4.拗らせたおじさん
森崎と舞が恋人同士となってから、二十五年が経った。
あれから二人とは、友人として現在も関係が続いている。舞はお別れしたからと言って、俺――私と絶縁するようなことはしなかった。
森崎と舞は順調に交際を進めていき、結婚した。今の舞の名字は、藤波から森崎となっている。
二人の夫婦生活は順風満帆で、三人の子供が生まれた。三人の内、年長の女の子はもう高校生だ。
森崎と舞は暖かい家庭を築き、それを森崎は何年も守り続けた。
過去の私は舞を守っていると思っていたが、所詮は意気がった少年のそれと変わらなかったのだ。
男として私は森崎に劣っていたのだ。舞が家族に囲まれ、笑顔でいられるのは、森崎の努力の賜物だ。
私はと言うと、あの時に負った心の傷は想像以上に深く、未だに私は独身だ。
恋人がいた時期もあったが、結婚までには至らなかった。
いざ、そういうことをしようとなってもあの光景がフラッシュバックしてしまい、それ以上の行為が全くできなかったからだ。
愛する人が、他の男と幸せそうな笑みを浮かべ、音を立てて愛し合う。忘れようとしても忘れられない。
私は思った。愛し合うという意味で、あれ以上のものは存在しないのだと。
そのせいで、自分以外と関係を持ったことのある恋人には、必ずと言っていいほど疑いの目を向けるようになってしまった。
私は誰とも関係を持ってはいない。だが、彼女達はそういう行為を他の男としてしまっている。
つまり私は、彼女達にとっての元恋人以上の存在にはなれない。ふと、元カレが彼女達の前に現れたら、そちらに靡いてしまうのではないかと考えてしまうのだ。
自分でもしょうもないとは理解している。でも、頭では分かっていてもどうしようもない。
そんな拗らせてしまった私に、寄り添ってくれる女性などいなかった。
どうやら私の精神年齢は、高校時代から年を取ることを知らないようだ。
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残業もなく、仕事が無事に終わり私は家路に着く。
今日は花の金曜日、同僚や部下を誘って酒でも飲みたい気分ではあるのだが、それはできない。
私とは違い、皆家庭を持っているからだ。打ち上げや忘年会などでもなければ、飲み歩くようなことはしない。
ここ最近、会社に新人も入ってこないことから、週末は私は一人で宅飲みをしている。
社会人に成り立ての頃は、私は同僚と毎日のように飲みに行っていた。
時というものは残酷で、一度進むと戻ることはない。気付けば、私も四十代になってしまっていた。
周りは時の流れに応じ、変化していった。同僚だった人間が上司となったり、また部下にもなった。
そして各々人生のパートナーを見つけ、結婚していった。部署の中で独身なのは私だけである。
だから、毎夜寝床に着くと不安になる。私はこのまま一人で孤独に死んでいくのだと――。
されど、今更女性とお付き合いするのも億劫になってきてしまっている。
私はこれから、どうすればいいのだろう……。
帰宅途中、私は最寄りのスーパーに寄り、チューハイを購入した。
チューハイは安価で簡単に酔える。酔うと一時的ではあるものの、嫌なことは忘れられる。
ここ最近の私の唯一の癒しかもしれない。
「またか……」
アパートに着くと、制服を着た女の子が私の部屋の前にいた。彼女はドアに背を預けて体育座りをしている。
その子は、私が帰ってきたことに気付き、パッと笑顔になった。
「こじさん! お帰り!」
こじらせたおじさんだからこじさん、彼女は私のことをいつもそう呼ぶ。
人様のことをそんな風に呼ぶなんて……まったく、親の顔が見てみたいものだ。
まあ、彼女の両親は私の友人なのだが……。
彼女は、森崎芽衣。舞と森崎の娘である。年長の女の子とは芽衣のことだ。
「こじさん、今日はパフェ食べたい!」
「ま……お母さんには言ってあるのか?」
「言ってない」
この状況だけで言えば、舞と芽衣の親子仲はそれほど良くないように見える。
芽衣のことを、家での居場所をなくし、知り合いのおじさんのアパートに転がりこんできた家出少女とも思えるかもしれない。
だが、勘違いをしないでほしい。母と娘の関係は良好そのものである。
芽衣は暇さえあれば私に会いに来るのだ。そしていつも私にファミレスのデザートをねだる。
そもそも、親の教育がいけない。年頃の娘が独り暮らしのおっさんのアパートに行くことを一切咎めない。
舞はおろか森崎さえも私のことを信頼しており、娘にいかがわしいことなどしないと思い込んでいる。
芽衣が私に懐いている理由は分からない。過去に一度、迷子になってしまった彼女を見つけたくらいで、それ以外は何もない。
「お母さんに連絡しなさい。じゃなきゃ、何処にも連れていかない」
と言うより、連れていきたくない。
親子ほどの年の離れた女の子と一緒に歩くと、十中八九そういう目で見られる。
一度同じ会社の人間に見つかって、親戚だと誤魔化したことすらある。
「大丈夫だよ。お母さん、私がいないときはこじさんのところにいるって知ってるし」
「それでも……」
「行こ!」
芽衣に手を引かれ、私はファミレスに行くことになってしまった。
絵面的に非常にまずい状況にあるのだが、私は断ることができなかった。
芽衣は母の舞とでは、性格に大きな差異がある。芽衣は明朗快活で、私が彼女に何かしてあげても芽衣は気にする様子はない。
ただ間違いなく、芽衣は舞の血を受け継いでいる。今の芽衣の容姿は高校時代の舞と瓜二つだ。
本来であれば、大人である私が未成年の芽衣と二人きりで食事をするなどあってはならない。
私が芽衣を連れ歩いてしまうのは、あの時舞とそういうことができなかったことへの反動なのかもしれない。
実際芽衣と出かけることに、私は少し楽しさを感じてしまっているのだ。
しかし、いずれは正さねばならないだろう。こんなことはいつまでも続くはすがないのだから……。