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倭国神代記  作者: がばい
2章
17/53

平穏の中で2

 邪馬台国の使者としてイヨが狗奴国(くなこく)に来てから、およそ二週間が経過した。その間、幸か不幸かは分からないが、予想に反し、何も起こらないでいた。

 毎日の報告に向かうさながら、タケヒコはかつての記憶を思い起こしていた。女王の妹ビミファと名乗った者。すなわち、現在ヒミコと呼ばれる邪馬台国の女王は、タケヒコが記憶する彼女とは別人でないかと思う事がよくあった。それが願望にすぎない事を自覚しながらも。

 彼女に初めて会ったのは千年前。当然だが彼女は本当の名で呼ばれていた。彼女の本当の名はヤマトト。記憶の中の彼女はやさしく、気高く、美しかった。


 殺気を完全に消し、タケヒコは暗闇に溶け込み、息を殺して潜んでいた。

 いくばくかの時が過ぎ、標的が現れた。標的は暗闇に潜むタケヒコに気付かず、目の前で髪結(かみゆ)いを始める。そこまではいつも通り。後は命を遂行して終わるだけのはずだった。だけど彼女は、ヤマトトは髪を結いながら言った。

 ヤマトト「貴方様は?」

 一瞬だがタケヒコは動揺した。他に誰かいるのかと疑いもしたが、残念ながら他には誰もいなかった。とはいえ、気付かれたのならその瞬間に斬ればよいはずだった。実際、もしも気付かれた時の想定は、ずっとそうだった。しかし、タケヒコは別の選択をしてしまう。

 タケヒコ「名など……あなたには死神で十分でしょう」

 ヤマトト「その死神さんがわたしに何の御用でしょうか?」

 タケヒコ「死神に、死を与える事以外の仕事があるとでも?」

 ヤマトト「貴方(あなた)様が本当に死神ならそうなのでしょう。ですが、貴方様も所詮は人、ちがいますか? でしたら、他にもする事があるでしょう?」

 髪を結うのを止めて振り返ると、微笑みながらヤマトトは言った。まるで親しい者に語りかけるように。仕方なくタケヒコも笑みで返す。出来得る限りの皮肉をこめて。

 タケヒコ「残念ですが、わたしの仕事は目の前のあなたに死を与えるだけです。それにしても、わたしに向かって「所詮は人」とは、よく言えたものです。それでしたら、あなたはただの物として生まれた、人にすぎないでしょう?」

 ヤマトト「そうですね……わたし達は今はまだあなた方の所有物にすぎない。ですけど、貴方(あなた)様はわたしの事を「あなた」と呼ばれた。他の方なら最初から「物」と呼ぶか、「失敗作」かのどちらかでしょうに」

 そう言って、ヤマトトは吸い込まれそうなほど美しく気高い笑顔を見せる。

 タケヒコ「それがどうしたと言うのです? わたしの二人称の呼び方などはどうでもよい事でしょう」

 鼻で笑いながらタケヒコは言った。嘲笑(ちょうしょう)して、ヤマトトの言葉をそしり笑っていないと立っていられない気がしたために。そんなタケヒコを逆にあざ笑っているのだろうか、ヤマトトは「失礼しますね」と言って、無防備に背中を見せると、髪結いを再開した。何を考えているのかタケヒコにはまったく理解できない。暗殺者である自分に、まるで殺してくれと言っているかのようなその行動が。

 背中を見せながらヤマトトは落ち着いた声で語りかける

 ヤマトト「「どうでも良い事」ですか。そうですね……あなた達にとってはそうなのでしょう。けれども、わたし達にとっては、神の御使(みつか)い、すなわち四魂(しこん)である貴方(あなた)様が「あなた」と呼んでくれた事は喜ばしき事ですから」

 タケヒコ「なるほど……わたしが四魂(しこん)だと知っていてなお、平然としていらっしゃったのですね」

 ヤマトト「わたしも四魂(しこん)の方を一人よく知っています。それに、貴方(あなた)様からは怖さを感じませんので」

 タケヒコ「わたしから怖さを感じない? それは残念ですね。どうせ粉々に切り刻むのなら、恐怖で顔を引きつってくれた方がわたしも楽しめるのですが」

 若干の苛立ちがタケヒコを襲う。殺しに来たヤマトトが、自分を四魂(しこん)だと知りながらも見せる、落ち着いた態度に一種の不条理を感じて。

 更に続くヤマトトの言葉の内容が、苛立ちに拍車をかけた。

 ヤマトト「無理はなさらぬ方がよろしいですよ。貴方(あなた)様は、そのような方でないはずですから」

 タケヒコ「わたしの人となり等知らぬでしょうに。まぁいいでしょう……おしゃべりは終わりです。もう、あなたには粉々になってもらいます」

 ヤマトト「おしゃべりは終わりですか……でしたら、なぜ語られたのです? 初めから無言でわたしを殺せばよいものを。貴方(あなた)様がその気なら、すでにわたしは粉々です。そうでしょう?」

 タケヒコ「おしゃべりは終わりと申したはずですが?」

 ヤマトト「でしたら、なぜまだわたしは粉々でないのですか?」

 タケヒコ「一秒後ですよ」

 天之羽張(あまのはばしり)の描く軌跡がヤマトトを切り刻む。本来ならば、細切れに刻まれたヤマトトの(しかばね)だけが残るはずだった。それなのに、タケヒコは斬らなかった。ひょっとしたら斬れなかったのかもしれない。どちらにせよ、精神を粉々に砕くには十分なはずだった。だけど彼女は恐れた様子も、抵抗すらもせずに、髪を結っているだけ。丁度計ったようにタケヒコの動きが終わると、髪を結い終わる。そして、彼女はゆっくりと振り向きながら、この世のものとは思えないほどに美しく慈愛に満ちた笑みを浮かべながら言った。

 ヤマトト「粉々にするのではなかったのですか? すでに一秒以上経過したはずですが?」

 ほんの一瞬、その頬笑(ほほえ)みを見て、まだ会ったことのない自らが仕える神とは、彼女の事かもしれないとさえタケヒコは思った。その思いを強引に振り解きながら、タケヒコは氷のような冷たい表情で、感情と抑揚を最大限に排除した言葉で、ヤマトトの問いに答えた。

 タケヒコ「あなたに恐怖はないのですか?。もしも……ないのでしたら、あなたは本当に物(者)か失敗作なのでしょう」

 ヤマトト「わたしにも恐怖はもちろんあります。自らの身体を刃が次々に通り過ぎていくのも気持ちのよい物ではありません。ですけど……」

 タケヒコ「ですけど……何だと言うのです」

 ヤマトト「貴方(あなた)様はお優しい方なのですね。やはり、わたしを粉々にされなかった」

 タケヒコ「あなたには、粉々にされている様な錯覚を起こすように切り刻んだのですが?」

 ヤマトト「貴方様を信じていた……と申したら、信じてもらえますか?」

 タケヒコ「あなたがわたしを信じる理由などないはずですが?」

 揺れ動く心を制止させるためにも、タケヒコはヤマトトの眼を殺意を宿らせた眼で睨みつけた。その凍てつくような眼を、ヤマトトは太陽の様な微笑みで返して来る。

 ヤマトト「でしたら、貴方様の人となりがそう思わせるのでしょう、または……」

 タケヒコ「または?」

 ヤマトト「わたしが自分で思っている以上に鈍感で、刻まれている事が大変な事に気付かなかったのでしょう」

 タケヒコ「では後者でしょう。わたしは少なくとも、あなたの心を本気で粉々に砕くつもりでした。もっとも、それはどうやら茶番にすぎなかったようです。ですから、今度こそ一刀で死んでもらいます」

 頭がこれ以上の抵抗は不可能だと判断を下した。だから、言い終わると同時に、タケヒコは剣を振り上げた。そんなタケヒコの内心を見透かしているのか、太陽のような頬笑みから悲しく辛そうな表情へと変化したヤマトトが、あわれむ様にしみじみと声をかけた。

 ヤマトト「もう、お止めになられたらどうです……貴方(あなた)様は迷われているのでしょう? だからまだ、わたしが生きている、違いますか?」

 精神を無にして、心を闇の奥底に閉じ込め、タケヒコは完全に死神と化す。語りかけられた瞬間には、タケヒコは無心で剣を振り下ろしていた。空間が四つに割れる。死神となったタケヒコの振り落とした一刀は、突如目の前に現れた矛の一撃によって払いのけられた。瞬時に状況を理解したタケヒコは、すぐさま返す刀で後ろの闇を一閃する。

 金属音が響きわたる中で、ヤマトトが静かに口を開く。まるで駄々をこねる子供を諭すように。

 ヤマトト「もうよろしいでしょう?」

 一滴の血がしたたり落ちる。背後に突如現れた者の頬から流れた血が。対してタケヒコには傷一つない。首筋に矛を突き付けられているのに。矛を持つ男はタケヒコのよく知る男だった。

 タケヒコ「なぜ止めたのです? セイガ、あなたなら今の一撃で、わたしの命を終わらせる事が出来たでしょうに」

 セイガ「仕方ねぇだろ? そいつが眼で止めやがったから」

 矛を持つ手とは逆の手でヤマトトを指差した後、面倒くさそうにセイガは頭を掻きながら言った。いい加減に認めちまえと態度で言っているかの様だった。

 タケヒコ「ではヤマトト、あなたに質問します。なぜ止めさせたのです? 今の一刀で、もしセイガが間に合わなければ、確実にあなたは真二つになっていたものを」

 ヤマトト「貴方(あなた)様の申された通り、セイガを待ってくださったからです」

 タケヒコ「待っていた、などと言った記憶などないのですが」

 ヤマトト「そうですね。貴方(あなた)様は言葉でなく行動で示されただけですから。あの森で、わたしとセイガが会った日のように……」

 はっとしてタケヒコはそれ以上何も言えず、何も出来なくなってしまった。


 記憶の海から思い起こしている間に、タケヒコはジョウコウの部屋の目の前まで来ていた。そこで頭を切り替えるためにも、タケヒコは首を一回だけ振ってから部屋に入った。


 その日、タケヒコはジョウコウの部屋で定期報告を聞いた。狗奴国に使者として偽りの名でやって来たヒミコの現状を、見張りをしている女士官から。

 女士官「今の所、ビミファなる者に動きはまるでございません」

 直接、報告をタケヒコが聞いたのは、今回が初めてだった。内容はジョウコウから間接的に聞いていた通り。それだけに違和感がある。

 タケヒコ「何も動きがないなど考えられません」

 少なくともタケヒコの知る彼女は、無駄に時間を使ったりしなかった。だからこそ断言出来た。

 ジョウコウ「そんな事はわかっておる。タケヒコは何故動きが無いと思う?」

 口に出して良いのかどうか分からず、タケヒコは女士官に眼をやった後、目くばせをした。すぐにジョウコウが無言で頷く。それで、タケヒコは思った事を口にした。

 タケヒコ「狙いがやはり真布津鏡(まふつかがみ)でしたら……」

 ジョウコウ「あの鏡なら何だと申す?」

 タケヒコ「ヒミコの力でも、何処にあるのか正確な場所までは特定できないでしょう。考えられますのはタマモが来るのを待っているか。あるいは……」

 ジョウコウ「あるいは、利用出来そうな人間を探しておるか……か」

 元々その可能性を考えていたタケヒコは、同様の考えをジョウコウが抱いているのを聞いて確信した。そうに違いないと。

 タケヒコ「ビミファの好きにさせることは危険です。やはり監視はわたしが」

 改めてタケヒコは自分でなければと思い進言した。その進言に気分を害したのか、女士官が睨みつけてきた。

 ジョウコウ「己の役を第一とせよ」

 タケヒコ「申し訳ありません」

 有無を許さない強さでジョウコウは言った。故に、タケヒコもそれ以上は何も言えない。心の中では「やはり自分が」と、強く思っていたが。

 それからわずかな時間だが場が静まり返った。目を閉じ、何か思案し始めたジョウコウの答えを待って、ただ黙々と待つしかなかった。

 再び目を見開いたジョウコウの瞳には確信めいた力強さがあり、それが語る言葉の強さをより引き立たせた。

 ジョウコウ「だが、このままにしておいても拉致が開かぬ、タケヒコ」

 タケヒコ「どういたしましょうか?」

 ジョウコウ「収穫祭が近い。今年の祭りは大々的に開こう。民も喜ぼうしな」

 その言葉の意味を理解したタケヒコは、驚愕しながら言葉を返した。

 タケヒコ「まさか、わざわざビミファが動きやすくなるようにするため、混雑を起こすのですか? しかし、そのような事をしたら被害が……」

 ジョウコウ「被害は最小限に食い止める。それに、あの女は無差別攻撃などしない、違うか?」

 タケヒコ「確かにそうですが……それにしても、監視も難しくなりますが?」

 真意を掴みかねてタケヒコは質問した。それをジョウコウは片手で制止すると、立ち上がり断を下した。

 ジョウコウ「監視の人数を増やせ」

 女士官「それでは気付かれませんか?」

 平伏する女士官の問いに、静かだが力強くジョウコウは答える。

 ジョウコウ「かまわぬ、どうせ最初から気付いておろう。タケヒコは出来る限り祭りに専念せよ。ビミファが動きやすいようにな」

 タケヒコ「……わかりました」

 危険すぎると内心は思いつつも、タケヒコは異を唱えるのを止めた。厳格なまでに、ジョウコウの眼がこれ以上は「止めよ」と、強く語っていたために。

 ジョウコウ「タケヒコ。イヨ、イスズの二人も共に参加させよ。この意味は分るな?」

 タケヒコ「二人のことはわたしが責任を持って監視いたします」

 その意味は理解出来た。彼女達は表向きは客人で、狗奴国としては人質だが、間諜の可能性が一番高いのだから。そして、その二人をジョウコウは人質として本当に使えと言っているのを。

 ジョウコウ「最悪の事態にそなえて準備も急いでおいた方が良い。少し早いが、邪馬台国に攻め込むための用意もな……」

 場合によってはこちらから仕掛ける。この時初めてジョウコウは攻勢の可能性を口に出した。それでも、タケヒコの心配は消えない。しかし、下された命に異を唱えても仕方がない。それならば己が出来る事をするのみだった。

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