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アイナ  作者: 烏口泣鳴
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世界の境と牢獄の嘘

 華やかに彩られたお祭りの町並みの中、一際賑わう一角があった。主に子供が寄り集まり、その周りでは大人が子供を見守りながら、その中心にある一点を注視していた。

 その視線の先には一人の子供が二人の付き人を伴って立っていた。

 子供の名前はアイナといって、生まれた直後、何もできずに死にそうになっていたところを、とある貴族に拾われて養子になった由緒正しくない貴族。貴族といってもそんな大したものじゃなくて、何の実権も持っていない名前だけの貴族。昔は領主と祭司を兼ねた権力者だったけれども、時代の変わった今、そんな役割は消え去った。君臨せず統治せず。町の人は尊敬の念を持って扱ってはいるけれど、実際には権力も兵隊も持っていないので、町の人に無理やり何かをさせる、なんて事は当然できない。過去の栄光を示す記念碑だ。つまり、アイナは由緒だけが正しい、由緒の正しくない貴族なのだ。

 付き人の名前はそれぞれサクラとセシルといって、二人ともアイナの生活を補佐する使用人。特にサクラはアイナに様々な教育を施す教育係。昔は各地で暴れていて手のつけられない化け物だったけれど、今の当主に捕まえられてお城で働かされている。セシルはつい最近魔術で生み出された新米で、年齢が近いのでアイナの世話係に選ばれた。

 貴族の住むお城は町から少し離れた場所に聳え立っている。お城に住む人々が町に行く事が少ないので、お城と町の交流はあまりない。そのため、アイナとセシルにとっては、お城の外に住む人を実際に見るのは今日が初めてだった。

 アイナは集まる群衆に目を白黒させていた。このお祭りの開幕式で集まった群衆に圧倒されたばかりだったが、今の感じている驚きはそれ以上だ。開幕式の時にはステージという壁があったが今はそれがない。人々から放たれる熱気が直接的にアイナへと降り注ぐ。ただ、それに対して不思議と恐怖は感じていなかった。

 アイナは両手に町人から貰った珍しい遠国のお菓子を携え、頭にはこれまた珍しい異国の花を付けて、好奇の視線を無表情で受け止めている。ただし、無表情といってもそれは内にある感情を表に出せていないだけで、内心では数多の視線に困惑し、同時に初めて感じる人の熱気に触れて胸を弾ませていた。

 セシルは集まる群衆に目を輝かせていた。目新しいものに対する好奇心もあったが、それ以上に生来の性分として賑やかなものが好きだった。この賑わい自体はセシルへと向けられたものではない。傍にいるアイナへと向けられたものだ。しかし、自分に対して向けられたものではなかったからこそ、アイナの様に慌てることなく、一歩外側からこの雑多とした光景を楽しむことができた。自分が主役とならなくとも、目の前の状況を楽しめたし、またアイナが感じる喜びを自分の事のように感じていた。

 それは実のところアイナに従う為に、教育によって曲げられた性向でもあった。ただ、例えそれが操作された感情にせよ、セシルは友人であり、家族でもあるアイナがこの状況を楽しんでいるという事を心の底から喜び、祝福していた。

 サクラは集まる群衆に目を光らせていた。赤く腫らした眼を鋭く尖らせて、群がる人々がおかしな事をしないか注意深く見詰めていた。とはいえ、実際のところサクラ自身も怪しい人物がいるとは思っていなかったし、ましてや町人の中に怪しい行動をするような者がいるとは思っていなかった。

 貴族は温和な領主として、人々は善良な民衆として連綿とその関係を育んできた経緯があり、またサクラが数年来触れ合った町の人々は皆純朴な良い人々だった。貴族などの立場を抜きにしても、アイナという小さな女の子に危害を加えるような人々はいないはずだ。サクラはそう考えていたし、その考えは概ね正しかった。

 結局の所、サクラが形だけの見張りをするのは、自分がどうしていいのか分からなくなったからだ。アイナを過保護に扱い過ぎるのが間違いだったというのは分かった。けれど自由放任もまた間違いだと思っている。最良なのはアイナが安全かつ自由に過ごせる事だ。その帰結として見張るという行動に行き着いたのだが、この平和な場所でそんな行動が必要あるのか、甚だ疑問だ。もしかしたら自分はアイナにとって必要ないのではないか。そんな疑問が鎌首をもたげる位、サクラは今の自分に迷っていた。


 二人の従者を連れ添う少女は順風満帆、平穏無事に祭りを楽しみ、ひたすら無垢にこの世界が幸せに満ちている事を妄信していた。


   ☆ ☆ ☆


「疲れたねぇ、サクラ」

「……え? あ、はい、そうですね。アイナ様がこの様な遠出をなされたのは初めてですからね」

「そうだね。でも、遠くに来たからっていうよりは、楽しかったから疲れた様な気がする。おかしいかな、楽しすぎて疲れるなんて」

「んー、お祭りは楽しいけれど疲れるものですから。アイナ様は間違っていませんよ? ……それより、なんだかアイナ様、言葉を操るのが上手になっていますね」

「そうかな? きっと色んな人と話したからだと思う。なんとなくコツを掴んできた気がする」

「さっすがアイナ様! 楽しむ内にも学ぶ事を忘れないとは……その勤勉さは他の者には真似できません」

「むぐう、苦しい」

「あ、失礼いたしました。アイナ様があまりにも可愛かったもので」

「うん、そんな事はどうでもいいんだけど」

「…………」

「こっちの道には何があるの?」

「こちらですか? 森と山しかありません。あとは休憩所がいくつかありますけど……大したものはありませんよ? あとは……そうですねぇ。強いて言うなら外の世界があると言いましょうか」

「外の世界?」

「はい」

「この前、授業で習った様な写真の風景がある所?」

「それは一部ですね。世界は極めて広いのです。私どもでは想像もつかないくらいに」

「そんなに……凄いんだ。ちょっと見てみたい」

「……それは……残念ですけど、ここから遠いので……そろそろ日も暮れてまいりますし。それにアイナ様が考えている外の世界はそれよりもさらに遠いのです。遠すぎます」

「……でも」

「…………」

「…………」

「……………………分かりました。では、テイラーの名が収める領地の境界まで行きましょう。そこより先は是が非でも連れて行く事はできません。それでいいですか?」

「うん! ありがとう!」

「…………勿体ないお言葉です。ただ本当に何もありませんよ?」



 領地の境界──そこは本当に何もない。ただ森とそれを突き破る砂利に覆われた道があるだけだった。

「ここが境界……」

「はい、そしてそこから一歩踏み出せば外の世界です」

 セシルが眠たげな目を擦りながら、サクラの言葉に続いた。

「一応、森があるけど、面白みはないねぇ? こんなもの? って感じ」

 セシルは森の向こうを透かす様にじっと見つめていた。言葉とは裏腹に外へと出たい様だ。

 アイナはどう感じているだろう。きっとつまらないと感じているだろう。アイナの退屈そうにしている表情を見たくなくてとりとめもなく森を眺めていると、

「ここが境界……」

 先ほどとまったく同じアイナの言葉が聞こえた。

「アイナ様?」

 訝しげにアイナへと振り返ると、そこには目を輝かせるアイナがいた。

「凄い……皆が混じり合ってる。こっちと向こうじゃ全然違う。これが……境界」

 熱を帯びたアイナへサクラは困惑気味に問いかけた。

「アイナ様? 何か見えるんですか?」

 その問いかけに、アイナは驚いた様に聞き返す。

「え? サクラは聞こえないの? こんなにぐちゃぐちゃしてるのに! ほら木とか土とか空気とかが混じり合って話してるでしょ? ね?」

 アイナは必死に自分の主張が本当の事であると訴えかけた。

 サクラもそれを疑っているわけではない。ただ、非常に残念な事に、サクラはアイナと同じではない。アイナが感じている事を同じ様に感じる事が、サクラにはできなかった。

「……残念ながら何も」

 恐らくアイナが生まれ持った特殊な能力なのだろう。アイナの言葉からすると、常人では聞こえない声が聞こえるようだ。きっと大地から自然に生まれたアイナだからこそ持ち得ているに違いない。それは化け物である自分や人の手で作り出されたセシルが持つ事はできない能力だ。

 サクラはそれが素晴らしい能力だと思う。また羨ましいとも思う。世界から祝福されてこその能力だからだ。忌み嫌われ続ける自分には天地が逆立とうと持てない能力だ。だが、アイナにとってはそうでないようだ。

「──っ!」

 アイナは周りが自分と違うらしい事にショックを受けて黙り込んだ。

 そんなアイナの頭にサクラはそっと手をのせる。

「アイナ様、それは他の者には無い素晴らしい力です。私も欲しい位。ですからそんな嫌そうな顔をしないでください」

「いらない!」

 唐突にアイナは叫ぶ。

「皆と……サクラと違っちゃうならこんなのいらないよ! ずっと……ずっと一緒にいたいもん!」

 その言葉を聞いた瞬間、サクラの嬉しさの余り涙を流しそうになる。それをこらえて、鼻声を抑えて、アイナを強く抱きしめた。

「…………私とアイナ様は違ってもずっと一緒です。私がアイナ様から離れる事なんてありませんから。例えアイナ様が嫌だといっても私はずっと一緒にいたい……いえ、ずっと一緒にいますから」

 ともすると危険な考えだが、サクラの偽らざる本音だ。

 アイナは養子になったとはいえ、拾われた身である。家の中で自分だけが違うと、いつか捨てられてしまうのではないかと、悩んでいたのかもしれない。アイナがここまで感情をあらわにしているという事は、アイナの根深い所にある悩みに違いない。逆に言えば、その悩みを取り除けば、よりアイナと親密になれるという事でもある。

 一息ついて、自分の胸に埋まるアイナの感触をかみしめる。例えようもない感動をその胸に感じ、暴走しそうになる思考を感じながら、サクラはそれを隠してアイナへと優しく声をかけた。

「アイナ様……例え少しばかり違っていようと、離れ離れになる事なんてありません。だから安心してください。大事なのは心です。私はアイナ様の事が好きです。アイナ様は私の事………………好きですか?」

 言ってから、「聞いちゃったなぁ。嫌いって言われたらどうしよう」とサクラの心に後悔がおしよせる。だが、今さら退くことはできない。

 やがて、胸の辺りからくぐもった声が聞こえてきた。

「うん」

 吹き出しそうになる鼻血をこらえつつ、サクラはアイナの顔を上げさせて、満面の笑みを向けた。

「でしたら、別たれる事などありえません。私とアイナ様はずっと一緒です!」

 力強く言い切ると、アイナもつられるように笑った。

 目を閉じて再び顔を埋めるアイナを抱きしめる。

 途端に体にかかる力が増した。

「……アイナ様?」

「…………すう」

 緊張の糸が切れたのだろう。聞こえてくる寝息ですべてを悟り、サクラはアイナをおぶって馬車へと運ぶ。ぼーっと境界の外を見つめ続けているセシルを引きずって馬車に乗せ、馬車を起動させ、今度こそ帰路についた。

 右に目をやると、アイナの寝顔がある。何処か笑っている様に見えるのは、思い違いだろうか。自分に寄りかかって来てくれている事が信頼の表れの様な気がして嬉しかった。左に目をやるとセシルも眠っていた。起きている時の騒がしさは鳴りを潜め、あどけなく静かに息を吐いている。二人の幸せそうな寝顔を見て、サクラは安堵した。事実を教えなかった事に。

 いつも話している相手が絶対に抜けられない牢獄に囚われているなど誰も知りたくない。

 知らなくても問題はない。ならばわざわざ今言う必要はない。


 これでいいのだ。

 サクラはそう自分を納得させると、二人の後に続く様にして、静かに目を閉じた。

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