崩壊5
空から木の葉が舞い散る様に降りて来たタマモを、タケヒコは睨みつけた。右手には、いつでも斬りかかれるように天之羽張を握っている。斬りたい対象だけを斬る事が出来る、物質透過の力を持つ天之羽張だけが、タマモの弓矢に対抗できるから。
死を運び込む天女と本気で戦う決意を、すでにタケヒコは固めていた。
タケヒコ「もう隠れていなくてよろしいのですか、タマモ」
タマモ「ふふふ。おめでとう、タケヒコ」
上機嫌にタマモは言った。その意味はタケヒコには分からないし、興味もない。ただ、その態度に腹が立ち、歯ぎしりをしながら無駄だと承知しつつも、タケヒコは問うた。
タケヒコ「……タマモ。あなたに聞いておきますが、今すぐ自らの力を禁じる気はありませんか?」
タマモ「タケヒコのお願いなら聞いて上げたいのだけれど……出来ないわね」
予想通りの答えが帰って来た。それでも一縷の望みにかけ、働きかける方法を変える。脅しを含んだ言い方に。
タケヒコ「今こちらには、スクネもいるにかかわらず、わたし達と戦うつもりですか?」
タマモ「戦い? そんな事よりも喜びを分かち合いましょう。およそ千年ぶりに、全員が一つ所に揃ったのでしょう?」
タケヒコ「すみませんがそんな気分ではありません」
タマモ「あら、残念ね。なら続けるのかしら、この勝負の見えた戦いを?」
タケヒコ「この状況で、あなたに勝ち目があると思うのですか?」
タマモ「ふふふ。勝ち目? 何を考え違いしているのかしら?」
余裕の笑みを浮かべながらタケヒコの周りを、タマモは一周する。散歩でもするかの様に、ゆっくりと、品定めするような視線を投げかけながら。
業を煮やしたタケヒコが言葉を強める。
タケヒコ「タマモ、回りくどい事はもうやめましょう。あなたが止めないというのなら……死んで貰わねばなりません」
タマモ「あら、回りくどかったかしら? それに止めるって何のことかしら、魂魄強化だとしたらお門違いね。あれ、十四年前に初めて使ったのはタケヒコのはずよ」
タケヒコ「確かに……魂魄強化を初めに行ったのはわたしです。それを正当化するつもりも、否定するつもりもありません」
脳裏によぎるのは頭を下げ、伊都国を守る力が欲しいと必死に懇願する男の顔。頭を下げられ、他にやりようがなかったとはいえ、魂魄強化という禁に、タケヒコは手を染めた。
苦い記憶を噛みしめながら、タケヒコは頷いた。
タマモ「そう、いい事ね。前皇太子をあなたが殺した事も認めるのね」
タケヒコ「……ええ。ただし、あの時、あの状況を作り出したのはあなたのはずです」
確かに、魂魄強化を使ったのは、タケヒコも後ろめたかった。それでも、それを望んだ者の意志を、タケヒコは今も覚えている。だから、後ろめたさが多少存在しても、そこに罪悪感はいっさいなかった。
タケヒコ「わたしに精神攻撃は効きません!」
天之羽張を、タマモの言葉を払いのける様に、タケヒコは振るった。それを跳んで避けたタマモがつまらなさそうに言葉を口にする。
タマモ「タケヒコが罪悪に苦しむ顔を見たかったのだけど、残念ね。でも、その精神的に強いところも好きよ」
タケヒコ「あなたに好いて貰いたいとは思いませんが」
第二撃を繰り出そうとしたタケヒコを、一人の男が制止する。その男は童顔に笑顔を浮かべていた。
ミケヌ「お話中悪いですけど。ぼくの用事も聞いて貰えますか?」
先程の呆然としていた時と違い、ミケヌの表情は晴れ晴れとしていた。
タマモ「邪魔……消えなさい! 特別に、壊さないでいてあげるから」
目を向けもせず、タマモは蝿でも追い払うかのように手首を振った。それにも、怒った様子をミケヌは見せない。ただ晴れ晴れとした笑顔で答える。
ミケヌ「やっぱり怒られましたか。だから、先に断りを入れたんですけどね」
晴れ晴れとした笑顔が更に輝く。その笑顔にタケヒコは危うさを覚えた。その笑顔はタケヒコが何度も見て来た表情にそっくりだったから。死の覚悟を決めた者の顔に。
タマモ「壊れたいようね」
吐き捨てる様にタマモは言った。
ミケヌ「悪いですけど、簡単には殺されませんよ。みなさんといっしょに行くつもりです」
笑顔がミケヌから消える。同時にミケヌの手が輝き始める。手には呪が握られ、呪には「八」という文字と「岐」と思われる文字が半分描かれていた。
タケヒコ「ヤマタノオロチ!」
呪から溢れだす光に、ミケヌが包まれていく。
ミケヌ「イヨ様は……ぼくが守ります!」
タケヒコ「やめなさい! それは、そんな呪では……」
止めようと手をタケヒコは差し伸べた。しかし、その手は永遠に届かない。
その呪の名はヤマタノオロチ。巫女において最高の力を持つと言われる女王ヒミコが作り出した火災・落雷・地震・吹雪・病気・乾燥・暴風・洪水の八つの災害を同時に開放する呪、ヤマタノオロチ。開放した瞬間から、すべてに降りかかる蛇の形をした厄災の召喚。
手を差し伸べたタケヒコの目の前で光は消え、ミケヌが倒れる。呪には「八岐」という文字が刻まれていた。呪を使ったミケヌの命をヤマタノオロチは吸い、その魂を封じ込めた。結局、ミケヌが命の代償に得たのは、「岐」の文字の完成だけだった。
ミケヌ「なんで……自分の命も自由に使わせてもらえないのですか……」
倒れる瞬間につぶやいたミケヌの言葉が、タケヒコの脳裏から離れなかった。
タマモ「失敗作ごときが、わたし達の会話に介入した罰ね。ヤマタノオロチは八人分の魂を蓄えないと使えないものなの。そんな事も知らないで……馬鹿じゃないのかしら?」
倒れたミケヌに向かって、タマモは吐き捨てるように言った。
その言葉にタケヒコは嫌悪を込めた怒りをあらわにする。
タケヒコ「そのような言い方は、ミケヌさんに対して失礼です!」
タマモ「失礼、何に対してかしら? まさか、こんな失敗作に礼をつくしてもしょうがないでしょう?」
タケヒコ「失敗作? 先ほども言っていましたが、あなたはまだそんな言い方を? 彼女がすぐ側にいると言うのに?」
タマモ「彼女? あなたの方がその言い方、いますぐ止めなさい!」
至近距離からタマモは矢を放って来た。その矢をタケヒコは天之羽張を振って弾き返す。矢がタマモの頬をかすめて通り抜ける。
タケヒコ「最初に話しましたが、勝負は見えています。わたし達の力は拮抗しています。そして、すぐにでもスクネが駆けつけます。これが何を意味するか、あなたなら理解出来るはずですが?」
タマモ「いいわ。教えてあげる。あなたの言うとおり、勝負がすでに付いている事を……」
懐から首輪になっている紫色の勾玉を取り出すと、タマモはそれを首に掛けた。そして、再び空高くタマモが再び舞い上がっていく。
紫色の勾玉を目にして、思わずタケヒコは声を上げた。
タケヒコ「それは!」
タマモ「これが答えよ。神器……五百之御統之珠」
呆然とするタケヒコの肩を、何者かが掴んだ。
スクネ「何を呆けているタケヒコ。その暇があるなら、おれを急いで投げろ」
我を取り戻し、タケヒコは言われるままにタマモ目掛けてスクネを投げつけた。
加速力を得たスクネが、天之壽矛を構え上昇して行く。好機は一度だけ。五百之御統之珠を使わせるわけにはいかず、飛行呪を準備していない以上、上空のタマモに対して、スクネはほ一瞬でもあるのかないのかわからない好機にかける。
天之壽矛の空間歪曲の力を駆使して、タマモの背後から放った一撃が弓によって防がれる。あきらめずスクネが第二撃を放つが、それも防がれる。
天之壽矛の2撃目を防がれた直後、タマモが矢を放つが、スクネは身体を捻らせて避ける。その拍子に上昇する勢いを失い、スクネは落下を開始した。
タマモ「悪あがきにしかならなかったわね」
タケヒコ「どうでしょうか」
投げつけた直後に自ら跳躍して来たタケヒコが、天之羽張を振るう。好機に掛けた一撃は、タマモを斬り棄てるはずだった。だが、その一撃は別の事に使われる。死角から後頭部に襲いかかって来た矢を落とすために。
タマモ「忘れたのかしら? わたしの天詔琴の力を。わたしが狙いを決してはずさないことを」
跳躍時の勢いを失った二人は、地上へ落下して行く。落下していく二人は絶望の始まりを見ている事しか出来なかった。
両手でタマモがうやうやしく、五百之御統之珠を持って天に向けて掲げる。
タマモ「大神のこと知るそのいみな八尺勾玉なる」
言葉と共に、金色に輝く紫色の後光がタマモを覆う。美しくもある悪夢の光景が上空を覆い尽くす。
二人は歯を食いしばりながら見上げる。悪夢を阻止できなかった後悔の念と共に。
神によって創られた神器、五百御統之珠。この時タマモは神その者となる。金色の紫。神の色の後光を纏ったタマモが、天之羽々矢を左手に取る。神によって与えられた神宝と呼ばれる武具、タケヒコの天之羽張、スクネの天之壽矛、タマモの天之羽々矢。五百之御統之珠は神宝を神の領域にまで引き上げる。天之壽矛ならば無限大の距離で空間歪曲の力が使え、天之羽張ならばあらゆる物質を透過出来るようになる。
神の領域に達した天之羽々矢を、同じく神の領域に達した天詔琴にタマモがつがえる。
タマモ「否なく当のみとなるもの・汝・一にして百万となるもの」
天詔琴と銘付けられた神宝。射た矢に念じた物を追尾する力を与える回避不可能な弓。
五百之御統之珠の力で百万にまで増えた矢を、タマモは天詔琴で放つ。伊都国で命ある者すべてに対して。
タケヒコ「させません!」
地上に降りたタケヒコが再び跳躍しようとする。
スクネ「無駄だ、もう遅い。それよりも出来る事をすべきだ。すべてを失いたいのか」
跳躍しようとしたタケヒコを、スクネは強引に阻止する。そう言ったスクネは、唇を噛み血で濡らしている。同じ様にタケヒコも唇を噛む。二人は後悔を、これから始まる絶望をまぎらわす術を、他に知らなかった。
百万の矢が放たれた。矢は暴雨のように降り注ぐ。その暴雨は意思を持っているかのように、命のある者全てを探しながら降り注いだ。
必死にタケヒコとスクネは走り続ける。音速の領域で走る二人なら、シンム達の下まで一瞬でたどり着く。それが二人に今取り得る最善の策だと信じていた。だが神器の力で神の領域にまで高められたタマモの天之羽々矢は音速を超え、光速の領域に至っていた。光速で迫り来る矢を叩き落としながら二人はシンム達の無事を祈りながら目的地を目指した。
スクネ「数が多すぎるが、カグヤは無事だろう。問題は」
タケヒコ「シンム様……どうかご無事で」
伊都国の至る所で、命のある者を見つけては矢が何の慈悲を見せる事も無く死を与えていく。人も、虫も、動物も、あらゆる者へ等しく、死の事実すらわからないほどに一瞬にして、矢は死を与えた。
矢が降り注ぐ。それは空が落ちて来るかのような光景であった。その絶望を、シンムはその身に訪れる最期の時まで忘れる事はなかった。
空が落ちる光景をシンムは呆然と見上げていた。
シンム「いったい何が起こってんだ?」
呆然とするシンムの上に、何者かが覆いかぶさる。その際に頬についた血のぬくもりを、シンムは生涯忘れない。
ヤカモチ「お二方とも、決して動かれないでください」
そう言ったヤカモチが、シンムとカグヤの壁になるように立ち尽くすと、両手を大きく広げた。矢が次々にヤカモチに突き刺さる。身体で信じられないほどの矢を受けても、ヤカモチは決して倒れない。
そんなヤカモチの最期の言葉は、口から発せられたかどうかはわからない。だがシンムには、確かに聞こえていた。
ヤカモチ「この方達だけは、守り通して見せます」
わめく事も、怒り狂う事も、シンムには出来ない。謝りたいのに、その言葉が口から出てこない。泣く事も、動く事も出来ない。感謝の言葉を口にしたいのに、それすらシンムには出来なかった。
カグヤ「……いや……もう……いやだよ……ぜったい……いやぁぁぁぁぁぁーー」
震えるカグヤの絶叫と共に、辺りいったいが真っ白に染まる。それが伊都国でシンムが見た、最後の光景だった。