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貴石になる為の禊は、一週間程かかる。
リデルは最後の禊を終え、今夜の儀式を控え、嵌め殺しの窓から月を見上げる。
今夜は満月だ。
月明かりでも十分部屋は明るく照らされ、鏡には窶れた顔が写る。
「……あ、」
体に激痛が走る。
ノクスへ贈った魔法陣が、全て壊れたのだ。
ーーノクスが、たった今死んだ。
つぅ、と涙が一筋伝い落ちる。
私ももうすぐ貴方のところにいくから。
だから、寂しくないでしょう。
「ーーお姉ちゃん」
茶色い髪に、濃い緑の瞳。
真っ白な服は、聖妃としてのお役目の時に着るお仕着せだ。
現在の聖妃の中で一番幼い、オパールの聖妃。
ーーそして、私の異父姉妹。
なんの因果か、それとも作為か。
儀式の聖妃に、マリーシュが選ばれたのだ。
「……そんなふうに呼ぶのは、もうやめて」
「あら、否定なさるのは初めてみましたわ」
「そうね、貴方が社交の場でそう発言しようと私は受け入れて来たわ」
この場にそぐわない、鈴のなるような可愛らしい声。
オパールの末娘ではあるが、聖魔法が使えるまではその名前を聞いたことはなかった。
母であるサーシャが、正妻が亡くなるまでの間、妾としてオパール公爵家に長くいたせいもあるだろう。
オパール公爵家には、マリーシュの他に正妻の子が4名いる。
肩身が狭い思いをしたはずだ。
実際、そういう声を聞いたこともある。
社交界で既にサファイア公爵家へ嫁ぐことが決まったリデルのその立場を利用しているのだと知りながら、マリーシュの発言をリデルは肯定も否定もしなかった。
それが、リデルのできるマリーシュへの最大の温情であったから。
ふう、とため息をつく。
だからといって、こうなってまでそう呼ぶ必要はないのに。
「……罪人を、姉と呼んではいけないわ。さぁ、行きましょう。覚悟はもう出来てるわ」
儀式は難しいものではない。
心臓と繋がる胸の宝石に、すべての魔力を注ぎ込み、祭壇へ捧げるのだ。
自ら捧げた時のみ、肉体から宝石はするりと外れる。
宝石の無くなった肉体は長くは持たない。
捧げた人間は1時間もしない間に眠るように亡くなる。
一部始終を見守り、儀式の終了後、その宝石を王へ届けるのが聖妃の役割だった。
後ろの方に設置された椅子にマリーシュは腰掛け、リデルは祭壇の前へ跪く。
いつもの祭壇とは違い、守護石はなく、市民向けのものと同じく創世の女神像が設置してあるだけだ。
「創世の女神へ、パパラチアの貴石を捧げます。」
いつも守護石へ魔力を送るように、その身の全ての魔力を石へと集める。
全身から魔力が抜け、胸のパパラチアがコトリと胸から外れた。
これで儀式は終わりだ。
遺体になったリデルの体は、パパラチア男爵家へ引き取られるだろう。
呆気ない終わりだ、リデルは穏やかな気持ちで手の中にある宝石を見つめた。
後から、マリーシュの歩いてくる気配を感じる。
儀式の完了を確認するのだろうと、マリーシュにパパラチアの宝石が見えるようにして祭壇へ置く。
「馬鹿なお姉ちゃん」
「……え……?」
「ねぇ、これを見て」
そんな言葉が出てくるとは思わず、リデルは振り返る。
まだ柔らかさの残る小さな手には、粉々に砕けた宝石のかけらが乗っていた。
青色の、きらきらひかる、欠片。
それが何を意味しているか、わからないはずがなかった。
「ノクス……!」
他の誰が解らなくとも、リデルにはわかった。
その欠片がノクス・サファイアの宝石であると。