幕間
アイナが心付くと、飛行機に乗っていた。飛行機は初めての事で、窓の外を見ると下に雲が走っていた。周りを見ると、見慣れない人が起き抜けのアイナを優しく見つめていた。傍らの青年が、周りは全て仲間だから安心して良いと言った。
全てがどうでも良かった。
家族が消えた。故郷も消えた。思い出も何もかも消えた。
優しくしてくれた父親の友人も消えた。唯一の生きる目的と定めた仇も消えた。
何もかもが消え去った。
もう何もかもがどうでも良くなった。何も考えられる何も出来ず、ただ体に備わった自動的な生存機能のみが働く屍になった。
生きる事も死ぬ事もどうでも良くなった。だから死のうとも思えなかったし、生きようとも思わなかった。
どうでも良くて、ただ虚空に目を向けていた。けれどその眼は何も見ない。
日本に着くと、新しい家族が迎えてくれた。
アイナの境遇を慮って静かではあるけれども、はっきりとした好意と熱意をもって、新たな家族はアイナを迎えた。
どうでも良かった。
何の反応も示さないアイナを見て、新たな家族は心を痛め、同情して、アイナを幸せにしなければならないと誓った。
傍からもその決意は見て取れて、アイナもそれを感じとった。ありがたい事なのだろうと思った。
どうでも良かった。
やや年上の女の子と年下の男の子に挟まれて車へと向かった。アイナの隣に寄って来た二人は終始ぎこちない気遣いをアイナに寄せた。二人の不器用なお節介に労わられながらアイナは集団の中心で守られる様に歩いた。後ろでは、年配の男女がアイナを連れてきた者達に礼を言い、そして死んでいった者達に対して静かに弔いの言葉を捧げていた。
どうでも良かった。
屋敷に着くと更に多くの者に迎えられた。使用人の服装はお城とは大分違ったが、中にはかつての使用人達と歳の近い者も居たし、何より皆の髪や肌の色が父親やサクラと同じで、アイナは昔の幸せだった日々を思い出した。
どうでも良かった。
アイナは案内された部屋に入って、布団の上に座ってじっと虚空をぼーっと見つめた。ここがこれからあなたの部屋だからと言われたが、何の反応も返さなかった。見つめ続けた。それから半年、アイナは廃人となって虚空を見つめ続けた。定期的に運ばれる食物を世話する人間の為すがままに摂取し、決まった時間になるとお風呂に運ばれて為すがままに洗われ、おむつや衣服を替え終わると脱力したまま、また運ばれて、そうして布団の上で虚空を見つめた。
時たま、家の中を回ったり、庭を散策したりした。全て完全な脱力の元、人の手に支えられて引きずられ、抱きかかえられ、運ばれる事でそうしていた。アイナの部屋には入れ替わり立ち代わり人が訪れ、家具調度小物が次々と入れ替えられ、多くの医者が診断に来た。新たな家族はとにかくアイナを治そうと懸命に努めた。
どうでも良かった。
幾ら献身的に接してもアイナの無反応は変わらない。流石に皆の間に疲労がたまっていった。だが誰もが投げださずにアイナを構い続けた。交代でアイナの世話をして何とか元気になって貰おうと献身した。
どうでも良かった。
本を読んだり話をしたり外に連れ出したり運動をさせたり、様々なリハビリを行うも一向に治る気配が無い。どうしたものかと頭を悩ませていた時に、アイナの故郷から荷物が届いた。
今迄はアイナに事件の事を忘れてもらうとしていたが、一向に良くならないので、それならばとアイナの家族を思い出させる品を探させた。もう城の跡地には何も無くなっていたので、鬼藤の小屋からアイナの両親が映った写真とアイナの父親が使っていた鞭が送られてきた。
少しでも反応があればと、両親の写真をアイナの前にかざした。
どうでも良かった。
アイナの無反応は変わらない。鞭を見せてみた。
どうでも良かった。
やはり反応しない。
息を呑んで事の成り行きを見守っていた多くの家族は嘆息して、一人また一人と部屋を下がっていった。
ふと一人の家族が試しに手の上に鞭の握りを載せてみた。するとアイナはそれを握って大きく振った。鞭をアイナの手に載せた者が叩かれて、倒れ込んだ。痛みに顔を顰めたが、内心ではアイナが反応を示してくれた事を喜んだ。俄かに部屋が騒がしくなった。すぐさま他の家族が呼び集められて顛末を聞かされ、そうして皆で喜び合った。
どうでも良かった。
それからのリハビリは少しずつ効果が上がり始めた。始めの内は鞭を握らせるだけに終始した。アイナは鞭を持つと大きく振るって部屋を滅茶苦茶にした。だがすぐに使用人たちが修理をして、また壊されてもまた直した。
やがてアイナは鞭を持っている時だけ自分で動く様になる。日常生活を送れるようになる。アイナは鞭を握る間だけ過去を幻視した。鞭を握っている間だけ過去を思い出し、その通りに行動した。だから日常生活は送れたが会話だけはどうしても成り立たなかった。歪な自立行動だが、はたから見る分にはかなりの回復に見えた。
やがて日常生活に支障をきたさなくなって、日本に来てから二年目に中学校に行くようになった。相変わらず無口なままだが、それでも友達が出来て、そしていくつかのきっかけがあって、アイナは遂に自意識を取り戻す。自分の心を取り戻す。
やがて鞭が無くともアイナは一人で生きられるようになった。面はゆい程優しい周囲に感謝し、同じ様に優しかったかつての家族を思い浮かべ、そうして生きる様に切望された事を思い出して、アイナは生きる目的を考えた。少し考えて家の再興を思い立つ。何をすればいいのか。何をもってして再興となるのか。全く分からない暗中模索ではあったけれど、その困難さが生きる目標に相応しく思えた。その目標を胸にアイナは生きる。
やがて中学を卒業し、高校に入り、新たな友達を作り、そこも卒業して、今の大学へ入る。そうして島の冒険に参加し──。
それらは全て別の話。




