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アイナ  作者: 烏口泣鳴
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プレプロローグ

「アイナお嬢様、準備は整いました」

 暗がりの中、老人が恭しく頭を下げ、手に持ったバッグを差し出した。

「うん、行こうか」

 アイナお嬢様と呼ばれた女性は、老人からバッグを受け取った。

 ずしりと思い感触がアイナの腕に伝わる。

「……意外に重い」

 アイナの呟きに、老人は勿論ですと頷いた。

「お一人で未開の島で過ごしていくのですからそれぐらいは当然の重さです。それでもかなり減らした方で、実際」

「あー、分かったから気付かれないうちにさっさとずらかろう」

 アイナの言葉に老人が目の端を吊り上げる。

「アイナお嬢様。その様な言葉遣いは控えてください」

「場の雰囲気には合ってるだろ」

 老人の注意を軽くいなしながら、アイナは扉を開けて外へと出た。


 ──ざわっ!


 瞬間、大気が鳴動した。

 普通の人間には感じ取れない木や土の意思が圧力となってアイナを包む。それは物理的な干渉こそ行わないものの、アイナの精神に重圧を与える。

 眩暈にも似た間隔を覚え、アイナは思わず立ち止まった。

 アイナが立ち止まったことで、老人も同じように立ち止まった。老人はアイナの身に何が起こったのかを悟ったようで、僅かに目を細めた。

「ざわついておりますか?」

 老人の問いに、アイナは冷や汗を拭いながら答える。

「そうだね。こんなに騒がしいのは十年ぶりかな。どちらかというと好意的な感情なんだけど、数が多すぎるね」

 答えながら過去を思い返す。嫌な思いで頭をよぎり、思わず腰に吊るした鞭へと手が伸びた。

「恐らく祝福しているのでしょうな。当主の門出を」

 老人は感慨深げに空を見上げた。天空には満月の昇る満天の星空が広がっている。まるで図ったかの様な絶景を見て、老人は自分の言の正しさを確信した。

 ──世界はアイナお嬢様を祝福している。

 半ば妄想じみた考えだが、老人の心は震えた。

 しかし、老人の熱意とは裏腹にアイナは冷めていた。

「そうだといいけどね」

 にべもなくそう答えると、さっさと歩き出す。

 その瞳に寂しさを湛えながら、声はあくまで気丈を演じていた。

「アイナお嬢様……」

 恐らく昔のことを思い出しているのだろう。

 老人は歯噛みする。

 アイナがこの家に引き取られる契機となった事件。一晩のうちに幼かったアイナをどん底まで突き落としたその事件は、老人が想像できないほどの闇を少女に抱えさせた。

 その事件がどのようなものであったか正確なところを老人は知らない。

 しかし、アイナが時折思い出したかのように動揺する様を老人はずっと見てきた。そして元気付けるための言葉も今まで何度も喉まで迫り上がった。しかし、少女の持つ闇の重さにその言葉は押し下げられてきた。

 老人が悶々とした思いで悩み続けていると、アイナが急に立ち止まって振り返った。

 今現在の状況とは何の関係もない──そしておそらくアイナが望まない──事に頭を悩ませている自分を恥じつつ、老人は慌てて頭を上げた。

「なんだか藪が生い茂ってて道って感じじゃないけど?」

 アイナの問いに老人はすぐさま笑顔を作り、悩みを払拭するように快活に答える。

「はい! 数代前の当主様が趣味で作った逃走用の裏口でございますので、それと分からぬように道などは一切ございません」

「予想よりも荒れ果ててるね」

「こちらの方は手入れもしていません。だからこそ、好都合なのです。アイナお嬢様の目的のために」

「目的なんて大層なもんじゃないよ。知られちゃまずいから知られないように裏門から出る。それだけのことさ」

「遠まわしな言い方ですな。分かっております。名残惜しくなってしまうということでしょう? つまり、それだけこの家の人々を好きだという証拠ですな」

 老人の断定するような言葉にアイナは肯定することも否定することもせず、ただ赤くなった顔を僅かに背けぼそぼそと呟いた。

「……話がかみ合ってないぞ」

 老人は微笑みながらアイナの前へと進み出た。

「私が藪を掻き分けて進みますので、アイナお嬢様は私の後ろについて来てください」

「了解」

 アイナが頷くと、老人は藪を掻き分けつつ前へと進んでいった。老人の体によって追いやられた藪の間をアイナが進む。

 十分ほど歩いたころだろうか。視界を遮り、歩みを阻む森にようやく終わりが見えた。

「アイナお嬢様、ようやく着きましたぞ」

 老人の疲れた声を聞きながら、アイナは眉をひそめた。

 ずん、と先ほどとは違った重みがアイナの身にのしかかった。

「──っ!」

 祝福と賛辞の中、木と土が別の意思を発した。

 誰かがいる、と。

 最初は侵入者かと思った。しかし、その他の自然は相変わらずアイナへの祝福を送っていた。もし部外者が侵入したのなら、他の自然も警戒を発するはずだ。

 恐らく、誰かがアイナのために木々を切り開いて土を慣らしていてくれたのだろう。

 アイナはその正体を悟り、呆れたように肩をすくめた。

 一方、何も知らない老人は開かれたその場所を見て、訝しげに呟いた。

「む、おかしいですな。この辺りはもっと草木が生い茂っていたはずなのですが」

 老人がアイナに注意を促そうと振り向こうとした瞬間、あたりに雷光の如き光が走った。目のくらむような光に当てられて、二人は呻きながら目を覆う。

 二人が覆った手を外すと、そこには家中が勢ぞろいして出迎えている姿があった。

 アイナの心にはやはりという思いと、それ以上になぜという疑問が湧く。これは内緒の計画だったはずだ。

 まさかと思い老人を見やるが、老人は知らなかったようで驚愕の表情で固まっている。

 隠れながらのつもりだったけど、バレバレだったのか。アイナは舌打ちをしつつ、前へと進み出た。

 老人がそれに気付いてアイナに道を譲る。

 老人の横を通り過ぎる時、アイナは口を開いた。

「だから言っただろう」

 老人が全て分かっていると言いたげな笑顔で頷いた。

「だから言っただろう。これだから知られたくなかったんだ。こういうことをされたら行きづらくなるじゃないか、まったく。居候の私にこんな……」

 そこで言葉に詰まった。目から流れる液体を拭い去り、その口に微笑を湛える。

 老人が恭しく一礼している前を通り過ぎ、彼等の歓待を受けるため毅然とした態度で白光の中へとその身を躍らせた。


   ☆ ☆ ☆


 休み明けの早朝、さらに授業中という状況からか、学食にはほとんど人がいない。

 そのがらがらに空いた学食の真ん中に、一人の女性と兎の人形がいた。

 人形は暇そうに携帯ゲームと格闘し、女性は携帯の画面をものすごい形相で睨みながら、「ううー」と唸っていた。

 そして更にもう一つ。学食に入ってきた影があった。影はまっすぐと一人と一匹の元へ歩みより、女性の背後に回った。

「何をしてるんだい」

 背後からかけられた声に女性は慌てて振り返る。

「イルリン! なんでこんなところに?」

 妙な呼び名で呼ばれたアイナ・テイラー・ブリッジは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「また私の仇名を変えたのかい?」

 アイナは一つため息をつくと、話題を変えた。

「ところで、講義は始まっているよ。島から帰ってきて久しぶりの大学初日、一限目をサボるなんて正気の沙汰とは思えないね」

「えへへ」

 アイナの指摘に女性は顔を赤らめ頬を掻く。

 横に座る人形が口を開いた。

「そいつの姉から今日休みだからどっか行こうって話が送られてきたんだ。んで、待ち合わせ場所がこの学食ってわけだ」

「なるほど。また姉君関連か。てっきり彼女でも出来たのかと思ったよ」

「なんでそこで彼女って単語が出てくるのかなぁ」

 女性が聞きとがめるが、アイナは飄々と嘯いた。

「ん? 君の性癖は男性ではなく女性に寄っていると思ったんだけど」

「あのねー! 私だって異性に惚れたことあるんだからね」

 アイナは目を見張った。相当驚いたらしい。

 そんなアイナの様子に女性は更なる怒りを募らせる。

「島であった超紳士的な兎さん。もんのっ凄くカッコいいんだから!」

 ちなみに彼女の言う兎さんは女なのだが、彼女はそのことを知らない。

「今だってメールのやり取りしようとしてるの!」

 ほら、と言って携帯を突きつけてきた。そこには題名に『兎さんへ』とだけ書かれた本文白紙のメールがあった。

「しようとしてるって……まさかさっきから携帯を睨みつけてたのは」

 女性がアイナの言葉を引き継いだ。

「そう。送ろうか──送るとしたら何て送ろうか。ずっと悩んでるの」

「悩むくらいなら送ればいいだろう。合理的に考えればそっちの方がいいはずだ」

「そういうわけにもいかないんだよぉ。だって島って言う繋がりが絶たれちゃったから」

 情けない顔で女性が呟いた。

 何かを言おうと再びアイナが口を開いたその時、遮るように人形が割り込んだ。

「臆病者に何を言っても無駄さ。ところで、そっちも講義だろ? 何サボってんだ?」

 アイナはにやりと口をゆがめた。

「遂にパーティーが始まるんだ」

 どこか興奮したようにアイナが告げる。

 その瞬間、女性と人形は同時に目を見張った。

「それじゃあ……」

「ああ、一週間後に始まる。もう大学には届出を出し、講義は基本的に出ない。友人達に別れの挨拶を済ませて、今日島行きの船に乗るつもりだ」

「そっか……寂しくなるね。──あれ? 私が行った時、船は十時半に出てたけど間に合うの?」

 アイナは楽しそうに笑った。

「ハハ、実は結構ぎりぎりだ。君達が教室に居てくれればもっと余裕があったんだけどね」

「う、ごめん」

「別れは君達が最後だから大丈夫。でも、そろそろ行かせて貰うよ」

 食堂の入り口に立つ老人がしきりに、アイナへと視線を送ってくる。

「それじゃあ、またいつの日にか。土産話は期待しててくれ」

「うん! 面白い話をよろしくね!」

「死ぬなよ」

 短い別れを交わして食堂を後にする。足早に進むアイナの背後には老人が付き従う。

 と、目の前から二人の人影が歩んできた。片方は二十台後半の女性。もう一人はまだ十歳にも満たない子供。

 親子か? 少し気になったが、そのまま脇を通り過ぎようと、足を進めた。

 その時、

「あなたに地の民の加護があらんことを」

「え?」


 ──ざわり。


 膨大な自然の意思がアイナに圧し掛かった。

「うっ」

 よろけて体勢を崩した。

 ──建物の中だとほとんど届かないはずなのに。

 冷や汗を掻きつつ、後ろを振り返る。二つの人影が学食に入ろうとしていた。

 ──あれが姉君か。

 確証は無かったが、確信があった。

 ──噂通りの霊能力者ぶり。まるで化物だね。

 老人の助けを借りて立ち上がり、再び歩を進めた。

 先ほど学食で別れた女性がかつて話してくれた内容を思い出す。

(島って私のお姉ちゃんよりも凄い人がいっぱいいるの!)

 その時は笑って聞き流したが、今は切実にこう思う。

「前途多難だね」

 来るパーティーに思いを馳せて、アイナは無意識のうちに拳を握り締めていた。

この小説の主人公はとあるネットゲームの自キャラです。

次話以降の本編はキャラクターの過去話となります。

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