国王陛下の密命:ニコラス視点
ロサルタン領から帰った僕を待ち受けていたのは、兄上が謀反を起こし、王位継承権と身分を剥奪されたという驚きの報せでした。
最初は耳を疑いました。兄上は父上を尊敬して国王を目指していました。幼い頃、父上の話を自慢げに語る兄上を何度も見てきました。そんな兄上が父上に謀反など、有り得ないと思いました。
しかし、王宮に兄上の姿は無く、兄上の側近達も隔離されている状況に、これが現実なのだと、少しづつ実感が湧いてきました。
僕は旅行に行く前日、兄上と話した事を思い出します。
旅行に行くと浮かれていた僕に兄上は「そうか。楽しんで来るといい」と言いました。その時ふっと兄上が笑った気がして、僕は嬉しかったのです。王太子の座を争うライバルではなく、久しぶりに兄弟としての会話が出来た、そう、思っていました。
もちろん、僕の勘違いでしたね。
あの時には既に兄上は戦争を起こす日程が決まっていたはずです。いったいどのような気持ちで僕に楽しんで来るように言ったのでしょうか。
気がついたら、ロサルタン領の海で拾ってきた貝殻を粉々に砕いていました。父上と兄上にお土産にと渡そうと思っていた貝殻。もう、渡す事など出来ないでしょうから。
ここ数日、その件の後始末で王宮の中はずっと慌ただしくなっています。
兄上の事で、父上と話をしたいので面会予約を入れているのですが、当然ですがかなり忙しいようで、返事はまだ来ていません。
コンコンコン、と扉をノックする音が聞こえ、側近が扉を開けます。入って来たのは父上の側近でした。彼は恭しく頭を下げます。
「ニコラス殿下、陛下がお呼びです」
その言葉を聞き、僕はすぐさま立ち上がりました。
「ニコラスです。失礼いたします」
「入れ」
父上の執務室に入れば既に人払いがされているようで、部屋の中には僕と父上の二人だけでした。
「陛下、お呼びでしょうか」
「ニコラス・・・すまない。時間を取るのが遅くなった」
父上は悲痛そうな表情で僕に詫びます。
「いえ、父上がお忙しいのはわかっておりますので、仕方がないかと。お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「いや、本来ならそなたとすぐに話さねばならなかったのだ・・・話とは、レオンハルトの事だろう?」
「はい・・・。僕は兄上が戦争を起こすに至った経緯をまだ知りません。話してくださいますか?」
「ああ。余もレオンハルトからいろいろ聞いたところだ」
父上は兄上から聞いたという話をしてくれました。
事の始まりは2年前、兄上の側近の不正が摘発され、兄上の立場が落ちた頃。
兄上は立場を盛り返す為の策を探していたそうです。そんな折にシクレトス子爵から「興味深い宗教がある」とアラグリム教の話を持ちかけられたそうです。
アラグリム教の基本理念が兄上の理想とする国作りに近く、兄上はアラグリム教に心酔していきました。そして、国教をアラグリム教にしてしまえば国がひとつに纏まり発展するのではないかと考えるようになったそうです。
最初は父上を神としてたたえるように信者達に説いていたのですが、父上がアラグリム教に否定的だと分かると自分こそが王であり神なのだと主張するようになりました。
アーガン伯爵やソマバード男爵、それから魔術学園教師のナディックという協力者を得る事で力を強めていったアラグリム教はとうとう国教であるカタロット教の本殿、大聖堂を襲撃する計画を立てました。そして、国教をアラグリム教に挿げ替え、父上に王位を譲ってもらい、兄上が国王として、神として統治していく予定だったそうです。
しかし、協力者であるナディックの裏切りにより、兄上の計画は水泡に帰したのです。
「そう、なのですか・・・兄上は国を思うが故に父上と対立してしまったのですね・・・」
やるせない気持ちが沸き起こります。何故、もう少し平和的に分かり合う事が出来なかったのでしょうか。僕も、兄上の心境に気づいてあげられれば、こんな事にはならなかったのでしょうか。今更後悔しても遅いのですが。
「余にも責任はある。レオンハルトの不満に気づいていながら、結局は踏みとどまらせる事が出来なかったのだからな」
父上が肩を落とします。人払いをしているからでしょうか。いつもの威厳ある国王陛下ではなく、息子を持つ親としての少し気弱な父上に見えます。
「・・・ナディックはどうして兄上を裏切ったのでしょうか」
兄上は魅力的な人です。一度アラグリム教に染まった人ならば兄上の為に尽くしそうなものですが・・・
「ナディックは、最初から間者としてレオンハルトの元へ潜り込んだそうだ」
「最初からですか?ではその時から既に兄上の行動に気付いていた者がいたと?」
「ああ。宰相のファロム侯爵、あれの次男が特別優秀でな。ナディックは彼の命に従ったらしい」
「そうなのですね」
ファロム侯爵家次男と言えば、一緒に旅行に行ったシヴァンの弟で、ティアの婚約者のカインですね。優秀だとは聞いていましたが、それ程とは。
僕自身はカインは少し苦手です。
いつも無表情で冷たい目をしていますし、入学式の時にはティアに手を出さないようにと、睨まれてしまいました。・・・いえ、あれは兄上がティアに妾になるように言っていたらしいので、弟の僕にも牽制したのでしょう。兄上が悪いですね。はい。
「それで、だな」
コホンと父上が咳払いをするので、姿勢を正します。
「ニコラスには、正式に王太子の座が与えられる事が確定した」
「あ・・・」
そうか、兄上がいなくなったから、僕が王位継承権を取った事になるのか。まさかこんな形で兄上との争いが終わるなんて・・・
争いが終われば兄上とまた仲良くしたいと思っていたのに、とてもそんな事出来そうにありません。兄上はこれから、罪の犯した王族が入れられる宮で生涯過ごす事となるのでしょう。簡単に会いに行く事もできません。
「ニコラス、そなたはこれを受ける覚悟はあるか?」
「僕は・・・僕は、ずっと兄上こそが国王に相応しいと思ってきました。それは、今も変わりません」
「そうか・・・」
父上の顔が曇ります。僕はグッと顔を上げて父上を見ます。
「しかし、僕は、僕だって作りたい国の形はあるのです。兄上のような人を惹きつける魅力はないけれど、僕は、この国を貧民のいない豊かな国に、民の声を聞いて尽くす王に、なりたいです!」
僕は、僕の好きなこの国を僕なりに守っていきたいのです。
そう言うと、父上が驚いたように目を瞬かせました。そして、ふっと笑いました。
「そうか。父は応援するぞ、ニコラス。やってみなさい」
「はいっ」
兄上の件が終息したら、僕の王太子就任の式典を執り行うと約束してくれました。
「では、王太子となるニコラスに、国王である余から課題があるのだが」
「は、はい」
早速課題がやって来ました。王太子になるのです、きっと今までよりも難題な課題になる事でしょう。
ゴクリと唾を飲み込み、父上の言葉を待ちます。
「カイン・ファロムに忠誠を誓わせろ。期限は付けないが、なるべく早い方がいい」
「忠誠、ですか?」
父上の言葉の意味が汲み取れず、首を傾げます。
「先程も言ったが、彼は優秀だ。味方に付けておいて損はない」
「それは、そうでしょうが・・・既に彼は国の為に動き、兄上の起こした戦争を止めたのでは?」
国の為に間者を忍ばせ、戦争を防いだ。既に国に対する忠義があると言うのに何故僕に忠誠を誓わせる必要があるのでしょうか。
僕の疑問に父上は眉間に皺を寄せます。
「・・・ここから先は、ただの勘だ。決して誰にも言わぬと誓え」
「・・・はい。誓います」
父上の真剣な金色の目に深く頷くと、父上は重々しく口を開きました。
「・・・カイン・ファロムにこの国への忠義は無い。此度の件も、以前の不正摘発も、彼が気に入らない者を排除しただけだと思っている。それが偶然、国の為となっただけなのだと」
「私情で動いていただけだと・・・?」
「此度のレオンハルトの件、余は疑問に思った。ナディックを仕込む程早く気づいていたのなら、もっと早くにレオンハルトを止める事は出来なかったのかと。手遅れになる前にレオンハルトを連れ戻せなかったのかと」
「彼が気づいた時には既に手遅れだったのでは?」
兄上は他者の苦言をあまり耳に入れないふしがあったので、アラグリム教に染まってしまっていた兄上を臣下が連れ戻すのは難しいと思うのですが。
「その可能性は十分にある。しかし、どうにも腑に落ちない。国王という立場にいると、心の底から尽くしてくれている者かそうでない者かは何となくわかる。彼はそうでない者だ。・・・そもそも、レオンハルトがアラグリム教に出会う切っ掛けを作った者が彼ではないかと思っている」
「・・・証拠はあるのでしょうか?」
「何も無い。レオンハルトはシクレトス子爵からアラグリム教の存在を聞いたと言う。シクレトス子爵は家に来た宣教師からアラグリム教を教えられたと言う。しかし、アラグリム教のどの宣教師に聞いてもその宣教師は見つからず、レオンハルトがいきなりアラグリム教の本拠地に足を運んだのだと言う」
「その宣教師を手引きした者が、カインだと・・・?」
「私の勘だがな」
父上の言葉は全て推測です。しかし、父上の口調には何か確信めいたものがあるようです。
もし、その推測が当たっていたとすると、彼はサクレスタ王国にとってかなりの危険人物です。王族を陥れ、戦争を起こしかけた。
「そうだとすると・・・カインは何故、そんな事を・・・悪戯に国を騒動に巻き込んで、何がしたかったのでしょう」
「・・・レオンハルトの失脚が狙いだろうな」
父上は悲痛そうな表情です。
兄上の失脚を狙うということは、第二王子である僕を国王にしたい派閥という事でしょうか。
・・・いえ、彼が僕に取り入るような、そんな素振りはありませんでした。
ただ単に、兄上が気に入らなかった・・・?
「・・・!まさか、兄上がティアに手を出そうとしていたから、ですか・・・?」
「知っていたのか。彼は随分と婚約者を溺愛しているらしいな。その婚約者にレオンハルトが身分を振りかざして迫ろうとしていたと聞いている」
「・・・妾になれと、言っていたそうです」
「そうか・・・レオンハルトはとんでもない者を敵に回してしまったようだ」
ふぅ、と父上が溜息をつきます。
そういえば、カインは僕や周りの人間には無表情で冷たい雰囲気で接しますが、ティアに対しては柔らかい笑顔で優しく接するのです。カインにとってどれだけティアが特別で、愛おしく思っているのかが伝わります。
僕はまだ誰かをそれ程深く愛した事はありませんが、愛した人を妾にと攫われそうになれば、彼の兄上に向ける怒りも理解出来ると思いました。
「つまり、彼は自分と婚約者の邪魔になる者は、王族だろうが神だろうが排除しようとするのだ。敵に回すには厄介すぎる。学生で、接点が多いうちに味方に取り込んでおくのだ。出来なければ、そなたの御代は長続きしないぞ」
「・・・はい。肝に銘じます」
なんという事でしょう。
カインに忠誠を誓わせる、とんでもない課題が出たものです。
そもそも、忠誠とは、尊敬の気持ちから来るもので、簡単に誓ってもらえるものではありません。相手があのカインならば、尚更。
彼が忠誠を誓う相手など、ティアくらいではないでしょうか?
父上の課題に対する答えは出ないまま、時は過ぎていきました。




