変化と依頼
夏季休暇が明けてから、学園内での私の立場がおかしい。
カインやミーナと同じCクラスの人が私の事を「ティア様」と呼ぶのは慣れたのだが、それ以外の人も最近は私を様付けで呼ぶ。
顕著なのはクラスメイト達だろうか。
1年生の時は「平民」と呼ばれ、2年生の夏季休暇明けくらいから「ティアさん」と呼ばれ、この間の夏季休暇明けから「ティア様」と呼ばれている。
貴族同士ならば様付けで呼ぶが、私の立場は何一つ変わらず「侯爵家次男の婚約者の平民」なのだが、彼らの中でどんな心境の変化が起きたのか。
それから、夏季休暇が明けてから、シャルロッテからの嫌がらせはほとんど無くなった。シャルロッテ自身からは鋭い視線を向けられる事はあるけれど、孤立しつつある彼女から何かされる事はないし、私は平和な日々をおくっている。
「よっ、と・・・」
つま先立ちをして、グググッと片手を上に伸ばす。
ここは放課後の図書室。
私はたまにケータイの中の情報を充実させる為に、図書室の本をケータイの中にコピーしている。
たくさんの本を入れておけば、検索機能で知りたい情報だけを取り出す事も出来るからだ。情報は多いに越した事はない。
そんな私の目当ては魔導書で、このギリギリ届きそうな位置に置かれている本を取ろうとしている所だ。
「くっ・・・」
懸命に伸びをしてみるも、背表紙に軽く指が当たるだけだ。取れそうで取れないのがとてももどかしい。
・・・1年生の時にもこんな事があったな。あの時は、梯子を取りに行こうとしたらレオンハルトが本を取ってくれたのだったか。
だが、私も成長している。今日の私は既に梯子を使用済みなのだ。ふふん。
・・・梯子を使用した上で取れないって、この図書室はもう少し利便性を考えてくれないものか。
はぁと梯子の上でため息をつくと、「ティア様!」と数人の男女の声がかけられた。
・・・違う学年の人達かな?あまり見ない顔だ。
「そんなバランスの悪い所にいては危険です。早く降りてください!」
「そうですわ。尊いティア様の身に何かあったらどうするのですか」
・・・なんか怒られた?!
「えっ・・・はい」
彼らは同じ魔術学園に通っていると言っても知り合いではないし、よくわからないが、とりあえず梯子から降りたらホッとした顔をされた。
「本なら私共が取りますので、いつでも仰ってください」
そう言って一人の男子生徒が梯子に登り、私が手を伸ばしていた本を取ってくれた。
「ありがとう存じます・・・。ええと・・・?」
こんなに親切にされる理由がわからなくて首を傾げたが、名前がわからないと思われたらしい。彼らは一斉に自己紹介してくれた。
「私は1年、Aクラスの――――」
「わたくしは、1年の――――」
「僕は――――」
どうやら彼らは1年生らしい。やっぱり知らない人だな。
「ありがとう存じます」
とりあえず、本を取ってくれた生徒から本を受け取りお礼を言うと、その生徒には、「くっ」と感極まったような顔をされ、梯子から降りるように注意した生徒達と共にそのまま図書室から出ていった。
「ティア様とお話してしまったー!」と小さく聞こえたのは幻聴だと思いたい。
彼らの去っていった方向を複雑な気持ちで見ていると、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
「カイン?」
「ふふっ、ティアは人気者だねぇ」
「人気者・・・なのかな?」
まるで、魔術学園全体がCクラスの人と同じになった気分だ。またなんか勝手に女神とやらに例えられている気がする。
「ティアが蔑まれるよりは女神として讃えられる方がずっと良いよ」
そう言ったカインは私の髪をひと房取り、髪にちゅっと口付けた。
「ほぇ?!」
こんな人目のある所でそんな事をされるとは思ってなくて、ポンっと赤くなった頬を手で覆うと、カインはふにゃりと笑った。
「可愛い・・・。その女神に触れていいのは僕だけだけどね」
「うぅ・・・」
こんなところでやめて欲しいとは思うけれど、カインがあまりにも嬉しそうに笑うので、私は何も言えずに口をつぐむのだ。惚れた弱みというやつかもしれない。
「ずっとこうしていたいけれど、そういう訳にもいかないのがもどかしいね。・・・ちょっとティアにお願いがあるんだ」
「お願い?」
カインはそのお願いをする為に私を探していたのだという。カインが真剣な顔になったので、私も姿勢を正して耳を澄ました。
カインのお願いとは、急遽騎士学部の武闘大会に魔獣が持ち込まれる事となり、観客席を魔獣から守るための魔術具作成を依頼したいとの事だった。
なんとか学園祭前日である今日完成し、今から魔術具の設置と説明に行く。
「そういえば、アタラード家は学園祭に誰か来るのか?」
魔術学部から騎士学部は遠い。
歩きつつ魔術具運びを手伝ってくれているツバキと話す。
「ええ。昨年までは不参加でしたが、今年は兄とその交際相手の方が来てくださる事になりました」
一応周りの目もあるので、王子と平民として接する。
「ほう、それは楽しみだな」
「はい」
兄とシアナは学園祭が近づく度に緊張が増しているようだが、私は授業参観に親が来てくれるようなワクワク感がある。
パーティーで出されるご飯も美味しいし、デザートもいろいろな種類があるので、兄もシアナも楽しんでくれるといいな。
「この前は、学園祭に着ていく服を買いに行くという名目で兄とシアナさんがデートに出かけたのですよ」
「お、上手くやっているんじゃないか?」
「ええ。わたくしもそう思います。シアナさんはうちの家業の手伝いも頑張ってくれていますし、とても優しくて、努力家で、いいお姉さんなのです。兄も惹かれているのかと」
「・・・ティアの方が惹かれているように見えるが?」
「わたくしは既に大好きですよ!」
「ははっ、そうか」
私は既にシアナが大好きだ。見た目もかっこよくて素敵だし、優しいし、努力家で、笑顔がとても可愛らしいのだ。
このままシアナが兄と結婚して義姉になってくれると嬉しい。
そんな話をしつつ、騎士学部の校舎に差しかかった時だ。
〜♪〜
私のケータイから柔らかい音楽が鳴り、着信を示した。
学園祭で発表する予定なので、ケータイはまだ普及していない。なので、今私のケータイを鳴らすのは一人だけだ。
「カイン?どうしたの」
『ティア!今どこ?!』
電話に出ると、焦ったようなカインの声が聞こえてきた。どうしたのだろうか?
「魔術具の設置と説明に騎士学部に来てるけど?」
『っ!、今すぐ戻って!出来れば広い道を通って、周りをよく見ながら。魔術棟は頑丈に出来てるはずだからそこに行って』
「何かあった?」
『・・・魔獣が予定されていたより早く搬入されてね。それでバタついている間に武闘大会会場近くで、檻を壊して逃げ出したらしいんだ』
「えっ」
『騎士学部と先生達は魔獣を追ってるんだけど、まだ見つかっていないみたいなんだ。だから、ティアは早く安全な場所に行ってね。僕もなるべく早くティアの所に向かうから』
「わかったよ。カインも気をつけてね」
そう言って切れたケータイをギュッと握りしめる。
「・・・何かあったのか?」
顔色を悪くした私にツバキが心配そうに聞いてきた。
「明日の武闘大会のデモンストレーションで闘う予定の魔獣が逃げ出したらしくて・・・まだ見つかっていないそうです」
「は?!学園内でか?・・・わかった、ティアの安全が第一だな。戻るぞ」
「はい」
ツバキに促されて、来た道を戻る。
「きゃ」
走っていると、校舎の裏から小さな悲鳴が聞こえた気がして、足を止める。
「ティア?どうした?」
「今、何か女の子の悲鳴みたいなのが聞こえませんでした?」
「・・・そうか?」
「こっち!」
「おい!ティア!」
声のした方へ走り出す。控えめな悲鳴だったから、転んだとかそういう事だったらいいんだけど・・・
「・・・ミーナ!」
校舎の裏側に回ると、ペタンと尻もちをついた体勢で後退りをするミーナがいた。その顔色は恐怖で強ばっている。私達が来た事にも気づいていないのだろう、ただ一点を見つめて震えている。
その視線の先には・・・
「マグオウル・・・!」
狩猟大会で見た魔獣、マグオウルが「グルルルル」と牙を剥いて佇んでいた。




