崩壊 後
いつの間にか気を失っていたシンムが目を覚ました。空に広がる星が最初に目に入る。起き上がり、辺りを見回す。そこは伊都国でない、何処か別の場所だった。
シンム「ここ……どこだ?」
すぐ側にいたタケヒコが答える。
タケヒコ「正確な場所はわかりませんが……おそらく邪馬台国の外だと思われます」
シンム「邪馬台国の外? 今まで伊都国にいたのに? どうやったら一瞬でこんな所まで?」
僅かの沈黙の後、目線を下げタケヒコは言いづらそうに答える。
タケヒコ「……転移させられたのです」
シンム「転移ってタケヒコ、そんな呪も持ってたのか?」
再び、僅かの沈黙の後、タケヒコは答える。目線は下げたまま、声の音調も下げながら。
タケヒコ「申し訳ありません、シンム様。その件に関しましては申し上げられません」
シンム「言えないって……なんで?」
またも僅かの沈黙を見せ、快活にタケヒコは返答しない。代わりに深々と頭を下げる。そして、声を振り絞る様に、謝罪の言葉を口にした。
タケヒコ「……申し訳ありません」
シンム「なんで言えないかも言えないってのかよ」
深々と何度も頭を下げるタケヒコの態度を見て、シンムはそれ以上の追求を諦めた。仕方なく周りを見回す。人が少ない。そして、その中に居るべき者がいない。居て欲しい者がいない。
本来まっさきに聞くべきことを思い出し、シンムは大声を出した。
シンム「伊都国は、みんなはどうなったんだ?」
タケヒコ「確認したわけではありませんが……おそらく伊都国は滅びました。ただ、ヤカモチさんが死んだ事は確かです。先に非難していた人々がどうなったかまでは……残念ながら」
頭を下げたまま、タケヒコは上げようとしない。そんなタケヒコから聞いた言葉は、シンムを愕然とさせるのに十分だった。
シンム「ヤカモチが……死んだ?。おれ、まだ謝ってなかったのに……」
何となくわかっていた事を、ヤカモチの死を告げられ、シンムはその場に崩れ落ちる。目の焦点がぼやけ、目の前で頭を下げているタケヒコすら満足に見えない。心を後悔だけが支配する。
シンム「ヤカモチも、伊都国も、みんな……」
しばらく呆然としながら天を見上げていると、突然、頬に痛みが走った。頭を上げたタケヒコに、頬を叩かれたために。その場に尻をついたまま見上げるシンムに、タケヒコが手を差し出す。
タケヒコ「シンム様、失礼しました。お立ちくださいませ。これからどうするか決めねばなりません」
シンム「これからだって? 今更どうするって言うんだ!」
差し出された手を払いのけ、シンムはわめき散らした。その声を聞いたタケヒコが悲しそうな顔をしながら、さとし始める。
タケヒコ「生き残った人達が少数ですがここにいます。それに……今、気を失われているカグヤ様をこのままにしておくわけにも参りません」
シンム「タケヒコが決めればいいだろ!」
やけくそ気味に大声で叫ぶシンム。今にも泣きそうな顔を見せるシンムに対して、タケヒコは悲しそうな表情で首を横に振る。
タケヒコ「そう言う訳には参りません。王はあなた様なのですから」
シンム「ふざけんな! 王って何なんだ? おれには何も守れなかった。タケヒコなら……守れたんだろ?」
今にも泣きそうな顔をしながら、シンムが怒声を上げる。立ち上がると同時に、タケヒコを押し倒して馬乗りになる。
シンム「ふざけんなよ……答えろよ」
殴られながらも謝り続けるタケヒコの顔に、あざが増えて行く。
シンム「タケヒコが、最初っから、本気出してたらこんな事にならなかったんだろ!」
涙がシンムの目からこぼれ落ちる。
シンム「ヤカモチも、みんなも、もういないんだろ!。何もかも失って……何をしろって言うんだ!これからおれに、何も出来るわけないだろ!」
地面を渾身の力で叩いたシンムの左手が血で滲む。右手も同様に振り下ろそうとしたが、何者かに腕を掴まれて阻止される。阻止した何者かは、スクネだった。
スクネ「その通りだ」
いつも通りの冷静さでスクネはそう言った。そんなスクネを、シンムは睨みつけた。
シンム「てめぇに何が分かるんだ!」
涙で顔を濡らしながらシンムは掴まれた腕を払いのけようとしたが、強く掴まれていて出来ない。
スクネ「おれに分かる事は、自分では何も出来ないくせに、わめき散らしている男に、真実を言う必要があった事だ」
そう言うとスクネは掴んでいた腕を放した。
シンム「ふざけんな! よそ者のてめぇに何も言われたくねぇ!」
すぐにシンムは立ち上がり、スクネに殴りかかるが簡単に避けられる。そして、足を掛けられ前のめりに倒れた。顔が土でまみれる。すぐに起き上がると、シンムは再び殴りかかった。
今度は殴りかかった右手をスクネの左手に掴まれた。
スクネ「やはりおまえには何も出来ない」
心が崩れ落ちたような気がした。その言葉にシンムは何も反論できなかった。
シンム「みんな、ヤカモチも死んじまった。おれが未熟なせいで、父さんと爺さんが命を賭けて守ったものを、全部だめにしちまった。婆ちゃん達が、がんばって蘇らせた国をまた失っちまった……」
涙と土で、シンムの顔はぐちゃぐちゃになっている。そんなシンムの目をじっと見たまま、スクネは何も答えない。
シンム「おれ、何も出来なかった。結局何にも……」
力が全身から抜ける。伊都国での日々が走馬灯のように駆け抜ける。まるで、それを全部シンム自信が壊してしまったような罪悪感さえ覚えていた。
腹に痛みが奔った。原因はスクネの拳。それに気付いた時には蹴り飛ばされていた。
スクネ「おまえには何も出来ない……ならば、何もしない事は出来るのか?」
蹴り飛ばされて倒れこんだスクネはそう告げた。
スクネ「このまま何もせず、今まであった事をすべて忘れ、寿命死するのを待つことを」
シンム「そんな事、出来る訳ねぇだろ!」
涙の代わりにシンムは怒りで顔を赤らめる。
スクネ「それも出来ないのなら、この場で殺してやってもいい。最も、どちらにしろ、おまえは何もしないがな」
シンム「冗談じゃねぇ! おれが、絶対、ヤカモチ達の仇をとってやる」
怒りで狂いそうになるスクネの言葉は続く。
スクネ「仇?、何を言う? 何も出来ないのだろ」
シンム「何も出来なかったさ。だけどさ……仇ぐらいは討ってやる!」
スクネ「おまえにはそれも無理だ」
シンム「無理だろうと何だろうと知った事か! てめぇに何が分かる!」
スクネ「タマモとおまえの絶望的な力の差だ」
シンム「それでもだ!。それでも……やる!」
我慢できなくなり、起き上ってスクネに殴りかかった。今度は眉一つ動かさずに、スクネはそれを右頬で受け止めた。そして、言った。
スクネ「なら、今後の方針は決まった。あとは好きにしろ」
真っ赤に充血した目を、シンムは見開く。何事もなかったかのように、スクネは横になっているカグヤの隣に片膝を立てて座った。
そのスクネにタケヒコが深々と頭を下げる。
タケヒコ「礼を言います、スクネ」
空を見上げてシンムは咆哮した。その咆哮は、遥か黄泉のかなたへと届きそうなほどの強さを持っていた。
咆哮を終えると、シンムはいつも通りの表情に戻る。
シンム「姉貴はだいじょうぶなのか?」
タケヒコ「カグヤ様は心配いりません。眠られているだけです」
冷静になって辺りを、シンムは改めて見回した。生き残っている兵士も、民も、不安そうな表情を浮かべている。その表情を見ると、自分の愚かさが胸に突き刺さる。
どうしていいかはシンムには分からない。だから、聞いた。
シンム「とりあえず、これからどうしたら良いと思う、タケヒコ?」
タケヒコ「落ち延びる事です」
シンム「落ち延びるって……どこに?」
タケヒコ「狗奴国です」
その国の名を聞いたシンムの心には、理由も分からない懐かしさがこみ上げていた。