第3章~渡り廊下に行ってみると(第1部完)
他省庁に入るには、入り口で身分証を見せて目的を言わないと通行出来ないので、例の渡り廊下に行くのには次の外回りまで待つ必要がありました。
しかし、なかなか当たらず1か月が過ぎてしまいました。
次に外回りに当たったのはあれから2ヶ月以上も先でしたが、同行したのは細川先輩ではなく仁藤先輩でした。
仁藤先輩は仕事に取り組むと大変厳しい方でしたが、月に1~2回は体調不良で休む事がありました。
なので、仕事に穴を開けているという自覚があるのか、ちょっとした事には融通してくれる方でした。
前回と同様に身分証と検針表を持って外回りに出向くと、他省庁で特別警戒をしている事もなく、順調に建物の中に進んで行く事が出来ました。
他省庁の蒸気メーターの検針は、早足で急いだ訳ではありませんが、細川先輩と一緒だった時よりかは早かったと思います。
仁藤先輩と他省庁の入り口に立っている警備員が、顔見知りというのもあっての事でしょう。
身分証も一瞬見せただけで、すんなりと入る事が出来たのです。
外回りの経路を覚える為に、仁藤先輩の後ろでメモを取りながら進んで行くと、人によって経路が違う事に気が付きました。
細川先輩の時は、長い横断歩道の信号を待って渡っていたのに対して、仁藤先輩の時は地下鉄の階段を下りて行き、信号待ちを悉く回避していました。
検針が早々に進んでいき、2ヵ所目の機械室を出ると、お目当ての場所の事が気になり始めました。
そして、いよいよ3ヵ所目の機械室に向かって行くと、途中で例の渡り廊下に差し掛かかりました。
そこで、ふいと左側にある渡り廊下の方に向き直ると、一番端の窓枠に片足を掛けて今にも飛び降りそうな男性を見かけました。
外回りの途中でしたが、自分は直ぐにでも渡り廊下に行きたいという衝動に駆られました。
しかし、そこはぐっと堪えました。
そして、何事もなかったかのようなフリをして、一旦はその場を通り過ぎました。
そこから10メートル以上離れた場所で、思い切って仁藤先輩に声を掛けました。
「すいません」
「ん、何だ?」
「ちょっとトイレに行ってくるので、ここで待っていてもらえませんか?」
仁藤先輩が無言で頷くと、大急ぎで先程の渡り廊下の入り口に引き返しました。
「ここで、もたもたしていてはいかない…」
「でも、誰かに見られてはいないだろうか?」
そこで、チラッと後ろを振り返りましたが誰もいませんでした。
「よし!行くなら今だ!」
そう思い、渡り廊下を数メートルダッシュした所で、
「おい、ちょっと待て!」
「そっちに行くな!」
と、誰かに大声で制止されました。
ビクッ!として振り返ると、いつの間にか渡り廊下の入り口に仁藤先輩が立っていました。
それでも、この機会を逃してなるものか!と思い無視して進もうとすると、
「なあ、あんたも見えるのか?見えるのならば仕方ない…」
さっきまでのトーンとは違い、語気を弱めて言ってきました。
「すいません、どうしてもこの先にある窓を見に行きたいんです」
自分は半身のまま、必死な思いで仁藤先輩にそう伝えると、意外な事を言われました。
「そうか…、1回は見といた方がいいかなぁ」
「但し、ここにある線が見えなくなる所までは行くな!」
その線とは、通路と渡り廊下をジョイントした時に生じた境目でした。
「分かりました」
細川先輩の時では決して許されなかったであろう寄り道が実現して、自分は力強くこぶしを握りました。
一瞬だけ振り返り、線の位置を確認すると一目散に走っていきました。
「おっと危ない…」
ちゃんと、線の位置は逐一見ておかないとな…。
飛び降りがあったと思われる窓は通路から一番遠い所にあり、渡り廊下を半分過ぎた辺りからは恐る恐る近付いていきました。
「まだ線は見える…、だけど途中から仁藤先輩の姿は見えなくなった…」
「どうしよう…、引き返すべきか?」
「いや、でも、行くしかない!」
そして、とうとう渡り廊下の一番端まで辿り着きました…。
窓は左側に開いている…。
そこで、急に悪寒を覚えました。
「この窓は閉めた方がいいのか?」
とは思ったものの、次の一歩が踏み出せない…。
その直後、中年位の男性が躊躇う事なく、窓枠に足をかけて中央広場に飛び降りたのです。
「こ、これか!あの投身自殺の滑り出しは…」
衝撃は受けたものの、中央広場にいた時よりかは軽度でした。
その時に、窓枠を掴んだ両手の指紋が残っている…。
窓枠にかけた足跡もしっかりと残っている…。
「はっ、マズい!」
「あの線の位置は?」
「う、うん、大丈夫…」
慌てて振り返りましたが、まだハッキリと線が見えました。
「もう少しだけなら大丈夫だろう」
と思って、もう一度窓を見ると、さっき見た時とは明らかに変わっていました。
そこは、飛び降り自殺の後に改修したのか、はめ殺し窓(固定されて開閉出来ない窓)になっていました。
「えっ、何で?」
とは思いましたが、そろそろ戻らないとヤバいと感じて、猛ダッシュで渡り廊下の入り口に向かって走って行きました。
すると、さっきまで姿が見えなかった仁藤先輩が、通路の手前でやっと確認出来ました。
「どうだった、何か見えたか?」
「あの窓から飛び降りた男性を見ました」
「そうか…、見える奴には見えるんだな」
「他には何か見えたか?」
「えーと、中央広場で見た時はあの窓が開いたのに、真後ろで見るとはめ殺し窓でした」
「そうか、もう気が済んだだろう、行くぞ!」
「はい」
しばらく歩いていたら、仁藤先輩がゆっくりと話し出しました。
「細川さんも見えるんだってよ」
「本当ですか!」
「三浦さんは見えないけどな」
そういえば、細川先輩と仁藤先輩は、時々同僚の皆さんと離れた所で深刻そうに話をしているな…、とは思っていましたがそういうことなのか…。
中央省庁は、基本カレンダー通りの休みを謳っていますが、ビルの中では1年中誰かしらが働いています。
あと、中央省庁では平日は多くの職員でごった返していますが、土日祝日になるとかなり人数が減ります。
役人さんが省庁内で自殺をする場合、大概人の少ない土日祝日が狙われやすく、中央広場等で無惨な姿で発見されます。
細川先輩と仁藤先輩は、土日祝日の泊まり勤務を嫌がっていました。
閉庁日は、設備管理の仕事が少なくて楽なのですが、自殺した方が地上の屋外にある設備にぶつかった場合は、機器の点検をしなければならないからです。
見える人は、その時に自殺を目撃していなくても、どこで、どんなタイミングで、どこに落ちて…、という事が、後になってからも分かるので、どのみち見る羽目になります。
例えば、投身自殺があった2日以内にその場に立ち尽くしていると、機器のへこみを発見したのを切っ掛けに、その様相が鮮明に再現されたものが脳内に入ってくる事があります。
機器に付着した返り血は大方片付けられていますが、裏側とか目立たない所には脂がゴッテリと染み付いていたりします。
これが、擦り洗いしようがなかなか落ちない…。
「あぁ、また見てしまった…」
「現実は心の闇をまた飲み込んでしまったのか…」
と、粛々に思いました。
余談になりますが、投身自殺をされた方は、同じ場所からエンドレスで身投げを繰り返す…、というのを聞いた事はあるでしょうか?
ドラマや映画だと、ついさっき飛び降りた方が、間髪入れずに屋上等の高い所にいる!
なんて事を、さもあったかの様に描かれていますが、そんなにも早いペースで繰り返す事はないでしょう。
見えている方にとっても、その時の様子は一瞬一瞬の繋ぎ合わせになります。
なので、1回見たからといって、見えるとは言い難いのが現状だと思います。
「あれ?今のはもしや…」
というのが、3回は見ないと言葉にはしない、したくないというのが本音ではないでしょうか?
第一部は以上で終了になります。