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第10話 紅蓮の来訪

A級魔法使いアレクサンダー・クリムゾンとの運命的な出会い。


魔法至上主義の価値観と、新しい技術の可能性。

二つの世界観が激突する時、何が起こるのか?


技術vs魔法の対決の行方は――

技術の市場デビューから三日が経った朝、工房は注文書と問い合わせの手紙で埋まっていた。


カイトは作業台の上に広げられた二十五通の手紙を前に、嬉しい悲鳴を上げていた。インクの匂いが工房に漂い、それぞれの手紙から依頼者の熱意と期待が伝わってくる。農民からの水汲み装置の依頼、商人からの運搬機具の相談、職人からの工房機械の改良要請。


「これだけの需要があるとは」


カイトが手紙の束を持ち上げると、紙の重みが現実の手応えとして伝わってくる。しかし、その重さは同時に責任の重さでもあった。


「でも、全部に対応するのは……」


品質を保ちながら量産するという難題が、技術者としての彼の前に立ちはだかっている。精密な部品製作は手作業に頼る部分が大きく、ハーゲンとリゼの三人体制では物理的な限界がある。


リゼが淹れたての紅茶を差し出した。湯気が立ち上り、ハーブの香りが緊張した空気を和らげる。


「無理しちゃダメよ。技術が広まるのは嬉しいけど、カイトが倒れたら元も子もない」


彼女の声には、仲間を気遣う温かさが込められている。


「分かってる」


カイトは苦笑しながら紅茶を受け取った。陶器の温かさが手のひらに伝わり、ほっと一息つかせてくれる。


「でも、せっかくのチャンスを逃したくない。この技術が本当に社会を変えられるかどうかの正念場だ」


その時――


バンッ!


工房の扉が勢いよく開かれ、外の冷気が一気に流れ込んだ。


◆◇◆


「大変だ!」


エドガーが息を切らして飛び込んできた。額には汗が浮かび、普段の商人らしい落ち着きは微塵もない。彼の手には、高級な紙に書かれた公式文書が握られている。


「学院から調査員が来る!」


「調査員?」


カイトが眉をひそめた。工房の空気が一瞬で緊張に包まれる。


「王立魔法学院の公式調査だ」


エドガーが息を整えながら説明した。彼の声は興奮と不安が入り混じっている。


「市場での技術デモについて、詳しく調べたいらしい。それも特別研究生が直々に」


ハーゲンが作業の手を止めた。長年の職人経験から、事態の深刻さを直感的に理解している。


「それは……良いことなのか、悪いことなのか?」


「分からない」


エドガーが首を振った。商人として様々な権力機構と接してきた彼でも、学院の意図は読めない。


「でも、断ることはできない。学院の要請だからな」


王立魔法学院。この国の魔法教育と研究の最高機関にして、政治的影響力も絶大な組織。そこからの調査となれば、カイトたちの技術は既に国家レベルの注目を集めていることになる。


「いつ来るんだ?」


カイトの声には、技術者としての緊張と、挑戦者としての興奮が混じっていた。


「今日の午後。もうすぐだ」


◆◇◆


午後の陽光が工房の窓を照らす頃、外に馬蹄の音が響いた。


カイトが窓から覗くと、見慣れない立派な馬車が石畳の上に止まっている。黒塗りの車体には王立魔法学院の紋章——翼を広げた鷲が魔法陣を掴んでいる意匠——が金で刻まれていた。


馬車から降りてきたのは二人の人影だった。


一人は中年の男性。紺色の学院制服を着た、温厚そうな表情の研究者。髪に白いものが混じり、眼鏡越しの瞳には知識人特有の好奇心が宿っている。


そして、もう一人は——


カイトの息が止まった。


深紅のローブに身を包んだ青年が馬車から降り立った瞬間、まるで空気そのものが変わったかのような錯覚を覚えた。金髪を後ろに撫でつけた整った顔立ち、鋭い青い瞳。そして何より、彼の周囲に漂う圧倒的な魔力の気配。


市場で感じた、あの視線の主だった。


「あの人……」


リゼが窓越しに青年を見て、思わず息を呑んだ。彼女の魔法使いとしての感覚が、相手の格の違いを本能的に察知している。


「A級だ」


ハーゲンが低く呟いた。長年多くの魔法使いを見てきた職人の直感が、青年の実力を正確に見抜いていた。


「それも、相当な上位の」


青年——アレクサンダーは工房を見上げた。その瞳には冷徹な知性と、何かを査定するような鋭さが宿っている。まるで値踏みするかのような視線が、カイトの背筋を緊張させた。


◆◇◆


コンコン


扉を叩く音が響いた。


「どうぞ」


カイトが答えると、中年の男性が先に工房に入ってきた。


「初めまして」


穏やかな声が工房に響く。


「学院魔法研究部のマルクス・グレイと申します。こちらは特別研究生のアレクサンダー・クリムゾン君」


アレクサンダーが工房に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


彼の存在感は圧倒的だった。身長は180センチメートル程度だが、まるで巨人のような威圧感を放っている。深紅のローブが歩く度に翻り、高貴さと力強さを同時に演出していた。


「失礼します」


彼の声は低く、よく通る。しかし、その響きには感情の温かさが感じられない。まるで氷で作られた楽器から発せられる音のような、美しくも冷たい印象を与える。


アレクサンダーの視線が工房内を巡った。歯車、滑車、様々な機械装置。それらを見る彼の表情は、まるで博物館の古い展示品を眺めるかのような、距離を置いた観察者のものだった。


「市場での……機巧技術でしたっけ?」


マルクス研究員の言葉は丁寧だったが、その奥に何かを探るような意図を感じる。学院の正式な調査である以上、ただの好奇心ではない。


「その実演について、詳しくお聞かせいただきたく参りました」


◆◇◆


「では、実際に見せていただけますか?」


マルクス研究員の要請で、カイトたちは市場で使った装置を準備した。


滑車装置、歯車機構、てこ式力増幅器。どれも既に実証済みの技術だが、学院の研究員の前で披露するとなると、いつもとは緊張感が違う。


カイトが滑車装置の操作を始めた。軽い力で重い錘を持ち上げる様子を、マルクス研究員は熱心に観察している。


「興味深い」


研究員は滑車の動作を見ながら頷いた。学者らしい純粋な知的興味が、その表情に現れている。


「確かに魔力を使わずに、力の増幅を実現している」


しかし、アレクサンダーの表情は終始変わらない。冷ややかな視線で装置を見下ろし、まるで価値のない玩具でも見ているかのような態度だった。時折、小さくため息をついているのが見える。


「原理をお聞かせください」


マルクス研究員に促され、カイトは説明を始めた。力の分散、機械的優位、エネルギー保存の法則。前世の物理学知識を、この世界の言葉で分かりやすく表現していく。


「なるほど、なるほど」


研究員は熱心にメモを取った。羽ペンが紙を走る音が、静寂な工房に響く。


「理論的にも整合性がありますね。これは確かに新しい分野の学問と言えるでしょう」


その時、アレクサンダーが初めて口を開いた。


「所詮は小手先の技巧だな」


◆◇◆


その声は、氷山から吹き付ける風のように冷たかった。


工房の空気が一瞬で凍りついた。カイトは振り返り、アレクサンダーの青い瞳と正面から向き合った。その瞳には、明確な軽蔑の色が宿っている。


「何ですって?」


リゼが眉をひそめた。彼女の声には、仲間を侮辱されたことへの憤りが込められている。


「魔法の代替品にしては、随分と効率が悪い」


アレクサンダーが続けた。彼の口調は淡々としているが、その内容は辛辣だった。


「A級の念動術なら、こんな装置など不要で同じことができる。むしろ、はるかに効率的に、だ」


彼が右手を軽く上げると、工房の隅にあった鉄の塊が宙に浮き上がった。200キログラムはある重量物が、まるで羽毛のように軽々と空中に浮かんでいる。そして、滑らかに移動し、正確に指定した位置に着地した。


一連の動作は僅か十秒程度。しかも、彼の表情に疲労の色は微塵もない。


「これが真の力だ」


アレクサンダーの声には、圧倒的な自信と優越感が込められていた。


カイトの胸に、小さな怒りが湧き上がった。しかし、同時に冷静な部分が警告を発している。感情的になっては、議論に勝てない。


「確かにA級なら同じことができるでしょう」


カイトは努めて静かに答えた。


「でも、F級には使えない。D級にも難しい。魔力に恵まれない人たちには、この技術が必要なんです」


「魔力に恵まれない?」


アレクサンダーの口元に、氷のような笑みが浮かんだ。それは笑みと呼ぶには、あまりにも冷酷すぎる表情だった。


「努力が足りないだけだろう。真剣に魔法を学べば、誰でもある程度の力は身に付く」


◆◇◆


「それは違う」


カイトの声に、普段にない強さが宿った。前世での様々な挫折と、この世界でのF級という烙印。それらすべての経験が、彼の言葉に重みを与えている。


「魔法の才能は、生まれつき決まっている部分が大きい。どんなに努力しても、F級からA級にはなれない」


「甘えだ」


アレクサンダーが吐き捨てるように言った。その声には、軽蔑を通り越した嫌悪すら感じられる。


「私は七歳でB級、十二歳でA級に達した。才能だけではない。血の滲むような努力をしたからだ」


彼の瞳に、過去の記憶が蘇る。厳しい訓練、無数の失敗、そして勝ち取った栄光。しかし、その記憶は彼を謙虚にするのではなく、むしろ他者への厳しさを増大させていた。


「毎日十時間以上の魔法訓練。理論書は一日三冊読破。実技では失敗の度に自分を罰した」


アレクサンダーの声には、狂気に近い執念が込められていた。


「その結果が、今の私だ。努力すれば報われる。しない者は、ただの怠け者だ」


「あなたは最初からB級の才能があったんでしょう」


リゼが口を挟んだ。彼女の声は震えていたが、勇気を振り絞って立ち向かっている。


「F級の人間の気持ちが分かるの? どんなに努力しても、基本的な魔法すらまともに使えない人たちの絶望が?」


アレクサンダーの瞳が、鋭く光った。その光は、まるで刃物のように冷たく危険だった。


「F級など」


彼の声が、氷点下まで下がった。


「魔法使いと呼ぶ価値もない」


工房の空気が、完全に凍りついた。


◆◇◆


「クリムゾン君!」


マルクス研究員が慌てて止めに入った。学者として、また大人として、この状況の危険性を理解している。


「言い過ぎです。そのような発言は学院の品位を傷つけます」


しかし、アレクサンダーは意に介さない。彼の中では、これは事実の陳述に過ぎないのだ。


「事実を述べただけだ。F級は魔法使いではない。ただの一般人だ」


カイトは深呼吸をした。怒りの炎が胸の奥で燃え上がっているが、それに支配されては何も始まらない。技術者として、冷静に対処しなければならない。


「なら、証明しましょう」


カイトが静かに、しかし確固とした意志を込めて言った。


「この技術の価値を」


「証明?」


アレクサンダーが眉を上げた。初めて、彼の表情に興味の色が浮かんだ。


「どうやって? F級の戯言で、A級の私に何ができるというのだ?」


「あなたのA級念動術と、私の機巧技術で、同じ作業をしてみませんか?」


カイトの提案に、工房の全員が息を呑んだ。リゼの顔が青ざめ、ハーゲンが心配そうな表情を浮かべる。


「面白い」


アレクサンダーの唇に、初めて本物の笑みが浮かんだ。それは獲物を前にした肉食獣の笑みだった。


「F級風情が、A級に挑戦するというのか? 身の程知らずにも程がある」


「技術対技術です」


カイトが毅然として答えた。


「個人の魔力の強さではなく、効率と実用性で勝負しましょう」


マルクス研究員が困惑した表情を見せた。学者として興味深い実験だが、立場上止めるべきか迷っている。


「しかし、それは……公式な調査の範囲を超えるのでは」


「私は受けて立つ」


アレクサンダーが研究員の言葉を遮った。彼の瞳に、獰猛な闘志が宿る。


「劣等魔法使いの戯言を、完膚なきまでに打ち砕いてやる」


◆◇◆


課題は、工房の隅にある大きな花崗岩を、正確に定められた位置まで移動させることだった。


その石材は約200キログラム。普通の人間が二人がかりでも、持ち上げることすら困難な重量だ。表面は削られておらず、手を掛ける場所も限られている。


「準備はいいか?」


アレクサンダーが念動術の構えを取った。深紅のローブが風もないのに翻り、彼の周囲に淡い青い光が立ち上る。A級魔法使いの魔力の輝きは、まるで静電気のように空気を震わせていた。


工房の金属製品が、微かに共鳴音を立て始める。それは彼の魔力が、物質に直接影響を与えている証拠だった。


一方、カイトは滑車とロープを設置していた。天井の梁に固定点を作り、複数の滑車を組み合わせて力の方向と大きさを調整する。理論に基づいた、合理的なシステムの構築だった。


「始め」


マルクス研究員の合図で、二人が同時に動いた。


◆◇◆


アレクサンダーの魔力が石材を包み込んだ瞬間、それは重力の束縛から解放された。


青い光に包まれた花崗岩が、まるで意志を持っているかのように宙に浮き上がる。その光景は確かに美しく、そして圧倒的だった。魔法という超自然の力が、物理法則を軽々と超越している。


石材は滑らかに空中を移動し始めた。アレクサンダーの制御は精密で、200キログラムの重量物が羽毛のように軽やかに舞っている。


「すごい……」


リゼが思わず感嘆の声を漏らした。同じ魔法使いとして、その技術の高さを理解している。D級の彼女には、到底真似のできない芸当だった。


最初の三分間は、明らかにアレクサンダーの方が優勢だった。


魔力による直接制御は効率的で、石材は目標地点に向かって一直線に進んでいく。障害物を避ける必要もなく、最短距離での移動が可能だった。


一方、カイトの滑車システムは慎重な操作を要求される。ロープの角度を調整し、支点の負荷を分散させながら、少しずつ石材を持ち上げていく。


「やはり勝負にならんな」


アレクサンダーが余裕の表情で言った。彼の石材は、既に全行程の三分の一を通過している。


しかし——


◆◇◆


四分が経過した頃、変化が現れ始めた。


アレクサンダーの額に、最初の汗の粒が浮かんだ。A級とはいえ、200キログラムの物体を精密に制御し続けるのは、想像以上の負担だった。


魔力は無限ではない。どんなに強力な魔法使いでも、エネルギーの消耗は避けられない。特に、重量物の長時間制御は、指数関数的に疲労を蓄積させる。


「くっ……」


アレクサンダーの制御が、わずかに乱れた。石材が小刻みに振動し、移動速度が鈍り始める。青い光も、最初の輝きを失い始めていた。


一方、カイトの方は着実に作業を進めていた。滑車システムは魔力を必要としない。筋肉疲労はあるが、魔力の枯渇という致命的な問題はない。機械的な優位が、時間の経過と共に明確になっていく。


「これが……持続性の差です」


カイトが静かに言った。彼の声には、技術者としての確信が込められている。


六分後、アレクサンダーの魔力が明らかに限界に近づいた。


彼の額は汗だくになり、呼吸も荒くなっている。深紅のローブは汗で体に張り付き、普段の優雅さは影を潜めていた。


「まだ……終わらない……」


彼は歯を食いしばりながら、残る魔力を振り絞った。プライドが、敗北を認めることを拒否している。


石材を包む青い光が激しく明滅し始めた。制御が不安定になっている証拠だった。


そして——


八分三十二秒後、カイトが先にゴールに到達した。


◆◇◆


「勝負あり」


マルクス研究員が、興奮を隠しきれない声で結果を宣言した。


アレクサンダーは石材の制御を解いた瞬間、膝をついた。魔力の過度な使用で、立っているのもやっとの状態だった。普段の誇らしい姿勢は崩れ、肩で息をしている。


「これが……技術の力です」


カイトが静かに言った。勝利の喜びよりも、技術の可能性を証明できた満足感の方が大きかった。


「個人の才能に依存しない。継続可能で、誰でも習得できる」


アレクサンダーは何も答えなかった。ただ、人生で初めて味わう敗北の苦渋を噛み締めている。A級魔法使いとしてのプライド、エリートとしての自信、すべてが音を立てて崩れ落ちていく。


「素晴らしい!」


マルクス研究員が興奮を隠さずに言った。学者として、歴史的瞬間に立ち会えた興奮が全身を支配している。


「これは確かに、新たな可能性を示している。魔法学の常識を覆す発見です」


しかし、カイトは勝利に酔うことなく続けた。


「でも、魔法を否定するつもりはありません。技術と魔法が組み合わされば、もっと素晴らしいことができるはずです」


その言葉に、アレクサンダーがかすかに顔を上げた。敗北者への慈悲ではなく、対等な相手としての尊重を感じ取ったのだ。


◆◇◆


リゼが治癒魔法でアレクサンダーの疲労を和らげた。


淡い光が彼を包み込み、魔力の枯渇による頭痛と筋肉痛が和らいでいく。D級の治癒魔法だが、その優しさが疲れ切った心にも染み入る。


「大丈夫?」


リゼの声には、純粋な心配の色が込められていた。


アレクサンダーは複雑な表情で彼女を見た。先ほど自分がF級やD級を侮辱したというのに、なぜこの少女は自分を助けるのか。


「なぜ……助ける?」


「同じ魔法使いだから」


リゼが微笑んだ。その笑顔には、恨みや皮肉は微塵もない。ただ、同じ道を歩む者への共感があるだけだった。


「それに、敵じゃないでしょう? 私たち、同じ目標を目指してるんだと思う」


「同じ目標?」


「みんなが幸せになること」


リゼの言葉は単純だったが、アレクサンダーの心に深く響いた。彼は今まで、競争と優劣しか考えてこなかった。しかし、この少女は協力と共存を語っている。


アレクサンダーの瞳に、初めて迷いの色が浮かんだ。


◆◇◆


夕暮れ時、調査員たちは馬車で帰って行こうとしていた。


マルクス研究員は技術の詳細な資料を持参し、学院での本格的な研究を約束していた。その興奮は、帰路についても続いている。


「これは学院史上でも画期的な発見です。必ず正式な研究プロジェクトを立ち上げましょう」


しかし、アレクサンダーは馬車に乗る前に振り返った。


夕日を背景に立つカイトの姿を、複雑な表情で見つめている。憎悪、困惑、そして僅かな敬意が入り混じった視線だった。


「次は……負けない」


その声には、先ほどの冷たさはなかった。むしろ、真の競争相手を得た挑戦者としての炎が宿っていた。


「いつでもお待ちしています」


カイトが答えた。


「でも、次は競争ではなく、協力できたらいいですね」


アレクサンダーは何も答えず、深紅のローブを翻して馬車の中に姿を消した。


しかし、その背中には明らかな変化があった。絶対的な優越感に代わって、新しい何かが芽生え始めている。


◆◇◆


「面白い人だったね」


リゼが馬車を見送りながら言った。


「プライドが高すぎるけど、悪い人ではなさそう。きっと、今まで挫折を知らずに生きてきたのね」


「そうかもしれない」


カイトが頷いた。


「ただ、魔法至上主義の世界で育ったから、他の価値観を受け入れにくいんだろう。でも、今日のことで何かが変わったはずだ」


エドガーが心配そうに言った。


「でも、学院が関心を持ったということは、今後もっと注目を集めるということだ」


「それは良いことでもあり、危険なことでもある」


ハーゲンが重々しく頷いた。


「変化を嫌う人々の反発も、強くなるだろう」


カイトは工房の機械を見回した。歯車、滑車、てこ。どれも単純な原理に基づく、素朴な装置だ。しかし、これらが持つ可能性は無限大だった。


「だからこそ、もっと技術を発展させなければ」


カイトが決意を新たにした。


「誰もが認めざるを得ないほどの、圧倒的な成果を示すんだ」


リゼとハーゲンが頷いた。技術の力を信じる仲間たちと共に、新たな挑戦が始まろうとしていた。


◆◇◆


その夜、学院へ向かう馬車の中で、アレクサンダーは窓の外を見つめていた。


王都の夜景が流れていく。無数の灯りが、まるで地上の星座のように美しい。しかし、彼の心は複雑な感情で満ちていた。


「クリムゾン君」


マルクス研究員が声をかけた。


「今日のことを、どう思いますか?」


アレクサンダーはしばらく沈黙していた。プライドと現実の間で、激しい葛藤が続いている。


「……認めたくないが」


ようやく口を開いた時、その声には今までにない迷いが込められていた。


「あの技術には、確かに価値がある」


「そうですね」


研究員が頷いた。


「学院でも、本格的な研究を検討すべきでしょう。もしかすると、魔法学の新しい分野が開けるかもしれません」


「だが」


アレクサンダーの瞳に、再び炎が宿った。しかし、それは破壊的な怒りではなく、建設的な闘志だった。


「だからといって、魔法の優位性が揺らぐわけではない」


「もちろんです」


「私は必ず、魔法の真の力を証明してみせる」


アレクサンダーの決意は、カイトに負けず劣らず強固だった。しかし、その質は明らかに変化していた。他者を見下すための力ではなく、自分自身を高めるための力として。


「ただし……」


彼が小さく付け加えた。


「今度は、正々堂々と戦いたい」


技術と魔法。二つの道が交わり、新たな時代への扉が開かれようとしていた。それは同時に、古い価値観との本格的な対立の始まりでもあった。


しかし、今日という日は確実に何かを変えた。アレクサンダー・クリムゾンという青年の中に、新しい可能性の種が植えられたのだ。


王都の夜空に、星々が瞬いていた。それは希望の光なのか、それとも挑戦の光なのか。


まだ誰にも分からない。ただ一つ確かなことは、世界が変わり始めているということだった。

お読みいただきありがとうございました。


今回は物語の大きな転換点となる、A級魔法使いアレクサンダーとの初対面を描きました。

彼は単なる敵役ではなく、もう一人の主人公とも言える重要なキャラクターです。


技術と魔法、二つの道が交わることで、新たな可能性が生まれる。

そんな展開を今後も描いていきたいと思います。


次回は、学院の動きに対する職人ギルドの反応と、新たな技術開発の展開を予定しています。


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