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アイナ  作者: 烏口泣鳴
12/32

明日という日

 まだ日も昇り切っていない早朝。いつもならまだ寝ている時間だが、今日は違った。

 いつもより少しだけ簡単な朝食を済ませ、いつもよりいくぶんか凝った服に着替え、少女はベッドの上に座っていた。

 落ち着かない。

 その心を体で表すかの様に少女はベッドの上で体をゆすり続けていた。その視線は定まらず、窓の外を飛ぶ鳥を見たかと思えば、揺れ動く木漏れ日に目を奪われ、涼風に揺れる天蓋へと目を移す。

 次々と視線を移しながら、少女は昨夜の事を思い出していた。何故こんな事になったのか。そんな考えても仕方のない事を延々と。


   ☆ ☆ ☆


 いつもの通り『お勉強』を終えると、使用人のサクラは嬉しそうに手を叩き、ねぎらいの言葉を語った。

「お疲れ様でした、アイナ様。これで全工程が終了いたしました。これで社会の中である程度通用する一般常識を身につける事ができたはずです。本当だったら一か月はかかるのに、それを一週間で終えてしまうなんて、正直驚きです。これもアイナ様の資質とやる気があったからこそでしょう。アイナ様の才能と努力には感涙を禁じ得ません」

 そう言いながら本当に涙を流し始めるサクラに、アイナは練習した通りの「こういう状況でとる表情」──いわゆる、笑顔を返した。

 その笑顔はまだ少しだけぎこちないが、他人にさしたる違和感は与えないだろう。

 その笑顔を見てサクラは更に涙の量を増やし、笑顔を浮かべるアイナへと抱きついた。

 その衝撃に身をのけぞらせながらも何とか踏みとどまり、横にあるサクラの頭をなでる。

 しばらくその状態が続いた後、サクラは名残惜しそうに体を離した。

 その顔には涙の跡が付いた笑顔が浮かんでいた。アイナのそれよりも自然な笑顔。完璧という言葉をそのまま笑顔に変えた様な無欠さだ。

「素晴らしいです、アイナ様」

 完全無欠な笑顔から漏れだした称賛に対して、アイナは教わった通りの謝辞を返す。

「ありがとうございます、サクラ」

 再びサクラが抱きついてきた。

 さっきと同じ様に衝撃に対抗しようとしたアイナだったが、今度の衝撃は先ほどの衝撃とは比べものにならない程大きかった。

 小さな体では受け止めきれない程の衝撃によってアイナは吹き飛ばされ、サクラと一緒に宙を舞った。

 そのままベッドの上へと着地する。

 横になったサクラはアイナの顔に自分の顔を寄せると、頬ずりをし始めた。

 温かい体温を全身──特に頬から感じながら、アイナは感謝する。

 ありがとうございます、と。心の底から。


 ほんの一週間前、サクラの本当の姿を見てそれに対する恐怖から、サクラとまともに接する事ができなくなった。

 本当に本当に好きなのに、それでも感情は言う事を聞いてくれず、サクラの事を避ける事しかできなかった。

 そこでサクラが私と同じ様に離れていったら、もしかしたらサクラの事を嫌いになっていたかもしれない。

 でも、サクラは避ける私に優しく接してくれた。根気良く話しかけ、ひたすら抱きつく事を繰り返してきた。その結果、私の心は解けていった。

 今ではあの時ほどの恐怖は感じない。

 全く無くなったというわけではないけど、あの時の様に震える程の恐怖は感じない。

 このままの調子でいけば、サクラへの恐怖を完全に消せるかもしれない。

 それはとても嬉しい事で、ひどく待ち遠しい事だ。

 サクラと何の抵抗も無く接したい。

 だからその抵抗を取り払おうとしてくれるサクラにはとても感謝している。

 いつも抱きついてくるのが少しだけ邪魔だけど、それ以上に嬉しかった。

 サクラが一緒にいてくれる事がとても嬉しかった。


 サクラへの感謝を思い浮かべるだけで、アイナの心が躍り始めた。

 ふと横にいるサクラを見て、アイナは感謝に対するお礼を思いつく。

 そしてアイナは即座にそれを実行に移した。

 力を抜いていた両腕をサクラの背中にまわし、その体を思いっきり抱きしめる。

 その行動はアイナの期待通りの結果を生みだした。

「ア、アイナ……様?」

 びくりとサクラの体が波打った。

 明らかにサクラの心が動揺している事にアイナはほくそ笑む。

 ここ一週間でどうすればサクラが喜んでくれるかという事が分かってきた。

 これをやれば、きっと喜んでくれるだろう。その確信の元で今の行為に至ったのだ。

 ──サクラは喜んでくれただろうか?

 期待を込めてサクラの顔を見ると。

 しかし、そこにはアイナの期待していた表情は浮かんでいなかった。

 ──あれ?

 疑問に思いながらサクラの顔を観察する。

 その表情は悲しみと笑顔を合わせた様なものだった。笑顔の様なのに、泣きそうでもある。そしてなぜかその顔はひどく赤かった。その赤は顔中に及び、耳の先までが赤く染まっている。血液が顔に溜まっているだろう事が予想された。

 その表情が何を意味しているのかアイナは教わっていなかったが、とにかく尋常ではない状態な事は分かる。それが良い意味なのか、悪い意味なのかは分からなかったが、先の行動が相当の結果を出した事だけは確かな様だ。

 そう結論付けた所で、唐突にサクラがアイナの上から離れ、ベッドの傍に降り立った。

 アイナもベッドの上から降りてサクラの目の前に立った。

 サクラの表情は俯いていて見えない。

 一歩踏み出してサクラの表情を見ようとするが、髪に隠れてほとんど見る事ができない。ただ赤い色は未だ引かず、そして口元を引き結んでいるのは見る事ができた。

 更に踏み込んでサクラの顔を確認しようとしたが、サクラが唐突に後ろに下がった。

「あ、ああ、あああ、ありが、あが、り、ありがと、うご、ございい、ます」

 一瞬なんといっているのかわからなかった。

 数瞬考えて、「ありがとうございます」と言っている事に気付く。

 ──お礼を言ったという事はさっきの行動でサクラは喜んでくれたのだろうか?

 ただ一つだけ疑問が残る。さっきのサクラの表情は何だったのか、と。

 あの表情からにじみ出ていた尋常ではない雰囲気が、ただの喜びの表情だったという結論を否定する。

 かといって、サクラの様子を見るに怒っているとは思えないし、悲しんでいる様にも見えない。

 アイナがその真意を探ろうとサクラの事を見つめていると、再びサクラは大きく後ろに下がり、

「失礼しました!」

 その言葉と共に部屋を出ていってしまった。

「??」

 全く解消する様子のない疑問を胸に抱きながら、アイナは茫然と立ち尽くす事しかできなかった。


 訳が分からず立ち尽くす事、数分。そろそろ疲れてきたなぁと思っていると、サクラが飛び出していった部屋の扉が再び開いた。

 サクラだろうかと期待を込めて、扉に視線を注ぐ。

 しかし、期待とは裏腹に入ってきたのは、サクラと同じくこの屋敷で働く、セシルという名の使用人だった。

 彼女はアイナと同じく生まれたばかりで、一般常識をあまり知らない。その為、時々アイナと一緒に『お勉強』を受けていた。なので、サクラほどではないが、使用人の中でも面識のある人物だ。

 セシルはやや緊張した面持ちで一礼した。

「あ、あの、サクラからの言伝にございます。明日はアイナの、じゃなくて、アイナ様の顔見せと、交流の実践を兼ねて私、あ、じゃなくて、サクラと城下の村へと向かっていただきます。あの、後、抱きしめてくれた事はとても嬉しく、あああ、思い出したらまた興奮してきた、だそうです。以上です。…………ああ、緊張した。サクラに、ちゃんと仕える者としてアイナ様に接しなさいーって言われてさ。どうかな? 仕える者みたいだったかな?」

 アイナはセシルの言った言葉の意味をゆっくりと噛み砕く。

 けれど、いまいち何が言いたいのか分からなかった。分かったのは明日何かあるという事と、サクラはやっぱり喜んでいてくれたという事と、セシルはサクラっぽかったから仕える者みたいだったに違いないという事だ。

 アイナがそれをセシルに伝えると、セシルは首をひねった。

「私もよく分からないんだよね。なんかサクラ、混乱してたし。ただ他の人から聞いた話によると、明日村では市場とお祭りがあって、お祭りはアイナの為にやるらしいよ」

 今度はアイナが首をひねる。まずお祭りというのが何なのか分からず、しかもそれが自分の為にという事が理解できなかった。お祭りという単語は分かるが、具体的な意味が分からない。ただ何となく、人がいっぱいいるというイメージだけが思い浮かんだ。

 そんなアイナを見て、セシルは付け足す様にさらに言葉を紡ぐ。

「とにかく、なんだか凄い事をやるんだって。本当はちゃんと教えてもらったんだけど、色々言われてよく分かんなくなっちゃった。でも、とにかくとっても大きな事をやるんだってさ」

 漠然とした情報ばかりで何一つ見えてこないが、とにかく凄い、という事だけはよく分かった。

 そしてそんな「何か凄い事」に立ち向かわなければいけないらしい。

 何が起こるか分からないのに、なぜだか緊張してしまう。

「緊張してきた」

 言葉にして心を和らげようとするが、大した効果は無かった。代わりに、セシルが大きな声で笑い出した。

「アイナも緊張するんだね。──大丈夫だよ。明日はサクラと一緒に行くらしいしね。何かあったら助けてくれるって。勿論、私も一緒に行くよ。ああ、楽しみだなぁ。外の世界ってどんな所なんだろう」

 その言葉でアイナの心に複雑な思いが去来した。

 確かにサクラと一緒に行けば安心なのだが、さっきみたいに突然変になってしまったらどうしよう、と。ただでさえちょっとだけ(あくまでちょっとだけ)怖いのに、あんな変な事をされたら困ってしまう。それが、お祭りというよく分からない中でなら尚更大変だ。

 アイナが考え込んでいると、部屋の外からセシルを呼ぶ声が聞こえた。

「あ、お仕事に戻らなくちゃ。じゃあね、アイナ。また今度。って多分明日の朝会うけどね」

 そう言ってセシルは部屋の外へと出ていった。

 アイナはそれを見送り、しばらく部屋の中で明日について想像を巡らせた後、就寝の時間になったので布団の中にもぐりこんだ。


   ☆ ☆ ☆


 そして、気づくと朝になっていた。それからが大変だった。

 具体的にいうと、朝の準備が物凄くめまぐるしかった。

 いつもはアイナ自身が、時々サクラが見立てた服に身を包み、簡単に身だしなみを整えて朝食を取るはずが、今日は違った。

 十数人が入れ替わり立ち替わり衣服を持ってきて、何度も何度も試着させられた。

 衣服自体もいつもとは違った。何だかいつもより色が単調で、その代りに布が柔らかくてひらひらしていた。

 服が決まった後もいつもと髪を違う形にさせられたり、金属を髪にさされたり、顔に何かを塗られたりして、いつもの何倍という時間を費やして朝の準備が行われた。

 朝の準備が忙しかったからか、朝食はいつもよりいくぶんか簡便だった。いつもは一緒に食べている両親もいなかった。

 そして今、アイナは迎えに来るというサクラを部屋で待っていた。

 その瞳には、これから行われる祭りに対して、そしてこれからやってくるサクラに対しての不安が渦巻いていた。

 ふいにノックの音が部屋の中に響き渡った。

 アイナは肩を震わせながら扉へと振り向く。

 そしてゆっくりと扉が開いていき──

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