5.婚約
ファミレスで食事をしている最中、唐突に芽衣がとんでもないことを言ってきた。
「ねえ、こじさん。こじさんって処女厨なの?」
「ごふっ!」
私は口に含んでいたチューハイを机に吐き出してしまった。慌てて、メニューの横にあった紙ナプキンに溢してしまった液体を吸い取らせる。
「いきなり何を……」
年頃の娘なので、処女だとか童貞だとかそういった言葉を知っていてもおかしくはない。されど、先程の単語はあまり一般的ではないものである。
「こじさんって、ひねくれで童貞で拗らせてるでしょ?
だからそうなのかなって」
いや、それ以前に処女厨なんて言葉何処で知ったのだろう。まったく、親の顔が……以下略。
「芽衣ちゃんが気にすることじゃない」
「気にするよ。こじさん、今のままだと一生独身だよ?」
「う……」
望むところだと、一回り年下の子に胸を張って言えないところが大人として恥ずかしい。
人間とは弱い生き物だ。長い時間を一人で過ごしていると、どうしても人が恋しくなってしまう。
「こじさんの条件に合う人って、同年代の人はいないんじゃない?」
情けない。私は幼馴染の娘にまで将来を心配されてしまっている。
と言うか、こんな人目のあるところでそんな話をしないでほしい。死にたくなる。
「いないだろうね。さ、この話しはおしまい!」
「待ってこじさん、私、条件に合う人を一人知ってるの」
誰だろうとは思うものの、芽衣が知っている女の子であればまず間違いなく未成年だ。
そんな子と付き合うとなれば、私はアパートから刑務所に引っ越しをせざる得なくなる。
流石にそれはごめんだ。聞くだけ無駄だろう。
でも、気になる。
「一体誰だい?」
「私だよ、私。私は男の子とチューだってしたことないし」
これはいけない。いくらなんでも度が過ぎている。女の子が言っていい冗談ではない。
「大人をからかっちゃいけないよ」
「本気なんだけど」
芽衣はいつになく真剣な表情をしている。普段の彼女とは雰囲気が違っていた。いつもの彼女であれば、もっとにこやかだ。
「こじさんから命を救ってもらったこと、私忘れてないよ。私、あの時からこじさんのことが好きなの」
今日が初めてだった。芽依が私に対してこんな話をしてきたのは。私も芽依に話す時は、恋愛絡みのことはおくびにも出さない。
それに、私からしたらまだ芽依は子供だ。芽依が同年代の子と付き合うのはともかく、こんなおっさんとは明らかに不釣り合いである。
芽衣の幸せを考えれば、私は芽衣とそういう関係にはなれない。大人として道理を説くべきだろう。
――幸せを考えれば……か。
私は舞の幸せのため、舞のことを諦めた。諦めざるを得なかった。
その結果、私は自分自身の幸せに関してはおざなりにしてしまっている。
白黒つける時がやって来たのだ。私は芽衣のことを今まで女性としては見てなかった。
一度そのような目で見てしまえば、彼女を舞の代わりとして歪んだ欲望をぶつけてしまっていただろう。
そうならなかったのは、ある種あの時に支払った対価のおかけだ。
芽依は私のことを想ってくれている。それがいつまで続くかは分からない。なら、私がするべきことは――。
「ありがとう、嬉しいよ。ただ、芽衣ちゃんはまだ未成年だから、そういう関係にはなれない。だから、大人になっても同じ気持ちでいてくれるなら、私と付き合ってほしい」
彼女の想いに応えつつも、芽依が私の想いにも応えてくれるか確かめることだ。
「本当!? だったら私、大人になるまで我慢する。高校卒業するまで我慢するよ」
「先に言っておくけど、私は芽依ちゃんが言った通りひねくれてる。どんなことを芽依ちゃんに要求するのか分からないよ? いいんだね?」
「いいよ、それも覚悟の上だし。これで私とこじさんは婚約者同士だからね!」
婚約者、話しは飛躍しているもののどこか懐かしさがあった。
★★★★★
森崎芽依という少女が、石井聖太という男を愛するようになったのは、彼女がまだ幼い時である。
当時の芽依は、聖太のことを親戚のおじさん程度にしか考えていなかった。
きっかけとなったのは、家族でハイキングに行った時であった。
彼女は親が目を離した隙に、蝶々に釣られ山の奥深くへと入り込んでしまった。
迷子になった芽衣は泣き叫んだ。叫び声が木霊するが、両親が現れないことに彼女は絶望した。
自業自得であるにも関わらず、芽衣は両親から捨てられてしまったと勘違いをする始末だった。
一方で、芽依がいなくなったことに気付いた両親は懸命に彼女のことを探していた。
それでも見つからなかったため、警察に連絡し救助隊が出動するほどの騒動となった。
まさに偶然であった。聖太は会社の同僚とバーベキューで近くに来ていたのである。
聖太は芽依の行方が分からなくなったことを舞から聞き、独自に彼女のことを捜索することにした。
二次被害に遭う恐れもあったのだが、ある思いが聖太を突き動かしたのだ。
――舞の幸せのため。
陽が暮れ始め、救助活動も明日に持ち越しになっても聖太は芽依を探し続けた。
そして、芽依を見つけた。
芽依は疲れ果て、森の中で踞っていた。聖太はそんな彼女に助けに来たと声をかけた。
この時、芽依は聖太のことを絵本に出てくる白馬の王子様よりも遥かにかっこいいと感じた。
恐怖に怯える自分を救ってくれた聖太のことを、運命の人だと認識したのである。
自分を背負う聖太の背中に、芽依は父の背中よりも暖かく大きいと思った。
それから、芽依は聖太のアパートに入り浸るようになる。
ある日、聖太の部屋の鍵が開いていたので、芽依は勝手に入った。すると、聖太の呻き声が聞こえた。
この時、聖太は眠っており、舞の夢を見て舞のことを想い泣いていたのだ。
芽依は理解した。自分の母のことを聖太が好きだったことを。
母のせいで、愛する人が苦しんでいる。ならば自分が母の代わりになってでも、愛する人の傍にいてあげようと、芽依は決意するのだった。