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アイナ  作者: 烏口泣鳴
22/32

茨に包まれたお城

 サクラが傍にあった本棚の中から無造作に一冊の本を引き抜いた。

「これが先程の話に出てきた魔道書です」

 アイナは手渡しされた書物を受け取り、まじまじと眺めた。何百何千という昔から受け継がれているというにはやけに新しい、上質な紙で組み上げられた本だ。それにとても薄い。百ページにも満たない小冊子だった。

「大層な秘術が載ってるって聞いたから古いものだと思ってたけど、やけに新しいみたいだね」

 アイナがそのまま疑問を口にした。

「いえ、これはこの本棚にある文書の写しです。古すぎて崩れてしまいそうな文書も多いので、本棚一つの文書を全て移した本が存在して、閲覧する際はこっちを読むんです。この中心部の最下層にある本はそういった写しの本が置かれているエリアなんです」

 サクラの言葉にアイナは納得して頷いた。

「なるほど。でもよく一冊の本に収まったね。本棚一つがかなりの大きさなのに」

「まあ、その本が表している本棚は竹簡や粘土板なんかの収容スペースが大きいものばかりですから。ただ、それに反して内容は危険なものばかりです。現代の戦略級魔術に匹敵、あるいは凌駕する驚異的なものばかり。当時の人々がその知識の粋を集めた究極とも言うべき美しくもあり恐ろしくもある魔術の結晶達です」

「ふーん、まあその戦略級とやらがどんなものかよく分からないけど、凄い事はなんとなく分かった」

 いかにも興味ないといった様子でぱらぱらと本をめくるアイナ。

 一通りめくり終えると、その中の一ページを指差した。

「それでさっきの話に出てきた魔術がこれってわけね?」

 まるで人の様に直立の二足歩行をする、歪な狼の絵が描かれているページに指が添えられていた。

 サクラが頷いて肯定の意を返す。

 アイナは自分の問いがあっていた事に満足して、開かれたページへと目を落とした。

「読めますか?」

「まあ、余程特殊な言語じゃなければ、一応ね」

 ゆっくりと噛みしめる様に紙の上で踊る文字に目を這わせていく。

 やがて全てに目を通し終えると、アイナは顔を上げた。

 それに呼応するように、サクラがアイナへと尋ねた。

「どうでした?」

「話しの通り喚起魔術だね。でも、その対象の、何でも呑み込む人の形をした狼って何?」

「そのままとしか言いようがありませんが……北欧の民間伝承にそういった怪物がいたんですけど……北欧神話って知ってます?」

「多少はね。散文のエッダとかだろ?」

 アイナの解答にサクラはその顔をほころばせた。余程嬉しいのか、僅かに頬が染まっている。

「そうです。あの話は沢山の伝承を要素として一つの物語が作られているわけですが、そこに出てくるフェンリルって狼とその子供の話を構成する要素の一つになった怪物です。といってもほんの僅かな要素でしかありませんが」

「で、その怪物を呼び出そうっていう魔術なわけか」

「その通りです。もしも呼び出されていたら大変な事になっていたでしょう。本物が呼び出されていたら、ですが」

 サクラは悲しげに呟いた。その様子を見て、アイナに一つの予感が生まれた。だが、それを確認するよりも早く、サクラが別の話題へと変換する。

「さて! それでは先程約束した通り、昔話の補足と行きましょう」

 一瞬前に見せた物憂げな雰囲気は消え去っていた。それが強がりによるものなのか、感情を切り替えた為のものなのか、アイナには判別がつかない。少なくとも分かる事は、それを追求するタイミングを失してしまったという事だ。

 だからアイナも無かった事にしてサクラの言葉に追従した。

「補足って言うと、父さんと母さんの結婚式とかかい? もしそれがこの家の秘密だなんて言ったら、いくらサクラでも……」

「……あの、何をされるんでしょう?」

「……色々と」

 突然サクラの鼻から赤い色の液体が噴き出した。

「お、おい!」

 アイナが驚いて身を引いた。辛うじてその身には掛からなかったが、一瞬前までいた床が汚れ、鉄錆の匂いが辺りに満ちた。

 アイナの顔が引きつり、まるで笑みの様な表情を形作る。明らかにひいていた。

 その表情を見定めたサクラは体を霞ませた。

 刹那の内に懐からハンカチを取り出し、瞬息の間に顔と床の液体を拭き取り、逡巡の後には動く前と変わらぬ様子で立っていた。

「どういたしました? アイナ様」

「何かありましたか?」と全身を持って体現するサクラを見て、アイナは軽く溜息をついた。

 どうやら完全になかった事にしたいらしい。

「何も見てないよ。何もね」

 アイナの場を読んだ言葉にサクラは大きく頷いた。

「そうでしょう、そうでしょう。それでは話の続きをいたします。この話の始まりはあの話の丁度終わり、あの馬鹿がやけに長ったらしく気障ったらしいプロポーズを追え、奥様がその言葉に頷いてしまった直後の事です」

 そこで疑問を抱いたアイナが口を挟んだ。

「さっき聞いた通りだと、凄くシンプルなプロポーズだった気がするけど?」

「大筋さえ分かればいいかなと思いまして、ところどころ変えていますから。赤面必死のプロポーズなんて絶対に吐きたくないです」

「まあ、分からなくはない」

 父さんであればそういったプロポーズをするだろうという意味と、確かにそんな言葉を自分で言いたくはないという意味のダブルミーニングで。

「また話が逸れそうですが戻します。その直後にあいつが所属するサーカス団の男──こちらの味方をしていた男が異変に気付きました。敵である男が描いた動物の絵が発光していたんです」

「つまり魔術は効力を失っていなかった?」

「その通りです。やがてその絵は一際大きく発行すると跡形もなく消え去ってしまいました」

 アイナは首をかしげて問いかけた。

「結局失敗したって事?」

 サクラは首を振ってそれを否定した。

「一週間後、ここから大分離れた場所で、海すらも超えた別の国で一つの町が消失しました。関連性、というより、魔力の質を調べると──」

「その魔術によって生み出された生物がやったって分かったわけだ?」

 その言葉にサクラは頷いた。そして悲しげに瞼をとじて呟いた。

「そうです。ただし現れたのは伝説の怪物とは似ても似つかない弱い化け物だったそうですが。本物でしたら町一つでどうこうではありませんから」

 再びアイナの頭を違和感が襲う。先程感じた予感が確信に変わりつつあった。

「どうして中途半端に破棄された魔術がそんな効果を残したのかは分かりません。あいつの予想では、敵である男の執念が残留して、魔術を変質させたそうですが、それも予想でしかありません」

 ふとアイナは気になる事があった。

「それじゃあ、母さんはどうなるんだ? 魔術を行使する為に母さんの命が必要だったんだろ?」

「それは……奥様はこの城からあまり外出なさらない事への答えです」

 アイナは息を呑んだ。すなわち彼女は無事では済まなかったという事だ。

「奥様の命はほとんど残っていません。といっても、寿命が僅かなわけではなく、なんというか命の耐久力の様なものがほとんどないんです。だから──」

 そこでサクラは言葉を切り、思い直したように紡ぐはずだった言葉を変える。

「アイナ様はまだこの家の秘密、いえ使命の事を教えていませんでしたね」

 アイナは頷いた。そう、元々はそれが目的だったのだ。

「この家には凄惨な歴史があります」

 これだけ話したがらないのだから、恐らく話しづらい事なのだと想像はしていた。改めて口にされて多少の動揺は感じたが、それでも衝撃というほどではなかった。

 アイナは次にくるであろう陰惨きわまる歴史に対して心の中で身構える。

「ですが、それは端折っちゃいましょう」

 がくりとアイナの肩が落ちた。

「ここまで来てそれはないだろう」

 サクラは苦笑して首を振った。

「この図書館にある歴史のエリアに詳しく書かれた本があるので心の準備ができたのでしたら読んでみてください。今は要点だけを伝えます」

 ごくりとアイナの喉が鳴った。再び次に来る言葉に身構えた。

「端的に言いますと、ここは昔実験場でした。そしてかつてこの家の使命は滞りなく実験を進め、また情報を守るという事でした」

「実験場?」

「はい。この一帯、この家が治める土地は全て実験場でした。この土地に住む民の祖先は全て研究者か被験者でした。そしてこの家の祖先はそれを管理していたのです。研究所の所長みたいな感じでしょうか?」

「なんの実験をしていたんだ?」

「主に魔術でしたが、それに限らず様々な実験を」

 サクラは続けた。

「この図書館も実験場の名残です。様々な実験データや沢山の写本がここに集められました。この図書館の最南端にはその当時にとっていた詳細なデータが今も残っています。はっきり申し上げますと、見ない方がいいです」

 アイナは身を震わせる。恐らく想像している以上に酷い事が行われていたのだろう。

「他にも幾つかの名残がありますが、その一つにここが霊的に整えられた場所だということがあります。ここは元々特別な場所で地脈が一点に集まっている場所なのですが、その場所をさらに実験場として整えたのです」

「なるほど。境界の中と外で空気がやけに違うのもそれが理由か。陰惨な理由の上に成り立っているとは知らなかったけど」

「その通りです。ただ、ここが整えられた理由はとても陰惨ですが、そのおかげで奥様は助かりました」

「どういう事だ? まあ、なんとなく予想はつくけど」

「先ほど奥様は命の耐久力が少ないと言いましたが、それはつまり魔力の揺らぎに弱いという事なんです。揺らぎっていうのがちょっと分かりにくいかも知れませんけど、今は空気の綺麗、汚いだと思ってください。病人の人は空気の綺麗な所にいた方がいいし、汚い所にはあまり行かない方がいい。そんな感じです」

 アイナは肩を竦めて言った。

「大体分かるよ。とにかくこの場所は昔実験場だったおかげで魔力が整えられてるから、その命の耐久力が少ない母さんでも生きてられるんだろ?」

 すぐさま理解を示したアイナの頭をなでながら、サクラはほほ笑んだ。

「そういう事です。ただ、化け物を生んだ大魔術のせいでその精密さが損なわれてしまって、今完全に整っているのはこの城の中だけです。多少は大丈夫ですが、やはりこの城の外は奥様にとって毒になってしまいました。だから奥様はあまり外出されないのです」

 勿論、更に外は比べ物にならないほど強力な致死性の毒で出る事すら叶わないわけですが、とサクラは続ける。

 アイナは沈痛な面持ちで呟いた。

「……そう……だったんだ……いつも笑ってたのに」

 アイナの表情につられるように、サクラもまたその顔を歪ませる。

「奥様は……生きているのだから幸せだと言っていました。愛しい人と世界を共にする事は幸せだと」

「母さんらしいね」

 一拍の間をおいて、サクラが問う。

「真実を知ってショックでしたか?」

「多少ね。ただ覚悟はしてたし、もっと悪い可能性も考えてたからそこまででもないかな。勿論、この先の話によるけど」

「あ、まだ続きがあるって気付いてました?」

「もしかしてここで終わらせる気だったのかい?」

「ちょとだけ──あ、嘘です嘘です。すみません」

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