杜鵑草事件1
私の婚約者はかっこよくて可愛い。
普段はほわほわしているし、温厚で優しいし、ふにゃりと笑う顔はとても癒される。
でも、たまに甘い言葉をかけてくれたり、紳士のように気づかいしてくれたり、慈しむような視線を向けられると胸がドキドキする。
そして、甘い雰囲気になってお互い恥ずかしくなってくると、顔を真っ赤にして逃げだすカインは超可愛い。愛しい。
手で顔をパタパタと扇いで熱くなった頬を冷ます。
心臓がまだ早鐘を打っているのでもう少しかかりそうだ。カインはこの広場の反対側に行ったのだろうか、姿は見えない。
「・・・ふぅ」
少し落ち着いて辺りを見回す。広場には仕事が終わって家路を行く人が通ったり、ベンチに座ってのんびりしている人がいたり、真ん中にある噴水近くで子供が遊んだり、いつも通りの光景が広がっている。
「・・・ん?」
ふと視界の端っこに見覚えのある人物が入る。
そして、その人物を認識した途端、先程の熱が一瞬で引いた。
・・・フィズラン子爵夫人
最近王都でも流行している杜鵑草密売の大元の貴族。
一応平民の格好をして茶色のマントをしているが、気品ある佇まいは貴族のお忍び感満載だ。その顔は、ゲームの立ち絵で見たくすんだ赤髪にグレーの目、目の周りに酷いクマが出来ている顔そのままだった。
子爵夫人がスっと広場を抜けて細道に入る。
「――――っ!」
もし、ゲームのように私が子爵夫人を捕える証拠を上げる事が出来るとしたら・・・そうしないと杜鵑草事件は終息しないなら。
この時の私は、自分の行動を深くは考えていなかったのだろう。彼女を見失う前にと、慌てて立ち上がり子爵夫人を追いかけた。
夫人は細い道を行き、暗い路地裏をグネグネと歩き、ひとつの小さな倉庫のような建物に入って行った。
私は今その建物の脇で立ちすくんでいる。
中の話し声が少し聞こえる。男性の声と先程入って行った子爵夫人の声だ。
「――――彼にクスリは渡せそうなのかしら?」
「今夜、王宮に潜入している部下が接触を試みるみたいですよ」
・・・彼?王宮?クスリは杜鵑草の事だろう。もう王宮にまでフィズラン子爵夫妻の手が回っているのか。ゲームよりも随分早い。
「頑張って頂戴。貴方の頑張りでわたくし達が裏から国を動かせるようになるのですから」
「ええ、分かっています。ところで奥様、ここに来る事、誰にも気付かれていませんよね」
「もちろんよ。その為にこんな平民の汚い格好までしたのよ」
「そうですか。ではこの契約書は絶対に誰にも見つからない場所に隠してください」
「分かったわ。・・・ふん、これで契約成立ね、裏切ったりしたら容赦しないわよ」
「奥様の方こそ」
・・・契約書。もしかして、フィズラン子爵夫妻の杜鵑草密売の証拠?それが、今ここに・・・?
ドクン、ドクンと心臓が嫌な音を立てる。
本当は今すぐ立ち去ってしまいたい。けれど、王都に杜鵑草が出回っていたら、私の大切な人達まで被害に合うかもしれない。私が出来ることがあるのなら、何か行動した方が良いのではないか。
もし、杜鵑草密売の証拠を手に入れる事が出来たなら・・・
「お嬢ちゃん、クスリ持ってねぇか、俺はぁ、クスリが切れてきて辛いんだぁ」
「・・・!!」
しまった。中の話を聞くのに夢中になって、周りに意識を向けていなかった。
いつの間にか私の横に40代くらいだろうか、目は窪んで焦点が合わず、背筋が曲がってやせ細り、体のいたる所に紫の斑点が浮かび上がっている。――――体から不自然な甘い香りを漂わせる男がいた。
・・・杜鵑草中毒者だ。
話しかけてきた中毒者に背を向けて走り出す。
「おい!待てよぉ!」
グイッ!
「きゃ!」
男に髪を掴まれて引き戻されてしまった。
「クスリがねぇなら金でもいいからよぉ、お嬢ちゃん、いい身なりしてるなぁ・・・」
男の紫色の斑点の付いた腕に捕えられ、生気のない窪んだ目を近づけられる。
身体中の鳥肌が立つ。
「ひっ!だ、誰かっ!」
・・・カインっ!
思わずギュッと目をつぶると、
「何をしている!」
と男性の声が聞こえ、私から男を引き剥がしてくれた。
勢いよく剥がされバランスを崩した私はその男性の腕に受け止められる。
ドサッと地面に倒れた中毒者の男は、「何しやがる!それは俺の獲物だぁ、返せぇ!」と焦点の合っていない目で怒鳴る。
すると私を受け止めてくれた男性はポケットから何か白い粉の入った袋を取り出した。
「お前が欲しいのはこれだろう?とっとと失せろ」
そう冷たく言い放って、白い粉の袋を放り投げた。
白い粉の袋を見た瞬間「あ・・・」と動きが止まっていた中毒者の男は袋が投げられた方向へ慌てて追いかけて行った。
助かったと思い、ホッと体の力を抜く。
お礼をしなければと、助けてくれた男性に向き直る。
「ありがとうございま、す、・・・っ!」
「どういたしまして、怪我はない?」
男性はこの国では珍しい褐色の肌に藍色の髪をしていて、ニッコリと笑うその目には、優しげな色などひとつも無い。
これからコレをどうしようか、そう考えていているような目だった。
男性の後ろには、赤髪を靡かせ、汚い物でも見るように口元を袖で覆うフィズラン子爵夫人が立っていた。




