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アイナ  作者: 烏口泣鳴
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枯れ落ちる花

 私は視界に映った町へと向けて進み始めました。

 その町を、人を──いえ、全てを滅ぼす為に。


   ☆ ☆ ☆


 町は朝から活気にあふれていた。

 今日は半年に一度の市場が開かれる日。

 遠方から訪れた商人達が品物を並べ、町人達はそれを得る為に貨幣や品物を持って、市場へと詰めかける。

 周りを深い森に囲まれ、最も近い町ですらかなりの距離があり、そう簡単に行き来ができないこの街では半年に一度開かれる市場は非常に重要だ。特に精密な工業製品を手に入れる為には欠かせないので、生活の基盤と言っても差支えがない。

 だからこそ、今日だけは町人のほとんどが仕事を休んで、皆が市場へと詰めかけていた。

 いつもならこの時間は人々が仕事に精を出している為、大通りを歩いていてもほんの数人しかすれ違わない程度だ。しかし、今日だけは大通りを歩こうものなら人や馬の壁に阻まれる。いつもならネズミ一匹歩かない町の端でさえ、市場へと向かう人たちがくるくると忙しそうに動き回っていた。

 町はまさにお祭りだった。町人と商人が入り混じり、陽炎の立ち上る熱気を湧き上げていた。

 来るもの拒まず、得るもの逃さず。次々と入ってくる得がたい品々を迎え入れ、町は最高に盛り上がっていた。

 祭りはあらゆるものを迎え入れる。良いものも悪いものも。

 だからこそ、それは必然とも呼べる偶然が入り込んできたのだ。

 まだ生まれたばかりの、規格外の悪いモノが。


 最初に気づいたのは、町の入口近くに住む女性だった。

 夫は朝の内に、娘はついさっき友人と一緒に市場へと出かけ、彼女だけは残って家事をこなしていた。そしてそれも終了して、自分も市場へと向かおうと準備を終えて出かけるところだった。

 彼女が初めに見つけた異変はうなだれる花だった。

「あら?」

 玄関の横には一つの鉢植えがあった。夫が彼女の為に摘んできた黄色い花で、名前は分からないが可愛らしい花だ。

 昨日までは元気だったその花が、今日になって突然倒れそうになるほど力無くうなだれていたのだ。

 彼女は慌てて鉢植えに駆け寄ると、持ち上げて調べ始めた。

 しばらく、花に萎え以外の異常がないか調べたり、土の状態を確認したりしてみたが、どこにも異常はなく、何の問題も無かった。

 間違った育て方はしていないという自信はあった。毎日本を読みながら丁寧に育ててきたのだ。育て方が悪かったから元気がないというのはあり得ない事だと思う。

 それでも花に元気がないという事は?

 すぐさま嫌な予感に行きついた。

 ──何かの病気かもしれない。

 しかし、例えそうだとしても彼女にはそれを治す為の知識も道具も無かった。

 畑仕事であれば、除外してしまえばいいが、夫が摘んできてくれた花に対してそんな事をしたくはない。夫なら許してくれるだろうが、それでも彼女は嫌だった。

 町の中で植物に詳しい人はいただろうか?

 作物に関して詳しい人は多いが、野花の病気に詳しそうな人は思いつかない。

 そこでふと気が付く。

「行商人の人達なら」

 今なら様々な商人が来ている。中には植物を扱う商人もいるだろう。そういう人なら対処法も分かるだろうし、もしかしたら薬も買えるかもしれない。

 そんな希望を持ちながら、彼女は鉢植えを持って市場へと向かおうとして──

 彼女の視界の端──町の入口に理解できないモノが立っていた──気がした。

 市場へと体を向ける直前、入口に全身が白い人の形をしたものが見えた様な気がしたのだ。それは一瞬の事ですぐさま背を向けてしまった為にはっきりとは断言できない。見間違いかもしれない。各地を渡り歩く商人の中には変わった格好をする人もたまにいる。今見えたモノはその類だと思って、彼女は一拍置いて落ち着いた後にもう一度、入口へと目を向けた。

 そして──驚愕と共に声を失った。

 そこには巨大な狼が立っていた。人と同じかそれ以上の背丈を持ち、硬質な毛並みに覆われた一匹の狼が、狼の姿をしているにも拘らず人の様に自然な二足歩行で、まさしく立っていた。

「…………え?」

 思わず疑問が漏れだした。

 もしかして目の前にいるのも行商人なのだろうか?

 そう思いたかった。目の前にいるのは狼の皮を被ったただの人間だと。目の前にいるのはただの人間で危険なんかないと。例えそれが明らかに人のそれではないと分かっていても。

 しかし、その願いは次の瞬間に打ち砕かれる。

「────────────────────ッ!!」

 狼が天空に向けて上げた巨大な咆哮を上げた。

 ただのそれだけで彼女には目の前にいるモノはどうしようもなく危険な化け物で──自分は死ぬと悟らされてしまった。

 その吼え声が彼女に特別何かをしたわけではない。

 ただその音を聞いた瞬間、彼女の脳裏にまざまざと植えつけられたのだ。抗いようのない破滅を。

 その咆哮は例えるなら地獄。ただ発するだけで他を滅ぼす様な、死を知らしめる地獄の音声。

「……あ、ああ」

 信じられなかった。いや、信じる事が出来なかった。

 目の前の異常な光景に頭がついていかない。

 恐怖に怯えて体が動かないという前に、思考が震えて動かない。

 だから彼女は、震えながら化け物を見ている事しかできなかった。確実に迫りくる滅びをただ見ている事しかできなかった。

 化け物が一歩踏み出した。

 二歩三歩と歩を進め、少しずつ彼女へと近づいていく。

 彼女は逃げられない。心も思考も動かずに、足も麻痺をしたように動かない。

 その時、彼女の足元でガシャリと音がした。

 彼女が震えながら足元へ目をやると、そこには鉢植えが落ちていて、花と土と共に散らばっていた。

「──あ……」

 彼女は考える間もなく、反射ともいうべき反応で散らばった花を拾おうと屈みこんだ。

 そこに化け物の足が振り下ろされる。

 彼女が手を伸ばすよりも先に花は狼の足によって踏み潰された。

「…………」

 それに対して彼女の心は何の動きも見せなかった。

 ただ、足をどかさないと花を助けられないなぁ、などと見当違いな事を思いながら、狼の足へと手を伸ばす。

 そして──彼女は蹴り飛ばされた。

「ごふっ」

 妙な声と共に肺の息を吐き出しながら彼女は蹴り飛ばされ、中空を飛んで二軒先の玄関前まで吹き飛ばされた。

「ご、ぼぇう」

 口から血の塊が吐き出され、地面へと飛び散った。

 それでも彼女の心は動かない。痛みすらも感じない。

 自分がいた場所に──さっきまで花が落ちていた場所に目を向ける。

 そこに花はなかった。その場所は白く変色しているだけで、もう何も残っていなかった。

 化け物が素知らぬ顔で彼女の横を通り過ぎる。

 彼女はその足元が白い灰に変わっているのを見た。そして理解する。

 ──ああ、花が灰になっちゃった。夫に謝らなくちゃ。

 この期に及んで彼女はそんな事を考えていた。

 彼女のもとに周りから人が集まってくる。何人かは化け物を追いかけていった。

 その光景を見ながら彼女は思う。

 ──そっか。私も家族もこの人達も町の人達も商人の人達も、そしてこの町も、みんなみんな滅んじゃうんだ。

 何の情動も湧かずに、彼女はぼんやりとそう思った。

 そして口から再度血を吐き出しながら、ゆっくりと目を閉じた。

 これから起こる滅びから目を背ける様に。


   ☆ ☆ ☆


『それ』はなんの躊躇いもなく、崖の上から飛び降りた。

 人が落ちればへばり付いてしまう様な高さから平然と飛び降りて、『それ』は衝撃音と共に着地する。低木が折れ、土が舞い、『それ』へと纏わりつくが、すぐさま灰へとなり変わり、風と共に流れ去った。

 舞い散る灰に目もくれず、意思から乖離した身体は前方にある町を見つめていた。

『それ』の意識は心の中で首をひねる。一体この身体は何がしたいのか、と。

 この町を見つけてから体が言う事を聞かなくなったのだから、ここに何か目的があるのだろうか。

 あれこれと体の目的を考えてみるが、考えた所で分かるわけもない。なにしろ身体は自分とは離れてしまったのだ。自分以外が考えている事を予め知るなど無理な話だ。

 そんな事を考えていると、『それ』の身体が町へ向かって歩き出した。

 走ればすぐに着く距離なのに、なぜか『それ』はゆっくりと歩いて向かう。

 まるで殺人鬼がじわじわと獲物に近寄るように。


 町の入口に着くと身体が止まった。

 前方には彼方まで続く大きな道が広がっていて、その上に沢山の人や馬が詰めかけていた。粒の様に見える人や馬は何が楽しいのか、押し合いへしあいをしながら大通りの上に集まっている。

 押し合いをしている場所まではまだ距離はあるが、身体はあの中へ行こうとしているのかもしれない。

 そうだったら身動きがとれなそうで嫌だな、と『それ』は考える。


 その時、道の横にある建物から人が出てきた。

 その人は建物の前に咲いている花を持って、体を反対側に向けた。と思ったら、今度はこちらに振り向いて固まってしまった。

 なんだろうと思っていると、急に大きな音が響いた。この町の端まで届いたのではないかと思ってしまうほどに大きな音だ。

 一拍考えてから、それが自分の口から発した音だと気づいた。そして、口から吐き出された音には敵意が入っている事に気がついて恐ろしくなった。敵意というのは少し違うかもしれない。どちらかというと獲物に対して吼えるような、優越感を含んだような音だ。

 これは少しまずい。これを聞いた生き物はこちらを敵と認識してしまう。逃げてくれるならいい。しかし、もしも襲ってきたら、こちらが殺されてしまうかもしれないのだ。

 ただ、目の前の人は相変わらず固まっていた。逃げる素振りも襲ってくる様子もない。あるいは仲間が来るのを待っているのだろうか。だとするとここに止まっているのは危険だ。殺されてしまう。いますぐに逃げるべきだ。

 しかし心とは裏腹に、身体はその場から一歩踏み出した。目の前の人に向って、その後の雑踏に向けて。二歩三歩と歩を進める。このままいけば間違いなく、前方の混雑へと向かう事になるだろう。あれだけの数に戦いを挑んだらきっと殺されてしまう。

 そこでふと思いついた。いくらなんでもそこまで何も考えずに動いてはいないだろう、と。

 もしかしたらここにいる生き物たちは、こちらの仲間なのかもしれない。それならば身体があの雑踏に向かっている理由も、あの吼え声を聞いても目の前の人が何もしない事も分かる。争う必要がないからだ。

 その正しさを示すように、目の前の人はこちらが近寄ってもなんの反応も示さない。こちらをじっと見つめてくるだけだ。

 突然、ガシャリと音が響いた。

 なんだろうと思う間もなく、続いてグシャリと音が鳴る。

 そして、『それ』の眼に蹴り飛ばされた人が映った。それを契機として、建物の中から様子をうかがっていた人が俄かに色めき立つ。

 ──仲間なんじゃないの?

 一気に不安が広がる意識を余所に、身体は相変わらず気ままに歩いていた。

 その先にある市場へと。一番人が集まっている町の中心地へと。

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