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アイナ  作者: 烏口泣鳴
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あまりにも唐突な別れ

 外からのざわめきと衝撃音に怯えながらも、お互いの存在に支えられて何とか平静を保っていたセシルとアイナは部屋に近付いてくる足音を聞いて息を潜めた。

 きっとサクラだ。サクラが戻って来てくれた。期待する心はそう色めき立つのだが不安に思う心は、きっと敵だ、あの黒い影がやって来たんだ、そう怯えだした。

 やがて壁に扉がじわりと滲み、ゆっくりと開かれ、扉の向こうからサクラが現れた。期待の心が的中した事で、二人は笑顔になって喜び勇んでサクラを迎えた。

「お帰り、サクラ!」

「どうだった? 説得は出来たんでしょ?」

 だが黙ったまま沈鬱な顔をしているサクラを見て、二人の心にまた不安がやって来た。

「どうしたの、サクラ?」

「この辺り一帯は消滅します。アイナ様、お逃げください。賊徒に侵入され、追い返す事は困難。地下の資料を他者の手に渡し悪用させてはならない為、資料と賊徒ごと辺り一帯を消し去る事が決定しました」

「何だよ、それ」

 困惑するアイナとセシルを無視して、サクラは厳然と言った。

「旦那様からの言伝にございます。アイナ、状況は逼迫している。君だけでも逃げてくれ。僕達はこの地に縛られているが、君だけは外に出られる。ここは消滅する。テイラー家の使命もまた名実共に消滅する。だがテイラーの名が消える訳じゃない。今日を以って君をテイラー家の当主とする。君だけでも生き残ってくれ。なに、テイラーの使命は消えるが、君の家族が消える事は無い。君が憶えていてくれる限り。以上です」

 言伝を聞いて、アイナはしばらく黙り込んでいたが、やがて爆発した様に叫んだ。

「何だよそれ! みんなを見捨てて私だけ逃げろって言うのか?」

「端的に言ってしまえばその通りです」

「嫌に決まってるだろ! みんなを見捨てる事なんて出来ない!」

「ですがこの辺り一帯は消失します。そうしなければならないのです。そしてアイナ様以外の者はその範囲から逃れる事は出来ません」

 酷く事務的な様子で滅びを告げるサクラにアイナは必死で縋る。

「なんで消滅させなくちゃいけないんだ? 別に良いじゃないか、あんな資料。どうせ必要ないんだ。あの黒い奴等の目的がそれなら渡してやれば良い」

「恐らく目的は違うでしょう。旦那様によれば復讐だろうとの事です。ですが資料を奪う事も復讐の一つであろうとも言っていました。そしてあの資料が外に出ると世界が壊れてしまう可能性があります。それだけは防がなくてはなりません。賢いアイナ様でしたら、世界とこの場所、どちらか選ばなければならないなら、どちらを選べばいいのかは分かりますよね?」

「分からない! 嫌だよ! みんなと離れるなんて絶対に嫌だ! 消えるっていうならそれでも良い。私も残ってみんなと消える!」

「アイナ様、分かって下さい。みんなあなたに生きて欲しいのです」

 泣き出しそうなアイナを見て、サクラの心が揺らいだ。このまま冷徹に突き放して名残を感じる間もなくこの場を離れてもらおうと思っていた。けれど伝えたくなった。自分が、いや、自分達が如何にアイナを愛しているかという事を。

「アイナ様、私達はアイナ様がやって来てからとても幸せでした。それまでこの城は何処か事務的で閉塞的な雰囲気に閉ざされていたのです。それはやはり過去の事件があったという事もありますし、奥様がお子様を産めなくて緩やかに滅んでいく未来が見えていたという事もあります。平和な日常であるのに、何だか息苦しくて、みんなそれを忘れようとしているかの様に、同じ様な日常を淡々と歩んでおりました」

 アイナはサクラが何を言いたいのか分からなかった。

「そこにアイナ様が来てくれたんです。私達の未来への希望。無邪気な笑顔は辺りを明るく照らして下さいました。私もアイナ様と一緒に過ごす毎日が楽しかった」

 サクラが夢見る様にアイナを見つめた。アイナもまた楽しかった日々を思い出す。

「ですからね、アイナ様、あなたは私達の希望なのです。みんなみんなアイナ様に生きて欲しい。例え何を犠牲にしてでもアイナ様には先に進んでほしいのです。アイナ様逃げて下さい。私達が得られなかった明るい未来を得る為に」

 アイナは胸に痛みを感じて顔を顰めた。楽しかった日常が思い起こされる。そして更に続くであろうと想像していた未来の日常も思い出す。けれどそれは全て幻想になって、今アイナの先に示されたのは家族の居ない冷たい現実。そんな未来を選べと言う。それを選ぶのが幸せだとそんな事を言う。

 サクラの言葉が本心からの真心であり、逃げるように言っているのがアイナの事を思っての言葉であり、そしてサクラ自身の幸せの為でもあるという事は分かった。だからサクラの為を思えばここは逃げるべきなのだろうというのは確かに分かったのだが、それでも──

「サクラは私とずっと一緒に生きて行くって約束した」

「アイナ様、確かにそれは……いいえ、アイナ様。アイナ様が私達の事を憶えていてくれれば私達はアイナ様とずっと一緒に生きられるのです。ですからお願いです、アイナ様。逃げて、そして生きて下さい」

 アイナが尚も反論しようとするが、それをサクラが止めた。アイナの手をそっと握り、その温かさにアイナが口を噤むと、サクラは微笑んで手を仄明るく輝かせた。

「アイナ様、受け取ってください。私の力です。何かを癒す力。私の中でただ一つ誰かの役に立つ力」

 アイナの手がサクラの手を握り返した。握りしめられて、サクラは思わず涙が出そうになったが、それを意識して抑え、アイナの手を更に強く握った。

「アイナ様の魔力はとても親和性が高いって言いましたよね。だから私でも、こんな私の力でも受け入れてもらえるんです。もらえたんです。同じ様にこれから行く先で出会う方々ともすぐに仲良くなれるでしょう。だから安心してください、アイナ様。祝福されたアイナ様が進む道の先には希望が待っているんですから。その中で今渡した私の力を使ってくれると嬉しいです。その時に私の事も思い出してくれるともっと嬉しいです」

 アイナの顔が泣き出しそうに崩れ始めた。サクラは自分の言ってしまった事が残酷である事に気が付いて、目を伏せた。

「駄目ですね、すみません。でも、最後の最後に我が儘を許して下さい。アイナ様、決して私の事を忘れないでください」


 アイナがそれに答えるよりも先に、部屋の壁が乱暴に壊された。煌めく光刃が走る。三人に届く前にサクラが全て叩き落とした。

「別れすら満足にさせていただけないようですね。無粋な方々です」

 サクラが全身から殺気を立ち昇らせて壁の向こうに現れた黒装束の賊徒を睨みつけた。

「セシル、アイナ様をお願いいたします」

 そう言って、サクラは素早くセシルの耳元に口を寄せ、何かを呟いて札を渡した。そのまま視線をアイナへと滑らせ、にっこりと笑う。

「アイナ様、私はアイナ様を愛しています。こんな私なのにこんな素敵な気持ちを抱かせてくれて、ありがとうございました、アイナ様」

 そう言ってアイナに背を向けて、サクラは賊徒と向かい合った。

「ちょっと待ってサクラ!」

 アイナが叫んでサクラへと手を伸ばすが、それよりも先にセシルがアイナの体を抱えて、賊徒とは反対の壁へと跳躍する。ぶつかる寸前に壁に黒い穴が開いた。

「嫌だ! やだよ、サクラ! 一緒に!」

 壁の黒い穴は閉まり、アイナの言葉は途中で途切れた。部屋に残されたサクラは薄く笑って天井を眺めた。白い天井に今迄の日々が浮かんでは消える。始めに得た生はとても苦しかった。その後に得た居場所は酷く乾燥していた。けれど、その後に得た人生はなんて幸せだったんだろう。そう噛みしめて、薄く微笑み、視線を下げた。賊徒が刃物を持ってこちらへと向かってくるところだった。

「アイナ様、ご無事で」

 そう呟いてサクラは全身を膨らませる。荒々しく尖った体毛が全身を覆い、抉られた部分にも体が生えて、禍々しい人狼となってサクラは笑う。

 これが自分の使命だ。この城を守る用心棒、もしもの時の為の自爆装置、その為に生きてきた。それは生きる為に仕方が無く認めた使命だったけれど、それがアイナ様を、そしてこれからアイナ様が生きる世界を守る為だというだけで、どうしてこれほどまでに嬉しくやりがいのある幸福に変わるのだろう。


 暗い道をセシルはアイナの手を引いて走っていた。光のまるで無い暗い道に二人の靴音が大きく響く。暗いとは言っても二人は魔術に因って夜目を得ていたので、視界が黒く塗り潰される事は無かった。どちらにせよ一本道で迷う事など無いのだが、走る事が出来るのは大きかった。

 背後からは敵が迫って来るかもしれない。だからとにかく逃げなくてはならない。それに時間が来れば辺りは消滅する。急がなければならない。二人は必死で走った。

 セシルの予想に反してアイナは文句も言わずに走ってくれた。てっきり自分も残ると駄々をこねるかと思っていたが、泣きじゃくってはいるものの懸命に足を動かして境界の外を目指してくれている。

 それで良い。アイナが消えるなんて嫌だ。自分自身も消えるのは嫌だ。けれど自分が消えるのは仕方が無いと諦めた。だがアイナが消えるのは駄目だ。それだけは命に換えても避けなければならない。だからアイナが素直に走ってくれるのは助かった。

 しばらく二人は無言で駆けた。靴の音とアイナのすすり泣きだけが暗闇に響く。

 そうして、そろそろ境界かなと考えていた時に、セシルは何かにぶつかって跳ね返された。アイナとセシルの手が離れ、アイナだけが先に進んで、セシルと離れた事に気が付いて、振り返った。

「セシル、どうした? 疲れたのか?」

「違うの。ここが境界」

 セシル達従者は境界の外に出られない。アイナを送るのはここまでだ。

「それじゃあ、アイナ、私はこの先へ行けないから、あとはアイナだけで逃げて」

 せめてアイナを不安にはさせまいと精一杯笑って手を振った。そのまま逃げてくれればと思っていたが、セシルの望みに反してアイナは泣きそうになりながら近寄って来た。

「駄目だよ、セシル。やっぱり嫌だ」

「アイナ、駄目だよ」

「やだよ、セシル。私も残る。みんなと離れるより、みんなと一緒に消えた方がよっぽどマシだ」

「駄目。アイナは生きなくちゃ駄目なの」

「外の世界になんか行きたくない」

 アイナは俯いて言った。セシルはずっと外の世界に行きたいと願っていたが、この時だけは外を拒むアイナの心が痛い程分かった。それでも肯定する訳にはいかなかった。

「外の世界も面白そうだよ。いっつも外の世界に行きたいねって二人で言ってたじゃない」

「それはセシルやみんなと一緒に行きたかったんだ。一人でなんか嫌だ」

 セシルはどうして良いか分からなくなった。何とか説得してアイナを一人で行かせたいのだが、上手い言葉が浮かばない。しばらく頭を悩ませたが結局何も思い浮かばなかった。

「ねえ、アイナ」

「なに?」

「また今度ね。バイバイ」

「嫌だって言ってるだろ」

 その瞬間、アイナは後ろに物凄い勢いで引っ張られ、一気にセシルから引き離された。サクラから預かった札で生み出した獣がアイナを優しくくわえて運び去っていく。

 すぐにアイナの姿が見えなくなったのを確認して、セシルは境界という名の見えない壁に寄りかかって座った。アイナが無事に逃げてくれればと心から思う。あとどれくらいで私は消えるのだろう。

 天井を見上げた。石で出来た平坦な天井だが、セシルにはその遥か先にある青空が見えていた。ずっと外の世界に行きたいと願っていた。けれどそれは叶わないと知って、それでも外に行きたかった。そうしてこう思った。横が境界で区切られているなら上に行けば良い。空の先へなら自分も行けるのではないか。そう考えてから、空の先へ行く方法をあれこれと考えた。スペースシャトルとその発射台を作ろうと旦那様に陳情した事もある。当然の様にそれは却下されて、結局空の先へ行く方法を得る事は出来なかった。

 外に出る事は叶わなかった。今日を以って、外に出る為の試行錯誤も、出たいという思いも、全て消滅する。それは寂しい事であったけれど、悲しくは無かった。自分の代わりにアイナが外へと旅立った。そう思うだけで、何だか嬉しくなって、空を見つめたまま笑って呟いた。

「頑張れ、アイナ」

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