世界の敵とあざとい計算
私は私を除く全てを消し去りました。
そして気付くとそこには再びあの光景が広がっていました。
☆ ☆ ☆
灰が舞っていた。
吹きすさぶ灰は雪のように。
全てを単色で染め上げるべく、辺り一帯を包みこんでいた。
一面に舞い荒れる灰、灰、灰。光を嫌悪し、ただ己だけが世界を埋め尽くさんとする灰塵達。
そこにはかつて町があって、人が居て、活気があった。
そこにはかつて自然があって、生き物達がいて、活気があった。
しかし全ては消え去って、残るは荒れ狂う灰と動かない化け物が一匹。
覆い尽くさんとする灰塵の中で、全てを消し去った張本人である化け物は何をするでもなく、ぽつりと佇んでいた。
内心に渦巻く思いはただ一つ。
疑問。
化け物はただひたすら何故と心の中で繰り返していた。
具体的な何かに対してというわけではない。強いていうならば、目の前で起こった現象すべてに対する疑問だ。
訳が分からなかった。走って走って走って見つけ出した新しい世界が、次の瞬間には消え去って灰になっていた。
混乱しきった化け物はただひたすら自問を繰り返していた。何故、何故、何故、と。
当然自問したところで自答は得られない。自分が分からない事を自分に聞いて答えが聞けるはずがない。ましてや真実など生まれてくるはずもなく、化け物はただ延々と自分に向けて問いかけを続けていた。
しばらくして、落ち着きを取り戻した化け物はようやく今の状況に目を向けた。
辺りに吹き荒れる灰、逃げきったはずの白色の世界。まるでこの灰で作り上げられた箱庭に閉じ込められている様なそんな気がした。
唐突に恐怖が湧いた。
どうして、ただの灰にここまで恐怖を感じるのか、化け物自身も分からない。ただ怖い。心の奥底、根柢の部分がひどく灰を忌避していた。恐れるというより、逃げたいという思いだ。
しかし動けなかった。逃げた先が再び灰に変わってしまうのが怖かったのかもしれない。
化け物は降り注ぐ雪をその身に浴びながら、温度のない不毛な世界でただ立ち尽くした。
「それでサクラはどうした? そのままか?」
「いいえ。結局その場を離れました。ただそれは、その世界から逃げたかったからだとか、他の世界に行きたいからといった理由からではありませんでした」
「?」
「逃げる為です。私を狙う敵達から」
暗い洞窟の中、化け物はゆっくりと辺りを睥睨した。
その体には所々に様々な傷跡が走りっている。体の芯まで届くほどの深い傷や広範囲にくすぶる火傷、背中は横一文字に肉がえぐり取られ、腕の一部は壊死し得体のしれない黒ずみが流れだしている。大小様々、新古の区別がつけられない程に走る無数の傷跡からはどす黒く染まった血が洪水の如く流れていた。
傷は一向に癒える様子がない。付けられてから既に数か月経つ様な傷も存在するが、そこからは未だに血が流れ出している。血の川は下に流れ、窪みに集まり、池を作っている。その池は一日二日流れ込んだ程度では到底足りない量の血が溜まっていた。
明らかに化け物の体積よりも多い池だが、大本の化け物から生気が失われている様子はない。まるで化け物の体からは無尽蔵に血が溢れ出てくるかの様に、その体からは今も勢いよく血が流れ出ている。
傷だらけの化け物と並のスプラッター映画を超える血液。普通の人が見たら卒倒する光景の中、その周りを囲む人間達は何の感情も浮かべずに、化け物に対して武器を構えていた。一切の物音を立てず、全く言葉を話さずに、化け物への包囲を狭めていく。
ホラー映画のワンシーンといった状況の中、その中心にいる化け物は何もせずじりじりと迫ってくる包囲を見続けていた。
唐突に包囲するうちの一人が槍を突き出してきた。それを合図として周りも一斉に武器を振り上げた。
化け物は欠片も表情を変える事無く、腕を振るう。最初に巻き込まれたのは槍だった。鉄製の槍が真っ二つになって弾き飛ばされた直後、今度はそれを持っていた人間が振るわれた腕の餌食になった。続いてその隣にいた人間が、次はその隣が──そして、弾き飛ばされた槍が天井に突き刺さった頃には、その場に人の形をしたものは居なくなった。
圧倒的な力で破壊を行った化け物は死体に目を向ける事も無く、洞窟の出口へと向かった。
潜伏していた洞窟が見つかったという事実が化け物を追い立てる。今までの経験から、すぐに多くの人間が自分を殺しに来るだろう事を化け物は知っていた。
灰に侵された洞窟の中、化け物は走る。灰と化し脆くなった岩壁が崩れ始めた。その中を駆け抜けながら化け物は自嘲する。
──数年の間灰から逃げ続けて、結局灰からは逃げられず、さっきの様な人間に纏わりつかれるようになっただけだった。
先ほど襲いかかってきた人間が何なのかは知らない。ただ、どこかへ逃げる度に彼等は現れ、そして攻撃を加えてきた。彼等と接触を続けるうちに言葉を覚え、彼等の言っている事を理解して、とにかく彼等は自分を殺す為にやってきているという事だけは分かった。
とにかく、彼等は自分の事を殺そうとしていて、そしてそれだけの力を持ち、どこに隠れようといずれは見つかり、殺しても殺しても新たな彼等が現れてくるというだけは痛い程に──実際に痛みを伴って、はっきりと理解させられた。
刹那、世界が回った。遅れて自分が躓いた事に気付く。どうやらただでさえ傷ついてバランスが失われている時に、考え事をしていた為、転んでしまったらしい。そこまで考えてからようやく体が地面に接触し転がった。
痛みに顔をしかめながら体を起こすと、そこに──一人の男が立っていた。
あまりにも唐突な登場に化け物が声を失っていると、男は全く邪気を感じさせない笑顔を浮かべて軽い調子で口を開いた。
「初めまして。僕は通りすがりの魔術師さ。以後お見知り置きを」
すかした様子で慇懃に一礼する男。化け物は疑問を感じながらも、相手に敵意がない為、とりあえず様子を見る事にした。
黙っている事を別な意味に誤解したのか、男は不思議そうに尋ねてくる。
「もしかして喋れないのかな?」
言葉は理解できる。人間の言葉を解し、操る事もできるのだが、人に対してあまり良い印象を覚えていない化け物は、人の言葉を使う事にためらいを持っていた。
だから化け物は独り言ちる男に頷いて見せた。それが意思の疎通ができる事を示す一つの手段だと、ここ数年の間に覚えたからだ。
案の定、男はその目に理解の色を示した。
「そうか。こちらとしては問題ない。意思の疎通さえ行えるならね。単刀直入に言おう。こっちの話は一つ、君に対して取引を持ちかけにきた。僕の家に雇われてくれれば君を保護しよう。言ってる意味は分かるかな?」
化け物は頷いてみせた。
「ふむ、取引に応じたのか、言っている意味が分かっているのか。どっちの事かわからないな。どちらにしても言っている意味は分かっているようだけど。質問が悪かったね。申し訳ない。改めて聞こう。取引に応じるか否か。『はい』なら首を縦に、『嫌だ』なら首を横に振ってくれ」
化け物は考える。この男が嘘を吐いているならどちらを殺されるだろう。もしも本当の事を言っているなら頷けば生き延びられる。首を横に振った場合、もし男に殺意がなかろうと、今日みたいに襲われ続ければいずれ死んでしまうかもしれない。いや、その可能性は高いだろう。
逡巡している化け物に男は淡々と言葉を浴びせかけてくる。
「君のその傷、強い呪詛とか掛けられてるし、結局いつか死んでしまうと思うよ。取引に応じてくれればその傷も治してあげよう」
男の言葉はひどく魅力的なものだ。生きたいと思うなら取引に応じるのが一番だ。しかし──
「君、周りの物体を灰に変えるんだって?」
男の言葉に化け物の体がびくりと揺れた。
「会う前に色々と情報を集めたからね。君は──かつて神が人を懲らしめようと世界に生み出した人の世を呑み込む呑狼。その力は強大でありとあらゆるものを灰に変える。しかし、その力は強大すぎて制御がきかず、世界を破壊し始めたために、神によって滅ぼされ無に還った。──まあ、古い文献に載っていた神話の話だし、実際君と同一の物か分からないけど、君はその情報と合致しているんだよね。今も周りが少しずつ灰になっているし。まあ、それはいいんだ。一番大事なのは別の話。これは目撃者や君と戦った生存者から聞いた話を総合した結論なんだけどね。君はこの灰が嫌なんだろ?」
男の的確な言葉に化け物は思わず顔を上げ、男の顔に見入ってしまった。そしてただでさえ驚愕していた心が、次の一言で更に震える事になる。
「くく、分かりやすいね。それなら安心してくれ。それも含めて君を保護しに来た。君を灰から解放してあげよう。勿論君を追うあのハンター達からもね」
化け物は眼を見開いた。今まで散々苛まれてきた灰から逃げられる。その希望は強く化け物の心を貫いた。
「どうだろう? 君の安寧の為にも取引を受けた方が、うあ!」
化け物が猛烈な勢いで男を押し倒した。
男は倒れた瞬間に食われる事を覚悟した。だが牙は一向に掛からない。化け物に目を向けた男は、そこに何度も顔を縦に振る化け物の頭を見た。
「……えっと『はい』って事でいいのかな?」
化け物は更に大きく首を振った。
男は笑いながら契約を施行する。
「じゃあ、契約完了。まずは周りを灰に変えちゃう能力を封じようか」
「そして私は灰の能力を封じてもらい──実際はあのど阿呆からやり方を教わっただけで、封じたのは私ですけど──そして取引の結果として私はこの屋敷を守る事になったのです」
「……契約はここを守る事だったの?」
「ええ、あれはあの通り性格が悪いですし、他にも色々と問題がありまして……あ、いえ、アイナ様が気にする事ではありませんが。……とにかく、危険が迫った時の為に私は警備員として雇われたんです」
「へぇ」
「私の生い立ち、分かっていただけたでしょうか?」
「うん」
「ありがとうございます」
「……それで」
「はい?」
「なんでこの話をしたの? どうして私がサクラを怖がっちゃうのかを聞くんじゃなかったの? なんで私はサクラを怖がっちゃうのか分からないよ」
「それは私の祖先──なのかは分かりませんが、そいつが無差別に灰に変えてしまうものですから、神様に世界の敵と決められて、消されてしまったんです。アイナ様は大地から生まれました。神様が産んだ大地そのものと言ってもいい位です。だから、かつての神様の言葉がより強烈に焼き付いているのでしょう。世界の敵として」
「うーん……? そうなんだ?」
「ええ、推測ですが。……それから、なぜこの話をしたかというと、私の事をもっと知ってもらって、怖れ多いことですが私の事を好きになってもらいたかったからです。信頼を気付くにはお互いの事を知るのが一番なのです」
「知ると信頼になるのか? あ、ですか?」
「はい。そうでない場合もありますが、大体は。それにこの話をしてアイナ様が、私の事を憐れんで下されば、それだけで多少は恐怖が薄らいでくれると思いますので」
「憐れむ……憐れむ?」
「いえ、何でもないです。……ところで、さっきまでの話を聞いて、どうでしょう? ちょっとは私の事が怖くなくなったりは?」
「……ごめん。全く」
「…………………………私はあきらめませんから!!」
「あ、待……行っちゃった」




