本当の家族
「使命? そんな事言ったっけ?」
父親の不思議そうな一言にアイナは愕然とした。
見かねたサクラが割って入る。
「言ったでしょう! 確かに使命を伝えると言っていたはずです!」
父親はしばらく考えた後に、
「ああ、確かに言った気も……」
なんとも歯切れの悪い返答をした。
それは二人にとって最悪の答えだった。
アイナはこの家を継ぐ為に使命を伝えると言われた際に、本当に心の底から喜んだのだ。なぜならそれは信頼の証だったから。血がつながっていない事にコンプレックスを持つアイナにとって、家を継ぐというのは正式にこの家の一員になれる事と同義だった。だからこそ、その行為に対して不真面目な父親に、アイナは絶望に近い感情を抱いてしまった。
そしてアイナの味方であるサクラも同様にアイナの父親に対して敵意を抱いていた。
アイナは泣きそうな顔で、サクラは肩を怒らせながら、目の前にいる父親を睨みつける。
冷や汗をかきながら二人の視線にさらされていた父親だが、ハッとしたような表情を浮かべて口を開いた。
「そうだ! こういうのはどうだろう? つまり……あ」
父親が言い終える前にアイナとサクラは席を立ち、足早に部屋を出て行った。
残された父親は呆然とした面持ちで、力強く閉まったドアの残響を聞き続けた。
「あの態度はなんですか!? 全くもって理解できません。怒り心頭です。何よりもまずあのようなアホを野放しにしてしまった私自身に腹が立ちます」
サクラはぷんすか怒るふりをしながら隣を歩くアイナを盗み見た。
その顔には平常どおりの冷静な表情が浮かんでいたが、長い付き合いからサクラは気付いていた。その仮面の裏では静かに、激しく怒りに燃えているという事を。
アイナが必要以上に落ち込んでいないかどうか不安だったが、怒っているようなら安心だ。サクラはほっと胸をなでおろす。怒っているという事は少なくとも元気な証拠だからだ。安心すると同時に再び怒りが込み上げてくる。
「そもそもあの男は事の重大さを正確に認識しておりません。アイナ様にとって今回の事がいかに重要であったのかを。なぜその程度の事も分からないのか」
憤然と紡がれていく言葉が拍車をかけて、サクラの怒りは段々と増していった。街頭演説の如く拳を掲げ、涼やかな大音声を廊下へと響き渡らせる。
「やはりしっかりと引導を渡しておくべきですね。その身に恐怖を、頭に悔恨を刻みつけ、二度とふざけた真似をしないよう、体の芯から、心の底から分からせてやらねばいけないようです」
調子の上がってきたサクラを、アイナの一言が押し込んだ。
「……サクラ」
愛すべき主からの言葉にサクラは慌てて笑顔を向けた。
「はい、なんでしょう?」
「私、考えたんだ」
そこで言葉が区切れた。だがサクラは「なにをでしょう」と問う事はしなかった。アイナの態度が頭の中で次に喋るべき言葉を整理している様に見えたからだ。言葉の続きをじっくりと待った。
やがて整理がついたのか、再びアイナが口を開いた。
「今までずっと私は家族になろうと頑張ってきた」
サクラは頷いた。その頑張りは隣を歩いてきたサクラが誰よりも知っていた。
だからこそ次の言葉を聞いて、平静を保つ事ができなかった。
「でも、その考え方は間違ってるんだって思った。いや、分かった……かな」
「アイナ様!」
思わずサクラは声を荒げていた。
それはつまり家族である事を諦めるという事か。そうなろうと頑張ってきた事に疲れたのだろうか。今まであんなに頑張ってきたのに。やはり先程の父親からの誠意無き言葉が原因なのか。ならばあの身を八つ裂きに……
驚きと怒りに固まったサクラの表情を見て、アイナは笑った。
「勘違いしないで。別に家族になりたくないわけじゃない」
サクラは面食らって聞き返した。
「どういう事でしょう? 私には……アイナ様の言いたい事が見えてきません」
「……なる必要がなくなったって言えばいいのかな」
アイナがその笑みを照れ笑いへと変化させた。その可愛らしさに見惚れながら、サクラはますます首をかしげてしまう。一体何が言いたいのだろう、と。
「サクラは──それから家の皆も、ずっと私が家族だって言ってくれてた」
「勿論です!」
「うん、ありがと。……でも、私はその言葉を信じられなかったんだ。結局私はよそ者で、私はまだ家族じゃない。これから頑張って家族にならなくちゃって。ずっとそう思ってた」
「……な! そんな事を……」
サクラは今までアイナが早く家族になりたいというのは、結局当主になりたいと同義だと思っていたのだ。つまり、この家の家族らしい振る舞いを身につけたい、と。そう言う意味だと思っていた。それがまさか本当にそのとおりの意味だったとは。
失態だ。誰よりも近くにいながら、誰よりも理解していなくてはならない立場にいながら、その感情を勘違いし続けていた。アイナは本当に切実な願いとして、家族になりたいと願っていたのに、それに気づくことができなかった。
だが、この家に住む誰一人としてアイナを家族でないなどと思う者はいなかったのだ。既にアイナは家族だったのだ。そしてそれは態度と言葉の両方で示してきた。だからこそ、アイナが自分を家の一員だと感じていないなどとは夢にも思わなかったのだ。
それが違ったとは、アイナの中ではまだ家族でなかったとは。ショックに打ちひしがれつつ、サクラは唇をかんだ。
「そんな事ありません! 私には出過ぎた言葉かも知れませんが、アイナ様は家族です! この家にそれを否定するものは、誰もいません。アイナ様が使用人である私達を家族として数えられない事はあるかもしれませんが、アイナ様が除かれる事など。ましてこの私が! アイナ様を仲間外れにする事など、大地がひっくり返ろうともありえません!」
一気呵成に喋り切ったサクラは肩で息をしながら、眩しそうに見上げてくるアイナを見つめ返した。
やがてアイナが寂しそうにうなずいた。
「うん、皆そう言ってくれてた。そう示してくれてた。私が家族の一員だって事を、ずっと。けどさっき言った通り、私にはそれがどうしても信じられなかったんだ。だって私と、父さんや母さん、それに他の皆とも血は繋がってないし。家族って普通血の繋がりなんだろ? だから家族になろうって追い立てられるように頑張ってきた」
「アイナ様……」
「でもね、違うって気づいたんだ。何よりもまずみんなを信じられない事が一番家族からかけ離れてるんだって。薄々気づいてはいたんだけどね。でも今日はっきりと分かった。笑っちゃうね。家族になろうって考える事が、一番家族からかけ離れてる考えだったんだ。私は追いつめられるばっかりで、全然前が見えてなかったんだ。今回の家を継ぐっていうのも、追い詰められてる私の心を軽くさせる為に、父さんが考えてくれたんじゃないかな」
「…………」
サクラはしばらく何も言えずにいたが、やがてアイナに対して恭しく一礼して見せた。
「正直な所を申せば、まだ私は今の言葉を──アイナ様の気持ちを完全に理解するには至っておりません。アイナ様が言っている事が正しいのか、間違っているのかも。ただ失礼な事を承知で言いますが、まさかアイナ様がそこまで考えていらっしゃるとは思いませんでした」
「そりゃね。私だって少しは物を考えるさ。水辺で並んでるだけが能じゃないよ」
アイナが笑いながら言うと、サクラも笑いをもって返した。
「結構な事です。ではこの後どうするか、お考えになられておりますか?」
「そうだねぇ」
顎に人差し指を当てて宙に視線をさまよわせる。
やがてその視線をサクラへと移し、言った。
「父さんのやった事が私の為にやった事だとしても、結局私が傷ついた訳だから、抗議の為に何か行動で示そうかな。自分の意思を正直にはっきりと示して、自分の事を理解してもらう為に。家族みたいじゃない? そういうのって」
「そうですね。遠慮や分別なんてものを考えずに、心のやり取りとをするというのは、家族の一面かも知れません」
サクラは曖昧な言葉を使ってアイナの言葉を肯定した。アイナは満足気に頷いて、再び視線を宙にさまよわせた。
「さて、となるとどういう事をすればいいんだろうね。はっきりと私が不満に思ってることを言ってもいいけど……」
「それでは少し味気ないのでは? 折角の心機一転なのですし」
「やっぱりそう思う? となると何をすればいいのかなぁ」
アイナは難しい顔で考え始めた。サクラの方はというと優しげな笑みでそんなアイナを見つめている。
保護者気分というのだろうか。アイナが成長している様を近くで見ていられるこの日常が、何と幸せなものかと再確認しつつ、緩みっぱなしの頬をつねってみた。夢ではないらしい。
唐突に視線を感じてそちらを向くと、アイナが訝しげな表情を向けていた。
「どうしたの?」
サクラは慌てて手を振ってなんでもない事を示し、すぐさま緩んだ頬を撫でて、表情を引き締めた。それでも頬は緩んでいたがそれは愛嬌というものだ。
「なんでもありません。それより復讐方法は考え付きましたか?」
「ん?」
アイナは一瞬首を傾げた後に、得心がいった様な顔になった。
「なるほど、復讐か。確かにそうだね。意思を示すって事に比重を置きすぎて、そういう側面を失念してた」
「それはいけません! しっかりとあのボケ面の鼻っ柱をへし折ってやらねば」
「ふーむ、と言われても、復讐ってのがどういうのかよく分かってないから……」
普段私があいつにやっているような事をやればいいんですよ。サクラはそういいかけて、何とかこらえた。それではアイナが考えた事にならないからだ。自主性を伸ばす為にはアイナ自身の考えで思いつき、行動に起こさなければならない。復讐の自主性っていうのはどうなのか、と思わないでもないが。まあ、ものは経験である。
なにより、いつも自分が考えている事をアイナが考えてくれる。それが、仲間ができたようでもあってサクラはこの上なく嬉しかった。そういう風に誘導した結果ではあれ。
やがてさんざん頭を捻ったアイナは、ようやっと顔を上げた。
「……思いついた」
「おお。是非お聞かせください」
アイナははっきりと頷いて、言った。
「サボタージュだ」
「はい?」
サクラが素っ頓狂な声を上げた。訳が分からない。失礼を承知でおずおずと聞いてみる。
「あの、どういう……何をするんですか?」
「抗議活動の一つとして聞いた事がある。業務を怠る事で相手にこちらが不満を持っている事を伝えるんだ。ストライキでもいいな。完全に業務をしない」
言っている事は分かるが、分からない。言語の不完全性を恨みつつ、サクラは聞いた。
「ええっと、ではアイナ様の業務とは?」
「日常生活だ?」
「はい?」
「つまり明日は祭りへ行くわけだけど、その時に食堂に出て挨拶とかをしないで出かけるんだ。食堂に出向き、挨拶をし、朝ごはんを食べるという業務を無視するんだ」
どうだと言わんばかりの表情で胸を張るアイナ。
全く想像とは違った復讐方法にサクラは脱力しかけた。確かに意外と効果はありそうだが、何かが違う。ただそれでもサクラは思わず言ってしまった。
「アイナ様、どうかそのままのあなたでいてください」




