鬼と妖鬼1
この数週間、スクネは寝ては目が覚める。そんな日々を繰り返していた。体力の低下を抑えるため、多少の鍛錬を積んではいたが、拘束具を付けられたまま牢に捕らえられていて出来ることなど、限られていた。もっとも、こんな牢は出ようと思えばいつでも出られたのだが、不思議と牢を出る気になれなかった。
今日も朝起きてからしばらく経つと、牢の前にタケヒコがやって来た。数週間前にスクネは捕らえられて以降、会っていない日は記憶にない。
タケヒコ「あなたに聴きたいことがあります」
毎日やって来るたびに、タケヒコは同じ質問をした。飽きるには十分過ぎたが、他に出来る事もない。仕方なく耳で聞き流しながら、スクネは一言も話さず、タケヒコの方を振り返りもしない。ただ牢の中で、肩膝を立てて座していた。
タケヒコ「彼女……ヒミコが何を望み、何を成そうとしているのか、あなたは知りませんか?」
必ず最初に聞いて来るヒミコの目的。いつもの出だし。それは、スクネに取って知らない上に、興味もない問いだった。そもそも元来から、スクネは女王ヒミコに対して雇主としての価値しか見出していなかったから。
タケヒコ「まったく……あなたは本当に何も語らないのですね。わたしの記憶しているあなたならば、もっと饒舌だったのですが。まあ、わたしの覚えているあなたはうるさいぐらいだったので、あまり話をされないのは新鮮ではあるのですが」
自分とは別人を、スクネと勘違いしてタケヒコは話していると理解した。それなのに、まるでそれが当たり前の事の様に感じている自分に違和感を覚える。そのため、タケヒコに誰と勘違いしているのか聞こうかと思いはしたのだが、結局は黙ったままの状態を選んだ。仮にそうだとしても、「それに何の意味があるのか」と、思ったために。
ため息を一回入れてから、タケヒコは質問に戻った。
タケヒコ「次の質問です。これも、いつもと同じ質問になりますが。あなたはなぜ脱走しようとしないのですか?。あなたならば簡単なはずですが?。もっとも、またシンム様を殺しに来たら、その時は容赦いたしませんが」
この質問には答える気になったとしても、答えようがない。なぜ捕らわれたままの状態を許容しているのか、スクネ自身が分からず、不思議と一回も逃げようという気が起きなかっただけなのだから。
タケヒコ「その拘束具も、この牢も、あなたには何の役にもたたないはずでしょうに? 昔から、このように大人しいのでしたら、わたしも苦労しなくて済んだのですが。しかし、わたしの知っているあなたとは別人のようですね。別人……」
自ら言った「別人」という言葉に何か感じたようでタケヒコの言葉が止まる。ほんの少し考え込むような仕草を見せた後、脅しを掛けるためか、タケヒコが殺意を放った。
殺意が肌を刺激するのを感じたが、スクネは対して気にもならない。仮に、本気で殺されてもやむを得ないという気になっていた。否、むしろ自らが殺される事を望んでいる気にさえ思えた。
タケヒコ「止めておきましょう。辛いのは同じでしたね」
殺意を消すと、タケヒコが頭を下げた。
タケヒコ「すみません、また明日にでも来ます。そうですね……明日は、あなたが好きな食べ物を持ってまいりましょう」
丁寧に頭を下げた後、タケヒコが牢の前から離れて行く。その足音が響き渡る中、スクネは違和感の理由を自問自答した。
スクネ「行ったか……おれはこんな所にいつまで居る気だ。タケヒコも言ったように、出ようとさえ思えば、こんな牢などいつでも出られる。しかし、出る気になれないのはなぜだ。まして、おれは殺される気だった」
散々に自問自答した後、スクネは考えるのを止めた。いくら考えても答えが出そうにない行為を無駄と感じたために。ゆえに、スクネは「その気になればいつでも出られる。その事実だけで十分だろう」と、自分に言い聞かせた。
牢から外へと出たタケヒコに、出入り口の壁に寄りかかって立っていたカグヤが声を掛けた。どうやら、タケヒコが牢から出て来るのを待っていた様子だった。
カグヤ「今日もスクネに会って来たの、タケヒコ?」
タケヒコ「確かに、彼と会って参りましたが……。それよりもカグヤ様、ここには近づかないように申し上げましたはずです」
カグヤ「今日まで近づく気にはなれなかったよ。でも……どうしてだろ。今日は違ったんだよ?」
そう言ってカグヤは首をかしげた。自分の心情の変化に戸惑っている様子だった。とはいえ、他人であるタケヒコには、カグヤの心情の変化の理由を答えられるはずもない。その代わり、スクネの危険性は完全に把握していた。だから、言葉を繰り返した。
ただし、今度は少し強めの口調で。
タケヒコ「どのような理由があるにせよ、ここには近づかないでください! 一度申し上げましたが、彼は危険なのです」
カグヤ「怖い人だからだよね。でも……今日はここに来ないといけない、そんな気がしたんだよ」
タケヒコ「もう一度申し上げます。彼には近づかないでください!」
それでも首をカグヤは振り続けた。だから仕方なく、タケヒコは有無を言わせないように強く言った。強い言葉に反感を持ったのか、カグヤも強い口調で抗議する。
カグヤ「タケヒコは危険だっていうけど……あの人は捕まっているんだよ。武器も持っていないし……そんな人の何処が危険なのか教えて!」
目を見据えながら、しっかりとした口調でカグヤは言い切った。思わず返答に困り、タケヒコは苦笑いした。そして、ゆっくりと言葉を探したが見つからない。その間、カグヤは目を逸らそうともしない。結局、仕方ないと思い、タケヒコは少しだ自分が引く事を決める。
タケヒコ「まいりましたね。ですが、今はまだ会わせるわけには参りません。わたしが大丈夫だと判断したら、面会出来る様にいたしますから、どうか、今はまだ近づかないようにお願いします」
カグヤ「いや! 今、会わないといけないんだよ」
タケヒコ「わがままを言われないでください」
カグヤ「わがままじゃないよ! 今じゃないとすべて遅いんだよ。なぜだかわからないけど、そんな気がする」
少しだけタケヒコが引いて見せても、カグヤは一歩も引かない、それで少しだけ言い合いになってしまった。頬を膨らませ、カグヤは徹底抗戦の構えを見せている。こうなっては勝ち目のないことをタケヒコは悟り、ため息まじりに、全面降伏することにした。
タケヒコ「わかりました。ただし、わたしもご一緒に……」
あくまでも会うと言い張るカグヤにタケヒコが折れ、言葉を続けようとした時だった。
一人の顔を青くした兵士が息を切らせながら駆けよって来た。
兵士「こ、ここにいらしたのですね。化け物どもが攻めて来ました」
そう言った兵士の両足は震えていた。
その兵士の言った化け物とは、妖鬼と呼ばれ、巫女によってねずみなどの動物に印と呼ばれる刺青を彫って生み出される。その容姿はどのような動物に印を彫ろうとも同じ姿になり、人型で口が裂け、目玉が飛び出しており、牙も剥き出しで、猫背、三本しかない指には、鋭い爪を持っていた。
震える兵士の両肩に、タケヒコが両手を当てる。
タケヒコ「妖鬼の群れは、どの辺りまで来ているのですか?」
兵士「まだ街を守る門より二十里ほど離れています」
タケヒコ「シンム様はご存知ですか?」
兵士「まだ話しておりません」
タケヒコ「わかりました。シンム様の下に行きながら、くわしい情報を聞きましょう。ですが……その前に」
震える兵士から簡単に話を聞いてからタケヒコは一旦打ち切り、カグヤの方へと向き直した。そして、カグヤの目を見据えながら、強い口調で、最大の懸念の釘を刺した。
タケヒコ「カグヤ様、くれぐれも勝手な行動はお慎みください。間違っても、一人で彼に会ったりなどなさらないように」
にこりと笑っただけで、カグヤから返事はない。おそらくは会いに行く気なのだろう。更に強く言っておこうと思ったが、最早ため息ぐらいしかタケヒコには出て来なかった。仕方なく後ろ髪を引かれる気持ちで、兵士とその場を後にした。




