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繋がる魂  作者: 水上踏吾
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永久に

どこまでも続く空を、僕はすっかり満喫しながら飛んでいた。


はるかな高みから眼下を眺める。見覚えのある町や丘や道が見える。


あれほど苦労して踏破した数百リーグを、今度は一飛びで越えようとしている。


ある町を見出したときは、よっぽど寄って行こうかと思った。


その町にはひどく懐かしい顔がある。


竜になった僕を見たらびっくりするだろうな。


驚いて逃げるに違いない。


妙な悪戯心が疼いて仕方がなかったが、寄り道している暇はない。


もしも、もしかしてひょっとしてきみに会うことができたらどうなるだろうかと面々考えていた。


僕は竜できみは人間。


僕はもう人間の言葉を話すことはできない。唸ったり吼えたりするだけだ。


一番悲しいのは、きみを抱きしめられないことだ。


きみを抱きしめた記憶はもはや失われてしまったというのに、これからもその機会を失ってしまうこと


になるのか‥。


僕は、古く白っぽくなった記憶の扉を開け、きみの姿を懸命に探し出す。


何度も何度も探したところだからあるはずがないとわかっていても、かけらでいいからきみの記憶をよ


みがえらせて、今一度記憶に刻みつけておきたかった。


…柔らかなきみの体を力いっぱい抱きしめて、首すじに顔をうずめ、甘く芳しい髪の匂いを心ゆくまで


楽しむ。


体を離してきみの笑顔を見‥、ああ!きみじゃない‥。


僕はきみにとても会いたいと思うのに、会うことに気後れする僕も感じる。


何よりも恐ろしいのは、竜になった僕をきみが愛してくれるのかどうか‥。


意気消沈してぼそぼそと飛んでいても、ついに、最後の望みの場所が見えるところまでやって来た。


年中、ぶ厚い霧の晴れない場所。


生き物の声もなくひっそりと静まりかえり、沈黙が支配する場所。


湖に続く道が一本見えるが、近くに住んでいる者は誰ひとりとして近づかない。


厚い霧のわずかな隙間から湖を臨んで僕は愕然とした。


あの湖は、こんなに黒い沼のような色をしていたのか?


竜の目だからこう見えるのか。


真の姿はこんな黒い邪悪なものだったんだ。


気配も感じるようになった。


禍々しい圧力を感じる。近づくに連れて更に圧力が増した。


人間だったときに、よくも僕はこんな場所で平然としていられたものだ‥。


でも、本能でこの水に入ってはいけないことをわかっていたんだな。


入れば死よりも恐ろしい結果が待ち受けていると。


少し離れた場所に、僕はすとんと着地した。


用心深くゆっくり近づく。


黒い湖面がうねうねと波打っているのがわかる。


明らかにこちらの存在に気がついている。


何者か、果たして人と言えるのかどうかわからないが、邪悪な意思が僕を迎え討とうとしている。


敵意が空気に満ち満ちて、僕の体がひりひりする。


強い力があるのも感じる。


僕の炎の力に対抗できるのか。


何が来るかわからないので、いつでも飛び立てるよう体制を整えながら湖面すれすれに炎を吹いた。


黒い湖面が驚いたかのように身じろぎする。


ぶるぶる震え、ついで盛大に立ち騒ぎだした。さあ来いとでも言うように。


今度は湖面に直接吹いてみる。


炎の当たった湖面は、しゅーっと凄い音を上げて爆発的に蒸気化していったが、頑強に抵抗しているの


がよくわかった。


二度、三度と吹いて敵の力を試した後、次はもう少し強く吹いてみた。


後で考えてみると、敵はこの瞬間を狡猾に待っていたのだと思う。


強めに炎を吹いた瞬間、湖面からの圧力が一気に引き下がるのを感じた。


底まで一気に道が開き、僕の放った炎は苦もなく底まで届いた。


僕は見てしまった。見えすぎる目で。


きみの姿を!ほんの一瞬だけ‥。


きみが…白い姿のきみが…、迫り来る猛烈な炎に、あまりにもか弱い防御の手を上げ…一瞬にして燃え


上がり…蒸発するのを…。


僕は瞬時に発狂した。


矢のように飛び立った僕はきみのいた場所に舞い降り、きみを探した。


居ようはずがない。


この目で見たのだから。


黒い湖水が、地に染み込んだのか蒸発したのか跡形も無くなっていた。


強い敵意も雲散霧消していた。


跡を引いて消えていく満足げな暗い笑い声を聞いた気がした。


僕はほう喉し、盛大な炎をぶち上げ、辺りを焼き払った。


正体不明の敵を呪った。


きみのいた場所を掻ぎ爪でかきむしって自分の体もかきむしって、泣いた。


竜は涙を流さないので、心の中で血の涙を流した。


僕が!僕が!僕が!…この手できみを殺してしまった!


酷い喪失感に襲われて、僕は、どうっ!と力なく体を投げ出した。


なんのために、なんのために、竜にまでなって…。


僕は心の中で何かが折れるのを感じた。


不屈の闘志の源となっていた心棒を。


今度こそ確実に失ってしまった。


もうこの世界のどこにもきみはいない。


僕は、ばしんと音を立てて尻尾で力いっぱい地面をひっぱたいてから、真上に飛び上がった。


そのまま力の限り羽ばたいて、どんどん真上に上昇する。


先ほど、僕が荒れ狂っていたときに、体を掻ぎ爪でかきむしっていて気がついた。


火にはあれほど強靭な鱗も、鋭い掻ぎ爪で思い切り引っ掻けば、剥がれて傷が付き血が出ることを。


竜の血も赤いんだと、暴風が渦巻く心の片隅で小さく驚いていた。


竜は不死身じゃない。死ぬこともできるんだ。


初めて自らの死を望んだ僕は、どこまでもどこまでも天空を駆け上がった。


地平線が丸くなり、青かった空がどんどん暗くなって星が見え始めた。


音が無くなる。


空気が薄くなって羽ばたいても上がれなくなったところで、ゆっくり翼を閉じた。


体は今度は頭を下にして落ち始めた。


真っ逆様にどこまでも。


地上にある苦しみの無い平穏な世界を目指して。


音が戻ってきてごうごうと響き始める。


心の中は至極平穏だった。


楽しかったことばかりが次々と脳裏に浮かんでは消えた。


そのときに、ふと何かが心の表面にぽかっと浮かんできた。


あれっ?と思うと、途端に意図せず翼が開いた。


急激に落下スピードにブレーキがかかる。


翼の骨が軋んで、もぎ取られるような痛みが走った。


急カーブを描いて、僕は斜めから地面に突っ込んでいた。


かなり地上に近づいていたのだ。


僕は地面を深くえぐり、立木をいくつも弾け飛ばしてやっと止まった。


生きている。


激痛が体のあちこちを貫いたが生きていた。


僕の心の表面に浮かんだのは、僕は火の山で火口に身を投げたときにに、体は蒸発したけど竜に成った


という考えだった。


ひょっとしてきみだって火の山に連れて行けば…。


もちろん、条件が全然厳しいのはわかっていた。


きみの体はあの黒い湖の場所で蒸発した。


拡散したかもしれないが、湖底だったあの場所の土に、きみは…染み込んでいるかもしれない。


望みはみるみる膨らんで、試さずにはいられなくなった。


僕の体は右側を下にして地面に激突したのだろう、右側がずたずたになって血まみれになっていた。


右目が見えないし右手も折れてダランと垂れ下がったままだ。


しかし、翼はしっかりたたんでいたおかげで大丈夫だった。


辺りを飛び回って、畑を耕しているひとりの農夫を見つけた。


僕の掻ぎ爪は、土は掘れても袋に土を詰めるというような作業はできない。


人間の手が必要だった。


すとんと着地するつもりだったが、僕は少々フラついていて、農夫の目の前にどしんと着地してしまっ


た。


農夫は腰を抜かした。


這って逃げようとする農夫を口で押さえると、農夫は気絶してしまった。


ちょうど鍬とズタ袋を持っていたので、手に鍬とズタ袋を持ち、農夫は傷つけないようそっと口にくわ


えた(竜は物を食べないのになぜか大きな口と牙がある)。


湖底だった場所で、農夫が目を覚ますのを待ってから、死ぬほど怯えている農夫になんとか納得させ


て、土を袋に詰めさせた。


終わってから、連れて帰ってやろうとくわえようとしたら、農夫は必死で抵抗した。


それでは返って傷付けてしまうので離してやったが、それほど家まで遠くはなかっただろうから帰りつ


けただろう。


そして‥、こうして僕は火の山の火口にいる。


手にズタ袋を提げて。


実際に土を袋に詰めてみると、きみが戻ってくるとは信じられなくなってきた。


こんな土がきみになるのか?と疑わしくなってくる。


百万にひとつぐらいの望みかもしれないが、試さないよりはずっとましだ、と自分を納得させた。


ズタ袋を溶岩流に落とすと、一瞬炎が上がってしばらく跡が残っていたが、すぐにわからなくなった。


僕は待った。何日も溶岩に浸かりながら。


しかし何も起きない。


気配も無い。


ちなみに溶岩に浸かっていると、目や腕は徐々に再生してきた。


希望が膨らむ。


僕はある結論に達した。量が少ないんだきっと…。


農夫の前に二度目に姿を現すと、またか、やめてくれという顔をして農夫は逃げ出した。


僕は難なく捕まえた。


今度は三袋詰めさせた。


持ち帰って溶岩流に放り込み、何日も待ったが結局なんの効果も現れなかった。


こうなったら根こそぎだ‥。


三度目に行ってみると農夫は居ず、近くの家にも居なかった。


仕方がないので近くの町に行くと、数人の騎士が立ち向かってきた。


鼻息で熱風を一吹き送ってやると、騎士たちは簡単に吹っ飛んで気絶した。


町で一騒動巻き起こした後、二人ほど捕まえて、大きな袋に詰めさせて持って行った。


効果無し。


四度目は、今度は数百人規模の、どこかの国の正規軍と思われる兵士たちが待っていた。


出来るだけ傷付けないよう蹴散らした後、将軍と思われる人物と身振りで談判して、やっと僕のして欲


しいことを理解してもらった。


彼は肝の据わった男だったな。


‥しかし、さぞ珍妙だったろうな。土を掘って袋に詰めろと説明する竜なんて。


久しぶりに僕の心に小さな笑いが戻った。


協力してもらい、大きな袋三袋をなんとかぶら下げて持って帰った。


効果無し。


五度目、六度目‥。


彼らもずいぶんと協力的になって、一大工場のようになってしまった。


大きな袋を三つぶら下げて何度も往復した。


七度目、八度目‥。


きっと奇妙な伝説になるだろう。農夫のまねをする竜‥。


九度目、十度目‥。


もう、湖底の表面にあった土はほとんど剥いでしまった。


僕は不機嫌な気持ちで溶岩流にプカプカ浮いている。


全く何の変化もない。


意気消沈してしまった。


死ぬ気力ももはや無くしてしまった。


このまま僕は火の山の主として、寿命が尽きるまで(あるのかな?)ひとりぼっちで過ごすことになる


のか。


火の山の伝説になるのかな。誰かがやって来たら、お前、喰い殺すぞ!があっ!


…僕は自嘲気味に薄く笑った。


そして、僕は今日も微かなきみの記憶と戯れて、いつ終わるともしれない微睡みの中にいる…。



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