6.お詫び
人生とは何が起こるか分からないものである。
まさか、初恋の幼馴染の娘と結婚することになるとは思ってもみなかった――。
高校卒業後、芽依の想いは揺らぐことはなく、私達の交際はスタートした。
驚くことに、森崎も舞も交際に反対しなかった。むしろ娘が私の恋人になることを喜んですらいた。
私はトラウマもあり、付き合いたての頃は芽依とそう言った行為には及ばなかった。
しかしある時、芽依に強引に迫られてしまい、とうとう私は手を出してしまった。
悪夢のように私に付き纏っていたあの光景は、芽依が生まれた時と同じ姿になっても、フラッシュバックしなかった。
私の欲望は爆発した。数十年間溜め込んでいたものを芽依にぶつけた。芽依をあの時の舞に見立て、私は全てを出しきった。
「ふぅ……」
「聖太さん、大丈夫だからね……。私がお母さんの代わりに傍にいてあげるから」
行為が終わり、精根尽き果てた私を舞は軽蔑することはなく、優しく抱き締めてくれた。
自分勝手でわがままな私を、受け止めてくれた芽依のことを、私はとても愛おしく思った。
この時から、私の守るべき存在は舞から芽依に変わったのである。
それからトントン拍子に芽依との関係は親密になっていく。私は人生のパートナーとして、芽依を意識するようになった。
交際を始めて三ヶ月、芽依が望んでいた言葉を私は口にした。
「芽依、私と結婚してほしい」
「喜んで!!」
そして、私と芽依は二人で役所に行き、婚姻届を提出した。とうとう、私も独身を脱出できたのだ。
以前の私には、舞より大切なものはなかった。しかし、今は芽依が私にとって最も大切なものである。
私は幸せだった。愛する人と共に人生を歩めることが、これほど喜ばしいことだとは想像していなかった。
一点、残念なことを挙げるとすれば、結婚式が出来なかったことだろう。
金銭的に問題があった訳ではないのだが、新居への引っ越しや挨拶周りで忙しく、それどころではなかったのだ。
私も芽依も初めての夫婦生活。慣れないことも多く、時間的な余裕もなかった。
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「アナタ、私お酒飲んでみたい!」
休日、妻が唐突に酒を飲みたいと言い出した。
「そうか、じゃあ居酒屋にでも行くか」
考えてもみれば、私は妻と一度も飲みに行ったことがない。
私と妻が結婚したのは、妻が十八歳の時である。飲酒ができる年齢ではなかった。
妻は二十歳となり、生活もある程度安定してきている。羽目を外す日があってもいいだろう。
近場に居酒屋はないため、駅で電車に乗り私達は繁華街へと向かう。
夫婦で出かける時は、普段は車で移動するのだが、流石に酒を飲むので車は使用できない。
繁華街には様々な飲食店が軒を連ねていた。人もそれなりに多く、かなり賑わいを見せている。
私達は夕飯も兼ねて、食べ飲み放題の店に入ることにした。
それが良くなかった。
いくら飲んでも、定額ということでお金の心配はいらない。飲みたいだけ飲めてしまう。
手持ちというある意味でのストッパーがなくなってしまったことで、酒を飲み慣れていない妻は、限界を超えて飲んでしまったのである。
幸いにも、妻はマーライオンと化すことはなかった。
しかし、私が肩を貸さないとまともに歩けないほど酔っぱらっていた。
コンビニの駐車場のブロックに妻を座らせ、私は酔いざましのための水を買いにいった。
妻から目を離したのは、ほんの数分。
だが、私が妻のところに戻ると男達に囲まれていた。所謂ナンパというやつだ。
「おねーさん、オレ達と遊びにいかない?」
「やっベー! ちょーかわいいじゃん! オレ勃ってきちゃった!」
「あ、あの……」
男達は恐らくチンピラと呼ばれる人種だ。腕には刺青があり、意味もないのにギャーギャーと大声で騒いでいる。
それ故に妻は怯えていた。酔いが回っており、逃げるに逃げれないのだろう。
「すまない、彼女は私の妻だ」
「あぁ!? うっせーんだおっさん!」
「!!」
――グサッ!
男達の前に立ちはだかった瞬間、腹部が猛烈に熱くなるのを感じた。
私はナイフで刺されていた。
迂闊だった。妻を一人にしたこともそうだが、そういった類いの人間が何をしてくるかよく考えるべきであった。
「アナタ! いやああああああ!」
腹部から溢れた血が、じんわりとシャツを濡らしていく。次第に力が抜けていき、立っていることすらままならなくなる。
地面に膝が付き、そのまま倒れこもうとして――
――またあの時のように、全てが静止した。
「またお前か! 何のつもりだ!!」
激痛は嘘のように消え去り、私はあいつがまたろくでもないことをしようとしているのだと察した。
(そうカリカリしないでよ。ボクは君にお詫びをしようと思ってるんだ)
「何を企んでる?」
(企んでなんかいないよ。ただ、このまま君が死ぬのは流石に申し訳なくて)
「頼む、余計なことはしないでくれ! 対価なんて支払いたくない!」
(そうはいかないよ。もともとボクが力を貸したことでそうなってしまったんだから、ボクの力で何とかしないといけないよね)
身体は動かないと言うのに、心臓がバクバクと鳴り響く。こいつはきっと私が苦しむことをしてくると、本能が告げていた。
(安心して、対価は必要ないから)
「いらない、何もしなくていい!」
(
フフフ、そう遠慮しなくていいよ。君だって死にたくはないでしょ?
だからね、君を過去に戻してあげる。未来に何が起こるかを知っている君であれば、死は回避できるだろうから。
あ、そうだ! タイムリープさせるのは君が事故に遭った直後にしよう!
今回は対価を支払わなくていいから、君の幼馴染の舞ちゃんも、君から離れていかないよ。
君は舞ちゃんとやり直せるんだ。ずっと君は舞ちゃんのことで悩んでたし、いい考えだよね?
いやー、ボクって親切だなあ
)
私はもう、舞と結ばれることなど望んではいない。妻と一緒に過ごせればそれでいい。
それに過去に戻されてしまえば、妻が生まれてくるまで何十年も待たなくてはいけなくなる。
せっかく幸せを手に入れたというのに、そんなのは嫌だ!
(それじゃあ、目を閉じて)
「断る! 私はこのまま妻と生きる! お前の思い通りになどならない!」
(閉じろ!)
強い口調でそう言われると、重しがつけられたかのごとく、目蓋が下に引っ張られる。
必死に抗ったものの、瞳は完全に閉じられ、目蓋の裏が見えた。そうなってしまったが最後、私の意識は遠のいていった――。
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今回で第一章(前半)は終了となります。