ミカニシ君と恋愛難民救済委員会
病室の灯りは、すでに消えていた。日付が変わるまでには、まだ少しある。こんな時間帯でも、僕たち子供には深夜だ。
当然、デイルームの灯りは落ちているが、通路の灯りでじゅうぶん視界は効く。
すでにミカニシ君は、待っている。
「やあ、アオイ君。早かったね」
相変わらす光沢のある黒いパジャマを着ている。履きにくそうな先が尖ったスリッパの音もたてず移動するところは、いつも通りだ。
ユリちゃんは、少し遅れている。
ここは、4階。窓の外を見下ろすと、夏と同じように緑の葉をつけた木が風に揺れている。まぶしい日射しがあれば、夏との違いは見つけられないだろう。暖かな病棟の中では、季節を肌で感じられない。
暦の上では、冬なので、 外灯に浮かぶように揺れている木が、凍えているようにも見える。
病棟は、視覚と知識で季節を知る世界なのだろう。
パタパタとスリッパの音に振り向くと、ユリちゃんが現れた。
「ゴメンね。二人とも、もう来てたのね」
ユリちゃんは、いつものまっ白なスウェット上下に、白いスリッパだ。長い髪をまとめている。3人が揃ったのでさっそくスタッフステーションに向かう。
「今日はあの二人が当直なのね」
確認するユリちゃんからは、良い匂いがする。 シャンプーか?
「大丈夫。ちゃんと調べたよ」
どうやって調べたのだろう?謎のミカニシ君の本領発揮だ。
「本人に聞いただけだよ」
ミカニシ君が、僕にそっとささやいた。
僕とユリちゃんの担当医である田野倉先生とナースの雪さんが、誰からみても相思相愛だ。しかし、いつまでもその仲が、進展しないので、三人で後押して、くっつけてしまおうというのがこの集まりの主旨だ。
第1回恋愛難民救済委員会
場所 ナースステーション
参加 アオイ。ユリ。ミカニシ。
僕達が、子供である利点を生かしスタッフステーションの仕切りにしゃがんで姿を隠した。
たくさんの点滴が乱雑としか思えないように積み上げられている。
何の表示か分からない光が壁にあふれている。
パソコンに何か打ち込んでいる先生。
雪さんもパソコンの画面を見ている。
今日は、二人の仲が、どうなってるの?という調査なので、このまま気づかれないよう、じっとしている予定だ。
もちろんミカニシ君の作戦だ。随分沈黙の時間が長い。ナースコールも今夜は、二人のためなのか沈黙を続けている。愛を語れと催促している様だ。
「今夜は、静かな夜ですね。患者のみなさんもゆっくり休むことができているみたいですね」
雪さんが、パソコンから目を離さず話しかける。
「まったくです。いつもこうなら医者も楽なのですが。ユリちゃんの様子は、どうですか?」
雪さんが先生の方に振り返る。
「いえ、特に変化はありません」
思わずユリちゃんが、こちらを見る。
『まずいわ。見回りにこられたら、ばれちゃうわ』
少し照明を落とした通路にしゃがんだ身体をより低くして、目で訴えてくるが、そのときはそのとき。今は、どうしようもない。
幸い雪さんは、動く気配が、なかった。
『大丈夫。このまま静かにしていれば気づかれない』
僕も目で、合図する。
僕たちは、目と目で語り合える。
そう僕たちは、恋人同士だ。正確にいうと婚約している。まだ10歳の僕たちだが、婚約したのは、出会ってそんなに時間を必要としなかった。
僕たちは、同じ年令で、同じ病気を抱える仲間で、大人は教えてくれなかったが、自分たちには、時間があまりないということを知っていた。
出会ってすぐに仲良くなり、彼女がお見舞いの少女マンガを読み終えて、ため息をついた。
「生きている間にこんな熱い恋ができるのかな」
その一言で、僕が決めた。
「熱いかどうか分からないけど、恋人になろう」
それから、二週間で婚約した。その時から僕たちは、18歳まで生きることが、大きな目標になった。
「そろそろ時間だよ」
ミカニシ君が、僕たちだけに聞こえるように、ささやく。
雪さんが見回りを始める時間が近づく。そっとその場を離れる。
翌日の午前中、再びデイルームに集まる。
第2回恋愛難民救済委員会
場所 デイルーム
参加 アオイ。ユリ。ミカニシ。
「どうだろう?僕の言った通りの展開だったよね」
元々この恋愛難民救済委員会は、ミカニシ君が言い出したことだ。彼の体調が悪化して、ICUに入っていた秋、何度か雪さんと田野倉先生の組み合わせで、様子を診にきてくれたが、いつまで待っても二人の会話が、恋に変わらなかったそうだ。
体調が持ち直してからは、気を使い寝たふりをしていたらしいが、ただじれったいだけだったらしい。
そこでこの冬めでたく?病室まで戻ってきたミカニシ君が、あの二人を何とかしようと言い出したのだ。
ちょうどその頃、ユリちゃんとふたりでしている交換日記でも、その話題が出ていた時だったので、僕たちも賛成した。
「でも、あの様子じゃ、永久にあの二人の仲は、あのままね」
雪さんと仲の良いユリちゃんも残念そうだ。しかし。
「問題は、どうすればふたりが自分たちの気持ちを確かめあえるかだ。僕たちは、まだ子供で恋愛のことは良く分からない」
僕の言葉にミカニシ君が可笑しそうにこたえた。
「そんなことはないと思うよ。恋愛に関してだけなら君たちのほうが、ずっと上だろう。君たちがどうして婚約し得たか、それをそのまま先生たちにあてはめればいいさ」
「でも、私たちには、時間がないから」
「そう、信じてはいないのだろう。信じたくないと言うべきかな?あきらめていないから、みんなの様に、時間がほしいから、ここにいるのだろ」
「でも、それはどうなるか分からないことだから」
ユリちゃんがせつなそうに顔を背けた。解る気持ちだが、ミカニシ君のいう通りだ。
「具体的には、どうするかだね。先生も雪さんも僕たちの様に、自分の命をカウントダウンしていないだろう」
僕の優秀な主治医は頭の中が、患者の事でいっぱいだ。雪さんだって仕事の事ばかり考えて、すぐ近くにある幸せに気付いていない。
「だから、それを利用する」
「自分たちの命のカウントダウンは、していなくても、君たちの命のカウントダウンは、しているだろう」
ミカニシ君の言うことは、もっともだ。治療は頑張っている。しかし、移植が間に合わなかった場合どうなるかを正確に分かっているのも先生たちだ。
「命のカウントダウンが始まっている君たちが、ふたりの事をどう思っているかを自然な形で二人きりの時に伝えてやればいい」
「つまり何時死ぬかも分からない奴の言う事は、真剣に検討してくれるという事か」
問題は、いつ死ぬか分からないという一点だけで、検討してくれるかということだ。
僕たちの恋愛活動は、このデイルームでのデートと隣の外来棟の小児科待ち合いで、壁掛けテレビで流れている、アニメ観賞をすることくらいだ。
今の僕たちには、それでも精一杯だ。
果たしてそんな子供の言うことををいくらもうすぐ死ぬからという理由だけで、まともに考えてくれるだろうか?
医者である田野倉先生が、接している患者は、程度の差こそあれ、誰しもが、普通の人より死に近い。
「結局、先生を信じて期待するしかないということかな」
「そうなるね。君たちの思いを真剣に考えることが出来ない人なら、恋愛には不向きだと思うよ。そんな人なら雪さんには、どうだろう?まあ医者として、優秀ならそうではないと信じたいけどね」
ミカニシ君の病気は、僕たちとは違う。主治医は、中野先生だ。だから、田野倉先生との接触は僕たち程ではない。明らかに田野倉先生よりの僕たちとは、視点が違うようだ。
「たぶんミカニシ君のほうが、冷静に分析できている。正しい考え方だと思う。でも、田野倉先生なら大丈夫」
「私もそう思う。先生は、自分の気持ちに慣れていないだけよ」
ユリちゃんも冷静に先生の事を分析している様だ。
「どちらにしても、具体的には、どうするかだね。さっきミカニシ君も言っていたけど、伝え方を間違えると、恋愛に慣れていないから、ふたりが気持ちをこじらせるおそれがあるからね」
三人ともしばらく考えこんでしまった。
窓の外には、雪を溜め込んだ冬空が、いつ手離すかを悩んでいるような色をしている。
「私たちのノートを読んでもらうというのは、どうかしら」
ユリちゃんが言うノートは、僕とユリちゃんの交換日記だ。ただ中に記されているものは、少し特殊かもしれない。
「確かにあれなら最近、雪さんと田野倉先生の事を書いていた」
そのノートには、僕たちの目標が主に書かれている。命の目標だ。
今年は春まで頑張って生きる。それが達成されれば秋までは頑張る。そんな目標の時間まで命をながらえるという事が主な内容だが、それ以外もいろいろと、ふたりが気のついたことを記されている。
「確かに雪さんと田野倉先生の事も最近多くなっているな」
少し恥ずかしさはあるが、ミカニシ君に最近の部分を読んでもらった。
「これは良い。理想的だ。では、ノートを自然な形で、どちらかの目に入るようにしておこう」
実行は、次に雪さんの夜勤と先生の当直が重なる今週の金曜になった。
第3回恋愛難民救済委員会
場所 ナースステーション
参加 アオイ、ミカニシ、ユリ。
作戦というほどのものは、なかった。ふたりのノートを雪さんたちがふたりきりになるときに、目の前に置いておくだけだ。
意外とこれが難しく、なかなかチャンスが巡ってこない。しかし夜中の1時くらいに、そのチャンスは、巡ってきた。
ナースコールが連続して、雪さんが最初のコールを次のコールにもうひとりのベテラン看護師が呼ばれていった。
必ずしも雪さんが早く帰ってくるとは限らないが、可能性が高い。田野倉先生は、スタッフステーションで、パソコンを見ている。
三人で顔をみて、無言で確認すると、僕が、ノートを雪さんが先程まで入力していたパソコンのあるデスクに置いた。田野倉先生は、気付いていない。
期待通り雪さんが、先に帰ってきた。少しの作業後、ノートに気がついてくれたようだ。
「なにかしら?」
手にとり、中を確認する。
しばらく読み進めた雪さんの表情が、泣いたり、赤くなったり、忙しく移り変わる気配に、田野倉先生が、気がついた。
「どうかしましたか?」
「先生こんなものがデスクの上にありました」
先生が近づき、読み始める。
やはり顔の色を激しく変化させるとそのまま決まり悪そうにノートをデスクの上に戻した。
「あの、先生。このノートの目標というのは、やはり」
「ふたりの命の目標でしょうね」
「あのふたりは、いつもそんな思いで、ここで生きていたのですね」
「あのふたりは、いつも明るくどんな治療もおそれなかった。その結婚の話もふたりの間では、現実的な目標だったのでしょう」
「あの、先生これ」
雪さんが、さらに顔を赤くしている。どうやらふたりの仲を心配している記事を読んでいるらしい。
「どうやら、迷ったり、恥ずかしいと思うことは、あのふたりに失礼になるようですね。僕から言わせください」
先生から告白するようだ。
「僕は、雪さんの事が、好きです」
「ありがとうございます。」
あれ?それだけ?付き合いましょうとかなし?
キスとかは?
僕とユリちゃんは、思わず顔を見合わせた。
「たぶん。大人は、それで十分なんだよ」
またまた、ミカニシ君の大人びた意見が、僕たちだけに聞こえた。
「あれ?私の手どうかしたのかな」
ユリちゃんの手を見ると手の向こう側が、見え始めている。透き通るように白かった肌が本当に透き通り始めている。
「先生。私」
不安になったユリちゃんは先生を呼んだが、もちろん先生は、こたえない。
「楽しかったね。ユリちゃん。僕たちが日記で望んだ事が、ひとつ叶ったね。18歳までの目標は、僕が裏切っちゃったけど」
僕が静かに話しかけた。 その間もゆっくりとユリちゃんは、消えていく。
「アオイ君、この人誰?私は、ミカニシ君なんて、知らない。あなたは、ここの患者じゃないわ」
「そう、僕は患者ではない。なぜなら死なないから。でも仕事がら病院には、よく現れるがね」
ミカニシ君の術が、溶けてきたようだ。
「ミカニシというのは、アオイ君に付けてもらった名前だよ。僕たち死神に名前なんてないからね」
「死神?私、死ぬの?」
「それは、違う。君はこれから生き返るのだ。君の移植手術は、成功したのさ。しかし君は目を覚ます事を拒否し続けた」
「そうか。思い出してきた。そう、アオイ君には、移植が間に合わなかった。それで私」
「そう、僕は、アオイ君を迎えにきた、死神さ」
消えていくユリちゃんの目から涙が溢れた。
「君の目を覚ますために、僕がアオイ君に協力したのさ。アオイ君が、是非ともと言うのでね。君が楽しいと思えることをすれば、生きる気力も再び起きるとアオイ君が、言ったので、この恋愛難民救済計画を立ててみたのさ」
「イヤよ。アオイ君がいない世界なんて、私には意味がないわ。あなた死神でしょ。私も一緒に連れていって」
「僕からもそう薦めたのだけどね。アオイ君がどうしてもときかなくて」
「どうして」
ユリちゃんは、責めるようにこちらを見た。
僕だって一緒にいたい。しかし。
「僕はね、助かる命なら、生きるべきだと思うんだ。見てごらんあのふたりを」
スタッフステーションでは、雪さんが、先生の胸にひたいを預けて、何かうなずきながら、泣いている。
「あのふたりが、キスはまだみたいだけど、ああ成れたのも僕たちのノートを読んでくれたからだ。しかし、ユリちゃんのことを本気で考え、心配してくれていなければ、真面目に取り上げなかったと思うよ。しょせん子供の書いたもので終わっていたはずさ。今、病室で、目を覚まさない君を心配そうに見守っているユリちゃんのおとうさんやおかあさんもそうだ。君は、僕以外にも多くの人に愛されている。何より僕は、君を愛している。愛する人の死を望む人は、いないよ。僕たちの目標は、次に生まれ変わったときに達成すればいいよ」
ユリちゃんは、泣きながら頷いていた。
風が砂を運んでいくように、透き通ったユリちゃんの身体が消えていった。
ナースコールがあわただしく鳴った。
ユリちゃんの病室から、パタパタとあわてた音がなり、ユリちゃんのおかあさんが飛び出す。
「先生、ユリが、ユリが目を覚ましました」
どうやら、死神と立てた当初の目標は達成できた様だ。
「さてと、死神さん。いろいろと付き合ってくれてありがとう。そろそろ行きましょうか」
「僕のことは、ミカニシ君と呼んでほしい。この名前と姿は、気に入った。この先も、この姿でいることにするよ」
僕と出会ったときは、ドクロの顔に大きな鎌の姿だったのに。線の細い美少年のその姿じゃ、死神と思ってもらえるか心配だ。
「あの姿は、君が分かりやすいように君の頭の中にあるイメージを借りただけさ。ところで、さっきユリちゃんとは、来世で一緒になろうと言っていたが、本当にそんなに先でいいのかい?」
「でも、もう僕は死んでますしね」
「確かに君は死んでいるが、ユリちゃんは、生きている。まだ当分この世界に留まる」
「はあ?だから結婚できるのは、来世になるのでは?」
「今すぐ君が生まれ変われば、まだこの世界で結ばれる可能性があるのでは、ないか?10歳の差がいけないというのであれば仕方ないが」
盲点だった。そんな手があったのか。
「歳の差なんて、僕は気にしないけど、そんなに都合よく生まれ変われるの?」
「私にも分からない。名前をくれたお礼に運命の神に、相談してみようと思う」
期待で胸が、ドキドキしてきた。もしかしたらもう一度ユリちゃんと恋人になれるかもしれない。僕にとっては、来世。ユリちゃんは、そのままの時間で。今度こそ結婚もできるかもしれない。
「ねえ、ミカニシ君。こんなにドキドキしたら、心臓に悪いよ」
僕は、ミカニシ君に連れられて、天高く舞い上がっていった。
終わり