夜会2
ゴボゴボっと水を飲んだ。
息が苦しい。早く上がらないと。
貴族の庭の小川だからそんなに深くはないはずだけれど、足は付かない。
水を吸ったドレスが重くて浮上の邪魔をする。
せめて、と上に伸ばした腕を引っ張り上げてくれたのは、カインだった。
「ゲホッ、ゴホッ、コホッ」
「・・・」
岸に上がり、空気と水が混ざり合いむせている私の背中を、同じくずぶ濡れのカインがさすってくれた。
「ティア、大丈夫ですか?怪我はないですか?ルピア、すぐに何か拭くものと体を温める風呂の準備をお願いします」
「は、はいっ」
ルピアに指示を出すニコラスも私を心配そうに覗き込む。
「さぶっ・・・」
川に入ってしまったのもそうだが、ドレスがずぶ濡れでどんどんと私の体温を奪っていく。私が震え始めると、カインがぎゅうっと抱きしめてくれた。
・・・温かい。
「ありがと、カイン・・・?」
・・・あれ?カイン、怒ってる?
カインを見上げると、怒りがフツフツと湧き上がるような表情で、キッと上を――――シャルロッテを睨みつけた。
「シャルロッテ王女」
怒鳴り声というよりポツリと呟いたような声だったが、その声には怒気がたっぷり含まれていた。
冬の澄んだ空気にその低い声はよく通り、橋の上で呆然としていたシャルロッテがビクッと反応した。
「貴女は自分が何をしたのかわかっていますか?」
地を這うようなカインの声にシャルロッテの顔が青ざめていく。
さらに、カインに合わせるようにニコラスもシャルロッテを見ると底冷えするような声で言い放つ。
「シャルロッテ王女にはガッカリいたしました。王族が守るべき民を侮辱するだけでなく、身分を笠に着て何もしていない者に手を上げるなど、王族失格だと思います。ネルラント王国に抗議の上、即刻国に帰っていただきます」
・・・え?ちょっと待って。
「あたくしは・・・」
シャルロッテはペタンとその場に座り込むと真っ青な顔で震え始めた。
「待って、ください・・・殿下、わたくしは、勢いで自分で落ちてしまっただけで、シャルロッテ王女は悪くないのです。だから、そんな事言わないでください」
私がシャルロッテを引っ張って勢いで落ちたのであって、シャルロッテが私を突き落とした訳ではない。勘違いだと説明するが、ニコラスは首を横に振った。
「いいえ、ティア。今回の事だけではありません。シャルロッテ王女が貴女に行った数々の嫌がらせは、王族として許容出来る事ではありません」
「そうだよ?僕はティアをこんな目に合わせた彼女を許す気は無いからね」
ニコラスもカインもすごく、怒っている。穏やかなニコラスがこんなにも怒っているのを見るのは初めてで、カインも無茶をした私を叱るのとは違う、憎しみの籠った怒りで。
周りの貴族達もニコラスとカインに合わせて口々にシャルロッテを貶し始める。私にこんな嫌がらせをしていたとか、王族として失格ではないかとか。
大衆の前で罪を暴かれて、口々に責められ、婚約はなくなり、国から追い出される。こんなの、まるで・・・
公開断罪じゃないか。
「・・・待って!シャルロッテ王女からの嫌がらせも、大した事はされておりません。わたくしは、気にしておりませんので・・・殿下も、カインも、そんなに、怒らないで・・・?」
お願い・・・と、カインの服を掴んで嘆願する。
数秒沈黙が落ちたが、私の必死のお願いが通じたのかカインが息を吐いた。
「ティアは優しすぎるよ・・・」
「では、この場では彼女の罪は決めない事にしますよ。だから、泣かないでくださいね、ティア」
二人から怒りのオーラが消えた事にホッと息を吐く。
場の空気が緩むのと、キリアやルピアがタオルを持って、風呂の準備が出来たと呼びに来るのが同時だった。
その後、私はセディル公爵家の使用人さんに温かいお風呂に入れてもらった。
お風呂場まではカインが運んでくれた。お姫様抱っこで。
「自分で歩けるから・・・!」
って言ったんだけど、カインは首を横に振った。
「僕がティアを運びたいんだ。お願い」
「〜〜〜っ」
カインはアーサーには力比べで負けているけれど、体付きはやっぱり男の人で、私は抵抗する間もなく軽々と抱き上げられた。
途中ですれ違う人達の視線がものすごく恥ずかしかった。
お風呂で温まってから応接室に行くと、カインとアーサー、キリアが待ってくれていた。
「ティア様、ハーブティーです。温まりますので、どうぞ」
「ありがとうございます、キリアくん。・・・カインもちゃんと温まった?」
カインも私を引き上げる時にずぶ濡れになっていたのだ。風邪を引かないか心配だ。
「僕もお風呂でちゃんと温まって来たよ。ティアこそ、少し顔色が悪い。熱が出るかもしれないから、無理しないようにね」
「ん。わかったよ。・・・シャルロッテ王女はどうなったの?」
随分と顔色悪く震えていたが、あの後彼女はどうしたのだろうか。
「シャルロッテ王女はそのまま馬車でお泊まりになっている離宮へ帰って行かれました。殿下とカイン様に責められた事で随分と気落ちしておられたようです。・・・本当にそのまま国に帰ればいいのに」
キリアが説明してくれるけれど、ボソリと付け足された一言にキリアもシャルロッテを嫌っている事がわかる。
「つーか、ティア。別にカインと殿下止める必要無くねぇか?シャルロッテ王女は王太子妃に相応しくないんだから、そのまま追い出してもらえば」
「アーサーまで・・・!でも、私は本当にそんなに大した事されてないから、それに、シャルロッテ王女は今殿下に見放されて十分大変な思いをしてるから、そこまで追い詰めなくていいと思うの」
ニコラスから見放されたシャルロッテは婚約者にはなれないだろうから留学期間が終わればそのまま国へ帰るのだろう。今わざわざ汚点を付けて追い返さなくても良いと思うのだ。
「やっぱりティアは寛容で慈悲深いな」
「女神のようですね」
「その言い方はなんか嫌だ!・・・わ」
アーサーとキリアが二人して頷きあっているとカインが私を後ろから抱き寄せる。
「でもティア、僕らの気持ちもわかって欲しい。僕らは大切なティアが嫌がらせを受けているのが嫌なんだよ。大切な人を侮蔑し、今回は冬の川に落とされたんだよ。そんな彼女を一刻も早く国から追い出したいと思うのは当然だと思うんだ」
「・・・うん、ごめんね」
「僕は今後の彼女の態度次第ではすぐにでも追い出すからね」
「う・・・。わかった」
シャルロッテはニコラスに見放されてからは私への嫌がらせも無くなっていたし、さすがにもうして来ないと思うのだが、カインの心配してくれる気持ちもわかるので、素直に頷く。
「ティア、やっぱり熱が上がってきてるよ」
私のおでこに手を当てたカインが眉をひそめる。
「ん・・・。少しクラクラする、かも」
やっぱり熱が出てきたのかもしれない。座っているはずなのにクラクラと視界が揺れ始めた。
「キリア、悪いけれど、僕達は先に帰らせてもらうね。ルピア様にもそう伝えておいてくれる?」
「かしこまりました。お気を付けて」
カインに送ってもらって家に帰った私は、熱を出して2日程寝込んだ。