それはいつも通りの日常
「首尾は上々だな」
忍び装束を着た集団を背後に従え、その集団のリーダーは眼前に広がる光景に目を向けた。
中央に大きな焚火が灯った広場に集まる人々。町に住むほぼすべての人間がこの広場に集結していた。当然それだけの人数ともなると広場だけでは収まらず、その周りへと広がる道までもが埋め尽くされていた。
現在、夜も半ば。祭りが佳境に入る時間だ。まさにメインイベントを心待ちにした群衆といった感じだがそこには違和感が存在した。それだけの人数が集まっているというのに、異常な静寂に包まれていた。薪の爆ぜる音以外の一切が消失してしまったかのように、話声が全く聞こえなかった。その場に集まった町人全員が月と炎に照らされて光る眼を前に向けて、ただ何をするでもなく立ち尽くしていた。さらに言うなら前に向けられた瞳は全て虚ろで、まるで感情がこもっていなかった。夢でも見ているかの様に。あるいは魂を抜かれてしまったかのように。
「他の班も順調に事を進めているそうだ。他の班はこれから夜を徹してここに集まる。それを待って、明日の朝に攻め込む。それまで暇だが、警戒は怠るなよ」
そんな群衆を無感動な目に映しながら、リーダーは背後に控える部下達へと振りむいた。
集団の中で最も若い青年は、目の光景を気味悪そうに見ながら、不安の込められた声でリーダーへと尋ねた。
「大丈夫なんですかね?」
「ん?」
リーダーはその言葉の意味について考え、結局分からずに聞き返した。
「どれがだ?」
「それは……まあ、色々不安はありますけど──とりあえずこの薬についてです」
青年は酒瓶に入った液体を手に持ち、振って見せた。その中に入った液体は世間には出回っていない特殊な薬品で、つい数時間ほど前まで酒と偽って町人達へと配っていたものだ。そして現在、薬を飲んだ人々がこの場に集まっていた。
リーダーは酒瓶を一瞥した後、再び群衆へと目を戻し、口を開いた。
「少なくとも俺達を嵌める為の罠だって可能性は少なくなったな」
「じゃあ、まだ完全には依頼主の事を信じてないんですね?」
依頼主という言葉にリーダーは一瞬殺意を向けたが、すぐさまその感情を抑制し、その瞳に再び無感動を映しだした。
「昼間に言っただろ。奴は裏切り者だ。何があろうと信じられん」
「大丈夫なんですかね?」
先ほどと同じ質問だ。
リーダーは溜息をついて、同じやり取りを繰り返した。
「だから、どれがだ?」
「今度は俺達が、です」
「どうだろうな。…………任務自体は大したことない。ここらに住む奴らに薬を飲ませるって任務は終えたし、後は統治してるド偉い魔術師様とやらを殺るだけだ。それも万を超える数で押しかけ、裏から俺達が動けば簡単にすむだろう。だが不安な要素も多い。可能な限り慎重にやってきたが、根本的な情報が信用できないからな」
「……そうですか」
青年は青ざめた顔をうつむけた。
「どうした? 心残りでもあるのか?」
「え、いえ、別に」
青年が焦ったように首を振って否定した。任務を前に未練が残っているなどと言ったら怒られると思ったからだ。
だが周囲からの反応は青年が思っていたのとは全く違ったものだった。
「お前、恋人の一人や二人いないのか?」
「てか、前の祭りん時にいい雰囲気になってなかったか? ほら隣村の」
「ああ、山田んとこの娘さんだな。おい、どうなんだ?」
何のことか分からないという態度を示しておけばいいものを、急に変化した場の雰囲気に虚をつかれ、青年は思わず口を滑らせてしまった。
「別にあいつとはそんな関係じゃ……」
言ってからしまったと感づいた。だが時すでに遅く、周りから冷やかしの声と口笛が鳴り響いた。
「ちょ、止めてくださいよ。そんなんじゃないですから。ホントに」
青年は必死に否定しているが、周りは始めから青年をからかうつもりだったので、火に油を注ぐ結果にしかならない。
狼狽しながら否定し続けている青年を横目に、リーダーは溜息をついた。
不安は人を饒舌にする。否定の言葉を繰り返す青年もその周りで軽口を叩いている者も、皆この任務に対して多かれ少なかれ不安を感じているのだ。この班の中に今回の任務に対して不安を感じていない者はいない。当然自分も。
家で帰りを待っている妻と息子の顔が浮かんだ。だが任務中である事を思い出してすぐさまその想像を振り払った。
清々しい朝だった。柔らかな陽光、すみ渡った空気、軽やかな鳥の囀り。それもあったが、何よりも清々しい気持ちにさせたのは、期待感に溢れる心だった。
これから生まれて初めてと言える明確な反抗を行う。それに対する期待とそれに伴う不安がアイナに心地よい高揚を与えていた。
ベッドの上で起き上がり、顔の前にかかった髪をはらった。
「んっ」
頭にかかるぼんやりとした倦怠感を払うために大きく伸びをして、部屋に据えられている柱時計に目をやった。まだサクラがやってくる時間には早い。
どうせサクラが起こしに来るのだし、二度寝でもしようか。そう考えていると、突然ノックの音が鳴り響いた。
まだサクラが来るには早いけど。首を傾げながら、聞こえてきたノックに対して返事を行う。
「どうぞ」
「失礼します」
部屋に入ってきたのは、サクラだった。にこやかな表情でカートを部屋の中にいれ、ぞんざいな仕草で後ろ手にドアを閉めた。
「今日はいつもより早いんだね」
不思議そうにアイナが言った。実際、いつもサクラが起こしに来る時間までは三十分以上の余裕があった。
一瞬言葉に詰まったサクラだったが、すぐに満面の笑顔を浮かべた。
「ええ、アイナ様が起きた様な気がしたものですから」
「え! 分かるんだ!」
「はい。もう五年もアイナ様に付き添っていますので、それぐらいの事は」
「そうなのか」
アイナは感心した様子で頷いた。アイナが起きる直前までじっくりとその寝顔を堪能し、起きそうになったので慌てて部屋から出ていった狼藉者がいる事を、アイナは知らない。
「そうなのです。それはそうとこちらにいらして下さい」
サクラはテーブルの側に立ち、手招きをして見せた。導かれる様にしてアイナがテーブルへと歩み寄り、傍らの椅子をひいて腰掛けた。
「さっき厨房へ赴き、急かしつけてつくらせた朝食です」
「それは……料理番の方々には申し訳ない事を……」
「いえ、あそこにいる者達は料理を作る事が仕事ですから。当たり前の事ですので、アイナ様が気に病む事はありません」
サクラはてきぱきとした動作でカートに載せられていた料理をテーブルの上に並べた。
「軽食といった感じで申し訳ないのですが……」
相当急かしたようだし、仕方ないよなぁと思いながら、並べられていく料理へと目を向けた。確かに時間がかかりそうな料理は少なかった。だが、それでもフレンチベースの立派な朝食が並んでいた。これに不満を唱えては罰が当りそうだ。
「まあ、私は食べられればなんでも……」
そう言った瞬間、サクラがすごい剣幕ですごんできた。
「いけません! しっかりと舌を肥やして、一流の味覚を身につけなければ」
「そう言われてもなぁ。そもそも一流の味覚って何?」
アイナは根本的な疑問を口にした。どうせ答えられないだろうと高をくくった質問だったが、サクラは何を当り前なといった表情でその質問に答えた。
「全ての料理を美味しいと感じつつ、その場の雰囲気に合わせて味の良悪を語れる事です」
「まあ、それが出来ればね」
サクラが高すぎる理想を唱えるのはいつもの事だ。アイナもいつも通りサクラの言葉を受け流す。サクラもそのやり取りには慣れているので、気にせず椅子をひいてアイナの向かい側に座った。
昨日の内から二人は一緒に朝食を食べようと約束していたのだ。
「懐かしいですね、アイナ様。二人だけで朝食を食べるなんてアイナ様がこの家に来たばかりの頃以来です」
「そうだね。あの時は怖かったなぁ」
「むぅ」
落ち込みかけたサクラを見て、アイナは笑って手を振った。
「冗談だよ。それよりたまにはいいもんだね。二人でっていうのも。なんだか決まり事を破ってるっていうのもドキドキするし。反逆した甲斐があったってものだ」
やっている事は朝に行う挨拶と家族の団欒を抜いただけだ。言ってしまえばその程度の事へ禁忌を感じているあたりに、サクラは可愛らしさと初々しさを覚える。
朝食をとりながら、二人にとって緩やかで楽しい団欒が続いた。
食事が終わるとサクラは名残惜しそうに退出していった。ほどなくして衣装を持って帰ってきた。
「アイナ様、お味の方がいかかでしたか?」
「美味しかったよ」
「そうですか。それは作った甲斐があったというものです」
サクラが嬉しそうに笑った。
「ん? サクラが作ったの?」
てっきり料理番が作ったのかと思っていた。
確かにサクラは料理も作れる。というか基本的になんでもこなせる。なので決しておかしい事ではない。
「いえ、そう言う訳ではありませんけど」
じゃあ、なんでまるで自分の手柄の様に喜んでいたんだろう。そう疑問に思ったが、ともすれば責める様な印象を与えてしまうため、聞くのはやめておいた。何よりサクラのニコニコとした表情を崩したくなかった。
「さて、お着替えをいたしましょう。今日は大切な日ですから、しっかりおめかししませんと」
サクラは持っていた衣装をベッドの上に並べると、その中から一枚のドレスを持って、微笑んだ。
「では会場へと行きましょうか」
私をめかし終えたサクラはそう言って戸口へと向かった。
その言葉にアイナは首をかしげた。
「あれ? サクラは着替えないの? いつもはサクラも着飾ってたのに」
アイナの問いにサクラは嬉しそうに笑った。
例年だとアイナと一緒にサクラも舞台に上がる事が多いため、サクラもドレスで着飾り化粧を施し、装飾品を身につけていた。だから忘れているのかと思って聞いてみたのだ。だが、サクラが笑っている所をみると、どうやら今年は違うようだ。
「今年はアイナ様の自立がテーマですからね。アイナ様お一人で舞台に立つんですよ。あ、心配しないで下さい。いつも通りで結構ですから」
そう言われても全く不安は消えない。だがなんとなく何を言っても無駄な気がして、アイナは腹をくくることにした、
「分かった。それで今日の予定は?」
「今日は一番大きな町、ウェッジウッドで挨拶をするだけです」
「ん? いつもみたいに近い所から順番に回って行くんじゃないんだ」
「ええ、今回はいつもより盛大ですから、色々とスケジュールが決まっていまして。ウェッジウッドは領内の中心地ですから、お祭り自体の規模も大きいですし、序列的にそこからって事になります」
ちょっと申し訳なさそうなサクラをみて、私は素早く駆け寄った。
「なんにせよ、いつも通りやればいいんだろ? さあ、早く行こう! 父さんに見つかっちゃまずい」
「はい」
二人して嬉しそうに笑いあった。いつも通りの日常だった。




