ヒロイン誘拐事件1
「・・・ん」
再び目が覚めた。先程のような酷い頭痛はないけれど、まだ覚醒しきれていない頭を動かし、状況を確認する。
今は朝だろうか、カーテン越しに柔らかな日差しが射し込んでいる。確か、私が学園で魔術棟の研究室引き上げの為に片付けをしていたのが昼。そこからいつの間にか意識が無くなって、馬車の中で一度目覚めたのが夜。もう一日近く経ってしまっているのか。
寝かされているのは柔らかなベッドだけど、見慣れた私の家の小さなベッドではない。
豪華な装飾が施された壁や家具を見ると貴族の邸宅なのではないかと思うが、あまり人が使わず手入れをされていない、そんな物寂しさを感じる部屋だ。
「・・・ペンダントが」
私の首にはカインから婚約記念にもらったペンダントがいつもついていたのに、それが外されていた。
というか、私の持っていた魔術具(最近ノアの誘拐を警戒したカインに常に身に付けておくように言われていた)はケータイもシールドも全て取り上げられたようだ。
幸い縛られたりはしていないようで、体を起こして辺りを見回す。
部屋には私一人で、連れてきたノアの姿はない。
窓に近づいて覗いてみるも、そこから見える景色は一面森になっていて、ここがどこなのかサッパリわからない。窓もはめ殺しで、開閉は出来なさそうだ。
コンコンとノックの音が聞こえて振り向くと、ノアが扉に寄りかかってこちらを見ていた。景色を見ていたからか、扉が開いた音に気づかなかった。
「どうですこの部屋。ティア先輩の為に用意したのですよ、気に入っていただけましたか?」
亜麻色の髪をふわふわと揺らしてニッコリと微笑みながら近づいてきたので自然と体が強ばる。
「わたくしの為に用意した、にしては手入れが行き届いていないみたいですね」
近づいてくるノアから距離を取りつつ返すとノアは肩を竦めた。
「おや、これは手厳しい。しかし、ここは人里から随分と離れていますので、使用人を派遣するのも大変だったのですよ。これから二人で手入れをしていきましょう」
「お断りします」
「そうですか。では、先に貴女の手入れが必要なようですね」
一歩一歩近づいてくるノアの赤色の目には光が無いように見えて、恐怖が募る。
ノアの手が伸びてきて、私の肩に触れる――――ことはなくその手は下ろされた。
「・・・そんなに警戒しないでください。ボクは貴女に酷いことはしませんから」
「・・・?」
誘拐するのは酷いことに入らないのか、そう思っていたのが伝わったのかもしれない。ノアは困ったように頬を掻くと応接セットのソファーを指差した。
「あちらでお話しませんか?ボクはずっとティア先輩とゆっくりお話したかったのです」
「話・・・?」
応接セットならばテーブルも挟むしまだいいかと思い、ソファーに座った。柔らかいそのソファーもいい物そうだが、年代物なのかうっすらシミのようなものがあった。
ノアも反対側のソファーに座ると、ゆっくりと口を開いた。
「それにしても、ティア先輩はすごいですね。突然攫われたと言うのに驚いたり混乱したりしないのですから。あまりに落ち着いておられるので、逆にボクの方が戸惑っていますよ」
ノアの態度はまったく戸惑っているようには見えない。むしろ、私の一挙手一投足見逃すまいと、じっとこちらを見てくる様子は悠揚たる態度だ。
・・・ゲームのヒロインならばここで混乱していたな。何故だとノアに問い詰めて、そこで初めてノアの真意を知る。
私は正直、ノアの真意はゲームで知っている。何故友情を築いていないノアが私を攫ったのかはよくわからないが、それよりも早くここから出てカインの元へ帰りたい。
「わたくしの魔術具を取り上げたのもノア様ですか?」
でもせめて魔術具は返して欲しい。私が作った魔術具はまた作ればいいけれど、カインに婚約記念にもらったペンダントはただの魔術具じゃなくてカインの想いが詰まった私の大切な物だ。
「はい、もちろん。貴女の魔術具は未知ですから、持たせておく訳にはいきませんよ」
そう言って懐からいくつかの魔術具を取り出すノア。
その中には私のケータイやシールドはあったけれど、ペンダントは無い。
「――――っ、ペンダントは?!」
バンッとテーブルに手を付くとノアはニッコリと微笑み魔術具を懐に仕舞う。
「アレはティア先輩の位置がわかる魔術具でしたので、学園内に置いてきましたよ」
「学園内に・・・」
それなら探せば見つかるかな。でも、高価そうなペンダントだから手癖の悪い人に拾われると取られたり売られたりする可能性が・・・!
親切な人に拾われていますように!
ああ、もう!今すぐ探しに行きたい!
「探しになんて行けませんよ。ティア先輩は一生ここでボクと暮らすのですから」
・・・表情読まれたかな。
やっぱりノアは私をここに監禁する気なのか。
「・・・ノア様は何故わたくしをここに連れてきたのですか?」
「あ、やっと聞いてくれました?あまりにも聞いてくれないのでそんなにもボクに興味が無いのかと寂しく思っていたところだったのです」
しまった。聞かない方がよかったか。
「では、お話しましょう」と立ち上がり、芝居のように大袈裟に手を広げるノア。
「知っていましたか?ボクは貴女の事がとても好きなのですよ。こうしてお話出来る事すら夢のようなのです」
「わたくしとノア様にはそこまで接点は無かったように思いますが・・・」
「そうですね。でも、ボクはずっとティア先輩と仲良くなりたかったのですよ。仲良くなって、たくさんお話ししてみたかったんです。・・・いつも誰かに邪魔をされてしまい、こんな形になってしまいましたが。しょうがないですよね、学園内では邪魔が入るし、ティア先輩自身もボクを避けていましたし」
「避けてるなんて事は・・・」
あったけど。だって自分を誘拐するかも知れない人とは関わりたくないじゃないか。
「いいですよ。今こうして目の前にティア先輩がいるんですから。・・・ティア先輩はボクの救いの女神なのです」
「救いの女神・・・」
シャルロッテもそんな事を言っているな。カインと同じCクラスの人も私を女神とたたえるし、皆勝手に私を女神にするのは止めて欲しい。
「ボクはクラシス家の長男なのですが、母は幼い頃に他界してしまい、家は父の後妻が取り仕切っています。家の跡継ぎも後妻が産んだ弟に決まりました。別に悔しくはないのです。ボクがあの家を欲しいと思った事などありませんでしたから。いくら家に居場所がなくても、家族がボクを蔑ろにしても、ボクが何かを思う事はありませんでした。けれど、ティア先輩だけは違ったのです」
「え・・・?」
ノアの目にだんだんと熱が籠っていく。
「初めてティア先輩に会った時、ボクは大きく心を動かされました。今まで何かを欲しいと思う事はなかったのに、初めてこんなにも欲しいと思ったのです!貴女の声を聞くだけで心臓が痛くなりますし、姿を見るだけで頭がいっぱいになってしまうのです。冷えきっていたボクの心を溶かしてくださったのです!ボクを救ってくださったのです!これを恋と呼ばずになんと呼びましょう」
病と呼んではいかがでしょうか。
相手を誘拐し、監禁する程の歪んだ気持ちを恋と呼んで欲しくはない。
いつの間にか、ノアが目の前まで来ていた。距離を取ろうとするも、両側にノアが手をついて動けなくなった。
「ボクがどれだけこの黒い艶やかな髪を掬い上げたいと思っていた事か」
うっとりとした目で私の髪を取る。
「ボクがどれだけこの白い珠のような肌に触れたいと思っていた事か」
愛おしそうに私の手を取るノア。
「――――いやっ!」
ゾワッと悪寒が湧き上がり手を振り払う。触れられた手を胸の前でギュっと握り込んだ。
「・・・ボクはティア先輩の全てが欲しいのです。ボクを愛してもらえませんか?」
「・・・無理です」
ノアの主張は自分勝手な事ばかりだ。私の事を、気持ちを、ひとつも考えてくれていない。そんな人を愛せるはずがない。
拒絶の意を込めてノアを睨みつける。
「ああ、その表情も素敵ですね・・・」
ノアが恍惚とした表情を浮かべて身震いし始めたので、スンと無表情になる。
・・・ノアってこんなぶっ飛んだキャラだったかな。
もっとこう・・・苦悶に満ちた表情で、ヒロインを攫ってしまったという後悔と自分の元へ来て嬉しいという感情が入り交じった複雑なキャラだったはずだが。
「その話はまた今度にしましょうか。今の貴女には頭を整理する時間も必要でしょうから。今は、ボクの気持ちを知ってください。それから、ボクから一生逃れられない事を理解してください。それだけです」
そう言うとノアは私から離れ、「それでは、また後ほど」と一度振り返ると部屋を出ていった。
ガチャンと音がしたから鍵がかけられたんだと思う。