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昼になっても、ノクスは戻って来なかった。
お父様と昼食を取った後、ノクスがいつ帰ってきてもわかるように、正門が見える部屋で仕事をこなすが、全くと言っていいほど手につかない。
実のところ、公爵夫人としての仕事は無いに等しい。
代々当主が王宮の書記官であるサファイア家の公爵が多忙を極めるのに対して、夫人の仕事は殆どが使用人に任せてしまえるものなのだ。
領地の貴族への流行を先導したり、領民の陳情書をノクスのかわりに見て采配するくらい。
毎日しなければならないのは、本当に守護石へのお祈りのみだ。
そういえば、とサファイアの傍系の聖魔法を持つ令嬢や夫人へ今年の夏の儀式の案内を送らなければならないことを思いだす。
「レゼ、夏の儀式用の手紙を書くわ。青色の封筒を用意して」
「かしこまりました」
ノクスがいないと時間が長い。
時間がかかる作業をすることでこの長い時間の流れを少しでも早く感じたかった。
* * *
一週間、城からも彼からも音沙汰がなかった。
こちらから送った手紙にも返信はない。
一週間程城から帰ってこられないことは、過去にも多々あった。
馬車で城まで行くのに半日かかるのだ、3日くらい連泊することは多々あったし忙しい時期に一週間戻ってこられないこともある。
首都にも公爵家の家はある、仕事が終わればそちらで寝泊まりしているのだろうことはわかっている。
けれど、そんなときはいつだって、手紙をくれていたのに。
沈んだままで過ごすリデルを心配して、本来より少し長めに滞在してくれた父も今日帰ることになっている。
結局、父との狩りの約束が守られることはなかった。
父はそんなことより元気のない私を気にしていたようだけれど。
「どうか、気を付けて帰ってね。あまり遊びにいけなくてごめんなさい。着いたらお手紙をくださいね」
「リデル様、どうかお元気で。公爵にもお戻りになったらお伝え下さい」
「ええ。次はぜひ、リンデルドと一緒に遊びにいらしてね」
ノクスから音沙汰がなく元気のないリデルを労しげに見つめながら、馬車に乗り込み領地へと帰っていく。
リデルは見えなくなるまで父の乗った馬車を眺めながら、隣にノクスのいない寒さに襲われた。
一週間前は、彼が後ろからストールをかけてくれたのに。
「奥様」
「わかってるわ、戻りましょう。温かいお茶が飲みたいわ。執務室に用意してくれる?」
「かしこまりました」
仕事で忙しければよかった。
そうしたら、きっとこうして不安に思う時間も少なくて済んだだろうに。
紅茶を飲みながら、一週間で溜まった書類の中から、リデルでもできるものを処理していく。
ノクスが帰ってきたら一緒にこの進まない陳情書の内容を考えようと思っていると、ばちん、と体に痛みが走る。
「……、ノクス……?」
その痛みは、魔法陣が壊れるときに起きる反動だった。
反動からいって、大きい魔法陣が壊れたのがわかる。
どくどくと、心臓が早鐘を打つ。
嫌だ、気のせいだと思いたい。
「奥様?!」
「ポールのところへいくわ!」
驚いてレゼが声を上げるが、かまっている暇はなかった。
部屋へ出て、執事長のポールの元へと向かう。
「ポール!ノクスに会いたいの、王宮に行くわ!」
「奥様、落ち着いてください。どうされたのですか」
「ノクスの服につけていた魔法陣が壊れたみたいなの、怖いわ、ノクスに今すぐ会いたい……っ」
肩で息をしながらリデルが焦っている理由を告げる。
息を呑む音が聞こえたが、ポールは首を縦には振ってくれなかった。
「呼ばれてもいないのに、城へは上がれません」
「緊急事態よ、どうしてだめなの」
駄々をこねているだけだ。
男爵家から嫁いで上位貴族の振る舞いが得意ではないリデルでも、城に勝手に上がれないことはわかっている。
それに、城へは馬車で半日かかるのだ。
朝のお祈りに間に合わなければ、傍系の聖魔法保持者を呼び出してお祈りを代わりにしてもらうよう、お願いしなければならない。
風魔法で移動するにしても、城側の風魔法も必要だ。
許可は必須だった。
それでも早く行きたいという気持ちで、リデルはいっぱいになっていた。