収穫祭
夕日も落ち、夜の闇に包まれ始めようかと言う時間なのに町は明明としている。先程まで神輿が荒々しく通っていた中央の通りには人々の行列が出来、その周りをたいまつが照らしている。
昼前にジョウコウと別れてからシンムはタケヒコと二人で街中をぶらぶらと歩き回った。祭りを楽しむ人々の笑顔を見ているだけでもシンムには楽しかった。
行列は名も無き神を祭る巨大な社へと続いていた。行列の先頭では巨大な社に各々が供え物をしている。そして、狗奴国の大王アシハラシジョウコウが行列の横に立ち、供え物をしている者達一人一人に声を掛けている。
シンム「この行列はいったい何なんだ?」
タケヒコ「この行列は今年、厄に見舞われた人々が神に供え物をして、厄を祓って貰っているのです」
特に興味があった訳でもないが、他にする事もないので、シンム達はずっと厄払いを眺めていた。
タケヒコ「厄払いが終わられた様ですね。いよいよ始りますよ」
行列が無くなると、ジョウコウが立ち上がり口を開いた。精神感応の力だろうが、脳にジョウコウの重厚な声が直接語りかけて来る。
ジョウコウ「皆の者! 収穫の感謝と来期の豊饒を願い、更には厄災のない事を願い、名も亡き神に共に祈りを捧げよう」
簡潔だが重みのあるジョウコウの言葉が終わる。その間に移動したのだろうカグヤとイヨの二人が巨大な社の手前に準備された、井桁に組まれた薪の前に立っていた。二人の姿がジョウコウと同様に、精神感応の力で脳に直接映し出される。
祈りの言葉が始まる
カグヤ「掛けまくも畏き大神の大前にカグヤは恐み恐みも申さく」
祈りを一度止めて、井桁に炎をカグヤが灯す。炎が天高く舞いあがると、イヨが祈りの言葉を口にした。
イヨ「掛けまくも畏き大神の大前にイヨは恐み恐みも申さく」
二人の心地よい祈りの声が鳴り響き、高々と燃え上がる炎のゆらめきが、何ともいえない郷愁を生み出す。
ただ、ただ、しばしの時、シンムはその流れに身を任せ、その美しい光景に見とれていた。
そして、美しい光景が終わりを告げる。二人が同時にかがみ込み、巨大な社に向かって深々と頭を下げる。井桁の高々と燃え上がっていた炎が一瞬で消え、たいまつも消され、暗闇が辺りを覆い尽くす。
空高く火の玉が打ち上がった。火の玉は上空で星々と重なり合うと破裂して、天に花開く。火の玉は次々と打ち上がって行く。他の多くの人々と同じようにシンムも空を見上げていた。
最後の火の玉が星空に消える。それでもシンムは余韻にひたりながら、夜空を呆然と眺めていた。そんなシンムを、脳に直接響く重厚な声が現実に引き戻す。いつの間にか巨大な社の壇上の上に移動していたジョウコウの声が。
ジョウコウ「皆の者! 今宵はすべてを忘れ、朝日の昇るまで歌い、踊り、飲み明かそう。名も無き神に感謝を!」
周りの人々の歓声と同時に、辺りが再びたいまつの明かりに包まれる。通りの至る所で焚き火の炎が上がり、その周りで男は飲み明かし、女は踊り狂う。盛大な宴が始まった。
これからどうするかを聞いていないシンムは、隣に目をやった。
シンム「これからどうすんだ?」
めずらしく呆然としていたのか、タケヒコは驚いたような顔をした。
タケヒコ「シンム様、どういたしました?」
シンム「やっぱ、タケヒコもさっき空に上がった奴に驚いたのか?」
何かを考える様なしぐさをタケヒコが見せる。他愛もない会話のはずなのに真面目な顔をしながら。
タケヒコ「これからの事でしたね。それはカグヤ様達が合流されてからで」
シンム「それも聞いたけどさ」
タケヒコ「どうされました?」
シンム「何にも言ってねぇ」
タケヒコ「もう少しお待ちしましょう」
まったく会話になっていない。それゆえに楽しく成りようもなく、シンムもさすがに会話をするのがどうでもよくなった。とはいえ、他にする事もないので、仕方なくその場で周りの宴を眺めながら、カグヤ達が来るのを待った。
しばらく経ってからシンムはカグヤ達と合流した。
合流後すぐにタケヒコに案内されるままに、何処へ向かうとも知らされずに、シンム達は移動を開始した。その間、タケヒコは何か別の事を考えているのか、心ここになしといった感じで、黙々と先頭を歩き続けた。不思議なことにイヨも同様だった。
しばらく歩いていると、何かを思い出したようにタケヒコが立ち止まる。
タケヒコ「ところでシンム様、先程二人で居た時のご用件は何だったのでしょうか?」
シンム「そうそう、さっき空に打ち上がってたやつ何だ?」
ずっと聞こうと思ってたが、タケヒコが話をまったく聞いていない事が原因で聞けなかった話題をシンムは持ち出した。
カグヤ「あれ、すっごい綺麗だったよね」
大きな眼をカグヤが輝かせ、いつもの笑顔をタケヒコが見せる。子供が遊戯している姿を眺めている親の様な笑顔を。
タケヒコ「あれはスクネが特殊な呪を使って打ち上げていたのです」
カグヤ「あれスクネがやってたんだ」
輝かせている瞳を、カグヤはこれ以上開いたら目が落ちてしまいそうに広げながらスクネに向けた。
スクネ「ああ、タケヒコに頼まれてな」
さして興味もなさそうにスクネは無愛想に答えた。瞳を輝かせていたカグヤの期待した答えではなかったのか、がっくりとカグヤが肩を落とす。
シンム「あれも呪?」
きょとんとしながらシンムが疑問を口にした。
タケヒコ「ええ、あのような使い方も出来るのです、呪は」
カグヤ「戦いとか物騒な事以外にも役に立ったりするんだ」
肯定したタケヒコの言葉を聞いたカグヤは、肩を落とす前ほどには瞳を輝かす事もないが、感動している様で、声は高かった。
スクネ「他にも使い方はある。詩だ」
めずらしく自分から話題を振ったスクネに、タケヒコのすぐ後ろを歩いていたシンムが振り返る。
シンム「詩? 書けばいいだけだろ?」
タケヒコ「正確には……詠っている声を届けるのですよ」
これまでタケヒコと同様に会話に付いて来ていなかったイヨが参加した。
イヨ「わたしも一回だけ聞いたことがあります」
シンム「どんな詩だったんだ?」
一同がシンムの問いの返答を無言で聞いた。
イヨ「確か……こんな詩です」
眼を閉じてイヨが一言一言を思い出すように詠っていく。
いと思ふ いとしの君に 木漏れ日で
出会ふた事も いと悲しかな
その詩は悲しい恋の詩だった。その詩を聞いたスクネが目線を逸らし、苦痛に満ちた表情をタケヒコが見せ、カグヤが首をかしげる。
シンム「どうしたんだ姉貴?」
首をかしげたカグヤにシンムが不審げに聞いた。
カグヤ「なんか聞いたことあるんだよね……今の詩」
スクネ「姉気が? 気のせいだろう?」
カグヤ「気のせい? そう言われれば気のせいのような……」
きょとんとするシンムの言葉にカグヤは答えながらも首を何度もかしげる。代わりに、なぜかイスズが何度も頷く。
イスズ「イスズちゃんは聞いた事ないですぅ」
シンム「だれもおまえに聞いてねぇ!」
当然の突っ込みをシンムが入れると、一同はいっきに静けさを何処かへ置き去りにして、喧騒の中へと包み込まれていく。
イスズ「むむむむむ。エッヘンな人はなれなれしくイスズちゃんとか言わないでほしいですぅ! イスズ様と言ってください!」
シンム「なんでおれがおまえを様付けで呼ぶんだ!。だいたい、そもそもイスズちゃんとも言ってねぇ!」
イスズ「今間違いなく言ったですぅ!」
シンム「今言ったのとは違うだろうが!」
喧嘩というにはほほえましい言い合いを、シンムとイスズの二人が始める。その言い合いを見ていたタケヒコが笑みを浮かべながら再び足を動かし始めた。
タケヒコ「もうすぐ着きます。行きましょう」
そう言ったタケヒコの後ろを一同は喧騒の中、付き従って行った。
通りからはずれた小高い丘に宴の用意がしてあった。そこは一望で巨大な社が見える、眺めのよい場所だった。
予め用意されていた焚き火に、タケヒコが火をつけると、料理を中心に半円になって五人は座した。右端からスクネ、カグヤ、シンム、イヨ、イスズの順に。
五人の正面で一人だけ立ったままのタケヒコが、両手を広げながら嬉しそうに言葉を口にする。
タケヒコ「今日は皆様のために、久方ぶりにわたしが料理しましたので、どうかご賞味ください」
驚いた表情でカグヤとシンムがお互いに顔を見合わせる。そして、二人の表情が曇っていく。
タケヒコ「皆様に喜んでもらえたら幸いです」
カグヤ「喜ぶね……誰が?」
目の前に並べられた料理とタケヒコを、交互に睨みつけながらカグヤがつぶやいた。
カグヤ「シンム、先に食べてよ」
シンム「今回は姉貴が先に食べろよ」
二人が肘で小突き合っている。
タケヒコ「皆様どうぞ召し上がりください。お酒も準備いたしましたので、今日は楽しみましょう」
そう言いながら並べられていた酒をタケヒコが手に取る。
イスズ「イスズちゃんおなかぺこぺこですぅ」
腹部をさすりながらイスズがよだれを垂らして料理を見つめている。
イヨ「わたしも……お酒ください」
空の椀をイヨが酒を持つタケヒコに差し出した。
酒がタケヒコから椀に注がれるとイヨは一気に飲み干した。飲み干すと、すぐにまた注いでもらい、いっきに飲み干す。三杯ほど飲み干すとシンムが声を掛けた。
シンム「いきなりそんなに飲んでだいじょうぶなのか?」
イヨ「料理もいただきます」
少し赤くなった顔で、イヨは箸で料理を取った。その動きをシンムがにやけながら眺めている。明かに何かあるのだが、酔って火照っているイヨは気付かない。
イスズ「イスズちゃんも」
箸を動かしたイヨと同じ料理を、イスズが手でわしづかみにする。
カグヤ「それは止めといた方が」
行儀ではなく、カグヤは恨めしそうに料理を睨みつけながら言った。
イスズ「とってもおいしいですぅ」
イヨ「本当においしいですね」
料理を口に入れた二人が幸せそうに言った。
カグヤ「じゃあ、わたしもそれ貰おう」
たくさんの料理の中から、カグヤがイヨやイスズが食べたのと同じ料理に箸を伸ばす。
シンム「姉貴ずるいぞ!」
隣のカグヤを睨みながら、シンムも負けずに手を伸ばした。
タケヒコ「シンム様もカグヤ様も他にもたくさんあります。喧嘩をなさらずにお召し上がりください」
嬉しそうにタケヒコはそう言うと座した。
三人が食べたのと違うものを、スクネは口に運んだ。
あまりの味にスクネは思わず吐き出しそうになるのを堪えながら呑みこんだ。
イスズ「きたないですぅ」
顔をしぶめながらイスズは言った。
カグヤ「あれは、はずれ。シンム、食べて良いよ」
一回頷いてから、スクネが食べた料理をカグヤが指さす。同様にシンムもそれを忘れないためか、睨みつけていた。
イヨ「こんなにおいしいのにどうなされたのですか?」
カグヤ「イヨ、それ食べちゃだめ!」
箸を伸ばしたイヨをカグヤが制止するが、それよりも早くイヨが口に料理を運ぶ。
イヨ「ごほっ。こんなまずいものが……」
病気になったのかと見間違えるほどに青い顔して、イヨはせき込んだ。
イスズ「イヨちゃんどうしたんですぅ?」
そう言いながら、嬉しそうにイスズは新しい料理に手を出した。手に掴んだ料理を、イスズはせき込んでいるイヨの見守る中、一口でほおばる。
その結果、言葉にならない言葉をイスズが口にしながら後ろを向いて噴出した。そんなイスズの背中をイヨがさする。
イヨ「イスズちゃんだいじょうぶ?」
イスズ「ドドドドドーンな人は、イスズちゃんをこの場で亡き者にする気ですか!」
頬をふくらませながら、イスズは怒りの声を上げた。
まだ少し青い顔をしたイヨが恨めしそうに料理を睨む。
イヨ「カグヤさんこれはいったい?」
カグヤ「タケヒコは何種類も料理作れるけど……はっきり言って味覚がまったくないんだよ。だから、とんでもなくおいしいものもあれば、とんでもなくまずいものもあるんだよ。てか、どっちかしかないけど……」
悪夢のような事実を目の当たりしているタケヒコを除く五人が、目の前に広がる多彩な料理を恨めしげに睨みつける。
シンム「だから、タケヒコが料理作ってんの嫌だったんだ!」
スクネ「理解した」
中央に座るシンムの魂の叫び声に、スクネと同様に、他の三人も頷いて同意を告げる。
タケヒコ「どうぞ、どんどんお召し上がりください。わたしもいただいていますので」
一人タケヒコが次々に料理を口に運んで行く。その姿を全員が一堂に「どういう味覚をしているのか」といった目で見ていた。
突然、カグヤが手を叩いた。視線がカグヤに集まる。
カグヤ「そうだ! おじさんに言ってなんか貰って来よう」
イヨ「そうして貰えると助かります」
救いの手を差し伸べるカグヤの提案にイヨがすぐに同意すると、一人を除く全員が手を叩いてその提案を祝福する。
タケヒコ「その必要はありませんよ。まだまだ、たくさんありますので」
心底嬉しそうに、現在の状況では他の者達には気味が悪い笑顔で、タケヒコは言った。五人の殺気に似た視線を余所に。それで仕方なく、五人は酒だけを飲み始めた。
すべてを忘れて宴を皆は楽しんだ。喜びと楽しさに満ちたひと時だった。その間、永遠に誰もが続いて欲しいと思える程、幸福に満ちていた。
さんざん騒ぎまわった後、スクネとタケヒコ以外の全員は寝静まった。夜の寒さから身を守るため何処からか持って来た毛布をタケヒコが掛けて回っている。
スクネ「よく寝ているな」
タケヒコ「疲れたのでしょう」
少し顔を赤らめているタケヒコは、優しい目で疲れて眠った者達を見回していた。夜の寒さも忘れてしまうほどにゆったりとした時間は終わりを告げる。
スクネ「タケヒコ、気が付いたか」
巨大な社の方をスクネは睨みつけた。
タケヒコ「スクネ、すみませんがお願いします。ここにはわたしがいますので」
同様の方向をタケヒコも見ている。
スクネ「了解した」
簡単な会話を終えると、すぐにスクネは駆けた。全速力で、すさまじい力と力が衝突する場所目指して。