群集の仮面
人は愚かなものです。本当に
街の喧騒は、まるで無数の蟻が這う音のように、耳にまとわりつく。私は喫茶店の窓際の席に座り、街行く人々を眺める。ガラス越しに映る彼らの顔は、どれも似ている。笑い、怒り、叫ぶ。だが、その目はみな、同じ光を宿す。自分の正しさを信じる、鈍い輝きだ。
私の隣のテーブルでは、男が一人、スマホを手に熱弁を振るう。「意見は人それぞれさ」と、彼は言う。声は軽やかで、まるで詩人のように滑らかだ。だが、その指は画面を叩き、異なる意見を吐く者を次々と切り捨てる。「このバカ!」「無知め!」と、文字の刃が飛び交う。画面に映る彼の顔は、まるで戦場に立つ将軍のようだ。いや、将軍というより、子供が玩具の剣を振り回す姿に近い。私は思う。この男は、何をそんなに守ろうとしているのか。
男の名は佐藤としよう。ありふれた名だ。彼は、街の誰もが知る男ではないが、誰もが彼のような者をどこかで見たことがあるだろう。佐藤は、昼は会社員として書類を整理し、夜はネットの海で正義の旗を掲げる。SNSのタイムラインは、彼の戦場だ。そこでは、映画の好みから政治の議論まで、すべてが彼の正しさを証明するための舞台となる。「人それぞれ」と口では言うが、彼の心は異なる意見を許さない。多数派の声に浴しなければ、彼の存在は揺らぐ。まるで、風に揺れる葦が、根を張れずに倒れるように。
昨日、佐藤は、ある映画をめぐる議論で燃えていた。ある者は、その映画を「陳腐だ」と評した。佐藤は激昂した。「陳腐? 君の感性が陳腐なんだ!」と、彼の指はキーボードを叩き、罵詈雑言を撒き散らした。相手が反論すればするほど、佐藤の言葉は鋭さを増す。論理は二の次だ。重要なのは、相手を黙らせること、多数の「いいね」を集めることだ。画面の向こうで、誰かが傷つき、誰かが沈黙する。だが、佐藤は気付かない。彼の勝利は、まるで砂上の楼閣のように、すぐに崩れるものだ。
私はコーヒーを啜り、佐藤を観察する。彼の目は、まるで狩りを終えた獣のように輝く。だが、その輝きは、どこか空虚だ。ふと、子供の頃の記憶がよみがえる。校庭で、仲間外れの少年を皆で嘲笑った日のことだ。私もまた、その輪に加わり、笑い声を上げた。なぜか。多数派にいる安心感、それだけのために。佐藤の姿は、あの日の私を映す鏡のようだ。人間とは、かくも愚かなものか。
佐藤のスマホが鳴る。通知の音は、まるで彼の正義を讃えるファンファーレのようだ。彼は画面を覗き、笑みを浮かべる。誰かが彼の意見に賛同したのだ。「ほら、見たか! これが世論だ!」と、彼は呟く。だが、世論とは何か。多数の声が集まっただけの、形のない幻だ。佐藤はそれを知らない。彼にとって、多数派であることは、存在の証なのだ。異なる意見は、まるで彼の存在を否定する刃のように感じられる。だから、彼は叩く。叩き、叩き、叩き続ける。相手が黙るまで、消えるまで。
ふと、窓の外を見ると、夕陽がビルの隙間に沈む。赤と紫が混じる空は、まるで血と涙が滲んだ絵画のようだ。美しい、と思う。だが、その美は一瞬だ。すぐに夜の闇がすべてを呑み込む。佐藤の戦いもまた、闇に消えるだろう。彼の正義も、彼の怒りも、すべては時の流れに洗われる。私は思う。人の意見とは、まるで波に揺れる泡のようだ。寄せては消え、消えては寄せる。だが、佐藤はそれを見ない。彼の目は、スマホの光に囚われたまま、ただ前を向く。
喫茶店の扉が開き、別の男が入ってくる。彼もまた、スマホを手に、何かを呟いている。「人それぞれだよ」と、彼は言う。だが、その声は佐藤と同じ響きを持つ。私は首を振る。人間とは、かくも滑稽なものか。自分の正しさを信じ、他人を叩き、多数派の仮面をかぶる。それが、彼らの生きる術なのだ。
私は席を立つ。佐藤はまだ画面を叩いている。その指は、まるで自分の心を切り刻む刃のようだ。だが、彼は気付かない。気付く必要もないのかもしれない。外に出ると、夜風が頬を撫でる。空には星が瞬く。まるで、人の愚かさを冷ややかに見つめる神の目のようだ。私は歩き出す。背後で、佐藤の声がまだ聞こえる。「人それぞれだよ」と。だが、その言葉は、空しく夜に溶けるだけだ。
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