ものを書いて生きるということ
いつの間に、私はこんなに何もできない人間になったのだろう。
小さい頃から物語を考えるのが好きだった。
言葉を紡ぐのが好きだった。
友達同士でみせあいっこすると、その中では自分がいっとううまかった。
実際のところはわからないが、そう思い込んでいた。
中学生になって、ものを書く友達がたくさんできた。
自分ももっとうまくなりたくて、一生懸命書き続けた。
色々なお話を書けば書く程、みんなが続きを読みたいと言ってくれた。
私は作品作りに没頭した。
高校生になって、好きなひとができた。
私の書くものは、自然とそのひとの色を帯びていった。
でも、その想いは叶わなかった。
その経験が私を焚き付けて、また私はたくさんのものを生み出した。
大学生になって、環境が変わった。
自分の周りに、ものを書くひとはいなくなった。
艶やかで目まぐるしい日々に溺れていった。
次第に私は書くことを忘れ始めた。
社会人になって、それはより顕著になった。
仕事で忙しい毎日、休日もやることが多く、色々なものに追い立てられながら走り続けた。
その内私は結婚して、守るべき家族ができ――そして
気付けば、何も書けなくなっていた。
「満たされたからさ」
頭の中で声が響く。
「創作はいつも、渇望から生まれる。なにかが欲しい、なにかが足りない、なにものかになりたい、なにものにもなれない――そんな葛藤の中でもがく時、生まれたものこそが最高に輝くのだ」
――満たされたからなのか。
自分に問う。
たしかに今はしあわせだ。
大切な家族もいる。
やるべき仕事もある。
たったひとりで部屋にこもり、自分の中の願いを、欲望を、規律を、叛逆を、すべてを作品にさらけ出していた、あの頃とはなにもかもが違う。
――それでも
私の中に、熱は在る。
いつかその道程を振り返る時、あの時あきらめないでよかった、そう思いたくて。
私は今日も、たどたどしく言葉を紡ぐのだ。
(了)
完全に勢いで書きました。もはやリハビリです。
昔から感じていたことなどをぶつけてみました。
みなさんそれぞれものをつくるということに対して想いはあると思いますが、もし共感してくださる方がいらっしゃったら、とても嬉しいです。
追記:2024/2/22 少し改稿しました。読みやすくなっていますように。