ロサルタン領へ1
ロサルタン領への旅行の日がやって来た。
夏季休暇も残り少ない。テオやアリアとはたまにお茶会をしたりで会っているが、カインとアーサーには会えていない。二人ともどうしているのだろうか。寂しいな。
夏季休暇に補講があったミーナは補講3日目で合格をもらい、無事に旅行に参加する事ができたのだが、少し元気がないようにみえる。何かあったのだろうか。この旅行で元気を取り戻してくれると良いのだけれど。
ロサルタン領へは私とミーナ、シヴァン、ニコラスというメンバーでロサルタン公爵家の馬車に乗ってやって来た。レイビスとリリアーナは現地集合だ。
王子であるニコラスには護衛を一人付けるという条件で国王陛下からお忍びを許可してもらったらしい。
王都からロサルタン領までは馬車で2日かかる。1日目朝早く出て、途中の街で一泊して、ロサルタン領領主の館に着いたのは2日目の夜だった。
「皆様、ようこそいらっしゃいました」
「お疲れでしょう。軽食と湯浴みの準備を整えておりますので今日はもうお休みくださいませ」
出迎えてくれたレイビスとリリアーナの心遣いで今日はもう休む事となった。豪華で座り心地の良い馬車とはいえ、長時間の移動はさすがに疲れた。
「・・・広っ」
「さすがロサルタン公爵家ね・・・」
私とミーナが案内された客間は豪華で広々とした空間が広がっており、平民と男爵令嬢が二人で使うのは不相応な気がする。うっかり調度品とか壊したら絶対弁償出来ない。
「ティア様とミーナ様には使用人がいないとお伺いいたしましたので、私どもがお手伝いいたします」
案内してくれたロサルタン公爵家の使用人さんが浴室を指し示す。
・・・お手伝い? 入浴の?
「では、お願いいたします。ティア、先にお風呂頂いても良い?」
「あ、うん」
やはりミーナも貴族なのだ。慣れた感じで準備を整え、浴室に向かった。
「ティア様、お待ちの間にこちらをどうぞ」
もう一人の使用人さんが軽食を運んで来てくれる。
「ありがとう存じます」
・・・至れり尽くせりだね。どこかの高級ホテルのようだよ。私には不相応すぎて気後れしてしまう。
ミーナの後に入浴した私は、使用人さんに頭を洗われ、体を洗われ、香油でマッサージまでされた。
気持ち良かったけれど、入浴は一人でした方が気楽で良いなと思ったのは私が根っからの平民だからなのだろう。
翌朝。
「ティアさんとミーナ様は海は見た事あるかい?」
朝食を終えるとレイビスが私達に言った。
ちなみに、朝食には魚や野菜を白ワインで煮込んだ料理が出た。ふっくらとした魚の白身に白ワインと塩、一緒に煮込まれた野菜の味が染み込んでいてとても美味しかった。
夜は生魚を出してくれるらしい。とうとうお刺身が食べられるのかと思うと楽しみで仕方がない。
「見た事はないです」
「わたくしもです」
・・・今世では。
「朝の海は美しいので、是非皆で見に行かないか?」
「はい!」
「是非、見てみたいですわ!」
私達は全員で海を見に行く事になった。領主の館からほど近い所に海があった。
「うわぁ・・・」
「綺麗・・・」
「これは美しいですね」
どこまでも続く白く美しい砂浜に、コバルトブルーの穏やかな海が朝日に照らされて水面がキラキラと輝いている。
この世界で初めて海を見たけれど、こんなに綺麗なんだ。
・・・カインも一緒に来られたら良かったのにな。
「『カインと一緒に来られたら良かったのに』って思ってる?」
「うひゃ、シヴァンさん?!」
後ろからひょっこり現れたシヴァンに思ってた事そのまま当てられて驚いた。
「ふふ、ティアはわかりやすいね」
「・・・そうでしょうか」
クスクスと笑い始めるシヴァンにむーっと不満顔を作る。
そんなに顔に出てたかな?
でも、もうひと月も会っていないからか、ふとした時にカインの事ばかり考えてしまう。・・・やっぱりカインも一緒に旅行に来れたらよかったのに。
「あ、いい事思いついた! ちょっと波打ち際まで行ってきてもいいでしょうか?」
「え?」
パパっと靴と靴下を脱ぐと、波で濡れると困るのでスカートを捲り上げ、海に向かう。
「ティア、何をするのですか?」
私の突然の行動にニコラスが首を傾げた。
「おみやげに貝殻持って帰ろうと思って、探します!」
カインとアーサー、来られなかった二人にも少しでもこの雰囲気を届けられたらいいな。
そう言って海に向かうと、ニコラスとミーナも目を輝かせた。
「いいですね! 僕も父上や兄上に持って帰ります!」
「わ、わたくしも、探します!」
ニコラスとミーナも参加して、貝殻を探す。時々波が来て足元を濡らすのが気持ちいい。
「ニコラス殿下、これはどうですか? 綺麗な形をしていますよ」
「本当ですね!」
「わ、水、結構冷たいのね」
「ミーナ、転ばないように気をつけてね」
ワイワイとはしゃぎながら貝殻探しをしていた私に、砂浜のシヴァン、レイビス、リリアーナの会話は聞こえていなかった。
「うーん、カインがいたら怒りそうな光景だなぁ」
「顔を赤くするのではないでしょうか」
「両方だと思いますわ」
「とりあえず、ここで見た事はカインには秘密にしましょうか」
「もちろんです」
「わかっておりますわ」
後でリリアーナにこっそりと「女性が殿方の前でスカートを捲り上げて足を晒すのではありません」と怒られてしまった。
・・・膝丈くらいだし大丈夫かと思ってたけど、ダメだったか。
海で貝殻拾ったり水遊びをした後は、街に繰り出して買い物だ。
レイビスの提案で、シヴァンとニコラスはロサルタン領の経済、産業等を政治的な目で見学したいので、私達、純粋に買い物を楽しみたい女性達と別行動する事になった。
シヴァンとニコラスはレイビスが案内し、私とミーナはリリアーナが案内してくれるそうだ。
男性陣にはニコラスの護衛が一人ついて、私達にはロサルタン公爵家の護衛が一人ついてくれる。
「では、また夕食時にお会いしましょう」
「ティア、お二人とはぐれないように気をつけてね」
「リリアーナ、頼んだぞ」
「お任せくださいませ。レイビスの方こそ、ニコラス殿下もいらっしゃるのです、頼みましたよ」
男性陣に手を振り、「さて」とリリアーナが振り返る。
「どこか行きたい所はあるかしら?」
「市場!」
「書店!」
元気よく返事をする私とミーナにクスクスと笑い、「では、市場が近いのでそちらから行きましょうか」と歩き出した。
「わぁ・・・」
「賑わっておりますね」
「ここは、外国から仕入れた食材なども並んでいるわ。王都には無い物もあるから、ゆっくり見てちょうだい」
さすがはロサルタン領、国一番の交易都市だ。市場にも様々な国籍の人が行き交っていて賑わいをみせている。
ふと、市場に並んでいる食材に目がとまった。
「あ、これって・・・おばさん、これ何ですか?」
店先の恰幅の良いおばさんに声をかけると、「ああ」と返事をくれる。
「これはバナナだよ。最近外国から入ってきた果物なんだ」
「バナナ! これひと房ください。長持ちしそうなやつで!」
「はいよ」
やった、バナナがあったよ!
平民の街でもチョコレートが流行しているので、バナナがあると良いのにと思っていたのだ。チョコとバナナの組み合わせは最強だ。
そのままチョコレートをかけても美味しいけれど、チョコバナナケーキでも作ってみようかな。王都にバナナが入ってくるようになれば、喫茶店のデザートメニューに出来るかもしれないし。
上機嫌でおばさんからバナナを受け取ると、リリアーナが不思議そうな顔をしていた。
「ひと房も買うということは、持って帰るの?」
「はい! 純粋に食べたいのもありますが、デザートメニューの試作にも使えるかと思いまして」
「そういえば、貴女の家は喫茶店だったわね」
リリアーナは納得の顔をして頷いた。
「では、次に行きましょうか」
「お、お魚っ」
歩いていると魚市場についたようで、並んでいる魚介類に目を輝かせる。
「うわぁ、いろんな種類がある。貝や甲殻類も売っているのですね!」
海の幸にテンションが上がりつつ出店を見て回っていると、リリアーナに苦笑された。
「さすがに魚は持って帰れないわよ」
「うっ・・・わかっております」
さすがに生魚をこの夏場に2日かけて持ち帰る事は出来ない。
手紙が転移させられるのなら荷物も転移させられるのでは? と思うかもしれないが、平民の少ない魔力で転移させられるのはサイズ的にも重量的にも手紙が限界だ。
貴族ならば専用の魔術具と魔力があれば送れるが、貴族はそんな仕事はしない。基本的に荷物の運搬は馬車である。
「料理長が晩餐には生魚を使った料理を出してくれるそうよ。それで我慢してちょうだい」
「晩餐を楽しみにしております」
そうだ、夜はお刺身なのだ。それだけでも十分だ。
昼食を挟んで、ミーナのお目当てである書店にも足を運んだ。
「わぁ・・・これはネルラント国のクリス物語の最新刊ですわ!」
「リリアーナ様、この恋物語面白そうですよ!」
「・・・あら本当ね。読んでみようかしら」
大いに盛り上がり本を数冊買った私達は満足して書店を出た。私もミーナも両手が買った品物で塞がってしまった。
「だいぶん荷物が増えてきたわね。一度馬車に荷物を置きに行きましょうか」
「「はい」」
リリアーナの提案で一度馬車に戻り、荷物を置く。
近くの港を通った時に、自警団が集まってなにやら騒然としている事に気づいた。
「・・・どうしたのかしら」
「リリアーナ様。少し見て参りますので、こちらでお待ちください」
物々しい雰囲気に訝しむと、ロサルタン公爵家護衛の人が騒動を確かめる為に向かった。
・・・何だろう。何だか嫌な予感がする。
数分後、自警団から話を聞いた護衛の人は顔をしかめながら戻って来た。
「報告いたします。本日船にてサウス国に強制送還となる予定の囚人が逃げ出したようです」
「何ですって!」
「逃げ出したのは、3年前の杜鵑草密売事件の密売人の一人だと言う事です」
杜鵑草事件・・・
ドクン、と心臓が嫌な音を立てる。
「特徴はわかるかしら?」
「藍色の髪をした長身の男で、サウス国特有の褐色の肌をしているそうです」
「わかったわ。すぐにレイビスに使いを出して。わたくしも、自警団と話をいたしますわ」
藍色の髪に、褐色の肌。杜鵑草の密売人。
冷たい汗が背中を伝う。
だって、その特徴に当てはまるのは・・・
3年前、フィズリン子爵夫人と共に私に杜鵑草を飲ませようとした、あの男の人。
笑顔で優しげな感じなのに目が全く笑っていなかったあの顔を思い出すと、ブルッと背筋が震えた。
「ティア、どうしたの?」
ミーナが俯いた私を心配して声をかけてくれた。
「ごめん、大丈夫・・・」
大丈夫だと口では言うけれど、たぶん私の顔は真っ青だったのだろう。
「リリアーナ様、ティアの体調が良くないようですので、先に馬車に戻って休んでいてもよろしいでしょうか?」
私を気遣って護衛に指示を飛ばすリリアーナに申告してくれた。
「ティアさん?・・・本当に顔色が悪いわ。ミーナ様はティアさんと一緒に馬車に戻っていてちょうだい。わたくしも、レイビスと合流したら行きますわ」
「ありがとう存じます。ティア、行こう?」
私はミーナと一緒に路地に停めてある馬車に戻る事になった。




