第2話「ファンタジーに触れて」
「はい、鈴鳥さん」
俺よりも少し年下に見える二十代の男性が、作業用の服や道具が入っていると説明された大袋を手渡してくれた。筋肉隆々で、俺なんて一撃でノックアウトされてしまいそうな体格だが、言葉遣いは丁寧で好青年といった印象だ。
身長は俺と大差ないくらいで、腰にはロングソードを帯剣し、全身に皮製の防具を身に着けている。まさにゲームから飛び出してきたような戦士スタイル。この人が戦闘要員の一人なのだろう。
周囲を見回すと、他にも戦闘要員らしき人たちが目についた。大きな杖を持ち、ローブ姿の魔法使い風の女性。身長ほどもある大剣を背負った自分より大柄な男性。同じく大柄で、大盾を担いでいる男性。
この三人が特に目を引く存在で、あとはRPGでよく見るような片手剣と盾を装備したダンジョン探索者が十数人。そして俺と同じように道具袋を受け取った一般参加者が五十人ほどいた。
年齢層は比較的若いが、年配の方もちらほら見える。最年長は五十代後半くらいだろうか。それだけリスクを冒してでも参加するということは、やはり相当稼げるという証拠だろう。
(ていうか、あの大男たち双子か何かか?顔に傷もあるし目つきも鋭くて怖すぎるんですけど)
心の中でそうつぶやきながら、渡された荷物を確認する。臨時の更衣室で作業服に着替えて、大袋の中身をチェックした。瓶、ピッケル、軍手、大中小のビニール袋、そして採取品が記載された資料の束。
資料をめくってみると、薬草や毒草、鉱石、植物などが画像とテキストで詳しく説明されている。集めたアイテムの納品場所も明記されていた。まるでゲームの攻略本みたいで、思わずニヤけてしまう。
「うっは~!来たぜファンタジー!」
少し離れた女性の更衣室からでも女性の興奮した声が聞こえてきた。
気持ちは分かる。ゲーム好きな俺も、こういう世界が現実になるとドキドキとワクワクが止まらない。
まさに夢が現実になった瞬間だ。
更衣室から出て集合場所に向かう際、俺は人差し指に護身用の魔法の指輪をはめていた。中二病と言われそうなデザインだが、これ一つで攻撃、防御、回復から魔法まで何でもできる優れものだ。
ゲーム『エターナル・クエスト』の最高レアアイテム「賢者の指輪」。
本来なら入手確率0.01%の超レア装備だが、リアライズなら一発だ。
ただ、それでも初めてのダンジョンへの不安は拭えない。
(指輪の力がダンジョンのモンスターとか怪物に効果あるか分かんないし……)
だんだんと仕事開始の時間が近づき、手に汗が滲む。走ってもいないのに体が熱くなってきた。そんな俺とは対照的に、さっき聞こえた女性の声が再び響く。
「うっは~!楽しみっすね!?ねぇ!?」
所構わず周囲の人に声をかけている女性。二十代前半くらいに見えるが、中身は完全に子供だ。でも、その屈託のない明るさを見ていると、自分が感じていたプレッシャーもいつの間にか薄れていた。
(そうだよな、楽しまなきゃな)
「えー、これから皆様を守る護衛隊が出発します。その十五分後に入場してください!」
その時、ふと強い視線を感じてマイクを持っている進行役の近くにいた人に視線を向けると、ラフな服装をした男性が俺のことをじっと見つめていた。鋭い目つきだった。
不安になり無意識に指輪に触れるように手を握ると、男性は視線をそらした。
(なんだったんだ、今の?まさか……俺の知り合い?……そんなまさか~俺の友達……数人だけだし)
たまたま見られてただけだろう、でも、あまり怪しまれないようにそろーりと、つま先立ちして状況を確認すると垂れ幕の先には時空が歪んだようなブラックホール状の空間があった。色は純粋な黒ではなく、青みがかった不思議な色合いだ。
(マジでゲームの世界だ……)
そこに護衛隊が進んでいく。さっきの大男や魔法使いの女性の姿も見えた。本物のファンタジー世界への入口。俺の心臓は高鳴った。
十五分が経過すると、列がぞろぞろと動き出した。ついに俺の番だ。青い空間に足を踏み入れた瞬間、軽いめまいを感じた。そして次の瞬間——
想像していた薄暗い洞窟とは全く違う世界が広がっていた。
ダンジョンの中は高原だった。澄んだ空気、どこまでも続く青い空、遠くに見える雄大な山々。まさに理想的なファンタジー世界の風景だ。
でも、周りを見ると、ゴツゴツとした山が……動いている?
よく見ると、それは山ではなく巨大な亀のようなモンスターだった。のんびりと草……あれは木ごともしゃもしゃ食んでいるようだが……その大きさは尋常ではない。あんなものとどうやって戦えばいいのか、想像もつかない。
(まあ、俺は素材集めが仕事だ。戦闘は護衛の人たちにお任せしよう)
内心―((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル―してたのは内緒だ。
周囲を観察すると、すでに行動を開始している人たちがいた。駆け出して岩壁に向かう者、注意深く足元を見て採取品の資料と見比べる者。一方で、俺と同じように呆然と立ち尽くし、どうすればいいか分からない者も多い。
ただ、どの人も慣れている感じだ。
テキパキと道具袋に入っているビニール袋や瓶などに入れている。
俺みたいな初心者は少数派だ。
「うっは~!ファンタジーきちゃぁ!」
そして頭のおかしい女性が一名。かなり珍しいね、うん。
でも、その興奮ぶりを全開に出来るのが逆に羨ましいよ。
30歳のおじさんにはキツイ。
(おっと、仕事仕事)
俺は道具袋から採取品の資料を取り出し、何から探し始めようか考えた。
「あの~!もしかしてあなたも初めて来た方ですか?」
振り返ると、さっき大声を出していた女性が話しかけてきた。近くで見ると、茶色のショートヘアに大きな瞳が印象的で、意外と整った顔立ちをしている。年齢は二十二、三歳くらいだろうか。
健康的で女性らしいボディラインに女性経験が無いに等しい俺は目のやり場を別のところに向けるように努力した……努力はした、うん。
身にまとっていたのは、生成り色のシャツに、ゆったりしたリネンのパンツ。清楚でいて、どこか動きやすさを優先したような、機能美を感じさせる服装だった。
俺は平静を装って答える。
「ええ、初参加です。あなたも?」
「そうなんです!私、佐藤美咲って言います。よろしくお願いします!」
元気良く手を差し出してきた彼女に、俺も慌てて握手を返す。年下の女性と話すなんて、コンビニの客以外では何年ぶりだろう。
「鈴鳥凪流です。こちらこそ」
「鈴鳥さんですね!覚えました!」
佐藤さんは道具袋からスケッチブックを取り出した。普通の採取道具とは明らかに違う、個人的な持ち物のようだ。
「あ~これ、気になります?これでスケッチするんですよ。美大で絵を専攻してるので、こういう異世界の風景って貴重な資料になるんですよね~」
「へぇ……美大生なんですね。それで、こんな場所に?」
年下の女性相手に緊張して、特に上手い返しもできなかった。佐藤さんは苦笑いを浮かべる。
「学費が結構厳しくて。でも、ここなら普通のバイトの三倍稼げるし、創作のネタにもなるし一石二鳥かなって」
現実的な理由もあるようだが、君、絶対楽しんでるよね?その目の輝きを見れば一目瞭然だ。
「鈴鳥さんは何のお仕事されてるんですか?」
話の流れ的にそうなるだろうとは思っていたが、この年で正社員の仕事をしていないことを言うのは恥ずかしい。30歳フリーターなんて、さすがに引かれるだろう。
「えぇ……まぁ。接客の仕事を」
「そうなんですね!大変ですよね。お互い頑張りましょう!」
佐藤さんの屈託のない笑顔に、俺の心はチクリと痛む。自分のプライドのために嘘ではないが真実を話さないのは気が引ける。罪悪感からか、自分らしくない提案をしてしまった。
「それじゃあ、良ければ一緒に探索してみませんか?いざとなれば戦えるんですよ、俺」
無意識に指輪に触れながら言った。まあ、実際この指輪があれば大抵のことはなんとかなるはずだ。
何とかなってくれ!頼むよ?!
「はい、お願いします!」
二人で歩き始めると、足元に見慣れない植物が生えているのに気づいた。資料と照らし合わせてみると、『ヒールグラス』という回復薬の材料になる薬草らしい。
「これですね。意外と簡単に見つかるのか」
俺がピッケルで丁寧に掘り起こしていると、佐藤さんがスケッチブックにその植物を描き始めた。
「わー、すごく繊細な葉っぱの形してますね!こういうディテールって、写真だけじゃ分からないんですよ」
あとは引き抜くだけの状態まで掘り返して、佐藤さんが描き終えるのを待つ。彼女が描く絵を覗き込むと、確かに写真では分からない細かな質感や色合いが表現されている。
「へぇー上手いですね。美大生ってすごいんだなぁ」
「ありがとうございます!鈴鳥さんはこういうの興味ないんですか?」
「いや、そういうのは無理だと思ってて。それに、俺は作る側じゃなくて使う側の人間ですよ」
苦笑しつつ無意識に身に着けている指輪に触れながら答える。そう、俺はコレクターではあるが、創作者ではない。家にあるのも全て、言ってみればコピー品でオリジナリティの欠片もない。
「そうなんですか?でも、使う側の人って、実は一番創作者の気持ちが分かる人だと思うんです」
佐藤さんの言葉に、少し考えさせられた。確かに俺は数多くのゲームアイテムを手にしてきたが、それぞれの作り手がどんな想いで作ったかなんて考えたことがなかった。
ただかっこいい、ただかわいい、ただ強いものをコレクションしたいだけ。
……このまま行くと自分の能力をぽろっと言ってしまいそうだ。話題を変えよう。
「佐藤さんは、絵を描く時どんなことを考えているんですか?」
「んー、そうですね。見た人に何かを感じてもらいたいっていうのが一番かな。驚きとか、感動とか、時には恐怖とか。感情を動かせたら成功だと思ってます」
純粋な創作への情熱が伝わってくる。俺みたいにただ集めているだけとは、根本的に違う何かを持っている人だ。
その時、遠くから大きな爆発音が響いた。
爆風の余波で2人の髪が少し逆立った。
護衛隊が何かと戦闘しているようだ。
俺たちのいる場所まではまだ距離があるが、改めてここが危険な場所だということを思い知らされる。
「うわ、すごいですね。でも護衛の人たちがいるから大丈夫ですよね?」
佐藤さんは不安そうにしながらも、興味深そうに戦闘の方向を見つめている。その目には恐怖よりも好奇心の方が勝っているようだ。
「大丈夫ですよ、きっと。とりあえず、俺たちは作業に集中しましょう」
その後、二時間ほどかけて様々な素材を収集した。ヒールグラス、鉄鉱石、光る苔、不思議な果実。佐藤さんは採取の合間合間にスケッチを続け、俺は効率よく作業を進めていく。
「鈴鳥さん、すごく手際がいいですね!まるでゲームの熟練プレイヤーみたいです」
ドキッとした。まさにその通りなんだが、そんなに分かりやすいだろうか。
「ははは……ゲームは好きですが、たまたまですよ」
「やっぱり!私もゲーム好きなんですよ。どんなジャンルが好きなんですか?」
共通の話題が見つかり、採取作業をしながら会話が弾む。佐藤さんは意外にもコアなゲーマーで、俺の知らないインディーゲームまで幅広くプレイしていた。
こんなに楽しく話せるなんて、久しぶりだ。いや、もしかして初めてかもしれない。
「もしかして佐藤さんって、ゲームイラストレーターとかになりたいんですか?」
「えへへ~そうなんですよ~特に武器のデザインとか、ゲームのアイテムって本当に工夫されてますよね。実用性と美しさのバランスが絶妙で、それを作る仕事がしたくて」
佐藤さんがスケッチブックの別のページを見せてくれた。そこには彼女がオリジナルでデザインした様々な武器が描かれている。どれも既存のゲームにありそうでいて、どこか独特のセンスが光っている。
「これ、面白いデザインですね」
俺は思わず声に出していた。特に目を引いたのは、剣と杖が組み合わさったような武器のデザインだ。カラーリングを工夫すれば男性にも女性にも人気が出そうな武器デザイン。
もしこれをリアライズで具現化できたら……強いのだろうか?
「ありがとうございます!これは魔法剣士用の武器をイメージして描いたんです。近接戦闘でも魔法戦闘でも使えるように工夫してみました」
「すごいなあ。俺には到底こんなアイディアは浮かばない」
「そんなことないですよ!鈴鳥さんも何か描いてみませんか?ゲーム好きなら、きっと面白いアイディアが出ると思います」
佐藤さんの提案に、俺は首を振った。
「いや、俺は本当に作る側じゃないんです。こういうのを見て楽しむのが関の山ですよ」
「そうですか……でも、もし気が向いたら、いつでも声をかけてくださいね!」
佐藤さんは残念そうにしながらも、無理強いはしなかった。その配慮が、かえって心に響く。
作業終了の合図が響き、採取した素材を納品場所に持参する。今日の収穫は思ったより多く、時給換算すると確かにコンビニバイトの三倍近くになりそうだ。
「お疲れ様でした!今日は楽しかったです」
「こちらこそ。佐藤さんのおかげで緊張せずに済みました」
本当にそうだった。一人だったら、きっと不安で作業どころではなかっただろう。
「また今度も一緒に作業できたらいいですね!」
佐藤さんと別れて家路につく途中、俺は今日のことを振り返っていた。
(強いのだろう……か。俺も所詮、性能で評価する凡人なんだな)
特に印象に残ったのは、彼女のスケッチブックに描かれた武器のデザインだった。
(……)
あの時思わず反射的に感じた言葉が、なぜか頭から離れない。今まで俺は既存のゲームアイテムをリアライズで具現化することばかり考えていた。
そのどれも強いことが大前提で作っていた。
でも、もしあのデザインを具現化できたら……。
個性というのを表現できるのかな。
家に着いて武器コレクションの部屋に入ると、いつものように心が躍る。しかし今日は少し違った。
これまでやっていた「空想の強い武器を集める楽しさ」に加えて、「もし自分でデザインしたらどうなるだろう」という感情が芽生えていた。
でも、すぐに心の中の別の声が囁く。
—やめときなよ。
(……)
その夜、俺はYouTubeで絵の描き方を検索していた。適当に見ていると、チャンネル登録していた配信者の動画がおすすめに出てくる。ズキッと、罪悪感の時に感じたトゲ以上の不快感があった。
佐藤さんの創作に対する純粋な情熱を目の当たりにして、自分の現状が急に虚しく感じられた。俺は何も生み出していない。ただ既存のものを真似しているだけだ。
—やめときなよ。
(もう一度、もう一度だけで良い)
そう呟きながらも、心の奥底では何かが変わり始めていることを感じていた。もしまた佐藤さんと一緒に作業することになったら、今以上に苦しくなるのかもしれない。
でも同時に、彼女ともっと話してみたいという気持ちも確かにあった。
どうやって描くんですか?
描くコツってなんですか?
「……次はいつ、採取の仕事があるんだろう」
スマホを手に取り、採取チームの連絡を確認する俺がいた。また話したいと思う自分がいた。