新しい日常のはじまり
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、ヒナの隣で眠る少女の頬を優しく照らした。
彼女は静かに呼吸をしていて、唇から小さな寝息が漏れている。
猫の耳が、遠くの音に反応するようにピクッと動いては、またゆっくりと垂れた。
ヒナはまだ信じられない思いで、そっとスマホを手に取った。
(これ…本当にサキ、だよね?)
胸の鼓動が早くなる。
少し迷ってから、眠っている少女の顔の前にカメラを向けた。
布団から出ているのは頭だけ。
柔らかそうな黒髪、ほんのり赤い頬、そしてピンと立った猫耳。
ヒナは思わず微笑んだ。
「……かわいい。」
パシャッ。
スマホのシャッター音が静かな部屋に響き、小さな白い光が瞬いた。
その瞬間、サキがピクリと動いた。
黄金色の瞳がぱっと開き、光に反応して細くなる。
「……にゃ?」
かすれた、寝ぼけたような声。
そして次の瞬間、勢いよく起き上がった。
「わっ!?」
ヒナは思わずのけぞる。
サキは鼻をひくひくと動かし、周りの匂いを確かめるようにしていた。
「サ、サキ! 落ち着いて、私だよ!」
慌てて叫ぶヒナ。
猫耳の少女はヒナを見つめ、首をかしげ――次の瞬間、ぱっと抱きついてきた。
頬をすりすりと押し当てながら、嬉しそうに言う。
「ヒナのにおい……あったかい……」
ヒナの心臓が破裂しそうだった。
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数分後。
ヒナはサキをそっと風呂場へ連れて行った。
湯気がゆらゆらと立ちこめ、浴室が温かい空気で満たされていく。
まだ眠たそうなサキは、裸のまま周囲をきょろきょろ見回しながら言った。
「ここ……あったかい?」
「うん、お風呂だよ。気持ちいいから、入ってごらん。」
ヒナは笑顔で言いながら、心の中では少しドキドキしていた。
サキはおとなしく湯船に座り、耳をしょんぼりと下げた。
ヒナが髪を洗い始めると、サキは目を閉じ、気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「にゃぁ〜……きもちいい……」
「ふふっ、動かないでね。すすげなくなっちゃうから。」
しかし、水がしっぽや頭にかかるたび、サキは「ひゃっ」と跳ね、バシャバシャと手を振った。
「つめたい! つめたいの!」
「つめたくないよ! ぬるいってば!」
ヒナは笑いながらびしょ濡れになった。
ようやく全部洗い終えると、ヒナは大きなタオルでサキを包み込み、やさしく拭いた。
サキは自分のしっぽを両手で抱きしめ、「水との戦いに勝った」ような得意げな顔をしていた。
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部屋に戻ると、ヒナはクローゼットを開けて古いセーターとショートパンツを取り出した。
少し大きかったけれど、サキは嬉しそうに袖を通す。
「ふわふわ……ヒナのにおい……すき。」
「も、もう……やめてよ……」
ヒナは真っ赤になって視線を逸らした。
二人はリビングのテーブルに座った。
ヒナは温かいミルクを注いで、サキの前に置く。
サキは両手でカップを持ち、くんくんと匂いを嗅いでから、ゆっくり口をつけた。
ピクッと耳が立つ。
「おいしい! すごくおいしい!」
ヒナは吹き出した。
「ほんと、変わってないね。」
サキは顔を上げ、にっこりと笑った。
「ヒナ、笑った……うれしい?」
「……うん、ちょっとね。」
やわらかな沈黙が流れた。
朝の光がいつもより明るく見えた。
ヒナは心の中で、今日という日から自分の日常がもう戻らないことを悟った。
――でも、それが少し嬉しかった。




