飛翔
蚊がうるさくて眠れやしない…。
夢うつつの意識の中で、僕は唸った。
いつからか知らないが、ずっとブンブンいっているのだ。
小さな音だがひっきりなしだ。
南の島はこれだから困るんだよなあ、虫が多いから‥。
耳元まで蚊がやって来て、パチンと叩いたと思ったら、体がびくっと動いただけだった。
ああ、僕は夢を見ているんだと夢の中で思った。
意識が少しずつ現実に戻ってきて、ブンブンいう音が言葉としてようやく聞こえ出した。
(ねぇ)‥誰だろ?(起きて)?
‥もう竜退治の騎士がやって来たのか‥。
ここはやはり重々しく、わしの眠りを妨げるのは誰じゃ?と言って、一声吼えてから‥わしじゃ年寄り
臭いな。
やっぱり俺?
俺の眠りを妨げるのは‥(ねぇ!起きてよ!)
そうだ、竜はしゃべれないんだっけ‥しかし、女の挑戦者とは珍しい‥。
(起きてよ!私よ!)
私?誰?
僕はぱっちりと目を開いた。
そこには、金色に光り輝く小さな玉が浮かんでいた。
これって、きみ? (そう、私よ)
僕は完全に目が覚めた。
憂鬱は完全に消え去り、いきなり喜びが大爆発を起こした。
心の底から嬉しかった。
僕は溶岩流をばしゃばしゃ跳ね回って、千切れるかと思うぐらいぐるぐると尻尾を回した。
思うがままに喜びを表現してようやく落ち着いてから、僕は恐る恐る光の玉に鼻を近づけた。
それじゃあ、成功したんだ!やったー!
と再び喜ぼうとすると、
(バッカねぇ、あれは全部無駄だったわ。私が土の中にいるわけないじゃない)
ときみは軽蔑したように言った。
軽蔑したように言うが、ちょっとあきれた、しょうがないなっていう感じが暖かな感情に包まれてい
て…。
何か変だな?手に触れそうなぐらい感情が感じられるんだけど…。
だいたい頭の中になんで声がするんだろう‥?
(念話っていうのよ。私、魂のままであちこちふらふらしてたんだけど、霊媒師の人としゃべったとき
に、そう教えてもらったの。感情も直接送れるのよ)
それから、僕はきみがこれまで何をしてきたのかを長々と教えてもらった。
念話で話をしている間に、光の玉はどんどん大きくなってそれはそれは素晴らしい黄金色の竜へと形を
取り始めていた。
(あの囚われの湖の底でどうしようもなく泣いていたとき、私は本当に切望していたわ。
あの高みにある陽の光の中に上っていって外に出たいって。
あなたの投げてくれた光の矢のおかげかもしれない、光の矢をぎゅーっと抱きしめて、あなたに会いた
い、会いたい、会いたい‥ってずーっと念じ続けているうちに、ある日、ふっと体が浮いたの。
それまで、ジャンプしたって絶対浮かなかったのに。
夢中で上に上がっていったわ。
明るい陽の光を全身いっぱいに浴びたときは本当に嬉しかった。
それから気が付いたの。私、ふわふわ浮かんでるわって。)
きみは、体を置いて魂だけになっていた。
本当のところ、なぜそんなことができたかはわからない。
魂は、体で動くように歩いたりはしない。
ふわふわ浮かんで移動するそうだ。
(ただ、馬に乗ってたり船に乗ってたりする人の魂に掴まってたら同じように移動できる。
動物の魂も掴むことはできるけど、苦しそうにするからすぐ離しちゃう。
人間だって魂を掴まれたら何かしら気がつくわ。
あなたは‥ぜんっぜん気が付かないんだから!
超が付くぐらい鈍感よ。この鈍感男さん!)
僕があの湖畔で死ぬほどジタバタしていたときに、きみはすぐ横にいたんだね。
全く気が付かなかった。
きみがほとんど僕と同じぐらいの竜にまで成長したとき、僕はその美しさに見惚れてしまった。
光り輝くきみ、優美な首のライン、楔形のがっしりした頭、しなやかな尻尾‥、人間の言葉じゃ説明で
きないや。
竜の美しさは竜にしかわからない。
(うふ、私ってきれい?)
ああ、とてもきれいだよ‥。
ここで僕は、雷に打たれたようにびくっとした。
無くした物がいきなり目の前に転がっているのを見つけたような感じで、急に思い出したのだ。
(きみは‥サラ、サラだ。サラ!)
きみは‥サラは、考えるようなそぶり(感情)を見せながら、
(そう‥そうね。私の名前はサラ。サラだったと思う!
‥ごめんね。あなたの名前を思い出せなくて)
僕は仲間からは最初、名無しとか呼ばれて、夢見る坊やとか、単に坊やとか呼ばれていたっけなあ‥。
(坊や!)
ちょっと!!その、勝手に声を聞くのはやめてくれない!?
(あら、コツを掴んだら隠せるわよ。感情もね)
本当だ。サラの感情が見えなくなった。
(コツを掴むまでは、あなたは私に嘘はつけないのよ~)
サラの言葉の背景に、意地悪そうな笑いが浮かんでいた。
全くもう‥。‥サラはきっと年上だね‥。
(ま、年上だったら何だって言うの~…)
やれやれ、早くコツを教えてもらおっと‥。
(私は、あなたが坊やって呼ばれているのは知っていたわよ。
だいたいあなたにくっついていたから。
あなたが火の山の火口で身を投げたとき、私は悲しかった。
行ってしまうんだと思って)
人が死んだとき、魂はどこかに引っ張られて飛んでいくらしい。
サラが言うには火の山じゃないかと。
死者が集う山というのは本当だったのか?
(だから、火の山の火口だったら下の方に沈んで行ってしまうのかと思って悲しかった。
何かの方法でまた赤ちゃんになって戻ってくるんだろうけど、それは本質しか残っていないんだわ。
あなたの個性は永久に失われちゃう)
それが竜になった。サラも、なぜ僕が竜になったかはわからないそうだ。
そして、僕が黒の湖でサラを焼き殺してしまったとき。
(あれは確かに私の体だったけど、私じゃなかった。
たぶん黒い水が操っていたんだと思う。
体が無くなったら急に強い力で引っ張られ出した。
慌て私はあなたの魂にしがみついたの。
体は、魂にとってこの世界に留まるための碇ね。
それからあの急降下。
全くバカなんだから。
せっかくの竜の体を放棄したかったの?
私が一生懸命引っ張り上げなかったら‥、これで二度目よ‥)
何が?一度目っていうのは?
(あなたが寝込みを襲われたとき…)
サラが言うには、危機的状況で僕の魂に直接働きかけようとしたことらしい。
一度目というのは、僕がまだ人間で火の山を目指していたときのことだ。
仲間の国が隣りの国と戦争をしていたときに、仲間のために僕も参加した。
それで僕のいた部隊が寝込みを急襲されたんだ。
間一髪だった。
あの時、直前に目が覚めなかったら殺されていた。
剣を取るのが精一杯だったから。
ひどい戦いだった‥。サラのおかげだったの?
(そうよ。叩いたり引っ張ったり、踏んで蹴ってやっと起きた‥。
急降下のときだって私が引っ張り上げたからあれだけの傷で助かった‥)
(ふうん…)
(ふうんじゃないの!)
サラの尻尾が飛んできて、僕を手ひどく、ばしっ!と叩いた。
実際、かなり痛かった。
(あ、ごめん、まだ尻尾の使い方に慣れてないから…)
一瞬、ペロっと舌を出しているサラの顔が‥、舌を出してって‥。
今の、人間のときのサラだね?もっと見せてよ!
また一瞬、ブロンドの髪がなびいている顔が見えたがすぐに消えた。
わかんないよ、もうちょっと長く…。
(いいじゃない、私はもう竜なんだから…)
サラの複眼が不思議な謎めいた光でぐるぐる渦巻いている。
…美しい。
(私はあなたの魂にしがみつきながら、なぜか竜になれるって予期していたの。
あなたが火の山の溶岩流にずっと浸かっていてくれたら‥。
それを、あなたはバカなんだから無駄な土いじりをして‥私がどれだけ待ったか‥全くバカね!)
僕は、サラの尻尾が飛んでくるのを予期していたので尻尾で受け止め、絡みつかせた。
バカバカ言わないでよ。あれ?‥サラの目、おかしいよ、赤くなってる‥。
サラの首が僕の首に巻きついてきたので僕も負けじと首を巻いた。
首を巻きつけるのがひどく官能的なのに驚いた。
ぞくぞくする。鱗がざわめいて仕方がない。
そんなところを掻いちゃだめ‥。
僕も同じところを掻いてやろうとしたら、サラはぱっと飛び離れた。
ついで優雅に飛び上がる。
初めてにしては上出来だ。
僕も飛び立とうとしたそのとき、突如重々しい声とともに黒々とした言葉が頭に浮かんできた。
交合飛翔…。
え、何?誰かいるの?
言葉はすぐに消え、答える者も誰もいない。
サラではない。
…ま、いいや。
僕は興奮を押さえ切れなくて、力いっぱい跳ね飛び羽ばたいて、もうはるかな高みにいるサラめがけて
まっしぐらに上昇した。
サラは太陽の光を浴びて、きらきら煌めきながらゆっくり飛んでいる。
僕の体の隅々から喜びが満ちあふれてきて駆け巡り、口から歓喜のほう喉となって飛び出した。
サラも叫び返す。
歓喜の叫びは竜の歌となり、いつまでもどこまでも火の山の峰を越えて響き渡っていった。
おわり
お楽しみいただけましたでしょうか?
次作は、サラが魂となって放浪したときの話にしようかと思っています。
題名は「ふわふわサラ」(微笑)。
果たして心待ちにしてくれる方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、鋭意努力
します。