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第15話 天秤の使者

商人ギルド本部に大きな動きが。


ゴールドファング商会からの招待状を受け取ったカイトたち。

利益第一主義で知られる大商人との商談は、技術の未来を大きく左右することになりそうです。


果たして、小さな工房の仲間たちは、巨大商会を相手に技術の理念を守り抜けるのでしょうか。

商人ギルド本部は、朝日が差し込む前から喧騒に包まれていた。


石畳の上を急ぎ足で行き交う商人たちの靴音が、まだ薄暗い街路に不規則なリズムを刻んでいる。荷車の車輪が石を踏む音、大きな荷物を担ぐ人夫たちの掛け声、そして何より、興奮気味に交わされる噂話の声——それらすべてが混ざり合い、商業地区特有の活気を生み出していた。


「おい、聞いたか?ゴールドファング商会が動き出したらしいぞ」


早朝から荷物の積み下ろしをしていた若い商人が、汗を拭いながら仲間に声をかけた。その顔には、重大な秘密を知っている者特有の得意げな表情が浮かんでいる。


「まさか、あの大商会が?」


相手の商人は、運んでいた木箱を慌てて地面に下ろした。その拍子に中身がガタンと音を立てたが、そんなことは気にも留めない様子だった。


「F級の技術なんかに興味を示すはずが——」


「違うさ」


最初の商人は周囲を見回してから、声を潜めた。まるで王国の機密を漏らすかのような慎重さで。


「噂じゃ、かなりの大口契約を持ちかけるらしい。それも、独占契約の可能性があるって」


周囲にいた商人たちも、その会話に耳をそばだてた。ゴールドファング商会の名前が出れば、誰もが無関心ではいられない。この街の商業界において、その名は特別な意味を持っていた。


カイトは工房の二階から、そんな街の騒ぎを聞いていた。


開け放した窓から入ってくる朝の冷気が、夜通し設計図と格闘していた彼の火照った頬に心地よく触れる。机の上には、昨夜完成させたばかりの新型歯車の設計図が広げられていた。より効率的な力の伝達を可能にする、画期的な設計。しかし今、彼の注意を引いているのは、その隣に置かれた豪華な封筒だった。


金箔で縁取られた上質な羊皮紙の封筒。


商人ギルドの紋章——黄金の天秤が刻印された封蝋が、差し込む朝日を受けて神々しく輝いている。その重々しい存在感は、中に収められた内容の重要性を無言で物語っていた。天秤の片方には金貨が、もう片方には羽根が乗っている。富と公正さの象徴だ。


カイトは封筒を手に取り、その重さを確かめた。


上質な羊皮紙特有の、しっとりとした手触りが指先に伝わってくる。普段使っている粗い紙とは明らかに違う、権力と富の世界から届いた招待状。表面には、流麗な筆跡で宛名が記されていた。


『技術開発者 カイト・ギアハート殿』


技術開発者——その肩書きに、カイトは複雑な感情を抱いた。いつの間にか、自分にそんな大層な肩書きがついていたのか。


「おはよう、カイト」


階段を上る軽やかな足音と共に、リゼの声が聞こえた。彼女はいつもの青い作業着姿だったが、髪は丁寧に編み上げられ、重要な日であることを意識しているのが分かった。その表情には、かすかな緊張と期待が入り混じっている。


「商人ギルドからの招待状、もう一度見せて」


リゼは部屋に入ると、すぐに机の上の封筒に視線を向けた。まるで磁石に引き寄せられるように。


「何度見ても、同じ内容だよ」


カイトは苦笑しながら、封筒の中身を取り出した。


『マーカス・ゴールドファング氏より、技術提携に関する商談のご案内』


簡潔な文面だったが、その一文字一文字に込められた意味の重さを、二人とも理解していた。ゴールドファング商会——この街で、いや王国全土でも五指に入る大商会からの正式な招待。


「正直、こんなに早く大商会が動くとは思わなかった」


カイトは窓の外を見つめながら呟いた。


街はいつもより活気づいているように見えた。商人たちの慌ただしい動き、荷車の往来、そして何より、人々の表情に浮かぶ期待と不安の入り混じった色。技術という新しい波が、確実にこの街に変化をもたらし始めている。


「ゴールドファング商会は、この街で最大の商会の一つよ」


リゼが窓辺に歩み寄り、カイトの隣に立った。朝日が彼女の青い瞳を透明に輝かせる。


「扱う商品は日用品から高級品まで幅広い。小麦粉から宝石まで、ありとあらゆるものを商っている。王国内に50以上の支店を持ち、隣国にまでその商圏を広げている巨大組織」


リゼは一呼吸置いて、続けた。


「でも、何より有名なのは——」


「利益第一主義で知られている」


ドアが勢いよく開き、エドガーが入ってきた。


普段の陽気な商人の表情は影を潜め、真剣なビジネスマンの顔をしている。彼の手には、分厚い帳簿と何枚かの書類が握られていた。昨夜のうちに、ゴールドファング商会について調べ上げたのだろう。


「マーカス・ゴールドファングは、商売の天才と呼ばれる男だ」


エドガーは書類を机の上に広げながら説明を始めた。その書類には、ゴールドファング商会の過去10年間の取引実績が細かく記されている。売上高の推移、取引先の変遷、主要商品の変化——すべてが右肩上がりの成長を示していた。


「15歳で父親の小さな雑貨店を継ぎ、30年でこの街最大の商会に育て上げた。その手腕は見事というほかない」


エドガーは別の書類を取り上げた。しかし、その表情は暗い。


「だが同時に、利益のためなら何でもする男としても知られている。これを見てくれ」


書類には、過去にゴールドファング商会と関わった商人たちのリストが記されていた。その多くの名前の横に、「廃業」「破産」「行方不明」といった不吉な文字が並んでいる。


「独占契約を結んだ後、価格を吊り上げて生産者を搾取する。競合他社を潰すために赤字覚悟で価格競争を仕掛ける。法に触れない範囲で、あらゆる手段を使って利益を追求する」


エドガーの声には、同業者としての複雑な感情が込められていた。商売の才能への賞賛と、その冷酷な手法への嫌悪感。


「去年も、城下町の織物組合がゴールドファング商会との独占契約で壊滅状態になった。最初は好条件を提示して契約を結び、競合を排除した後で買取価格を半額に下げたんだ」


重い沈黙が部屋を支配した。


窓から差し込む朝日さえも、その話の暗さに影響されたかのように、一瞬陰ったように見えた。


「それで、会うべきだと思う?」


カイトの問いに、エドガーは帳簿を閉じて深く考え込んだ。商人としての経験が、頭の中で様々な可能性を計算している。利益と危険、機会と罠——天秤の両側に乗せられた重りを、慎重に量っているかのように。


しばらくして、エドガーが顔を上げた。


「会うべきだ」


その声には、慎重さと決意が混在していた。


「技術を広めるには、いずれ大商会の力が必要になる。ゴールドファング商会の販売網は、確かに魅力的だ。王国全土、いや大陸規模で技術を広められる可能性がある」


エドガーは立ち上がり、窓の外を指差した。


「見てみろ。あの商人たちの動きを。皆、今日の商談の行方を注目している。もし断れば、『技術は大商会にも相手にされない程度のもの』という評価が定着しかねない」


「でも、罠かもしれない」


リゼが不安そうに言った。彼女の額には、心配の皺が寄っている。


「魔導師団の差し金という可能性も」


「それも含めて、直接会って確かめるしかない」


作業場から重い足音が響き、ハーゲンが顔を出した。


老職人の手には、昨夜遅くまで磨き上げていた精密歯車が握られている。その表面は鏡のように磨かれ、朝日を受けて虹色に輝いていた。一晩中、手を休めることなく作業していたのだろう。目の下には深いクマができているが、その瞳は鋭い光を宿していた。


「わしらの技術は、まだ生まれたばかりじゃ」


ハーゲンは歯車を慎重に作業台に置いた。まるで生まれたての赤子を寝かせるような、優しい手つきで。


「大商会に飲み込まれては、本来の目的を見失う。金儲けの道具にされて、本当に必要な人々に届かなくなる」


老職人の言葉には、50年の職人人生で培われた知恵があった。甘い話の裏には必ず苦い真実がある——その教訓を、身をもって学んできたのだろう。


四人は顔を見合わせた。


それぞれの表情には、期待と不安が複雑に絡み合っている。巨大な商会という未知の存在を前に、小さな工房の仲間たちは、まるで大海に漕ぎ出る小舟のような心境だった。


カイトは深く息を吸い込んだ。


朝の冷たい空気が肺を満たし、頭を冴えさせる。窓から入ってくる商業地区の喧騒、仲間たちの不安げな表情、そして手の中の招待状の重み——すべてを受け止めて、決断を下す時が来た。


「行こう」


彼の声は静かだったが、そこには技術者としての誇りと、仲間への信頼が込められていた。


「でも、俺たちの条件をしっかりと伝える。技術は、すべての人のためにある。それを曲げるつもりはない」


カイトは招待状を丁寧に封筒に戻すと、もう一度その重さを確かめた。


これから向かう商談が、技術の未来を大きく左右することは間違いない。相手は百戦錬磨の大商人。経験も資金力も、比較にならないほどの差がある。


だが、恐れはなかった。


なぜなら、彼には信じるものがあったから。仲間たちと共に築き上げてきた技術への確信。そして、それを必要としている人々の存在。


「準備をしよう」


リゼが実務的に言った。彼女はすでに心を決めていた。


「正装は必要ないと思うけど、少なくとも清潔な服装で。第一印象は大切よ」


「そうだな」エドガーも頷いた。「俺は関連書類を持っていく。今までの実績、今後の計画、すべて数字で示せるように」


ハーゲンは作業着の埃を払いながら言った。


「わしは、この歯車を持っていこう。百の言葉より、一つの実物の方が説得力がある」


四人は、それぞれの準備に取り掛かった。


カイトは設計図を整理し、最も分かりやすいものを選んだ。リゼは技術の理論的な説明を簡潔にまとめた文書を用意した。エドガーは帳簿と実績表を鞄に詰め、ハーゲンは最高の出来栄えの部品を布に包んだ。


30分後、四人は工房の前に集合した。


それぞれが最善の準備をして、緊張の中にも自信を持って立っている。朝日は既に高く昇り、商業地区への道を明るく照らしていた。


「では、行こうか」


カイトが先頭に立って歩き始めた。


商人ギルド本部への道のりは、それほど遠くない。しかし、その短い距離が、今日は特別な意味を持っているように感じられた。技術の運命を決める、重要な一歩。


通りを歩く人々が、四人に注目していた。


「あれが噂の技術者たちか」


「ゴールドファング商会に呼ばれたって本当かな」


「F級のくせに、大商会と対等に渡り合えるわけがない」


「いや、技術には可能性がある。見ものだな」


様々な声が聞こえてくる。期待、嫉妬、好奇心、侮蔑——人々の感情は複雑に入り混じっていた。


しかし、カイトたちは動じなかった。


真っ直ぐ前を向いて、確かな足取りで進んでいく。その姿は、自分たちの信じる道を歩む者の強さを示していた。


やがて、商人ギルド本部の威容が目の前に現れた。


巨大な白亜の建物は、朝日を受けて眩いばかりに輝いている。正面の大階段は大理石で作られ、その両脇には商業の神々の彫像が並んでいた。建物全体から、富と権力の圧倒的な存在感が放たれている。


「すごい......」


リゼが思わず息を呑んだ。


建物の規模もさることながら、その装飾の豪華さは、王宮にも匹敵するほどだった。金で装飾された柱、宝石がちりばめられた扉、魔法で常に輝きを保つ窓ガラス——すべてが、商人ギルドの力を誇示している。


四人は大階段の前で、一瞬立ち止まった。


これから始まる商談への期待と不安。しかし、もう後戻りはできない。技術の未来のために、前に進むしかない。


「行こう」


カイトが再び歩み始めた。


大理石の階段を一段一段上るたびに、靴音が荘厳に響く。まるで、新しい時代への階段を上っているかのような、運命的な足音だった。


黄金の天秤が待つ商人ギルドの扉が、四人の前でゆっくりと開かれた。

ゴールドファング商会——その名前だけで、この街の商人たちは震え上がります。


利益のためなら手段を選ばない冷酷な商法。

しかし同時に、その販売網は技術を広めるために必要不可欠。


天秤の片方には金貨、もう片方には羽根。

富と公正さの間で、カイトたちはどんな選択をするのでしょうか。


次回、商人ギルド本部での直接対決が始まります。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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