34話『決着』
壁の穴を抜けた俺の眼前には、天井に頭がつくほどの巨人がいた。
ギガンテス――A級のモンスターだ。本来なら国が一丸となって立ち向かわねば、倒せない相手である。
しかし今、その脅威と立ち向かっているのは、たった一人の少女。
アリスだった。
「あぁああぁああぁああああああああぁああ――ッッ!!」
『ゴアァアアァァアァアアァァアアアァ――ッッ!!』
天賦元素に目覚めたのだろう。アリスの全身は光に包まれている。
光の槍が放たれ、ギガンテスの巨躯に直撃した。だが掠り傷にもならない。
ギガンテスが足を真横に動かす。それだけで強烈な風が巻き起こり、アリスの華奢な身体は吹き飛ばされた。
敵わないと気づいている筈だ。
それでもアリスは戦う道を選んだ。
今が無茶をするべき時だと、決断した。
「……アリス」
思わずその名を口にした。
聞こえるわけがない。しかし、その決意を宿した背中を見て、俺はつい彼女の名を呼びたくなってしまった。
絶対に、死なせるわけにはいかない。
ギガンテスが腕を振り下ろす。
アリスが為す術なく、押し潰される直前――俺は彼女を抱えてギガンテスの攻撃を避けた。
「大丈夫か?」
「ぁ……レクト、教官……?」
まだ現実に理解が追いついていないのか、アリスは呆けた様子を見せる。
見たところ重傷は負っていない。どうやら間に合ったようだ。
「よく、頑張ったな」
ゆっくりとアリスを地面に降ろした俺は、無意識にその頭を撫でた。
まだ硬直しているアリスに、俺は思わず笑みを浮かべる。
「あとは俺に任せてくれ」
そう言って踵を返し、ギガンテスと対峙した。
アリスは十分、頑張った。
今回の経験はきっと、アリスの将来に大きく役立つ筈だ。
だからもう……いいだろう。
ここから先は、アリスにとって不要な戦い。
生徒たちの未来に不要なものを取り除くことも、教官の仕事だ。
「――《元素纏い》」
体内元素を練り上げ、黒々とした力を全身に纏わせる。
それは、どの属性にも該当しない特殊な元素だった。
――混沌元素。
全ての属性の元素レベルを平等に上げ、その差異が一定値未満になると発現する、天賦元素に勝るとも劣らない稀有な元素である。
七つの属性が入り混じったその力は、絶大な破壊力を発揮する反面、制御が一切効かない。そのため、身体に元素を纏わせるだけの《元素纏い》以外の術式が使えなくなるのだ。
不器用な俺にとって、混沌元素は唯一無二の武器であり、切り札だった。
そして、その力は――七つのS級ダンジョンを破壊したことによって、更に強化されている。
火、水、土、風、雷、光、闇。七属性のS級ダンジョンを破壊した俺の身体には、S級ダンジョン七つ分の元素が宿り、黒々と――禍々しく入り混じっている。
『ガアァアアァアアァァアアアァ――ッッ!!』
ギガンテスが雄叫びと共に迫り来る。
巨大な拳が振り下ろされた。暴風と共に訪れる巨人の拳は、まるで世界を滅ぼす隕石が落下しているかの如き光景だ。
――大したことはない。
軽く腕を上げ、拳を受け止める。
尋常ではない衝撃が周囲へ伝播した。大気は破裂し、足元の床には亀裂が走る。右足を軽く踏ん張ることで衝撃の角度を調整し、アリスが吹き飛ばないようにした。
巨人の拳は、俺の掌の上でピタリと静止している。
自慢の一撃だったのだろう。掠り傷ひとつ付いていない俺を見て、ギガンテスは驚愕のあまり微動だにしない。それは先程のアリスと同じ状態だった。
「立場が逆転したな」
今際の際に、思い知っただろうか。
上には上がいることに。
「顕現――」
体内に宿る膨大な元素を練り上げ、その余剰分を右腕に集める。
俺の体内元素は膨大だ。だから《元素纏い》を使用するだけでは消費し切れない。
そこで、余剰分を強引に取り出して、剣の形に固めてみせる。
これは術式でも何でもない。無理矢理、元素を剣の形に押し留めているだけである。
しかしその威力はどの術式にも劣らない。
これこそが、迷宮殺しのトレードマークのひとつである、漆黒の大剣。
この剣は――迷宮を殺すほどの一撃を秘める。
『ガアアァアアァァアァアアァァアアアァ――ッッッ!!』
ギガンテスが咆えた。
随分と必死だ。どうやら彼我の差を理解したらしい。
だが、もう遅い。
「所詮はA級――」
漆黒の大剣を構えると、その刀身から黒々とした波動が溢れ出た。
波動は視界を埋め尽くすほどの嵐と化し、やがてそれは剣に纏わり付き――。
「――ただの雑魚だ」
斬撃と共に、混沌元素が迸る。
大剣を振りながら、元素の力で相手を断ち切る技――《顎閃》。
元々はS級ダンジョンを探索している最中に編み出した技だが、ギガンテスには少し強すぎたらしく……。
巨人の身体は、縦に両断された。
◇
アリスは信じられないものを目の当たりにした。
真っ二つに切断され、左右に割れる巨人を見つめながら、ここ最近のことを思い出す。
最初にレクト教官を見た時、アリスは正直、うだつが上がらない印象を受けた。
それは他のクラスメイトたちも同じだったらしく、暫くは皆でレクト教官に対する不信感について何度も話し合ったほどだ。
だが、蓋を開けば、レクト教官は斬新な方法で生徒たちの実力を伸ばし――。
そして今――A級のモンスターを、たったの一撃で倒すという規格外なことをしてみせた。
『君を助けたのは、我々ではない』
ふと、探索者協会でメディに言われたことを思い出す。
『君を助けた探索者は他にいる』
その探索者の性別は男。髪は黒色で、体格は普通。
黒々とした、見たことがない属性の《元素纏い》を使い――。
――あと、顔に覇気がない。
それが、アリスの命を救った恩人らしい。
「無事か、アリス?」
ギガンテスを葬ったレクトは、普段通りの覇気のない顔でアリスに近づいた。
鼓動が高鳴る。湧き上がる興奮を、アリスは必死に抑えながら口を開いた。
「あの……教官」
小さな声で、アリスは訊く。
「私を助けたの……これで何度目ですか……?」
その問いの意図を、きっとレクトは理解した。
レクトは少しだけ悩んでから……答える。
「二度目だな」
その答えを聞くと同時に、アリスの感情は抑えきれなくなった。
両目から大粒の涙が溢れ出す。
「ありがとう……ございます」
震えた声でアリスは言う。
涙を流すアリスは――満面の笑みを浮かべた。
「え、えへへ……やっと、お礼……言えました」
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