不穏な影
祭りの真っただ中へ、馬に荷物を牽かせた行商人達がやってきた。
彼らが町へ足を踏み入れると、住人達は異物を見る様な眼を向けてきた。しかし、その視線はすぐに好奇の色を帯びて、その後好意的なものへと変じた。
普段であればよそ者に対する視線はまるで違うものだが、行商人達が集う祭りの間だけは、いかにも行商人然な彼等に対して拒絶の意思を向ける者はだれ一人としていなかった。
大通りを歩きながら彼等の中で最も若い男がリーダー格の男へと口を寄せた。
「どうやら怪しまれていない様ですね」
「まあな」
白髪を掻きながら、リーダー格の男は興味無さ気に答えた。
囁きかけた若い男が訝しげに歪めた顔をリーダー格の男へと向ける。
「作戦の成功が嬉しくないんですか?」
その言葉にリーダー格の男は呆れた様子で答えた。
「こんな段階で失敗してる様じゃ話にならんだろ。ここまでは成功して当たり前だ」
「まあそうですが」
「それにな。今回の仕事、俺はどうも好かん」
「え?」
若い男がその言葉の意味を尋ねようと口を開いた時にちょうど馬車が止まった。
「空き地がありやした。ここいらでどうでしょう?」
馬の手綱を操っていた仲間の声が響いた。
馬が止まったその場所は、それなりの大きさを持つ広場だった。中央に噴水を配し、幾つかのベンチが置かれている。いかにも人の集まりそうな場所であったが、今はほとんど人の歩きが無く、閑散としていた。
リーダー格の男はひとしきり辺りを見渡すと、
「場所は悪くないが、不可解なほど人が少なすぎる」
とだけ言った。
手綱を操っていた男はたったそれだけの言葉でリーダー格の男が言いたい事を察し、頷いた。そして近くを歩いていたこの町の住人へと話を聞きに行った。
しばらくして戻ってきた男はたった今得た情報を口に出した。
「どうやら今日は朝から町の反対側で何かイベントをやってるんだそうで、夕方くらいまでほとんどこっちに人はこないって言ってやした。夜からはここで何かやるそうなんで、その時間になりゃあ、人は集まるらしいですがね。あと、町の反対側にもこういう広場はあるとは言ってやしたけど、空いてる訳がありやせんね」
「なるほどな」
一息で紡がれた情報をリーダー格の男は頭の中で整理し、計画と照らし合わせる。
コンマ1秒を待たずして、答えが浮かび上がった。
「夜からとなればむしろ好都合だ。ここに露店を開こう」
リーダー格がそう言うと、他の男達は待ち構えていた様に店の準備を始めた。店とは言っても、地面に布を敷き、商品を並べただけの酷く簡素なもので、準備はものの数分で終わった。
「終わった様だな」
リーダー格の男は全員に聞こえる様に声を張った。
「よし、お前ら! どうせこれから夜まで暇だから適当にしてろ! 荷物は俺が見ておくから、祭りに参加してきても構わんぞ! 騒ぎさえ起こさなければな!」
にわかに色めきたった半数がやがて祭りへと繰り出していった。残りの半数はその場に残り店を中心にしてくつろぎ始めた。
残った内の一人が言った。
「あいつらよく行けますね。これからする事考えると、自分にはちょっと無理ですよ」
同じく残った内の一人が答える。
「まあ、あれぐらい図太くないとこの仕事は辛いだろうな」
その言葉を聞いて、初めに話題を向けた男が笑いながら冗談交じりに言った。
「じゃあ、俺等はどうなんですか?」
「お前は辛くないのか」
真顔でそう返されて、笑っていた男は黙りこくった。
「盛況ですねぇ」
「だなぁ」
二人の老夫婦が二階の窓から祭りの光景を和やかに見詰めていた。
「あの子達も帰ってこられれば良かったんですけどねぇ」
妻がしみじみと呟く。
あの子達というのは、都会へ行った一人息子とその家族の事だ。この祭りを非常に楽しみにしていて、電話では必ず行くと意気込んでいた。
「まあ仕方ないだろう。列車が止まっちまったんじゃな」
夫は笑いんがら答えた。
意気込んでいた息子は結局祭りに来ることができなかった。この町に来るための長距離列車を運営する会社が長期的なストライキに入った為だ。それを知った息子は今にも泣きださんばかりの落ち込みっぷりだった。
「何もこんな時期にねぇ」
「まあ、仕方がないさ。祭りは来年も再来年もその先も、ずっとある」
「そうは言ってもねぇ。お姫様十歳の誕生日は一度きりしかないんですから」
その言葉で夫は言葉が詰まった。
妻の言うとおり今回だけは貴族の一人娘が十歳になった事を祝う誕生日であり、貴族に敬意をもつ住人達にとって特別な意味を持つ日だった。
「それはそうだが……」
言葉に詰まった夫は言葉を探して視線を巡らせ続けたが、最後は諦めた様に呟いた。
「結局来られないのだから仕方ないさ。二十歳の誕生日を楽しみにしておけばいい。それよりも──」
そう言って夫は手元で弄っていた最新式のビデオカメラを机に置いた。
このビデオカメラは息子から送られてきたもので、何としても式典の様子を取ってくれと大量のテープと一緒に送られてきたものだ。
「これの使い方を覚えんと」
送られてきたはいいものの、田舎に住む老夫婦にとっては未知の物体だった。操作方法など当然分からず、説明書を片手に今も悪戦苦闘しながらその使い方を調べていた。
「機械時計ならお手の物なんですけどねぇ」
老夫婦は二人で時計職人を営んでいる。置時計、腕時計、掛け時計、懐中時計と、形態を問わず機械式時計を作り続け、それを卸して生活費を稼いでいた。外の世界に疎い老夫婦は知らなかったが、卸先の会社は上流階級用の高額な手作り時計で名を馳せていて、老夫婦達の時計も世界中の愛好家達へと渡り、老夫婦はその界隈ではちょっとした有名人だ。とはいえ、外の世界に興味のない二人にとってその名声も、使い道のない金も、全く価値の無いものなのだが。
「そうさなぁ。アイナ様に作り方をお教えした程だからなぁ」
それは老夫婦にとってささやかな自慢だった。先に述べた名声や大金などよりも余程価値のある宝だ。老婦人からすれば価値の無い噂や金と比べる事すらおこがましい。
「アイナ様が養子に入られてから五年……あの小さかったアイナ様も今ではすっかり大きくなってなぁ」
「懐かしいですねぇ」
「今までの事が全てありありと思いだせるよ」
「できる事ならずっとお姫様の成長を見ていたいですねぇ」
一つの笑顔を思い浮かべながら、二人は微笑ましい気持ちで外の祭りを眺め続ける。
「そういえば……あの、ちょっといいですか?」
行商人の中で最も若い男が読んでいた本から視線を上げて、リーダー格の男へ遠慮がちに尋ねた。
「なんだ?」
仲間内でトランプに明け暮れていたリーダー格の男は、こちらを見つめる男へと振り返った。
「その……」
射すくめられて僅かに口ごもったが、やがて若い男は意を決して口を開いた。。
「あの、さっき今回の仕事がどうのって言ってましたけど、それってどういう事なんですか?」
他にも聞いている仲間がいる為、肝心なところをぼやかしながら尋ねた。なぜなら仕事の関係上、仕事に対する異議を唱えようものなら殺される事がありえるし、そうでなくても人には言えない様な内容かもしれないからだ。
リーダー格の男は一瞬考える様なそぶりを見せた後、思い出したように手を打った。
「ああ、今回の仕事が好かないってやつか」
あまりにもはっきりと言われた為、若い男は目を見開いた。慌てて周囲にいる仲間に目を走らせると、皆一様に苦笑していた。
カードに興じる仲間の一人が手札から一枚を場に出しながら口を開いた。
「そりゃあな。仕事が仕事だ。慣れたっても、躊躇いってのがあるだろ。それに今回は子供がいるそうだが、リーダーのお子さんと歳が近い様だし」
若い男は納得した。確かに自分の子供と対象がだぶって見えては何かとやり辛いだろう。
だがリーダー格の男はその納得を否定した。
「おい、勝手に納得するな。別にそういう訳じゃない。確かに多少のわだかまりは感じるが」
素直じゃないっすねぇという声が上がる。
「茶化すな」
リーダー格の男が苦笑しながら一喝する。そして急に顔を引き締めて部下達へ顔を向けた。
「別に言ったところでやる事は変わらんから言うつもりはなかったが……折角だ。一応言っておくぞ」
溜息によって一拍の間を置いてから、警告を紡ぐ。
「あの男は決して信用するな」
途端に部下達の間に疑問符が広がった。
「あの男って誰っすか?」
「依頼人だ」
リーダー格の男はあくまで冷静な顔を崩さず、しかし内からかすかな怒気を発した。
「かつて俺達の里で暮らし、追放され、今更おめおめと顔を出しやがったあの男だ」
僅かに語調を強まった。
「お前ら依頼内容の危険度が分かっているか?」
部下の一人がすかさず答える。
「楽勝……って話だったかと」
「ああ、あいつが言ったのはな。だが、絶対にあり得ない。そんなに簡単なら、こんなもの使わなくてもいいはずだ」
そう言って、後ろに置かれた大量の荷物を叩いた。中から液体の揺れる音が響く。それらの荷物は依頼人が用意した液体だった。効果を聞いた時は百戦錬磨を自負するリーダー格の男でさえ顔を青ざめさせた程だ。
「間違いなく今回の依頼は危険だ。あいつは災厄を運んできやがったんだ!」
確信を持った言葉に部下達が首を捻った。
「依頼人が昔里から出て行ったってのは聞いてましたけど、何かあったんですか?」
「昔な、門外不出の宝──秘伝の魔術だったって話だが──を盗み損ねて里を捨て、追いかけた同胞達の血で大地を赤く染めて消え去ったんだ。のたれ死んだんだろうって言われてたが……。いや、それだけでなく奴は芯が歪んでやがるんだ。俺達も秩序からはずれてるが、奴はその外れた秩序からもはみ出す様なやつだ」
その顔からは表情が抜け落ちて、血が滲むほど拳を握りしめていた。
「そんな事があったんですか」
「ああ、もうとうの昔だが、奴の事を俺は忘れん」
「そんなんなら依頼も断っちまえばよかったんじゃねえんすか?」
リーダー格の男は首を振った。
「この世界は信用が一番だからな。余程の事がない限り依頼は断れない。どうせ断ったら、逆恨みしたあいつが根も葉もないデマをまき散らすだろうしな」
「害虫ですね」
「違いない。──だから決して油断できない相手だ」
その時、リーダー格の男が耳に手をあてた。別の班から連絡があったようだ。
「どうやら準備はすべて終わったらしいな」
男が腰にさしていたトランシーバーを引き抜き、口にあてた。スイッチを押して、祭りに出向いた人員を呼び戻す。
トランシーバーを置いたリーダー格の男は自分の周りに集まる部下達を見回した。
「さっきも言った通り、どんな事情があろうと俺達のやる事は変わらん」
そう言って、目の前にいる最も若い男の方へと手を置いた。どうやら先程の話に恐れをなしたようで、血の気がひいて顔が青い。
「いつも通りだ」
「さあ、皆支度をしておけ。明日俺達はここを滅ぼすんだ」




