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アイナ  作者: 烏口泣鳴
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英雄になりたくて

 私は止まることなく歩き続けました。

 訳が分からぬままに。嫌な予感だけはしっかりと抱きながら。


   ☆ ☆ ☆


 私はただ救いたかった。世界中の全ての人を救いたかった。それが当時から抱き続けてきた私の信念だった。

 幼い時に両親を失った。多分それが始まりだったのだと思う。修道院に引き取られてからも、私はどうすれば人々を救えるのか考え続けた。

 引き取られてから3年。今度は修道院が燃え尽き、人々が焼き払われた。私は奇跡的に深刻な火傷に覆われただけで生き残ったが、それ以外の人々は死に絶えた。それを境に私の「救いたい」という思いは更に強くなった。

 私はその思いを抱き続けた。

 人生の半ばを過ぎた今もそれは変わらない。地方の教会を任され、この地でそれなりの信頼を築いた今でもその思いは変わらない。

 一つ変わった事があるとするならば、私ではそれが不可能な事を理解した位だろうか。勿論、ほんの小さな救いならできるだろう。小さな事柄を解決し、多少の痛みを和らげる程度なら。しかし、私の願う救いというのはあまりにも大きかった。私の腕力では、財力では、権力では──いや、世界中のどんな人間でも、それは不可能な事だった。なぜなら世界中の人々を救う為には概念すらない何かを討ち果たす必要があったから。それこそ、神様にでもならない限り救うなんて事は無理な話だ。

 それでも私は願い続けている。今も昔も変わる事無く、世界中の全ての人を救いたい、と。


 ガタリという音とじわりとした痛みと共に私は目を覚ました。

 眼前に広がる天井と視界の端に映る倒れた椅子、背中に感じる床の冷たさから、眠っていて椅子から転げ落ちたのだと推測できる。

 私はそそくさと立ち上がって見られなかっただろうかと辺りを見回す。

 誰もいない。見られていない事に安心して、椅子を直してそこに深々と座った。

 外からは普段からは考えられない程の賑わいが、この部屋にまで伝わってきた。

 ふと自分の前に広がる書類の束に目を向ける。

 外の喧騒を聞いていると、目の前の書類に奮闘する事が馬鹿らしく思えてくる。

「今日はいいか」

 ぽつりと呟いて、椅子から立ち上がった。

 備え付けられた窓から外を見ると、眼前に賑やかな町が広がっていた。

 皆が目の前の商品を買う事に集中していて、私が二階からそれを眺めているなど思ってもいないだろう。

 それだけの事がなぜだか楽しくて、自分も町へと繰り出したくなった。

 しかし、禁欲を良しとし、人々の模範となるべき自分が、欲望渦巻く市場へ嬉々として繰り出すのも気が引ける。

 何か町へ出るいい口実はないだろうか?

 あれこれと考えて、一つの案に思い至る。

「そうだ」

 高価なお菓子を買って、今度の典礼の時に配ろう。

 町には今沢山の商品がやってきている。その中でもお菓子というのは最も人気のある商品の一つだ。なかでも本当に珍しい物は大変高価で普通は手が出せない。きっと、多くの人に喜んでもらえるはずだ。

 人々に喜んでもらえるし、自分も町へ出る事ができる。まさに一石二鳥の名案だ。

 私は嬉々として、金庫へと走り寄った。

 開けると、中にはそれなりの額に上る寄付金が入っていた。普段は生活費や改修費などに使っているお金だ。その中からある程度余裕を持って袋へと入れ、腰に下げる。

 少しかけ足になりながら一階へと降りると喧騒が更に大きくなった。

 しばし圧倒されて、その場に立ち尽くす。

 二階と一階の喧騒ではここまで大きさが違うものなのだろうか?

 疑問を抱きつつ耳を澄ませると、その喧噪自体が怒号であり、その中から僅かな悲鳴が混ざっている事に気が付いた。

 町で何かが起こっている。

 喧嘩だろうか? あるいはそれ以外の……?


 聖堂の中に血相を変えた人々が駆け込んできた。

 皆が一様に只ならぬ焦燥の顔を浮かべており、明らかに不吉な何かを感じさせる。

 心の中は不吉な予感に押しつぶされそうになっていたが、それでも人々を安心させるために私は笑顔を浮かべた。

「何があったのですか?」

 心の中でただの喧嘩であってくれと祈りながら、私は問いかける。

 だがそんな期待を裏切るように、人々の口から紡がれたのは絶望だった。


「化け物が市場を襲っている!?」

 要約すれば短い言葉だが、目の前にいる人々が紡ぎあった言葉は、彼らの焦燥の表情と共に多大な臨場感を持って、私に絶望を突き付けてきた。

 現実感を失うような化け物が市場を襲い、すでに多数の死者が出ているという。武器は一切効かず、怪力を押し止める事は出来ない。更に怪物の周りは少しずつ灰になっていて、周りの家々が崩れているという。紛う事無き災厄が町にやって来たのだ。

 私の心は震えた。

 怒りでも悲しみでも、ましてや喜びでもない。──純粋な衝動によって私の心は打ち震えた。

 救え、と。心の中がその衝動に満たされる。

 子供の頃から待っていた。人々を絶望に突き落とす巨悪を、この手で討ち果たす機会を。

 分かっている。例え化け物を倒した所で、誰かが救われる訳じゃない。誰かを救うんじゃなくて、何かを倒すなんて、本末転倒だ。まして、私がそんな化け物を倒せるわけもない。それでも、誰かを苦しめる巨大な悪に立ち向かう。そんな英雄に憧れ続けてきた。

 だから私は立ち上がろう。

「神父様? どこへ?」

 決まっている。化け物の元へ。

「無茶です! それよりも住民の避難を!」

 無茶だと分かっていても、例え行ったところで何も変わらなかったとしても、私は逃げるわけにはいかない。私は立ち向かう事を願って生きてきたのだから。逃げてしまったら私は私でなくなってしまうから。

「あなた方は街の人達に今の状況を伝えて下さい。それから、別の町にもこの事件を伝えて下さい。そして逃げる準備も。まだ分かりませんが、恐らく町長は町の放棄と退避を選択するでしょう。その時は住民一丸となってこの町から逃げて下さい。なんとしても生き残って下さい」

「待って下さい! 神父様も一緒に──」

「それはできません。私の心はもう──いえ、最初から縛られていますから」

 私の言葉を別の意味にとったのだろう。目の前にいる若者が必死に叫ぶ。

「そんな! もうこの町は滅んでしまうんですよ? それなのに! この町に縛られたってしょうがないじゃないですか!」

「……この町にっていうわけじゃないんですけどね」

 時間が惜しい。私はまだ説得を続けようとする人々を振り切って聖堂から走り出た。

 何か嫌な予感がする。ひどく明確な予感が。

 この町が滅びると心が言っている。誰も逃げる事はできず、全てが滅びるしかないと、心が叫んでいる。

 だから私は、せめて最後に一花咲かせて散りたいのかもしれない。

 意味なんか考えず、未来なんかに目を向けず、ただがむしゃらに挑んでみたいのだろう。

 己の愚かな行為に理由をつけながら、私は町の中を駆け抜けた。


 現場に着くと思った以上に人が集まっていた。散らかされた商品を踏みしめながら、円を描くように集っている。

 ほとんどが屈強な男達でその手になんらかの武器を握りしめていた。それだけで、彼らが自分と同じ事を考えている事が想像できる。

 思った以上に馬鹿な同士が多い事に苦笑しながら、私は人垣を掻き分け進む。

 必死に人を押し分けて進んだ先に、化け物がいた。

 それはまさに化け物だ。人の背丈を越える狼。体中に血と灰を纏い、口から唾液を垂れ流しながら、鋭い爪を備え付けた手で、血まみれになった男性の首を掴み上げていた。

 男性は悲鳴をあげながら暴れ続けている。長くは持たないだろう。彼を助ける為には──

 私は気付くと隣にいた男から剣をひったくって化け物へと駈け出していた。

 周りから私が飛び出た事に対する驚きの声が上がった。それはそうだろう。普段温厚で通っている(はずの)私が、毎日神に祈りを捧げ平和を願う神父が、信仰に頼らず、十字架も持たず、鋭い剣を手に持って化け物へと走っているのだから。

 化け物が視界一杯に広がる。いざ立ち向かおうとすると、化け物の身体が何倍にも膨れ上がったような気がする。

 怖い。それでも震える足を叱咤しながら足を動かす。

 狙いは化け物の腕。それで男性を落としてくれれば。

 冷静に考えながら剣を振り上げる。

 あと一歩。それでこの剣が届く。

 その時、ゴキリという鈍い音と、真っ赤な鮮血が私へと降りかかった。

 見ると化け物の手の先には首のねじ曲がった男性がぶら下がっていた。

 追い討ちをかけるように、化け物の口から地獄を形容した様な咆哮が溢れ出た。

 頭が真っ白になる。なにも考えられなくなる。

 気が付くと、私は手に持った剣を化け物の首へと突き出していた。


 衝撃。回転。衝撃。暗転。

 真っ暗になった視界を不思議に思いながら、私は闇の中手探りで立ち上がり、歩き始めた。

 見ると、遠くに皆が立っていた。懐かしい顔ぶれが。もう二度と会う事は無いと思っていた。涙があふれていた。よろめきながら歩み寄る。暗い暗い闇の中、ただ一つの光へと向かって。笑顔の二人が僕を迎える。手を伸ばせば届く距離。ゆっくりと手を伸ばして、その手を──

 そして、夢を抱き続けた男は結局世界を救う事などできず、満足感のみを残して消え去った。


   ☆ ☆ ☆


 人が群がってくる。まるで無限に湧き続けるのではないかと思うほどの群れが、歩く『それ』に追いすがって、赤い血肉へと変わっていく。

 なぜ死ぬ為にやってくるのだろう。逃げれば生きていられるかもしれないのに。もしかしてそういう事を考える知能を人は持っていないのかもしれない。

『それ』の意識がそんな事を考えている間に、『それ』の身体は人々の群れる市場の中心に着いた。

 我先にと逃げていく人と馬。他者のことなど考えず己の為に邪魔なものを押しのけながら逃げていく。押されたものは倒れ、踏まれ、なす術もなく淘汰される。ただ一つの異物が混入しただけで、雑多としていた市場は沸騰するような混乱と共に、地獄絵図を再現させた。

 その光景を見て、『それ』は安堵する。

 良かった。ただ争いたくないだけなのだ。身体がどう思っているのか知らないけど、きっと死にたくはないだろう。人間達だって同じはずだ。だから、人間達が自ら逃げてくれるならそれに越した事はない。

 しかし、『それ』の思いを嘲笑うように、一部の人間は『それ』を打ち倒そうと向かってくる。誰もが雄叫びをあげながら、死ぬ事をいとわずに襲い掛かってくる。そしてただの一撃で倒れていく。

 しばらく喜劇の様な虐殺劇が繰り広げられた後、怖れの為か人間は誰もが足を止め、膠着状態に陥った。

 生き残った事に安心を覚える『それ』だったが、そこで自分の中に妙な違和感を見つけた。人間に襲われている間は怖がっていた為に気が付かなかったが、身体の内から何かが溢れ出そうとしているのだ。

 これは何……?

 その違和感に考えを巡らせる前に、人垣の中から人が飛び出してきた。

『それ』の身体は呼応するように、手の先にある人間を捻り折り、強大な咆哮を上げた。

 恐怖が心を支配する。これから何かが起こる嫌な予感が意識をひしめく。

『それ』は飛び出してきた人を弾き飛ばし、更に咆哮を高くする。

 大変な事が起こる。『それ』の意識がその事を理解した瞬間に──


 世界は白色へと変貌を遂げた。

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