中空地下図書館
視界が白く染まった。
光が届かなかった暗闇が陽光の如き柔らかい光に満たされた。
あまりの光にアイナは目を覆う。
「あ、すみません! 大丈夫ですか、アイナ様!」
横から聞こえてくるサクラの声にアイナは頷きを返した。
眩しくはあったが、所詮目がくらんだだけであり、直に治る。
果たして目は慣れ始め、そこに一つの光景が飛び込んだ。
「…………!」
目の前に広がった光景をみてアイナは絶句した。息をすることさえ忘れ、目の前の光景に見入る。
そこには巨大な本棚があった。アイナは知識の中から図書館というものを連想するが自信はない。図書館を実際に見た事がないという理由もあるが、それ以上にその巨大さがアイナの知る知識をはるかに上回っていたためだ。
アイナのいる螺旋階段を中心に直径にして一キロほどの円を描く空間に規則正しく本棚が並べられていた。広さだけではない。高さも桁違いで、本棚の高さはアイナの住む城の最上階と同じ位の高さを誇り、アイナのいる場所はそれよりもさらに一階分高い場所にある。
改めて考え直すと、図書館というよりは、小説の中に出てくる未来都市の様な雰囲気だ。本棚の間を縫う様に幾層にも通路が張り巡らされている事も、その印象に拍車をかけている。
「どうですか? これがこの家の秘密です!」
サクラがまるで子供の様に誇らしげに胸を張った。
「どうと言われても……」
アイナは目の前の光景を見つめながら、心ここにあらずといった様子で呟いた。
「なんていうか……単純にすごい……と思う」
感嘆の息をもらしながら、視線は聳え立つ本棚へと向けられる。
したり顔で頷くサクラの顔も今のアイナには映っていない。
やがてアイナは下に広がる本棚の樹海をみつめながら、螺旋階段を降り始めた。サクラも慌ててそれに続く。
大きく迫る本棚を見て、アイナは更なる驚きを覚えた。どの本棚も一面にびっしりと本が敷き詰められているのだ。恐らく見えていない本棚もほとんどが同じであろう事が予想できる。一体この空間にはどれほどの本が眠っているのか。想像もつかないその疑問に頭痛すら覚えてくる。とにかくこの場所はスケールが違った。
螺旋階段をようやく半分ほど降りた頃に改めて辺りを見回すと、聳え立つ本棚に囲まれて押し潰されそうな錯覚を覚える。その中で、ようやく半端でない巨大さをもつこの空間に慣れ始めたアイナは、後ろを歩くサクラを振り返った。
「この場所が凄い事は認める。私の常識なんか軽々と越えて行くほどに凄い所だ」
「そうでしょう、そうでしょう。私も最初ここに来た時は大変驚いたものです」
「うん、だろうね。でも……」
アイナが申し訳なさそうに言葉を濁した。言いにくそうにしているアイナをサクラは不思議そうに眺める。
「でも?」
やがて決意を固めてアイナは肝心な事を口にした。
「これのどこが秘密なんだ?」
アイナの言葉にサクラは目を瞬かせた。
「どこが秘密なんだとはどういう事でしょう?」
「つまり、私はこの家の秘密を教えてもらうって約束で来て、サクラもさっきこれがこの家の秘密だっていっただろ?」
アイナの問いかけにサクラは頷いた。
「はい、その通りですが……」
サクラの表情には何が疑問なのか分からないといった感情がありありと表れていた。
自分の言いたい事を分かってくれないもどかしさについ声が固くなってしまう。
「ならその秘密ってのがなんなのかちゃんと説明してくれ。ここは確かに面白い場所だと思う。それこそ世界に一つだけの景色かもしれない。けどそれだけだ。そんなわざわざ畏まって秘密にするようなところじゃない」
アイナは広大な土地を表すように両手を広げた。
確かにいかに素晴らしく珍しい光景であれ、それは人々に隠されるような事はない。過去に何かがあったとか、信仰上の聖地だとか、隠されているからには何か理由があるはずだ。アイナはそれが知りたかった。
突然サクラは悲しげに目を細め、訥々と呟いた。
「アイナ様は知識がいかに危険であるかを知っていますか?」
唐突の質問に面食らいながらも、アイナは首を振って否定する。そう問うからには、サクラから見た自分はその危険性を知ってはいないのだろうと判断したからだ。
「そうですね。知識の危険性は漠然としてならともかく、はっきりとはまだ分かってはいないでしょう。改めて言います。知識とは危険なものです。その危険と言うのにも大なり小なりありますがとにかく危険なものです」
そこまで言われると、アイナとしては頷かざるをえない。アイナが頷いたのをみて、サクラは続けた。
「その危険というのも、知識を利用した結果としてそうなるものと、知識がある為に起こる二つがあります。知識を利用した結果というのは、分かりやすいですね。例えば刃物を使って人を刺せば人を傷つける事ができるという知識を利用すれば、誰かを傷つける事ができます。ただ、そういった知識は一方的に危険だと断ずることはできません。総じて危険性を認識しやすく、つい忌避しがちになってしまいますが、知っているからといって危険なわけではなく、それを使う心の持ち様によるからです。いえ、むしろ知っていればその危険に直面した時に対処しやすくなりますね。だからといって安易に広めていいわけではありませんが。当然、ここにもそういった危険性を孕んだ情報は多々あります。中には世界を滅ぼせる力を持った魔術なんかもあります。さすがにそんなものを外に知られる訳にはいきません」
サクラの言葉をアイナが引き継いだ。
「だけど、その魔術が実際に使われるって事になった時、それを知っていないと対処しにくいから、一部の者は知っていなくてはいけない、と。だからこの城の中だけ秘密にしてあるって事か」
アイナは思わず顔をしかめ、階下を見下ろした。
「そんな魔術があるんだ……」
「この家のオリジナルではありません。有名な魔術の上に大変な準備が必要なので、使おうとしても何処かの機関に潰されますけどね。くれぐれも使わない様にしてください」
「使うか! まあどっちにせよ、私が想像してたのとは違う方向だけど、なんだか嫌な秘密だね」
「アイナ様はどのような想像をしていたのですか?」
サクラは首をかしげた。天災の如き大破壊を行う魔術と同じ位に嫌な秘密が思いつかない。
サクラの疑問にアイナはつまらなそうに答えた。
「いや、ただ沢山の死体の山でも隠してあるのかと思って……ほら言ってただろ? 人体実験で変質した人体が転がって立って……そういうのを想像してた」
「それは否定したはずですが……」
「だってやっぱり秘密って言うと……もうそれはいいよ。それより、もう一つの知識があると起こる危険てなんだ?」
アイナが恥ずかしそうに話題を変えようとした。
慌てるアイナを可愛らしく思いながらも、これから話す内容の深刻さを考えて、サクラは一つ咳払いをすると顔を引き締めた。
そしてゆっくりとした調子で語りはじめた。
「今から千年以上前の話です」
サクラの言葉にアイナは反抗する。
「ちょっと待って。知識の話を──」
しかし耳を貸さずにサクラは続けた。
「この近くに二つの国があったそうです。その二つの国はお互いの仲が悪く、いつ戦争が起こってもおかしくない様な状況でした。お互いの力がほぼ互角だったために辛うじて均衡が保たれているような状況でした。その二つの国には共通の昔話がありました。詳細は省きますけど簡単に言うと、もう片方の国は勝手に国を名乗っているけど実際は自分たちの国の一部だというものです。まったく同じ話が、国の名前だけ入れ換わって二つの土地で語り継がれていました。
ある時、この城にある書庫──つまりここですね──の存在がその二つの国に知られてしまいました。ここには近辺の歴史を詳細に記した本がいくつもあります。だから、こう言ってきたのです。どちらの勢力が大本か確かめろ。さもなくば共同で攻め落とす、と。仲のいい事です。
それは大変だと当主──当時は国だったので国王は早速その歴史を調べ、その内容を二つの国に伝えました。ただし内容は彼らが想像していたものとはだいぶ違っていました。すなわち、ある大国が弱り、いくつもの小国に分裂したその内の二つが、両国であるというものでした。つまり昔話自体を否定したわけです。その昔話は二つの国にとってのアイデンティティーでした。それが否定された為に二つの国は怒り狂ってここへと攻め込んできたのです。
結局、必死の抵抗で滅亡だけは免れましたが、領地は大きく削り取られてしまいました。そして無理な戦争を行った為に三国は衰退し、最終的には三つとも大国に吸収されてしまったのです」
サクラが語り終えると、アイナは拍手と共に笑顔をみせた。
「なるほど。なかなか面白かったよ」
サクラは分かってくれたのか不安になって確認の言葉をいれた。
「あの、つまり知識はどんなに下らなく思えても、ある者にとってはとてつもない価値を見出す可能性があるのです。そして価値を見出したという事はそれを手に入れたいと思うようになる。だからこそ知識は時に大変危険なものになる……分かっていただけました?」
「ああ、そういう風につながってたのか……うん、分かった! 気を付けるよ!」
──絶対分かってない……。
やはり言葉で説明するだけでなく、体験をしない事には分かりづらいのだろうか。あるいは昔の話過ぎて実感が湧かないのだろうか。
サクラはしばらく悩んだ末に、ある決意を固めた。そもそもずっと迷っていたのだ。この場所をアイナに教える事が決まってからずっと。アイナにかつてこの土地で起きた事件を伝えるかどうかを。
だが決めた。それが例えアイナが不快な思いをしようとも、この秘密を守る事がいかに大切な事かを伝える為ならば、辞さない。
緊張で震える口を抑えつけて、声を絞り出す。
「アイナ様」
「なに?」
「奥様が外出をあまりなさらない理由を不思議に思った事はありませんか?」
「母さんが? 体が弱いからだろ? 家だと割と元気そうだけど、外に出ると顔色が悪くなるし」
「アイナ様、知っていますか? 私達使用人がこの土地から出られない事を」
「え? 使用人てサクラ達? 何だそれ? え? どういう……」
「アイナ様、気になりませんか? この城の中だけ魔力の流れがよどんでいる事に」
「え? ……う、うん、魔力の流れは分からないけど……城の中だけ空気が止まってる気はする。そ、それより、さっきから何なんだ? 一体何を──」
「アイナ様、知りたくありませんか? この土地で起こった事件を。この土地の運命を決定づけた忌わしい事件の事を」
ごくりとアイナの喉が鳴った。
質問を重ねるサクラの目には暗鬱な威圧感がこもっていた。そのあまりの迫力にアイナは目を見張る。サクラの様子から嫌な予感を感じたが、不思議と怖くはなかった。ただ、重苦しい雰囲気に対する緊張と、聞かなければならないという使命感が強くあった。
やがて一段高い場所から見下ろしてくるサクラを真っ向から見据えて、アイナははっきりと頷いた。
「勿論知りたい。私はこの家の一員になるんだから」
アイナのはっきりとした決意に、サクラはぎこちない笑顔で応え、そして澄んだ声音で昔を紡ぎ始めた。




