5th writer:キホ☆
――――カナエは、階段を上っていた。
今日は、……というかここ最近はとにかく気力が尽きていて、階段を登るのにも一段、また一段と足に力を入れなければならなかった。
姉がいなくなってから、家にいるのが段々と苦痛になっていった。楽しかった日々を思い出しては、何故死んだのが姉で、自分ではなかったのだろうかと考えるばかり。病気になったのは誰のせいでもないはずなのに、両親は口を開けば互いにお前のせいだとしか言わなくなってしまった。
カナエがふと気づくと、最後の一段を登り終えていた。目の前の屋上に続く扉には窓が付いており、そこから夕暮れ特有の赤ともオレンジとも取れる光が、ぼんやりとカナエを手招きしていた。
カナエは誘われるまま、屋上へと出る。ちょうど、みんなでよくお昼を食べた北向きの場所が目の前に広がっていた。北風が、少し寒い。
だが、その思い出にカナエは後ろ髪を引かれることなく、まっすぐと屋上の端まで足を進める。フェンスなど何もない、ただの平たいコンクリートが突然終わる端っこ。
カナエが、静かに言う。
「こんなはずじゃ、なかったのに」
その言葉は誰にも届くことなく、虚空へと溶ける。そして、ついに彼女は――――。
「カナエーっ!」
どこか自信にあふれた、聞き馴染みのない声に、カナエはふと足を止めて振り返った。
そこには、最近よく一緒にいるユキホという少女が、拳を握って仁王立ちしていた。ちょうど、屋上の扉の横あたりだ。隠れていたのだろうか、まるで気づかなかった。
「カナエこそ悩んでたんじゃん! 言ってくれてよかったのに!」
「ユキホちゃん……」
「でもカナエ、きっと私が何言ってもそこから降りちゃうでしょ?」
「………………」
なんでそんなこと知ってるんだろうという表情をカナエが作った。
そりゃそうだ、こちとら作者である。
ユキホは、ここ数日の自問自答を頭の中でまた反復していた。
ノートにユキホが物語の中に入ってからのことを書き出していると、自分で書いたいくつかのエピソードが行われていたことに気づいたのである。
例えば放課後遊びに行くだとか、直接ユキホが関わる内容じゃないのでユキホ自身は参加していなかったのだが、つまりは既に執筆してしまった物語はやはり起こってしまうのだ。それはユキホがこの世界にやって来たからといって、物語そのものを変えたり無かったことにしたりはできないのだろう。
「物語の進行そのものは止められない?」、とノートに書くと、しっくりきた。
物語の進行そのものを止めるのは不可能であることに加えて、「ユキホ」というキャラクターが元々存在しないとなると、カナエの悩みに介入することさえも難しい。つまり、カナエが自殺する、という事象は必ず起こるのである。
そうなれば、カナエが飛び降りるその瞬間に関与するしか方法がない。
作者でも、一度創ってしまった物語は止められない。すると解はもう、これしかない。
ユキホは思いっきり叫んだ。雪穂が生み出した、目の前で今を生きているカナエに向かって。
「私が、創り変えてあげる!」
ユキホはカナエの返事を待たず、カナエが立っているのとは逆の方――つまり南側の屋上の端へと、全力で駆け出した。
そして、勢いに任せてそのまま飛び降りる。
すぐに重力が引っ張るのを感じた。
心臓が、掴まれたように竦み上がる。
ここが物語の中であるとは知っていても、生身であるのは変わりない。怖いものは怖い。
だから目を瞑って、けれど躊躇うことなく。
地上に向かって逆らうことなく落ちていく。
――だが、不思議と風を感じなかった。そのことに違和感を覚えて目を薄ーく開いてみる。と。――世界が、途中だった。
ところどころ学校の外壁の様子が残っているが、全体としては白いタイルで、やりかけのパズルような感じである。
これが、ユキホの「創っていない」世界。
やっぱりまだ創られていない世界があったんだ。そう確信した途端、ユキホの意識は自然と遠のいていった。
*
はっと目を開けた。カナエの容体!と慌てて身体を起こす。
「あれ……」
見慣れたベッドに、仕事用のデスクの配置。机の上には、画面が暗いままのパソコンと、封の切られた黒い封筒。生活感の消せていない花柄のカーテンが引かれた部屋は、間違いなく雪穂の部屋である。
見慣れたベッドの上で確かに選んだ覚えのある服を着ていたのは、鏡を見て確認した、「ユキホ」ではなく、「柊雪穂」であった。
「戻ってきたのか……」
まずはそのことにほっとして、それからカナエのことを思い出した。
もはやこの部屋で眠りについたときに感じていたキャラクターとしての「カナエ」ではなく、生きている一人の人間としての「カナエ」の姿がありありと浮かぶのだ。そして、その子が飛び降りるストーリーを何度も書いてしまったのは雪穂本人である。
おそらく、何度も描写したカナエの飛び降りについては、一度創ってしまっているので変えることはできないだろう。だけど、飛び降りてしまった後の、まだ書いていないことはどうにでもなるはずだ。作者は、雪穂なのだから。
雪穂は、すぐにパソコンを起動した。
千代子が訪れる前に、気に入らなくて消去したはずのカナエの飛び降りるシーンが、不思議なことに残っている。飛び降りたところで、入力バーが佇んでいた。
ユキホは無我夢中でキーボードに指を走らせた。
『
その言葉は誰にも届くことなく、虚空へと溶ける。そして、ついに彼女は、屋上の端から身を投げた。
落ちていくなかで、カナエは色々なことを思い浮かべた。仲の良かった以前の家族。休日の思い出。病院のベッドで横たわる姉の顔。ベッド横で肩を震わせる母親と、隣で何も言えず俯くだけの父、それを病室のドア口で眺める自分。つまらない授業に、落書きがある教科書の隅。屋上で繰り返す昼の楽しい時間。夕日が差す帰り道に、並ぶ3つの影。
モモコはいつだって世話好きで、何回言っても猪突猛進に人に突っ込んでくるし、クララは気付けば隣でこちらを観察してるような子だ。全然タイプが違うのに、不思議とウマがあって、何年もお昼を一緒に食べる仲になっていた。
何回くだらない話で笑っただろう。モモコとクララの、他人から見ればどうでもいいような話題を真剣に話し合う姿、眺めるのが好きだった。
そんな二人との、思い出深い場所から飛び降り自殺なんて、なんと罰当たりな友達だろう。それは流石に謝っておくべきだったかな――。
そこまで思ったとき、カナエは――――。
「――っ、セーフ!!」
威勢の良い掛け声と共に、カナエの体はぼふん、と何かに当たって跳ねた。
予想だにしていなかった感触に、カナエは固まってしまう。ぽけっと間抜けな顔で夕暮れ空を見上げていれば、視界に見慣れたピンク色のショートボブが入り込んだ。
「ちょっともう、ホントに危ないんだからね!!」
「……」
「聞いてる?!」
「……モモコ」
思わず呟いた名前の主の隣から、ひょこっともう一人顔を出した。さらりと揺れるロングヘアは、手入れしていないというのに綺麗な真っ直ぐだ。
「そうですよ。久しぶりに全力疾走して、しかもマットレス運ぶなんてことしたので、こっちの方が先に死にそうです」
「……クララ」
いまいち状況を理解できていないが、それでも寝転ぶカナエの視界には、確かに先ほどまで謝らなきゃと思っていた大切な二人がいる。
「そうそう、こりゃあパン10個おごってもらっても文句のない働きでしょ」
「しかもメロンパンだけじゃ足りなくないですか?」
「言えてる。何パンがいいかな」
「……でもモモコ、前々から思っていたのですが、モモコはパンが多過ぎます。もう少しお米を食べた方がいいですよ。やはりここは購買で一番高いお弁当にしましょう!」
モモコとクララは、大真面目な顔でそのままパンとお米についての論議を始めてしまった。
目の前の二人のやり取りがあまりにもいつも通り過ぎて、しかもカナエが好きな、いわゆるどうでもいい議論を真面目にする二人で、それがなんだかとっても、とっても――。
「ふ……っ、ふふふ、おかしい二人とも」
思わず、笑ってしまった。いつもつるんでいる友達同士で、マットレスに一人が横たわっているのにその上でパンと米討論を行う二人に。
「お、久しぶりに本気で笑ってるカナエ見たよ」
モモコが、嬉しそうに歯を見せてそう言った。
確かに、こんなに気兼ねなく笑ったのは、いつぶりだっけ。平気なふりしていただけど、いつもどこかで家族のことを考えていて、周りのこと全然見えていなかった。
なんだか、悩んでいるのが馬鹿らしくなってくる。こんなにも素敵な、最強の友達がいるっていうのに。
「ね、二人にお願いがあるの」
カナエは、思いついたことを熟考せずに口にした。それが許されるこの関係が、心地良いと素直に思えた。
「何ですか」
「聞いてやろう」
「今から、うちに遊びに来て!」
カナエは、いつもと違うことをしようと決めた。姉のことは過去のことだ。一人じゃ乗り越えられなくても、一緒なら、きっと。
』
ユキホはそこでタイピングをやめた。
「一緒に」の中に、もう一人、自分が入っていたかもしれないことを不思議に思う。――というか、本当に物語の内側に入ったのだろうか? 全て、単なる夢なのでは?
思考の海に沈みそうになったときに、来訪を告げるベルが鳴った。
「先生ー! 開けてくださいー!」
例の如く、千代子の声だ。雪穂はこの二ヶ月で間違いなく一番軽やかな足取りでドアを開けた。その表情を見て、千代子が首を傾げながら入室する。
「あれ、さっきまでと表情が違いますけど……、何かあったんです?」
その言葉を待ってましたとばかりに、胸を張って答える。
「続きが書けたの! ね、とりあえず一回、目を通してくれない?」
「なんと! 今回ばかりは落としてしまうのかもとドキドキしていたのは、杞憂に過ぎなかったみたいですね!」
これで編集長にも返事ができますーという嬉しそうな声に、心配かけたなと少しだけ同情した。原因は雪穂だけど。
「あれ? てか何で戻って来たの?」
「ああ、これです」
千代子は先程まで雪穂が座っていたパソコンの前に我が物顔で腰掛けながら、鞄を漁って細長い箱を出した。
手渡されたそれを、雪穂はすぐに箱を開ける。
毛先が白い筆の、木の軸のペンだ。軸とペンの境目辺りには、両サイドから押し込めるようにゴム製になっている。
「試作サンプルですって。気に入らないところがあれば修正するからって借りてきました」
これが、今回の悩みの種を作ったタイアップ先の企業の商品である。有名な文具メーカーで、特に人気の商品は筆ペン。ペーパーレス化で、文具の売り上げが減る時代にしては、なかなかの売り上げらしい。確かに、雪穂も持っているし、実家にもある。
千代子が雪穂を手招きして、ペンの軸の真ん中あたりを指さした。
「ここに、コラボの刻印で先生の名前が彫られるんですって。漢字とアルファベット、どっちがいいか聞かれました」
「……これ、売れるのかな」
「売れるって期待されてるからタイアップの話が来たんですよ。人気作家とコラボの筆ペン」
千代子はそれだけ言うと、もう筆ペンからは興味が失せたようで、パソコンの画面へと視線を戻した。
仕事モードの千代子に声をかけ続けるのは野暮なので、雪穂は、渡された筆ペンを見て、修正して欲しいところがないか考えてみる。別に文具に詳しいわけでもないので、変にオーダーしない方が良品になりそうだなくらいしか考えられないけど。
――ペンを眺める雪穂は、横目で千代子に見られているとは思うまい。
千代子は、パソコンの隣にある黒い封筒をそっと触ってほくそ笑んだ。
小説家としての雪穂の強みは、独特の展開とラストで急にぐっと暗転するストーリーだ。その分、登場人物の魅力が不足しているのが勿体無い、というのが千代子の評価だった。
やりたいキャラ付けはわかるのだが、如何せん読者に伝わりづらいのは、雪穂が登場人物を「キャラクター」としてしか捉えていないからであろう。180度変わるラストの展開の大抵は、それまで幸せだった登場人物たちが死ぬものだ。けれど雪穂は自分の生み出した登場人物たちを殺すこということに対して、何の躊躇いもなかった。だが、ずっとこのパターンでは、雪穂の小説が徐々に飽きられていくのは目に見えていた。
だから、最初はタイアップ先がハッピーエンドを望んでいると嘘をついてみた。強制的にハッピーなまま終わらせなければならない条件なら、もしかすると一皮剥けるかも、と思ったのだ。けれど、一向に書き上げることができなかったのは、やはりバッドエンドしか書けなかったということだろう。
流石に納期もあるので、思い切って「中に入って」もらった。そのお陰で、生きている人物としてキャラクターのことを考えられたのだろう。
書かれたばかりの続きは、カナエもモモコもクララも、存在がきちんと思い浮かぶような生き生きとした姿で描かれていた。
(強引な手だったのは申し訳ないですけど、……先生にだったらいずれこの能力を明かしてもいいかなって思ってるんですよ)
千代子の特殊能力を知った今までの作家は皆、気味悪がるか、そんなのは眉唾だと言って聞かなかった。
でも、雪穂とはずっと付き合っていきたい。彼女自身も、彼女の創る世界も、とても面白いから。
――いずれきっと、私がジョーカーであると言える日が、来ますように。
fin.
ここまでご覧くださり、誠にありがとうございます。
とある小説サイト(現在は閉鎖)にて、2013年頃より交流が始まったメンバーで、10年を祝してリレー小説を執筆しました。
投稿者(キホ☆)個人のコメントにはなりますが、そのサイトの存在が私の創作の原点となっており、今後も忘れることはない活動期間です。そこで出会ったメンバーの中でも、今回お声がけした4人は特に初期の頃から一緒に創作活動をした仲間です。
当時、そのサイトの投稿形式の一つにあった、誰でも参加できる「リレー小説」機能で、ハチャメチャなストーリーを作って遊んでいました。もうそのサイトはありませんが、改めてみんなで何か書きたいと思いお声がけいたしました。
互いに10年の年を重ね、個々の生活も変わったりと忙しい中、全く違う趣味嗜好を持つ我々で新たなにひとつの物語を紡げたことを非常に嬉しく思います。
現在でも仲良くしてくれていることと、良い刺激を与えあえるクリエイター同士であることに、心からの感謝を。
いつも本当にありがとう!
2023/07/01 キホ☆。