どうかしたのか?」
イヨ「鬼は欠員が出ても、本来は次の方を見つけてすぐに新しく入ってくるのです。その証拠に、三年前に起こった不繭国壊滅の時に二人亡くなりましたけど、イスズちゃんとミケヌさんが就任しました」
シンム「それがどうしたんだ? 不思議でもなんでも……」
イヨ「ナガスネさんがにわたしが初めて会ったのも三年前なのですが。問題は倭国大乱の時に死なれた方の中に確かナガ……」
そこまでイヨは口を開くと、それ以上言葉を発さなかった。続きをシンムは催促したが、イヨは続きを語らずに沈黙したままだった。
諦めて、シンムはしばらくの間イスズと二人で話をしていた。
時々頭を抱えながら、一人考え事をするイヨが横目に見える。邪魔をするのも悪いので、シンムは声を掛けたりはせずに、イスズと話を続けた。
シンム「でさ、おれ朝が苦手で、いっつも姉貴が蹴り起こしに……」
言葉の途中で突然立ち上がったイヨに、シンムは羽交い絞めにされた。
イヨ「動かないでください!」
シンム「いきなり、何すんだ?」
イヨ「すみません、シンムさんには、わたし達がここから出るための人質になって貰います」
強い口調だが、何処か弱弱しいイヨの声が、背中越しに聞こえる。
シンム「人質って……だいたいイヨ達は力を封じられてんだろ。しかも、呪の素材になる勾玉もここにはないはずだろ?」
背中に何か付きつけられる。
イヨ「これは鎌風呪です。あなたの首を一瞬で落とす位の力があります。だから、勝手に動かないでください」
シンム「鎌風呪? どうやったら、ここにそんなものがあるってんだ。呪に使う石なんかあるわけねぇだろ」
イヨ「わたしにも封印呪を掛けられたので。それを消去して、書き換えました」
シンム「消去? 書き換え? そんな事出来るなんて聞いた事ねぇ」
イヨ「わたしにしか出来ないと、お母様に言われました。本当は転移呪が作れれば、このようなことしなくてもいいのですが……わたしには作れませんので」
シンム「本気で言ってんのか?」
なぜかわからないが、嘘であって欲しいという願いを抱きつつ、シンムはそう言った。答えは願いを裏切ったが。
イヨ「本気です。イスズちゃん、こっちに来て、封印呪を消去するから」
イスズ「はいですぅ。まかせてください。すぐに行きますぅ」
手を上げてから元気よく返事をして、イスズが移動する。
イヨ「シンムさん、お願いですから動かないでください。動くと、本当に使います」
背中に当てられた呪を、イヨに強く押しつけられる。
刃の刺さっていない柄をイヨは懐から取り出す。それをイスズの首に掛けられた呪に当てる、瞬時に呪はただの石となった。
イスズ「イヨちゃんすごいですぅ。こんな事出来るなんて、イスズちゃん知りませんでした」
封印呪を外されたイスズが無邪気に走り回って喜ぶ。
イヨ「シンムさんも立ち上がってください。すぐ外に出ます」
口調は柔らかい。まるで、外に遊びに行きましょうとでも誘っているかのように。だが現実は、呪を背中に押し付け、イヨは脅迫している。
シンム「おれの首を落とすんなら、早く落とせばいいだろ!」
得も言われぬ怒りと共に、シンムはそう言った。本心からの思い。
イヨ「立ち上がってください」
呪を持つ手は震え、イヨの言葉には何処か痛々しさがあった。それに、怒りに身を焦がしているシンムは気付かない。
シンム「勝手にしろって言ってんだろ。どうせ今さら……どうしろってんだ」
腕を組んでシンムは動かない。絶対に動かないという意志を全身で示す。やけくそ気味だが、本心から死んでもいいと思っていたから。
イヨ「それなら……イスズちゃん、この家、燃やせる?」
イスズ「燃やすのは出来ますぅ。でも火事になったら、イスズちゃん達も燃えてしまいますぅ」
怖い話をしているのだが、それをイスズの子供のような口調の言葉がまったく感じさせない。それでも、イスズは女王ヒミコによって印が彫られた鬼の一人。その力は常人のそれとは、一線を画している。 その力の前では、こんな家など燃え尽きてしまうだろう。
やけくそ気味にシンムは怒鳴る。内心で「やるなら勝手にやれよ」と思いながら。
シンム「燃やしたって巻き込まれんだけだろ!」
イヨ「あなたが座ったままでいる気でしたら……それを利用させていただきます」
シンム「利用、おれを? どうせ、それが最初から目的だったんだろ。好きにしろ!」
イヨ「外の監視の方々があなたを助けに来たところを……全滅させます」
辛そうで、それでいて真実味を持った口調でイヨは言った。
シンム「そんな事出来んわけが……」
イヨ「イスズちゃんなら簡単に出来ます」
火事の中で倒れて行く兵達の姿が、シンムの脳裏に浮かんだ。
イスズ「まかせてほしいですぅ。イスズちゃん頑張りますぅ」
腕を振り回しながら、イスズはやる気に満ちた表情で言った。
シンム「仮にそんな事したって、タケヒコが来て、一瞬におまえ等の首が飛ぶだけだぜ」
想像した際に出た結果がそれだった。それをシンムは強い声で脅迫気味に、背後のイヨに言った。
イヨ「外にさえ出れば無差別攻撃で……一時的に混乱を起こさせて、飛行呪で逃げれば終わりです」
呪を押しつける手が震え、イヨの顔は今にも泣きそうになっている事に、シンムは気付かない。
シンム「そんな事出来るわけ……」
イヨ「出来ます。呪は使用される前の物さえ手に入れれば、わたしが作るか、書き換えるかします。その少しの間だけ、イスズちゃんが何とかしてくれれば」
シンム「おまえ本気で無差別攻撃なんかやる気か」
イヨ「します。しないとお義母様の下へいけないのならば」
言葉に痛々しさがある事に、やっとでシンムは気付いた。それが余計にイヨの本気を表している様だった。自分の命に対しては投げやりになっている。それでも、自分以外の命が少しでも危険に去らされる事を、自らに納得させることは、シンムには出来なかった。だから、無言で立ち上がった。
黙ってシンムは歩いた。背後にはイヨが呪を背中に当てている。その後ろには、イスズも続いていた。
外に出ると衛兵達がすぐに駆けつけて来た。
背後のイヨ達を見て、剣を抜こうとする女士官。
イヨ「動かないでください。動くと、この人を殺します」
背後から聞こえるイヨの声に、先程あった痛々しさも、迷いの色もない。
苦々しい表情を見せる女士官。
イヨ「イスズちゃん、ちょっとでも動いた人がいたら……その人、燃やして」
イスズ「燃やすのだったら、イスズちゃんに任せなさい。動かなくても出来ますぅ」
後ろを歩いていたイスズが前に飛び出した。その動きに呼応するかのように、衛兵達も後ずさりする。
シンム「約束がちげぇだろ」
身体を燃やされる兵士達の姿が脳裏に浮かんで、シンムは声を上げた。
イヨ「あなたは黙っていてください。イスズちゃん、動いた時だけでいいから」
すぐにでも実行に移しそうな勢いのイスズを、イヨが制止したその時だった。一人の兵士が、女士官の制止を無視して飛び出して来た。
兵士「呪などないはず。鬼も、封印呪で力を封じられているはず。誰が騙されるか」
飛び出して来たへ死にイヨが指を差す。
イヨ「イスズちゃん、あの人の足下燃やして」
イスズ「わかりましたですぅ」
飛び出して来た兵士の足元が燃え上がる。その光景を見た女士官が、驚愕の表情を浮かべる。
イヨ「これでわかったはずです。わたし達が本気だと言う事が。そこを通していただけますか?」
燃え上がる炎を見て、一歩後退する兵士達に向かって、イヨは言った。
その時だった。遠くから大きな音が響き、建物が瓦解した。誰もが、何が起こったのか理解出来ずに混乱が広がる。ただ一人シンムには、その原因が何となく理解出来た。そんな事が出来る者など、他に思い浮かばなかったから。
シンム「今のはタケヒコ? 誰かと戦ってんのか? まさか……タマモとか言う奴が来てんのか!」
思わず声を出したシンムの言葉に、イヨが反応する。
イヨ「タマモさんが? どちらにせよ好機のようです」
この場にいる誰よりも早く混乱から復帰したイヨが、誰よりも早く行動に移る。
イヨ「イスズちゃん目を閉じて、耳を塞いで!」
再び大きな音が同じ方向から鳴り響く。今度は先程よりも手前から鳴り響いた。混乱が加速して、兵士達の注意が完全に音の方へと向けられる。
呆然と、シンムもその方向を眺めていた。気付いた時には押し倒され掛けている最中だった。倒されながらもシンムは、イヨがイスズに言ったように目を閉じ、耳を塞いだ。
鎌足呪とイヨが偽っていた催眠呪が光り出す。激しい光と共に、催眠音が流れる。同時にイヨはイスズの手を取って走り出した。
イヨ「イスズちゃん走って!」
シンム「待ちやがれ! 逃してたまるか!」
催眠に掛からなかったシンムは起き上り、慌てて二人を追い掛けた。