一度目の人生
わたしの名前は、リデル・パパラチア・サファイア。
一ヶ月前まで、私は世界一幸せな女だった。
「お父様っ」
「結婚して落ち着いたかと思ったら、おかわりありませんね、リデル様は」
「人は急に変われないってことですよ、でも安心してお父様、私はノクスとちゃーんと仲良くしてるわ」
父であるレオポルトが馬車から出てきた瞬間、リデルは人目もはばからず抱きついた。
屋敷から男爵家の馬車を見て、居ても立っても居られず馬車まで走ってきたのだ。
窘めるのは抱きつかれた父のみで、後ろから追ってきたノクスは微笑ましげにその光景を見ている。
父が私を愛してくれていることを私もノクスも知っている、でなければ一週間も掛けてパパラチア領からサファイア領まで会いに来てはくれないだろう。
「リンデルドは元気?今日はきてくれないのよね?」
「ええ、公爵と公爵夫人のおかげでアカデミーに通えているのです、休ませるわけにはいきません」
馬車に弟が乗っていないのを確認して、一応確認する。
手紙でも弟のリンデルドが一緒に来るとは書いていなかったが、サプライズで来てくれてもいいと思ったのだ。
「寂しいわ……」
「リデル、男爵を困らせてはダメだよ。ほら、こっちにおいで。体が冷えてしまうよ」
火保石をもっているから、少しくらい平気なのにと、私はむぅと唇を尖らせた。
彼は驚くほど心配性なのだ。
それでも、私を心配して言ってくれているのはわかるから、ストールを広げたその腕の中に収まる。
小柄な父とは違い大柄なノクスは、その片腕だけですっぽりと私の体を包むのだ。
「お久しぶりです、パパラチア男爵」
「サファイアの主へご挨拶申し上げます。またお会いできて光栄です、公爵」
パパラチアは、サファイアの分家だ。
王ではないが、サファイアは我々の血筋の祖といっても過言ではない。
その為、王のいない場面では、サファイア公爵家の当主を主として扱うことになっている。
娘の婚家であろうと、それは変わらない。
寧ろサファイア公爵夫人への態度を取る父へ寂しい思いもある。
父は、真面目なのだ。本当に。
「さぁリデル、風邪をひく前に家に入ろう」
「ええ、お父様、さあ一緒にいきましょう」
3年ほど前、私リデル・パパラチア・サファイアは、パパラチア男爵家からサファイア公爵家へと嫁いだ。
男爵家から公爵家へ嫁ぐなど通常ありえないのだが、この国では四大公爵家及び王室へは聖魔法を持つものが嫁ぐことに決まっていた。
私、リデル・パパラチアは、7つの夏で聖魔法を持つことを知った。
魔力は、火・水・風・土・聖・闇属性に別れており、女はその魔力を用い、土地や家を豊かにする。
どの属性も、必要な魔法である。
土地土地によって、必要な属性は異なることも多いのだが。
ノクスの妹であるノルティーネも聖魔法を持ち、その能力がリデルより高かったことで、ノルティーネがサファイア公爵家の推薦する聖妃として王室へ、リデルがサファイア公爵家へ、嫁ぐことに決まった。
リデルはサファイア系家系で、聖魔法を使用でき、その中の魔力が強いという理由で、サファイア公爵夫人の座を手に入れたのだ。
他の聖魔法保持者も、傍系へ嫁ぐことになっている。
次代の強い聖魔法を使用できる聖妃候補を産むために、リデルの人生は7歳で決まった。
それに不満を持つことはない、7つの夏で仲良くなったノルティーネもそうであるし、そうでない友人たちも、生まれ持った魔法の性質で嫁ぎ先が決まったりするものなのだ。
属性魔法は、女しか使用も保有もできない。
だからこそ、高い女の地位と自由とそして少しの不便が与えられているのだ。
「ラム、暖炉の傍にいるとどうしてこんなに眠くなるのかしらね」
「奥様、旦那様がいらっしゃるのですから、そんなところで寝てはダメですよ」
火魔法で暖炉の火の調整をしている侍女にリデルは話しかけた。
フカフカの絨毯に、カウチから持ってきたクッション、厚手のストールでリデルは暖炉の近くに巣を作る。
少々だらしのない格好ではあるが、それを許してくれる甘い主が、この城の主人であり、自分の主人なのだ。
ラムの火魔法は心地が良い。
先程外に持っていった火保石を作ってくれたのも彼女だ。
もうそろそろ雪がふるかもしれない、そんな季節以外にも、火魔法は様々なところで使用される。
聖魔法の使用どころと頻度に考えれば、便利そうでいいなぁ、とリデルは思わずにはいられなかった。
もちろん、聖魔法の重要度は家格すら簡単に越えるものであり、その重要度はリデルにとっても誇れる仕事をするに必要なものだ。
聖魔法は、国の守護石のために使用される。
ノルティーネは国の、リデルはサファイアが守る北の守護石へ魔力をつぎ込む。
一日一回、忘れずに行われるそれは、魔力が少なければ何人もの傍系の嫁も公爵家へ滞在させ、満たさなければならない。
幸い、リデルの聖魔法は他の人間の力を借りるほどではなかったため、一年に一度のみ、形式的に傍系からもいただくに留まっていた。
細やかなノック音が聞こえる。