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アイナ  作者: 烏口泣鳴
17/32

五年後の今

 かたりかたりと馬車が揺れる。

 そこは名も無き山の道。文明から切り取られた無人の荒道。

 荒れた道だが、荷を積んでいない馬車の足取りは軽い。

 港を出てからまだ二日。目的の地にはまだ遠い。


 かたりかたりと馬車が揺れる。

 そこは名も無き森の道。人手の及ばない静かな林道。

 道は僅かに均れてきたが、途中で荷を積んだ馬車の足取りはやや重い。

 森に入ってからまだ二日。目的の地はまだ遠い。


   ☆ ☆ ☆


 静かな朝だった。

 差し込む光に目を細めつつ、アイナはその身を起こした。

 時計を見ると四時を回ったところ。起床時間にはまだ早い。だが、眠気と疲労はすっかりとれていた。

 二度寝をする必要はないだろう。そう判断したアイナはさしたる感情を持たず、着替えを終えてその部屋を後にした。

 早朝という事もあって、廊下に出ても、そこは静寂が支配していた。空気は微動だにせず、まるで時が止まったかのような錯覚を覚える。

 もしも今日というこの日で時間が止まってしまったらどうだろう。ふとそんな事を考えた。昨日読み始めた本の影響だろう。その中で主人公は幸せな今という時間を生き続けたいと願い、そして願い叶って僅かに変化するがほとんど同じ日を延々と繰り返す。単調に同じ日を繰り返す事に初めは疑問を感じていたが、やがて日々が少しずつ変化していく事に気付いた彼は、それならば普段の毎日と変わらない、むしろ唐突に急激な変化を起こして不幸を味わうよりはずっと幸せだと結論付けた。そして彼は自分の願いが叶った事を喜び、その幸せを享受し続けていた。

 では自分にとって今日という日が延々と続くのは幸せなのだろうか。

 しばらく考えて、どちらでもいい事だと結論付けた。アイナにとって昨日という日は今日という日とほとんど同じで、幸せな日常だったからだ。この生活を続けて五年、起伏などほとんど無く、毎日同じ様に幸せな生活を送り続けてきた。それならば小説の主人公が出した結論と同じく、毎日を繰り返した所で変わりはしない。また、主人公が恐れた唐突な変化も、この平和な土地では起こり得そうもない。あるとするなら訃報だろうが、人の死に対して覚悟はできていた。少なくともアイナは覚悟できているつもりだ。それは悲しい事だし、覚悟できているからといってあって欲しいとは思わない。それでも、人として生きていく以上、離別の思いを味わう事は当然だと考えている。ならば人として生きようとするアイナにとってもそれは当り前のことであるはずだ。だからどちらでも構わない。例え何が起ころうと、それもまた日常だから。ずっと当り前の日常が続くはずだから。


 ふと顔を上げると、香ばしい匂いが鼻についた。どうやら思索に耽っていて、いつの間にか食堂に辿り着いたらしい。がちゃりがちゃりと食器の触れ合う音が鳴り響いている。

 覗いてみると料理を担当する使用人達が忙しなく調理を行っていた。この城の食事全て担っているのでその量は多く、いかにも大変そうだ。

 邪魔をしては悪いだろうと思い、黙ってその場から立ち去ろうとしたその時、厨房の一人が目ざとくアイナを見つけた。

「あら、アイナ様。お早うございます」

 その言葉を皮切りに次々と朝の挨拶が飛んでくる。

 気まずい思いを感じながら、離れかけていた足を戻して、手を挙げる。

「ああ、皆お早う。今日も精が出るね」

「いえいえ、日課ですから。それより起床時間はまだ先ですけど、何か御用件がおありですか?」

 用件は特にない。なんとなくふらついてきただけだ。

「いや、何も無いよ。少し早く目が覚めてね」

「眠りが浅かったのでしょうか? お体に差し障りがなければいいのですけど……」

 気遣いの籠った眼差しを向けられてアイナは苦笑した。少し早く目が覚めたからといって、病人扱いされては堪らない。

「そう言う訳じゃないから安心してくれ。うーん、もうすぐ特別な日だから少し興奮しているのかもしれないね」

 すると使用人達は途端にはっとした表情になって、嬉しそうに言葉を紡いだ。

「それもそうですね。何と言っても一年で一度の特別な日。アイナ様の心が自然と弾んでしまうのも分かりますわ」

 妙に期待の籠った眼をアイナは少しだけ罪悪感にかられた。先程の言葉は完全に嘘ではない。確かに一年に一度という特別な日で嬉しくないわけではない。しかし、そんな眠れないというほど期待をしているわけでもない。そう言った意味で決して本当の事ともいえなかった。

 それなのに使用人達は完全にアイナの言葉を信じ切っている。

 アイナを見つめる濁りのない眼を見ていると、自分が世界で一番汚い心根を持っているのではないかと思ってしまう。

 アイナはそれに耐えきれなくなって、言葉を発した。

「うん、まあそうなんだけど……でもそんな寝れないほど嬉しいわけでは……」

 アイナからしてみれば嘘を吐いた事を告白する様なものだったが、相手から返ってきたのは愛おしげな視線だった。

「ええ、ええ、分かっておりますよ。アイナ様は立派な大人です」

 どうやら子供扱いされた事に不満を持ったと思われたらしい。幾らなんでも深読みしすぎだ。慌ててその誤解を否定する。

「いや、そういう訳はなく──」

「分かっています。分かっていますよ、アイナ様」

 聞く耳を持っていない。この誤解を解くのはかなり難しそうだ。

 無念だったがアイナはその場から離れる事にした。もともと邪魔になりそうだったので離れようとしていたのも事実だ。

 しきりに送られてくる熱視線に、羞恥心で顔が赤くなっているのを感じながら、アイナは別れの言葉もそこそこに、足早にその場を離れた。


 しばらく城内を散策して、気付くと起床時間が迫っていた。その時間になればサクラが起こしにくるが、その時に部屋にいなければ無用な心配を与えてしまう。そう考えて、部屋へと進路を向けて歩き始めた。

 そして、もうすぐ部屋に着くという所で、丁度サクラを見つけた。

「サクラ」

 後ろから声をかけると、サクラは驚いたように振り返り、その端正な顔に満面の笑みを浮かべた。

「アイナ様! おはようございます!」

 やけに気合いの入った挨拶にアイナは首をかしげる。

「おはよう、サクラ。どうしたんだい? やけに機嫌がいいけど、なにかいい事でもあったのかな?」

 するとサクラは何を当り前な事をと胸を張った。

「もう一週間前ですよ?」

 やはりか。先程、調理場でも話題になった特別な日がやってくる。サクラの機嫌がいいのはそのせいだろうと分かっていた。決してうぬぼれではなく、サクラならきっとそのせいだろうと…………やっぱりうぬぼれなのかもしれない。

「とはいってもね。たかが誕生日だろ?」

 そう、特別な日とはアイナの誕生日の事だった。誕生日といっても、近隣の町にも影響のある大事な日だ。風土色として祭り好きなため、日にちの近いもう一つの祭りと合わせて、各町で一週間の間、盛大な祭りが開かれる。

 それだけではない。今回の誕生日は今までの誕生日とは一味違った。

「たかが、なんて事はありません! 何より、アイナ様十歳の誕生日ですよ!?」

 アイナは呆れた様に肩をすくめてみせた。納得できないという意思表示だ。

 アイナは拾われた当時、外見から判断して五歳として戸籍に登録された。それから五年、現在のアイナは戸籍でいえば十歳だ。実際にアイナの見た目はその年齢にふさわしいものであったし、アイナ自身も年齢自体に異論はない。

 しかしアイナにとって十歳の誕生日というだけで、常よりも盛大に祭りを行うというのは納得できなかった。今まで誕生日を行う事、四回。ただでさえ、少なくとも町で行われる他の祭りには何かしらの由来があったのに、たかがたった一人の誕生日を祝うために、なぜここまでするのかと疑問を抱いていたのに、十歳というだけで、しかもその理由が、十という数のキリがいいからというだけで、周りが囃し立てる事をアイナは理解できなかった。

 以前、その考えをサクラにぶつけた事がある。何を言われても納得できないと答えていると、やがてサクラは困ったように「きっとお祭りが楽しいからですよ」と答えた。一瞬どういう意味か分からなかったが、深く考えた後に、悪い言い方をすれば誕生日という口実をダシにお祭りを開催しているという事に理解が及んだ。

 そのすぐ後で──アイナをないがしろにした失言に気づいたのだろう──サクラは「勿論アイナ様をお祝するという気持ちの方が強いですが、一端としてそういった理由もあるだろうという事です」と取り繕うように語っていた。

 サクラはアイナが失望していないか心配していたが、むしろそれで得心がいった。そしてそれならばむしろ喜ばしいとさえ思った。自分のお陰で他の人が楽しめるのであれば、自分が役に立てるのなら、それは素晴らしい事だ。

 そのため、祭りを楽しみにしている人々の考えは理解できたし、納得もいった。だからそれもいい。

 アイナが納得できないのはただ一つ、一部の──特に目の前にいるサクラが本気でアイナが十歳になった事に対して多大な歓喜を持っている事が納得できなかった。

 だから言った。

「なあ、サクラ。十歳ってそんなに特別かな? 私にはとてもそうは思えないんだけど」

 途端、サクラは顔を覆って俯いた。

 これにはさすがにアイナも狼狽した。ほんの何の気なしの質問にここまで反応されるとは思っていなかったのだ。アイナは慌てふためきながら必死に言葉を絞り出す。

「いや、別にサクラを責めてるわけじゃないんだ。ただ──」

「ここまで似てしまうとは」

「は?」

 突然の言葉にアイナは固まった。サクラの言葉が固まったアイナへ被せられる。

「嘆かわしい。あんな奴に似てきてしまうとは」

 アイナが注意深くサクラの顔を見るとその表情は憎悪に燃えていた。

「あいつって父さんの事?」

 アイナは恐る恐る尋ねてみる。サクラがあいつと呼ぶ人間はアイナの父親しかいない。

 するとサクラはぱっと顔を上げた。その顔は完全な笑顔で、激烈な表情の残滓はない。

「ええ、アイナ様の親で、我々の主人のアレです」

 サクラは再びうつむいた。その顔には今度こそ悲しみが宿っている。

「今のアイナ様の口調はアレそっくりです。昔はそんな事なかったのに」

「まあ、領主になる為の努力として、手本にしているわけだし…………いつも疑問に思ってたんだけど、なんでそこまで嫌ってるんだ?」

「私たちをこの場所に無理矢理繋ぎ止めている極悪人だからです!」

「どういう──」

 事だ、と続けようとした時に、丁度噂の当人がやってきた。

「あ、二人ともこんなところに。早く来な。料理が冷めちゃうよ?」

 刹那、風鳴りと共にその体が吹き飛ばされた。

「あっちにいってないさい! 汚らわしい!」

 サクラが殴った手を払いながらそう叫んだ。

 やがて振り向くとアイナの手を引いた。

「さ、料理が冷めてしまいます。行きましょう」

 まるで今の出来事がなかったかのようなサクラの態度に、アイナは反応できず、ただサクラに付き従った。

 ただ頭には先程の言葉が渦巻いていた。

 ──無理やり繋ぎ止めている?

 タイミングをずらされた為に、なんとなく聞くことができなかったが、その言葉はアイナの心の奥底で深く淀んだ。

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