悩み解決屋さん
「あなたのお悩み解決します?」
看板に書かれていた文字を私は半笑いで読み上げてしまった。ボロボロの家に胡散臭い看板が玄関の右脇に立てかけられている。付き合っていた彼氏が実は既婚者で子供ができたからとあっけなく捨てられた私の悲しみがこの頼りない家に入れば解消されるのだろうか、アホくさと呟き歩き出そうとしたところ
「帰っちゃうの?」
声が聞こえた。周りを見渡すが人はいない。あのふざけた文言が綴られた看板が私をからかうようにすんと立っているだけだ。なんだか煽られているようなバカにされているような気分になり私は玄関を開けたのだった。
古い紙の匂いがした。大量の本が本棚にぎっしりと詰められている。まるで牢屋にいる囚人みたいだ。
ここは本屋なのか薄暗く不気味だった。
「お客さんかな?」
奥から帽子を深く被った男性が出てきた。まるで影のように細長く頼りない印象だ。
私はびっくりしたがすぐに彼を睨みつけて問いかけた。
「ほんとに私の悩み解決してくれるの?」
彼は私を見下ろしニヤニヤしながら顎をなでた。目は不思議と笑っていなかった。
「もちろんですよ。あちらでお話うかがいますよ。」
案内された場所は男の休憩室だろうか4畳ほどの和室にちゃぶ台と座布団二枚置いてあった。
どうぞと男がお茶を出してきた。指も蜘蛛の足のように細長い。男は茶を啜り、コトリと湯呑を置く。
「さて、あなたの悩みを聞かせてください。」
口元には笑みを浮かべているが、目は笑っていないままだ。
何か取り返しがつかないことをしているような予感がしたが、私は心のままに彼に話してしまっていた。
「なるほど。あなたの悩みは彼に振られた悲しみを癒したいということでしょうか?」
彼は私の話を一通り聞いた後、サクッと一言でまとめてしまった。
私はそんな簡単なものじゃないと彼に詰め寄ろうとしたが、彼が待てというように手を前に出した。
「あなたは何を望みますか?」
えっと私は引いてしまった。彼の眼には不気味な光が宿っていた。
「新しい彼氏を作る?彼を奪い返す?彼を殺す?忘れ去ってしまう?別の場所で新しい出会いを求める?
あなたの悩みを解決するためです。さあ、あなたの心はどうしたいのですか?」
問いかけられ、私は言葉に詰まってしまう。私はどうしたいのだろう。そうだ。私は導かれるように言った。いや、言ってしまったのだ。
「彼と離れたくない。ずっと一緒にいたい・・・」
「わかりました。あなたの悩み解決します。」
私の意識は途切れてしまった。
どうやって帰ったのか覚えていないが、私は気が付くアパート帰っていた。あの影のような男に相談した事は覚えているが、まるで現実味がなく夢みたいだ。彼の井戸の底のような暗い目の光を思い出すと夢であって欲しいと思った。はっきりしない頭でスマホを手に取ると飛び起きてすぐに支度を始める。
仕事に遅れてしまう。私は転びそうになりながらアパートを出た。
なんとか駅に着くと彼がいた。腕時計を見ている。私が誕生日にプレゼントしたものだ。なぜ彼がまだ私が送ったものを身に着けているのか。無性に腹が立って彼のところにツカツカと鋭い音を出しながら近づく。ねえ!と頭を叩いてやろうと手を振り上げたが、バランスを崩した。彼に思いっきり頭突きをしてしまった。
目を開けて首を動かすと柔らかいものが顔を包んている。何かが私を覆いかぶさっている。両手で思いっきり押しのけた。私がいた。私がスーツを着て仰向けで寝転んでいる。えっ待ってと手をみると腕時計が見えた。
私が彼にプレゼントしたはずの腕時計が確かにあったのだ。
「痛たたた」
私が頭を押さえて起き上がった。とにかく彼にこの状況を説明しなくてはいけない。私は私の肩をつかんだ。
「ねえ!健吾!起きたばかりのとこ悪いけどこれを見て!」
「あ?俺の時計・・・?え?ええ?俺がいる!なんだこりゃ?」
無理もない誰でも自分の顔が目の前にあれば混乱する。
お前は誰だ!一体何なんだ!健吾が私の胸倉を掴んで叫んでくるが自分に怒られている場面はなんだか他人事のような気がして漣のように落ち着きが戻ってくるのを感じた。スーツ姿の男性が大丈夫ですかと声をかけてくる。周りの人の好奇心と恐れの混じった視線が集まってきた。私は自分の体の頼りない手を握り健吾と二人で走って駅を出ていった。自宅に戻り枯れ木のように疲れた健吾に私が夏樹であることを説明した。二人の間でしか知らない事を次々と質問しあい、お互いが当人であることを確認し合った。今日は私の家で休んで病院に行くことにし、泥のように眠ってしまった。
翌朝起きるとやはり健吾の体のままだった。ふと横を見ると布団に健吾がいない。背中に氷を当てられたみたいにゾクリと嫌な予感がする。私は健吾を探すがどこにもいない。スマホも置きっぱなしだが財布はなかった。玄関を見てみるとサンダルがなかった。最悪のイメージが頭に浮かぶ。もし彼が絶望して自殺なんてしてしまったら…私は昨日のスーツ姿のまま外に飛び出した。探すのはいいが彼がどこにいるかなど見当もつかない。私は走りながら彼を・・・いや私の姿を探した。しかし、どこにもいない。そのうち体力が尽きて足が止まってしまった。もし元の体に戻れなかったら、私は健吾として生きていかなければならない。顔も知らない女とそいつと健吾の間に産まれた子供の面倒を見なければならなくなる。私は気持ち悪さと嫉妬の混ざった暗赤色の感情を隠しながら彼女らを愛し続けなければならないのだ。オウェと嗚咽が出てしまった。冗談じゃない。必ず見つけ出す。私は吐き気をこらえてもう一度走り出した。走りながら健吾を探し続けているとあのふざけた文言の看板が目に入った。ここに入って健吾とずっと一緒にいたいといってからこんな事になってしまった。荒唐無稽だがあの不気味な店主が何かしたのかもしれない。私は藁にも縋る思いでもう一度ボロボロの家に入った。古い紙のにおいがする。前回来た時と同じ大量の本が本棚に収まっていた。
「いらっしゃい。」
後ろからぬるりと声を掛けられ私はびっくりして尻もちをついてしまった。。相変わらず不気味な男だ。店主の口には笑みが浮かんでいるが、目は笑っていない。
「クク。驚かせてしまいすみません。どうかされましたか?」
私はバネのように立ち上がり店主に迫った。
「ねえ!私以前悩みを相談して変なことになってんの!あなた何か私と健吾にしたんじゃないの?」
「ええ。しましたよ。あなたが彼とずっと一緒にいたいというものですからそうして差し上げました。何か問題でも?」
私が健吾の体で迫っても店主は微動だにせず淡々と言葉を返した。まるで自分の影に話しかけているような確かにそこにいるのにいない曖昧な存在・・・しかし彼は変わらず口元に笑みを浮かべて目には井戸の底のような闇が浮かんでいる。私は健吾とただずっと一緒にいたかっただけなのに・・・
「問題あるわよ!一緒にいたいのは彼よ!体だけじゃない!彼の心も一緒じゃないと意味ないわ!それにこれじゃ私じゃないわ!一体どうすれば元に戻れるの?教えてよ・・・」
私は健吾の体でへたり込んでしまった。ぐすぐすと泣いてしまった。上からうっとおしいと言わんばかりに重い溜息が聞こえた。
「仕方ないですねえ。元に戻れる方法を教えます。」
彼は心底面倒臭そうに説明し始めた。
私はタクシー乗っていた。店主はなぜか健吾のいる場所を知っており、私と彼が入れ替わった駅のプラットフォームに彼はいると言われ向かっていた。タクシーに乗っている間はなぜ彼は私に何も言わずに家を出たのか。彼は無事だろうか。本当に彼は駅にいるだろうか。と心配が私の頭の中を這いずり回っていた。運転手の怪訝な目線がバックミラーごしに合い、気まずくなって窓を見ると外には雨とやつれた健吾の顔が写っていた。タクシーの代金を急いで精算し、駅の階段を急いで降りた。電車でどこかに行くつもりなのかそれとも絶望して自殺だろうか・・・私の願いのせいでもし彼が死んでしまったら私は生きていけない。人込みをかき分けて必死に健吾を探す。中々見つからず私は生きた心地がしない。一体どこにいるの?お願い健吾ここにいて祈りながらしていると・・・見つけた。昨日のスーツ姿のままの私がプラットホームにポツンと佇んでいた。
「健吾!」
人目も気にせず乱暴に肩を掴む。
「お前どうやってここが?」
「なんでじゃないでしょ!こっちが聞きたいわよ!なんで何も言わずに出ていったの!」
目を逸らし押し黙った。私はキツツキのように彼を揺らしさらに問い詰める。
「元に戻れなくなったらどうするの!?」
彼は驚いた様子で目を見開いた。
「元に戻れるのか?」
「大丈夫!必ず戻れるわ!やり方も知っているの!だから私の言うとおりにして!」
彼はうつむき肩を震わせた。彼は嬉しいのだ。好きな人と結婚して子供も産まれる。そんな矢先別れた不倫相手と体が入れ替わるなんて非現実的なことがあって元に戻れるかわからない絶望的な状況で体も元に戻り家に帰ることができるのが・・・きっとどうすればいいか分からずに飛び出してしまったのだろうと私は彼の気持ちを想像した。私が彼の奥さんではないのが残念だけど彼が幸せになってくれればそれでいい・・・私は彼を抱きしめた。
「大丈夫よ・・・健吾。私があなたを元に戻してあげる」
「・・・いやだ」
「えっ?」
私は耳に入ってきた情報が信じられなかった。
「いやだ!元に戻りたくない!」
バタバタと陸に上がった魚のように健吾が私の腕の中で暴れる。ずっといやだと叫んでいる。なんで?
どうしてそんな事をいうのか私は驚きよりも怒りが湧いてきた。
「なんで嫌なの!?元に戻れるのよ!あなたの家族に会えるのよ!どうして!」
彼はまた俯き小さな声でボソボソと呟いたが何を言っているか分からなかった。周りの人もこちらを気にしていた。傍から見れば女口調の男が化粧もろくにしてない女を捕まえて一方的に怒鳴りつけてるようにしか見えないだろう。だか私は更に彼を問い詰めた。
「早く答えて!」
「・・・やっと女になれたのに元に戻るのはいやだ!」
「えっ?」
私のいや彼の体の耳はおかしくなってしまったのだろうか耳に入ってきた情報が信じられなかった。
彼は私の声で風を切るようにしゃべり出した。
「俺は心が女だった。女を好きになる努力はした。君と不倫をしてみたのも自分の知らない性癖があるかもを期待をしたからだ。でも俺は男が好きだった。親も結婚しろと言われ期待を裏切りたくなかったし
俺も自分の子供が欲しかった。家族が欲しかった。もうこのまま生きていこうと決意して、君と別れた。君は女だが妙に男らしいところもあって居心地がよかったよ。でもあきらめたとたん女の体になれたんだ。君には悪いが俺はいや私は元に戻る気なんか全くない。」
私は愕然とした。こいつは自分の都合で私のことを再び切り捨てようとしている。それに私だけではなく自分の家庭まで捨てようとしているのだ。私はこんな情けなくて女々しい奴のことが本当に好きだったのだろうか。しかもそれが私の体でしゃべってくるのだから気持ち悪くて仕方がない。私は必ずこいつから自分の体を取り戻すべくあの忌々しい古い家にこいつを連れていこうと手を引いて歩きだそうとする。
「ちょっと!一体どこ連れて行くの?」
「・・・元に戻れるところよ」
「絶対いやだ!」
こいつはその場に座り込んで抵抗しようとするが、関係ない。そのまま引きずって行ってやる。
「困りますねー。あなたの悩みはこれでは解決しないではないですかあ。」
不気味な店主の声が確かに聞こえた。私はびっくりしてあたりを見回すが、姿が見えない。プワーンと電車がきた。その時私はハッと後ろを振り向く。健吾がいない・・・
電車の甲高いブレーキ音と人々の叫び声が響いた。
・・・私は彼の家にいた。彼は私の体を本当に返してくれなかった。しかも二度と届かない場所に持っていってしまった。彼の奥さんは羽を伸ばしに友達をお茶をしに行っている。私はこれから彼として生きていかなくてはいけない。彼のことを記憶から呼び覚ましなぞるように生きている。私はいや俺は夏樹だろうか。健吾だろうか。もう自分でも分からない。赤ん坊の泣き声が家に響いていた。