誕生
気が付くまでずいぶん時間がかかっていたと思う。
夢を見ていた。どこか暖かな南の方の海辺で、遠浅の砂浜、波間に揺られて漂っている。
とても気持ちがいい。
眠ってしまいそうだ。このまま永遠にこうしていたい‥。
僕を呼ぶ声がする。
遠くなった浜辺で小さな姿が手を降っていた。
誰かなと思ったが、‥ああ、きみだ!
そこで、はっと目が覚めた。
目に入った状況は驚愕のものだったが、見え方もおかしかった。
百もの目で見ている感じ。この見え方を説明するのは難しい。
そういう器官を持っていない人間にはね。
とにかく、同時にいくつものものが見えて、しかも遠くまではっきり見える。
この目からは何者も逃れることはできない、と敵対する者は誰もが恐怖をもって語るようになる。
僕が見たものは、目を焼かれて見えなくなる直前に見た地獄の劫火そのものだった。
僕は、ぐつぐつ煮え立つ溶岩の海にプカプカ浮かんでいたのだ。
僕は焦って手足をバタバタと動かした。
逃げようともがきながら、おかしいぞ、と思った。
逃げる暇なんかあるはずない、手や足があるなんて‥、こんなの、灰も残るはずがないのに‥。
僕はいったいどうなったんだ?
もがくのをやめた僕は、流動する溶岩の海に身を任せた。
全然熱くないのが不思議だった。
ちょうどいい温度の風呂に入っている感じ。
ブクブクと沸き立つ泡が、マッサージのように僕の体に当たって気持ちいい。
しかし、見た目が溶岩なので混乱してしまう。
ぞっとして身震いがした。
鱗がざわざわっと‥鱗!?
僕は左手を上げ前に持って来てしげしげと見た。
左手は炭になってボロボロと崩れ落ちたのをはっきりと覚えている。
掻ぎ爪が生えてる‥。使いにくそうな手だな‥て、これが僕の手!?。
指は一応五本揃っているが、物は掴めても細かな作業はできそうにない。
手の甲から腕にかけて細かな鱗がびっしり生えている。
見ていると鱗が、ざわっと動いた。
人間だったときの鳥肌が立つのと同じような感覚だった。
爪の先から腕にかけて、色の基調はブロンズ色。
手の平は白っぽくなっている。
体はどうなんだろうと首を回して(異様に首が回るな)みると‥翼‥もう驚くのには慣れた。
さっきから感じていた不思議な感覚はこれだったのか。
両手がもう一対、付いている感じ。
動かしてみると翼がバタバタと動いた。
開いたり閉じたり。左を開いて次に右を開いて。
逞しい筋肉が付いている。
いかにも飛びそうな。
こうもりの翼みたいに膜のある翼だが、強靭そうだ。
傍らの溶岩流に片方の翼を差し入れてみたが、どんなものでも焼いてしまいそうな溶岩が、膜の上でさら
さら流れるだけだった。
これは‥そう。竜だ。
伝説の竜の姿と一致している。
でも、伝説上の架空の存在だったはず。それが存在しているなんて。
しかも、それが僕!?
竜だったら火が吹けるかな、と思った僕は、口を開けて腹に力を込めた。
ひと吹きすると、自分でもびっくりするほどの太い凶悪なぐらいの炎が出た。
火を吹こうと思ったら、自然にお腹に力が入った。
どういう構造で火が出るんだろう?不思議だ。
お腹の中に力がモリモリと溜まっているのはわかる。それが火の源なのだろうけど。
しばらく僕は自分の新しい体を色々と試していたが、何のために火の山に来たのかを唐突に思い出した。
そうだ!きみだ!きみはどこにいるんだ!?
地獄の大釜、火の山の火口は結構広い場所だったが、僕以外に生きているものはいなかった。
ただ溶岩がぐらぐらと煮え立っているだけ。
僕ひとりだけだ。
逝ってしまった仲間の姿もない。
と、急に足元のずっと下の方から圧力が高まるのを感じる。
何かが来る!
溶岩が火口を上昇していき、僕も一緒に上がっていった。
大きな泡が、ごばっ!と弾け、外側の冷えた溶岩を弾き飛ばす。
たくさんの火の付いた岩が虚空に向かって飛んでいった。
ただの小噴火だ。
僕は顔にかかった溶岩を慣れぬ手つきで拭う。
竜の弱点は目だって誰が言ったんだ?
目の上にかかった溶岩を拭うときに僕はそう思った。
目自体は固い感じで少々のことでは傷つきそうになかった。
無論、痛くもない。
一応まぶたはあって、目をつぶることはできる。
そうそう、尻尾もある。結構自由に動かせる。
僕は尻尾で溶岩流を物憂げに叩きながら考えた。
いったいどこに行こう。あの湖に戻ってみようか。他に行くところなんてないし。
僕は、飛び立つことに決めた。
この翼で本当に飛び立てるのかな?
最初はゆっくり羽ばたきながら、次第に羽ばたきを早めた。
体が浮き上がっていくのがわかる。いけそうだ。
なんだか興奮してきた。
飛翔への予感が身を奮わせる。尻尾でばしばしと溶岩流を叩く。
それっ!
僕は翼を力いっぱい打ち下ろして飛び立った。
軽々と溶岩流を離れることができた。
羽ばたくたびに力が増し、みるみるうちに高度を稼いで火口の淵へ近づく。
そのまま、噴煙とガスの壁を突き抜けて、青い空へ飛び出した。
うわーー!飛ぶってこんな感覚なんだ!
強い開放感があった。
空の真っ只中で、どこにでも移動できる!自由だー!
僕は叫んだ。竜は喋れないから、吼えた。
横転したり急降下や急上昇を繰り返した後、頭、背中、尻尾をピーンと伸ばして滑空するのが一番楽なの
を知った。
その姿勢を取ると、彼方の薄暗くけぶる空を目指す。
今度こそ…見つけるんだ!