これから(番外編:金田ルート)
おれは、山田と別れて、待たせていた車に乗り込んだ。
「山田様はよろしいのですか?」
運転手の井頭がそう聞いてくれる。
「ああ、いいんだ。あいつは、忘れ物があるから、さきに帰っていて欲しいとさ」
「かしこまりました」
井頭はすべてを悟ったらしい。にこやかな笑顔だった。
※
おれは、車の窓から見える海を見ていた。海から川へ。さっきとは逆の光景が広がっている。
川の向こうには、工場の煙突がいくつも見える。モクモクと煙が空へと広がっている。
「さっきの山田、かっこよかったな」
本来なら、おれが言うべき言葉だったのかもしれない。なのに、おれは言えなかった。
自分のことを忘れて欲しいという佐藤さんに、そんなことはできないとやつははっきり言ったのだ。あいつは、おれのことを“ラノベ主人公”と呼ぶけれど、あの一瞬は間違いなく山田が世界の中心だった。おれは、ヘタレラノベ主人公だとしたら、あいつはやるときにしっかりやるヒーロー型の主人公だ。
「がんばれ、山田……。おまえがナンバーワンだ」
国民的人気漫画のライバルキャラのセリフをまねる。結局、おれは佐藤さんの心の壁を崩すことができなかった。好意を示してくれた女性に、一歩踏み込むことができなかった。その勇気がなかった。だから、こんな風に人間関係がこじれてしまうのだ。問題をややこしくしてしまった。もし、あの告白された時、ちゃんと返事ができていたら、佐藤さんも違った行動をおこしてくれたかもしれない。
反省ばかりしていてはダメだな。ネガティブな感情は、新しいネガティブな感情を生んでしまう。負の連鎖だ。今日から、おれも変わらなくてはいけない。本気でそう思った。
「Von hier und heute geht eine neue Epoche der Weltgeschichte aus, und ihr könnt sagen, ihr seid dabei gewesen.」
井頭が謎の言葉を発した。何語だ?
「有名なゲーテの言葉です。『ここから、そしてこの日から世界史の新しい時代がはじまる』という意味の言葉です。なんとなく、今の坊ちゃんにふさわしいかと思いまして」
「じゃあ、おまえが、その変化の目撃者ということだな」
おれたちは笑いだした。井頭には、イズミから告白された話を伝えてある。つまりは、そういうことだ。
「家に帰る前に、いつもの公園に行ってくれ」
おれは覚悟を決めた。
イズミにメッセージを飛ばす。
『いつもの公園。午後六時。話したいことがある』
最小限の内容だった。でも、おれたちにとっては十分な文字数だった。
海を離れて、車は田園風景を進んでいく。
※
「お待たせ」
おれが、公園に着いた時、イズミはすでに待っていた。
「もう、呼びだしておいて、遅れてくるのはマナー違反だよ」
「まだ、一分しか遅れてないだろう」
「わたしなんて、一時間前から待ってるよ」
「それは、早すぎだろう」
「だよね」
昨日の気まずい雰囲気がウソのようだ。いつものおれたちになっている。
「それで、佐藤さんには会えたの?」
「うん、会えた。ちゃんと、話をしてきたよ」
「山田くんは?」
「忘れ物があるそうで、置いてきました」
「彼らしいね」
「うん」
「山田くんはやっぱりすごいな~。どっかの誰かさんみたいにヘタレ主人公じゃないしね」
「すいません」
イズミはいつも以上に、グイグイ攻め込んできている。
というか、あの短い説明で、どこまで読みこんでるんだ? イズミは……。
「うん? 秀一君のことじゃないよ。どっかのラノベのヘタレ主人公のことだよ~」
「もう、許してください」
「しょうがないな。じゃあ、この話題はここまでだね」
「ありがとう」
イズミは、いつも以上の笑顔になっていた。
「それで、覚悟を決めてくれたんだよね?」
イズミは直球で攻め込んできた。
「うん」
「じゃあ、教えて。秀一君の気持ち。わたしのこと、どう思っているか?」
今回は、おれはもう逃げない。逃げちゃいけない。ここで逃げたら、もうイズミと一緒にいられない。
夕日は半分沈んでいた。おれたちの顔は真っ赤になっていた。
「イズミ。おれも、イズミのことが好きだ。ずっと好きだ。これまでも、これからもずっと一緒にいてください」
イズミからの返答はなかった。
ただ、彼女の顔が、ドンドンと俺の顔に近づいてきた。
そして、
唇と唇が重なった。
この瞬間が、永遠になればいいのに。俺はそう思った。たぶん、イズミもそう思っているだろう。
「ずっと、いっしょにいてね」
イズミはそう言った。おれは、それにうなづいた。
今度は、おれがイズミの顔に近づいた。
目を閉じる前の赤みがかった彼女の顔は、とても可愛かった。
ふたたび、おれたちは同じ時間を共有した。




