しゃべるクマさんと私
「やあ、待っていたよマイちゃん」
「ぬいぐるみが……喋ってる!?」
部屋の電気をつけたらこれだ。
私は社会人二年目のOLである。
今日はせっかく余裕ができたので、しばらく行ってなかった実家へ帰ってきたというのが現状だ。
しかし、これはいったいどういうことなのだ!?
「ぬいぐるみが喋るぐらい普通だよ。ほら、テレビの中では歌ったり踊ったりしてるでしょ?」
「あ、あれはフィクションでしょ!」
私の実家、それも私の部屋でクマのぬいぐるみがくすくすと笑う。
「それよりもどうして私の部屋にいるの!?」
「まーまーまー。細かい事は気にしないでよ」
「気にしないわけないじゃない! ぬいぐるみで素顔を隠して、どうせ背中にジッパーでもあるんでしょ!」
「やーめーてーよー」
あらかじめ座っていたクマさんは、コテンと身体を後ろに倒す。
文字通り身ぐるみを剥いでやろうと、彼の手足や頭を掴んで引っぺがそうにも上手くいかない。まるで彼の身体と床の間に接着剤でもついているかのようだ。
「ぬぐぐ、どうして剥がれないのよ!」
「世の中には不思議な事の一つや二つはあるって言うだろう?」
「たしかに言うけどさあ!」
ぴちぴちの二十代。華の年代である私でも、彼を引きはがす事は出来なかった。
息は絶え絶え。あんまり筋トレをしてこなかったせいか、腕や足の筋肉がプルプルする。
ちゃんと普段から運動するべきだった……。
仕方なく私は彼の身ぐるみを剥ぐことを断念する。
「おっと、自己紹介が遅れたね。僕の名前はクマさん。よろしくね!」
クマさんは身体を起こし、思い出したように挨拶をする。
「はあ、どうして君みたいなのが部屋にいるのよ。私じゃなかったら不法侵入で訴えられるところよ」
見た所、彼はあまり大きくはない。ぬいぐるみの中に入っている事を考慮して小学生くらいだろうか。声は若く、変声期を迎えてはいないと思う。
以上から男子小学生、それも低学年。
まあ、いざとなれば力ずくでなんとかすればいい。
「それで? ここに来た目的は何?」
「うん、実はマイちゃんとお話したいと思ってるんだ」
「お話? 別にいいけど……気が済んだらさっさと帰ってよね」
「やったぁ! じゃあじゃあまずは質問して良いかな?」
「どーぞ」
今時の小学生がお話したいとは珍しい。普通ならゲームとか鬼ごっこなどがしたいと言うのではないのだろうか。
なんだか興味が湧いてきたので、くまさんと名乗る彼の質問を受ける事にした。
「マイちゃんって、小学生の頃はどんな娘だったの?」
「小学生? そうねぇ、割と普通の子だったと思うよ」
「たとえば?」
「うーんと。授業はちゃんと受けてたし、全然問題とかも起こしてなかったよ」
「へぇそうなんだ。楽しかった?」
「楽しかった……かぁ。今思うとそうかも。毎日赤いランドセルを背負って、仲の良い友達と登下校するの。たまにやんちゃな男子がやってきて嫌だったけどね」
「何かされたの?」
「そんな大層な事じゃないよ。突然タッチされて逃げられるの。それでなんか嫌だから追いかけるの」
「それ、本当に楽しいの?」
「うん、確かに嫌だったけど楽しかったと思う。今の君でもそう言った事はしないの?」
「僕はやった事ないなあ……」
「あ、そうなんだ」
彼がここにいるという事はお家もここら辺のはず。したがって同じ小学校に通っているんだと思う。だけど、私が小学校に通っていたのは10年ぐらい前。空地がちょこちょこあった当時とは比べ、今では立派な住宅街となっている。当然、安全に走り回って遊べる場所は限られてくる。その影響で彼はやった事がないのだろう。
内心、地雷を踏んでしまったかなと思う。
「後はプールの授業が楽しかったかな!」
空気が悪くなり始めたので、違う話題を振ってみる。
「やっぱ学校でプールっていうだけで楽しいし、皆と一緒に泳ぐってのも楽しかった。だけど、あの地獄のシャワーだけはダメだったね。真夏だって言うのにキンキンに冷えてるからね、あのシャワーは。消毒液のプールも冷たくて友達と一緒に叫んだね。冷たーいって」
「そうなんだ」
「……うん、そうなの」
あちゃ~、これもやっちゃったかな。
質問してきた割には反応が薄い。
あの小学校ってプールなくなったんだっけ?
そういう情報は聞いた事が無いんだけどなぁ。
「マイちゃんは好きな男の子いたの?」
「そりゃあ、まぁね。流石に小学校の頃は男子がアホ過ぎてそう思える子はいなかったけど、中学生になったらいたね」
「どんな男の子だったの?」
「なんて言うのかな。足が一番早くて運動も出来て、まだ中学生なのに色んな気配りができる男の子。でもやっぱりその子が好きな女子はやっぱり多かったし、なかなか話す機会がなかったから付き合えなかったけどね」
「へぇ、じゃあ彼氏とかは出来なかったの?」
「君はまだそんな小さいのに結構ませてるね。まぁいいか。初めて彼氏ができたのは高校の頃かな。その時が一番充実してたと思う。一緒にカフェに行ったり、一緒にファミレスに行ったり、ちょっと背伸びして高めのレストランに行ってみたり」
「ははっご飯食べてばっかりだね!」
「そうだね、よく振られないように体型を維持できたものだと今でも思う。互いにお誕生日を祝ったり、嬉しい事や悲しい事を二人で過ごしてきたんだ。やっぱり、あの頃は良かったなぁ」
「もう付き合ってないの?」
「うん。付き合っていたとしてもそれは高校生である間。卒業しちゃえば疎遠になるし、お互いの気持ちも段々冷めてくるの」
「そういうものなの?」
「そーいうものなの」
「ふーん。じゃあマイちゃんの成人式ってどうだったの?」
「成人式? 成人式かぁ……そうだねぇ。皆すごい成長してたね。背が低かった男の子はエッフェル塔かっていうぐらい伸びてたし、パッとしない地味な女の子は滅茶苦茶可愛くなってた! あとはひょろかった男の子がムキムキになってた事もあったね」
「成人式と言えば着物だけど、マイちゃんは着物着たの?」
「そりゃあもちろん。着物じゃないと浮いちゃうしね」
「どんな着物?」
「えーっと確か赤色で、あんまり派手じゃないやつだったかな。あれって結構歩きづらくてさ、ちょこちょこ進むしかできないんだよね。それに着付けも大変でさ、お店の人にやってもらってたから待ち時間が長いんだよ。それにお化粧と髪の毛。それで準備するために起きたのは凄い早い時間。君ならよだれ垂らして寝てる時間だね」
「僕はよだれなんか垂らさないよ!」
「はいはい、自分じゃわからないよね~。クマさんはさ、20歳になって成人式を迎えるってなった時、スーツと袴どっち着るの?」
「うーん、僕が成人式かぁ。そうだなあ、どっちかっていうとスーツが良いかな」
「どうして? 大人になったらいっぱいスーツ着る機会あると思うよ?」
「そうだね。それでもスーツが良いかな。僕には袴が似合わないと思う」
「今はそう思うかもだけど、大人になったら袴似合うかもよ?」
「そうかなあ」
クマさんは腕を組んでウムムとうなる。
「あ、そういえばなんで私の名前知ってるの?」
なんで今まで不思議に思わなかったのだろうか。
開口一番に名前を言われたのに。
まあ、初見のインパクトが強すぎたからね。
「それは不思議な事の二つ目だね」
「まったく、便利な言葉ねそれ。じゃあ私の話ばっかりだとずるいじゃない? 今度はクマさんのお話が聞きたいな」
「僕の話? うーん、昔話でもいい?」
「昔話できる年齢じゃないでしょ君。いいよ全然」
「ちょっと長くなるけど大丈夫だよね」
「どーぞどーぞ。帰省したとはいえやる事ないしね」
「それじゃあお言葉に甘えて。……僕にはね、仲の良かったお友達がいたんだ」
いたんだ? となると、今はもういないのかな。
「その子の名前はトウカちゃんって言うんだ。初めて会ったのはトウカちゃんが3歳の時。恥ずかしくて何も喋れなかった僕に優しくしてくれて、気が付いたらお友達になってたんだ」
「ぶっちゃけ、今でもその子が好きだったりするの?」
これは私の悪い癖だ。社会人になるとそう言った色恋の話に敏感になってしまう。
ええ、そうですよ! 私は彼氏がいなくて飢えてる貧しい女ですよ!
「うん」
「お、おお、ストレートだね……」
今時の子に珍しい潔さ。こんなに純粋な心を持てるのは若さゆえか。
「でね、トウカちゃんとはいっぱい遊んだんだ。おもちゃの野菜でお料理ごっこしたり、積み木でお家を建てたりね。その中でもお芝居を一緒にするのが楽しかったね」
身振り手振りを交え、彼の雰囲気が一段と明るくなる。
「あー私も小さい頃はやったな~。ああいうのって年齢の割に結構リアルだよね」
「そうそう! 突然トウカちゃんがママ役やってて離婚しましょ! って言った時はどうすればいいのか困ったよ!」
だいたいはお昼にやってるドラマの影響で、意味も分からず大人っぽいという理由でやる。私の場合は隠し子が見つかって修羅場ってのを結構やってた。
「ふふっトウカちゃんって可愛い子だね。でもさっきから聞いてると女の子の遊びしかしてないようだけど、追いかけっことかヒーローごっことかはしてないの?」
「してないよ。だけど僕はそれでいいんだ」
「ふーん、そうなんだ」
やっぱこの子は珍しいな。運動とかあまりできないような病気を持っているのかな。
それともクマさんの中身は女の子なのかな?
声は男の子なんだけどなー。
「トウカちゃんはとっても良い子なんだ! 僕が食べ物を好き嫌いして残しても、しょうがないねえって言って代わりに食べてくれるんだ。高い所から落ちたらすぐに駆けつけて痛いの痛いの飛んでいけーをやってくれるんだ。あとは怪我をしたときにはトウカちゃんのママに教えてもらいながら縫ってくれたんだ」
私の耳に聞き捨てならない言葉が飛び込んで来た。
その言葉に、ある答えが脳裏に浮かび上がる。
「縫ってくれたって……もしかして君は――」
「二度あることは三度ある。そうでしょ?」
恐らく核心を突いた質問に、彼はおどけて笑う。
「はぁ。本当におしゃべりなクマさんね」
「褒め言葉かな? ありがとうマイちゃん」
どうやら彼はクマさんらしい。
嘘かもしれないが、悪意は今のところ感じられない。
どっちでもいいけれど、騙されるなら思いっきり騙されようと思う。
「でも、そんな楽しかった日々は終わりを迎えるんだ」
先ほどとは打って変わって、声のトーンが低くなる。
「あれはトウカちゃんが6歳になったばかりの日。あの頃は買ってもらったばかりのランドセルを誇らしげに見せていた。もちろん、2年間一緒にいた僕は毎日見せられてたけどね。そんな時、あの娘はお出かけに行ってくるね、とランドセルを背負ってお家を出たんだ。僕はトウカちゃんが帰ってくるのを待ってたんだ。お外が夕焼け色に染まっても、陽が沈んで真っ暗になっても。だけど、トウカちゃんは帰ってこなかったんだ……死んじゃったんだ」
彼は見て分かるほど気を落とす。
やはりそうだったんだ。
『僕にはね、仲の良かったお友達がいたんだ』
そんな予感は薄々感じてた。
「ひき逃げらしいんだ。パパとママがそう言ってた」
「そうなんだ……どうして、私に話してくれるの?」
「どうしてだろうね。話す必要なんてないはずなのに。きっと、知ってもらいたかったんだろうね。この世界にはトウカちゃんっていう子がいたけど、その子の事を知っている人はいない。だから僕が話す。うん、そんな気がしてきた。僕はトウカちゃんを知って欲しかったんだ」
「そっか」
心が痛む。私の知り合いが無くなっていないのにも関わらず。
私をそうさせるのに、彼の話は十分だった。
「ひき逃げの犯人は捕まってない。どうやら人通りの少ない場所で、監視カメラとかもなかったらしい。僕は悲しかったんだ。もう遊んではくれないし、お話もしてくれない。パパとママだってそうだ。一人娘だからね。ママは一カ月も経たずに、僕が見ている目の前で首を吊った。なんにもできなかった。だって、僕はぬいぐるみだからね」
クマさんは力なく笑う。
「トウカちゃんといると、いつも笑顔だったパパは笑わなくなった。そりゃそうだよね、トウカちゃんもママもいなくなったんだもん。かろうじてお仕事は続けてたけど、お酒を飲んだパパは決まって僕にお話してくれるんだ。ランドセルを背負ったあの娘をまた見たいって。もし生きてたら好きな男の子は出来てたのかな。もし彼氏ができたらどんなやつなんだろう。出来るだけ真面目なやつがいいけどチャラ男は嫌だなって。あの娘は世界で一番可愛い。だから袴姿はとびきり似合うだろう。そうして親元を離れていくんだ。久々に帰ってきたら男を紹介されて、ママと一緒に頭を悩ますんだ。きっと反対はすると思うけど、心の中では応援していて。あっという間に結婚して、孫ができるんだ。それで、幸せそうな夫婦をママと一緒に遠くへ行っちゃったねって話すんだ。それでパパは僕を抱えながら一人で泣くんだ。おかしいよね、大人なのに」
彼の言葉に、私はどうすればいいのかわからなかった。
気遣いで言ったつもりの冗談に、馬鹿正直におかしくないよって言えばいいのか。
それとも気休めの言葉をかければいいのか。
私にはそのどちらもできない。
「ある日、パパはパソコンを使って調べものをしていたんだ。それも仕事をやめてまで。完全に昼夜が逆転して、丸一日作業していたっていう日もあった。それからなんだ、僕がこんな風に動けるようになったのは」
語る声が鉛のように重く錯覚する。
さらに、何故か寒気を感じるようになる。
「パパは僕を台所に連れて行き、おもむろに包丁を取り出した。そのまま僕をグサグサと刺し始めたんだ。それは何度も。意味が分からないぐらいね。その時の僕はビックリしたよ。なんせ突然だったからね。刺すのをやめると、今度はパパの指を切り、流れる血を僕の中に入れ始めたんだ。あまりにもいっぱい入れるせいで、僕はびちょびちょだったよ。それで僕の中に白い塊を入れた。多分、トウカちゃんの骨だと思うよ。その証拠にトウカちゃんと過ごした日々が昨日の出来事みたいに思い出せる。最後にパパの髪の毛で傷口を縫っておしまい。実は僕がマイちゃんに背中を見せたくなかったのは、パパが下手くそだったからなんだよね。お陰で中身がちょっと飛び出ちゃってるんだ」
気付けば辺りに異臭が漂っていた。
鉄のような、何かが腐ったような。
「こうして、僕はパパに車で送ってもらったんだ。ここがトウカを殺したやつが住んでる家だよって」
「それって……」
「――そうだよ。マイちゃんのパパが殺したんだよ」
暑くもないのに汗がでる。
顎がカチカチと震える。
呼吸が乱れる。
心臓は高鳴る。
「確か、トウカちゃんが生きていればマイちゃんと同い年のはず。マイちゃんが小さい頃に、マイちゃんのパパの車に傷はついていなかったかい? 帰ってきた時に態度が変だったり、顔色が悪い日はなかったかい?」
「そ、そんなの覚えてるわけ……」
「まあ、詳しい事は分からないけど、あれ以来ずっとパパは調べ続けたんだ。間違いは無いと思うよ」
さっきから頭の中がごちゃごちゃしてる。
彼の言ってる言葉は分かるが、理解ができない。
彼は危険だって、彼は怖いって、さっきからそんな事が頭をよぎる。
「だから今日、僕は仕返しをしにきたんだ」
窓から漏れる月明りを背に、彼の姿は大きくなる。
「パパとママはいっぱい悲しんで、いっぱい苦しんだんだ」
縫い付けられた口は大きく開き、唸り声と共に鋭利な牙を見せる。
目元のボタンは抜け落ち、真紅の眼がギョロリと覗かせる。
一片の疑いもなく、その眼は私を捉えていた。
「い、嫌――」
最後に私が見た光景は、彼が腕を大きく振るかぶる姿だった。
「トウカちゃん。僕、本当はこんな事したくないんだ。でも、パパのお願いで断れなくてさ」
クマさんは彼女を絶命させた挙句、その遺体を傷つける。
「あの頃は本当に楽しかったよね。何もできない僕の手を取って、お料理を教えてくれたよね。教えてもらった事、今でも忘れてないよ。ほら、こうやってトントントンってやるんだよね……こうやって、こうやってッ!」
怒気を露わにし、人であった肉は雑に切断されていく。
「ママと一緒にハンバーグを作ってたのも覚えてるよ? さすがに汚れちゃうから僕はできなかったけど。食べたかったなぁハンバーグ。もし僕がぬいぐるみじゃなくて人間だったら……」
彼の手は次第に鈍くなる。
寸前まで動いていた物は肉片となり、原型さえ想像つかないような有様となっていた。
「そしたらもっと楽しかったのかな。あの時の君を止められたかな。昔と変わらず友達でいられたかな」
逆立てていた体毛は鳴りを潜め、彼は動きを止める。
「……トウカちゃん。また、また遊ぼうよ。いっぱい、お話しようよ……」
悲しみにくれるぬいぐるみはただ独り、無人の部屋で涙を流した。